「ここが……帝都?」
やっと帝都へ着いた話になります。
「ああ、そこっ!!! もうちょっとで――」
地面の下が微かに揺れる。
ちょうど真下の地面に裂け目が生じて、 ピシュッ――と、一筋の水が噴出した。
近づけた顔に水がかかり、アリカの顔がびしょぬれとなる。
ごごご……と何かが押し寄せていく感覚が、足元から立ち上り……
「やったっ!!!」
先ほどまでとは比べ物にならない量の水が足元をうずめ、今度は全身がずぶ濡れとなった。
そう……井戸が出来上がったのだ。
この辺りにある、別の地下水脈が、村から少し離れた小高い丘の下に流れていることを知ったアリカは、丘の上で地面を掘り進めていき、要するに新しい井戸を作ったことになる。
だが、立地条件としては少々不便ではある。
しかし、だ。
その問題も解決しつつあった。
土でできた人形たちが、この新しくできた井戸を目の当たりにして、歓声を上げていた。
ヘルマンたちからかっぱら……いや献上された品々は、食料だけでなく、武器やそれまで彼らが蹂躙してきた人族の村や街から略奪してきた物品だったが、これが意外にも使えるものばかりだった。
物品の類は取得物として食料その他、必要な物資に変えていっても暫くは生活できるほどにはある。
どれだけの略奪をしたのだろう。
何よりも兵卒たちだ。
水や土でできた兵士や、金属製の人馬などは、意思を持って動く。
その上で彼らは食料を必要としないというおまけつき。
更には不眠不休でも動くことができるらしく、あの夜から休むことなく、アリカたちとともに丘の上で作業にいそしんでいた。
若しくは休むと崩れてしまうのだろうか?
ともあれ、ヘルマンを倒した直後にその兵卒たちは、不気味なくらい従順となっていた。
最初こそ訝しみ、元の土くれや金属片に戻そうかと警戒していたアリカとエリーナではあったけれど。
心配そうな顔をするエリーナは、
――魔王の兵士たちをあのままにして、大丈夫なの?
と、今でこそしおらしくしているけれど、重石であるアリカがいなくなった瞬間に反旗を翻すのではないのか、という一抹の不安を拭えなかったのだが、
『そこは大丈夫なのね』
と、太鼓判を押したのはコーシュカだ。
『あいつらは意思を持ってはいるけれど、自分で考えるのがとても苦手なのね。唯一問題があるとすれば、彼らの意思を操作できるやつが現れた時だけだけど……』
コーシュカが言った。
『それだって、解決策はない訳じゃないなのね。あいつらの意思を構成している命令文を書き換えれば済む話なのね』と。
アリカもエリーナも眉唾ではあったが、試しに井戸を掘れと命令したところ、黙々と作業を始め、遂に井戸が出来上がった。
『それに、エリーナのお姉さん……もあの夜に目を覚ましたし、この村に暫く残るって言っていたなのね。守りは万全に近いと、ウチは思うなのね』
水と食料、その他諸々の物品が備蓄され、エリーナの姉やヘルマンの投降兵たちが村の守りに徹すれば、いくらなんでも当分は持つだろう――とアリカは算段する。
「これで、やっと帝都へいける……」
と安堵の息を漏らすアリカ。
この村はこれで当分はやっていける。
つまりは、肩の荷が下りた訳で、帝都へと行くことができる、と。
まるでいいことがこれから起こるかのような順調ぶり。
そんな訳で、ただ今現在アリカたちは絨毯に揺られながら帝都へと向かっていた。
――寂しくなったらいつでも帰って来ていいんだよ――
アリカは、自分にそっくりな顔の少女が、別れ際に告げた言葉を思い出し吐息する。
(あの子、本当にこの体の持ち主の姉だったのかもしれないな……)
これでよかったのだろうか、と。
もしかすると彼女は自分の姉で、姉妹の感動の再会になったのではないか……とはいえ、仮にそのイーラが自分だったとしても、今の自分はアリカなのだ、と思い直してアリカは前を向く。
随分と足止めを食ってしまったが、しかしアリカにはやらなければならないことがある。
リュボーフィーに、女勇者だと思われたままではいられなかったからだ。
絨毯に揺られながらの旅は、三日ほど続き……
「ここが……帝都?」
絨毯に揺られて三日、漸くたどり着いた帝都、アリカたちの前には、帝都の門……らしきものが申し訳程度にあった。
どう表現すればいいのか、と反応に困っているのはアリカで、何故そんな反応を示したのかと言えば、端的に言ってアリカの中で思い描かれていた帝都の想像との大きな乖離がそこにあったからだ。
帝都といえば、都全体を囲む心理的重圧を植えつける城壁や、幾重にも織り成す芸術的装飾の数々、それに街往く無駄に多い住民たちは裕福であり、毎日開かれるバザールが賑わいを見せ……
「ボクは道を間違えたんじゃ……」
有体に言うとみすぼらしい。
「何だよ、この石と土を重ねただけの土塁壁は? 路は均されていないし、貧相な家屋ばっかだし……」
イポニアの都だったヴォストクブルグですら石畳が敷かれ、煉瓦造りの家々が区画整理されて立ち並ぶそれなりの規模の街だったというのにだ。
一体全体どうしてこうなったと言うしかない。
ただ一面に広がるスラムと言うしかないくらいの家屋が織り成す袋小路、ほぼ裸同然で暮らしている街の住民たちから漂う哀愁。
これで世界最大の国の都だと信じているのなら、もう笑い話と言っていい。
『……都市っていうのは、その……貧乏でも暮らしていけるものなのね』
コーシュカが取り繕うというか、庇い立てするというか、だがそういう問題だろうか?
『それに……ほら、あの建物は立派なのね!』
指差す方には、何だかキンキラキンで幾何学模様の建築物――宮殿だろうか――が街を見下ろしていた。
光り輝く外見だったが、周囲を埋め尽くすスラムがそれを台無しにしている。
豪華絢爛……な宮殿らしき建物が見下ろすのがスラムというのは何とも言えない感があった。
力を見せ付けたいにしても、全体が釣り合っていない痛々しさ。
「随分と悪趣味だな……」
「……その、ごめんなさい」
エリーナが俯き恥ずかしそうにしている。
どうしたと言うのだろうか?
怪訝な顔をするアリカに返ってきた言葉が……
「あれ、皇宮なんです……」
「……」
言ってしまったことを今になって後悔するアリカが大慌てで取り繕う。
「い、いや――その……」
「いえ、いいんです。最低な都だと、私も思ってますから……」
そう口にするエリーナの顔は沈んでいたが。
円形状の街、中心に宮殿が聳えたち、周囲のスラムをまるで監視でもするかのように俯瞰している。
宮殿からは曲りくねった路が、袋小路のように延び、枝分かれしたり、合流したり、行き止まりになったり……ある種の迷路になっているのは、外敵から身を守るためだけか?
門番もやる気のない――いや、よく言えば入る者を拒まず、出る者を追わない姿勢を貫いていたのだろう。
(果たしてこれは街と呼んでもいいのか……)
帝都へと入城を果たしたアリカたちだが、その第一歩から疑問が振ってわく。
死んだような目をした住民たちが、徘徊しているようにうろつき、路肩では敷物の上に物品を広げてぼんやりとしている商人のような、でも違うような者たちがやる気のない素振りで腰を下ろしていた。
「……大丈夫か、この街?」
元気がない、なんてものじゃない。
「そりゃあ、八公二民で、宗教に強制加入で、お布施と言う名の恐喝にあって、残りの一割を生活で使って火の車なら、誰だって元気をなくすもんだよ」
「八公二民!? お布施……いや強制寄付が一割? 頭おかしいんじゃないのか?」
絵に描いたような悪徳領主でもそこまでやらかすだろうか?
今となってはユースフや盗賊たちの境遇には同情をせざるを得ない、とアリカは顔を引きつらせる。
碌でもない街でありそして国、異常さにかけては、あのイポニアをも凌駕する……それがアリカの率直な感想だった。
と――
「って、何やってんだ、お前――っ!?」
アリカの手が、エリーナに伸びていた手を掴む。
「えっ!?」
と動揺する手の先には……アリカやエリーナよりもう少し幼げな顔があった。
青い髪で、青い目をした、みすぼらしいというか、ほぼ服として機能していないような、麻袋に穴を開けただけみたいな布地を頭から被っているのは、少年だろうか、それとも幼女なのか。
問題は、その手が掴んでいたものだ。
何を……エリーナの槍を、掴んでいたからだ。
「ちっ――」
と舌打ちすると、子供がアリカの手をはずそうとして――
「なっ……何だよ、外れないっ!?」
狼狽えたように暴れだした。
「一体何の真似――ッ!?」
といきなりもう片方の手を振りかぶると、土埃が宙を舞う。
目に砂が入って、一瞬だが隙が生まれたところを逃げようという寸法だろう。
なかなかしぶといというか強かというか……だが、そんなつまらない策に引っかかるアリカでは……
「ぺっぺっ! こいつっ!!!」
引っかかっていた。
その隙を突いて、子供は駆け出した。
「待てっ!」
「ま、待ってっ!!」
『待つなのねっ!?』
追いかける二人と一匹だが、子供の逃げ足は妙に速かった。
「ねぇっ! それ返してよっ!!」
青ざめたエリーナが叫ぶ。
「隙があるからそうなったんだっ! ここじゃ盗まれる方が悪いのさっ!!」
捨て台詞を吐きながら、子供はまるで屋根裏のネズミのような素早さや、イモリだかヤモリのように壁に張り付いたりするおかしな芸当を披露しつつ、紙一重でエリーナやアリカから逃れていく。
「待てよ、こいつっ!」
「返してよぉっ!」
「へへ~んだっ! 悔しかったら――っ!?」
と、子供の動きが止まった。
行き止まりだった。
「あ……」
なんとも間抜けな最後だ、と言うべきだろう。
「……」
無言で迫るアリカ、それに目に薄らと涙を浮かべながら怒った顔をするエリーナたちに、壁際に追い詰められて、身動きの取れなくなった子供だったが――
「て――っ!?」
いきなり持っていた槍をアリカたちへと投擲すると、一目散に逃げ出していった。
「な、何だったんだよ、今の……」
『引ったくりなのね』
平坦な口調で状況を述べるアリカとコーシュカの隣では、ぺたんと地面にへたりこんで、槍を大事そうに抱きしめているエリーナの姿があった。
「それにしても……ここは?」
引ったくりを追っていて気づかなかったのか、辺りは今も崩れ落ちそうな狭い地下通路みたいだった。
薄暗く、それに鼻を突く異臭が立ち込める。
「あ……」
と小さく叫ぶのはエリーナ。
「あっ……って、ここがどこか知っているのか?」
アリカの問いに、エリーナの顔が強張り、言葉が出てこない。
「エリーナ? どうしたんだよ?」
見る見るうちに顔色が悪くなっていくのが分かる。
「エリーナ?」
「ここ……」
「ここがどうしたんだよ?」
「私が逃げてきた場所……俗に、魔窟って呼ばれている貧民街……」
エリーナの様子が明らかにおかしかった。
「貧民街って……」
その時だった。
「おお、何と言うかわいらしいお嬢さんか!」
唐突に、そして街の雰囲気にはそぐわないだろう高揚した声が耳に飛び込んでくる。
「キミだよ、キミ!」
声が近づき大きくなる。
「キミだよ――」
アリカがいきなり手を掴まれ引っ張られた。
「なっ!?」
何事か、と手を振り払い、相手の顔へと視線を移すアリカは見た。
「――!?」
いい身なりをしている少年……というべきだろうか、貧民街には似つかわしくない、実に裕福そうな……ラッフルのある上着に、バルーンのようなズボンという格好をしていた。
それだけなら、問題は少なかったと言うべきだろうか。
が……青年の容姿を見て、アリカが身構える。
何故か?
短めの髪は赤く、鋭く光るその目もまた同じ色をしており、数名の厳つい護衛らしき男たちを従えていたからだ。
それに彼がもう片方の手に持つのは槍――しかもエリーナや彼女の姉が持っていたものと同様に、鳥を象った形をした槍。
「見たまえ、このしなやかな銀色の髪! それにミステリアスなグレーの瞳!」
目の前の青年は勝手に盛り上がっている。
「これが……これが恋というものなのか?」
空を見上げれば、きっとまだ燦々と太陽が照らしている真昼間のはずだ。
そんな時分から、酒びたりとか、小匙一杯が法外な値段でも取引のできる夢の粉とかをやっているのではないか、とアリカが訝しむ。
(何だこいつは……)
若干、いやかなり引く態度ではあった。
「よし決めた!」
しかも青年は一人の世界に入って勝手に話を進めている。
「キミは今日からボクの嫁だ!」
恥ずかしげもなく、傍若無人な態度で青年が宣告する。
異常な環境下では、異常な人間が育つのだろうか?
それとも女衒とか?
「って、おい! 放せよ!」
手首を掴まれたアリカが手を返して青年の関節を捻る。
「いぎゃっ!? 痛っ、痛たたたっ!!?」
見事なほど簡単に決まる。
わざとか、それともこの手のプレイが好きなマゾとか?
眉を寄せるアリカだったが――
「お……お兄様?」
と悲鳴が上がる。
「お兄様……って?」
エリーナは一応皇族で、エリーナの兄と言うことは、つまり皇族……
「ん?」
と声のする方を向く赤い双眸。
「ほう、そこにいるのはもしや我が愚妹、エリーナか?」
いつの間にかアリカの手から抜け出して、青年は笑っている。
どうにも掴みどころのない相手だ。
「お前は俺の与えた折角の機会を袖にした……これを愚かと言わずして何と呼べばいい? だが――」
「っ!?」
といきなりアリカが抱きかかえられる。
「その件については俺はお前を許そう……何故か? このような美しいお嬢さんを、この俺の前に連れて来てくれたのだから!」
兄の言葉にエリーナの顔が青ざめた。
「お兄様、何を――」
「何を? 決まっているではないか、わが愚昧よ」
赤い髪の少年が笑う。
実に楽しそうな声で。
「愛の契りを交わすのだよ」
その言葉に、エリーナの顔が恐怖に引きつった。
「お兄様、アリカには手を出さないで――!!!」
エリーナが両手を差し出すと、プラーナが迸り、突然辺りの視界が暗闇に包まれる。
そして先ほどとは違い柔らかい手がアリカを掴み、少年の抱きかかえる手から引き摺り下ろした。
「ええいっ! 鬱陶しいっ!!!」
怒声とともに少年の手にプラーナが集い、今度は光が迸って作られた暗闇が雲散霧消する。
暗闇が晴れた時には、既にアリカもエリーナも、行方を眩ましていたけれど、しかし少年は薄気味悪い笑みを浮かべる。
「この俺から……エリク・V・フォルクマンから逃げられるかな?」
負け惜しみではない、自信に満ちた笑みが、より一層不気味さを引き立てていた。
……帝都の宮殿では、二人の少女が膝を着き首を垂れていた。
ひたすらに豪華というしかない、贅を尽くしたというか、キンキラキンな装飾に取り囲まれた荘厳な室内に、少し高めの声が木霊する。
「象頭の将軍を倒したと言うのは、あなたたちですか?」
赤い目、それに赤い髪をして、凝った幾何学模様の衣装を身に纏う十代後半くらいの少女が問いかけた。
この国の……ニャポニカの第二皇女、エリーゼ・V・フォルクマンだ。
柔和な顔で落ち着いた印象、人形のように整った容姿、穏やかな口調が、謁見する二人の少女たちを威圧するようだ。
身分の違いに加え、善からぬ噂を耳にする人物だというのが、内心穏やかではなかったのだろう、少女たちは緊張した面持ちで、エリーゼを前にしている。
荘厳……というよりは、どちらかといえばキンキラキンな成金趣味を思わせる、鳥の翼を象った椅子に腰掛ける少女の赤い目が二人を見下ろした。
「緊張せずともよいのです。あなたたちは砦の街を救った功労者、国を治める《・・・》者として何か報いねばなりません」
普通なら、ここで爵位や領地、或いは名声などを欲しがるものだ。
早い話が対価を求めるだろうと。
そういった人物の方が、統治者としては御しやすい。
だが、首を垂れる少女たちは褒美などに興味を示さない。
「もったいないおことばです……」
地位も名誉もいらず、金品や領地も欲しがらず……エリーゼは内心困ったように吐息した。
領地、爵位、何それおいしいの、とでも言わんばかり。
値上げ交渉をしているようには思えなかった。
これが、例えば少年であったとしたら……帝国中から掻き集めただろう美少女を、或いは幼女でもあてがえば、直ちに手のひらで転がすことができたかもしれないが、相手は少女だ。
少女にとっての美少女や幼女の類は、身も蓋もない言い方をしてしまえば「敵」でしかない。
そして彼女らは異性にも全くと言っていいほど触手を動かさない。
それなりに「美形」を集めたはずの兵士を並ばせていて、しかし反応がないのだから、かなりのものだろう。
(これが例えばお兄様のようなキ○ガイ……いえ、幼女が趣味の変態ならまだ操縦することができたと言うのに……)
自身の兄で邪教と汚職官僚たちに身を委ねている第一皇子エリオや、ペド……いや無垢な幼女を崇拝する第二皇子エリクを思い浮かべるエリーゼ。
そんなドス黒いことを胸に秘めながらも、彼女は尚も微笑みかける。
「どのようなことをお望みですか?」
エリーゼが痺れを切らしかけた時、首を垂れていたハニーブロンドの少女が徐に口を開いた。
「おそれながら……」
たどたどしい口調、舌っ足らずな喋りなのが、エリーゼの癇に障りかけたが、しかし今ここで感情的になってしまうのは、帝位を争う上での不利となる、と自分に言い聞かせた。
それに漸く望みを口にしたのだ。
帝位に就くためには、何だって利用する――微かに顔色を好転させたエリーゼの変化を、少女は見逃さなかった。
「まおうを……まおうサルターンをとうばつするためのきょかをいただきたくぞんじます」
「――」
一瞬だが言葉を詰まらせたエリーゼが、赤い目を見開いた。
赤い瞳が放つ強い意志と、青い瞳に込められたのは……使命感だろうか?
面を上げたのは象頭を倒した少女――ナジェージダ・ウラジーミロヴナだ。
「魔王討伐の許可? 訳を聞かせては貰えませんか?」
「それが……わたしの……たいせつなひとをうばった……かたきだからです」
言葉を詰まらせながらも、ナジェージダが言い切る。
(……つまり復讐?)
腑に落ちた、とエリーゼが僅かに顔を緩ませた。
現世的な欲望に興味を示さないのも頷ける、と。
復讐を望む、それは自らを死人に置く行為。
自らを死人としている者は、如何なる説得も通じない。
無欲で死ぬことを恐れない相手、それは最も厄介な存在。
なるほど、俄然納得だ、と。
(だが――)
その復讐の対象が自分でさえなければ、これ以上ないくらい使い道のある相手ともなる。
何たって、相手は人生を捨てているのだから。
復讐さえ邪魔しなければ無害で、しかもその復讐対象が、魔王サルターンとくれば、これが喜ばずにいられようか、と。
口角が僅かに上がるエリーゼが申し渡した。
「では……ナジェージダ・ウラジーミロヴナ。そなたにこれを授けます。受け取りなさい」
エリーゼの言葉に、慌てて侍女たちがどこからともなく姿を現し、運ばれてきたものは――杖、そして剣だった。
いずれも鳥の翼を象った装飾が施されている、ミスリルだがオリハルコンだかは知らないが――貴重品を思わせるものだ。
「これは――」
「サルターンは我がニャポニカを、引いては全ての人族を脅かす存在。私も心を痛めておりました。その気持ちは痛いほど分かります。ですから、あらゆる助力を我が国は惜しまない、その象徴としての杖と剣です」
列を成した兵士たちが、これを運んできた侍女だちが、それにエリーゼの傍にいたでっぷりと太った男(?)が、これでもかというくらいの歓声を上げる。
少しばかり落ち着いたのだろう、舌っ足らずな口調で、ナジェージダが言った。
「エリーゼさま」
とその声に、室内が静かとなる。
「何ですか?」
もう一人の、金髪に青い目をした少女……リュボーフィー・ペトロヴナに目配せして、ナジェージダが恐るべき事実を語る。
「こちらのリューバ……いえ、リュボーフィー・ペトロヴナがしらべたところでは、あとみっかのうちに、サルターンのぐんがていとしゅうへんにせめてくるはずです」
再びざわめきだす室内。
「いい加減なことを――」
どこからか野次が飛ぶも、リュボーフィーの水晶玉が掲げられ光を放ち、そこに大軍を以って行進する魔王の軍の姿が映し出されるとその途端、今度は別の意味でざわめきの声が響いた。
土や水でできた兵卒、中に何が入っているのか甲冑を着て槍を構えた重装騎兵……と言うよりは人馬、宙を舞う逆五芒星たち、それを率いるのは――クモだった。
六つの細剣を携えて、八つの赤い目を光らすクモの将軍を水晶越しに目にした誰もがたちまちのうちに恐慌状態へと陥る。
象頭と並ぶ、人族にとっての恐怖の象徴的存在だったのだろうか。
「これは――」
「ヘルマンのクモ!?」
「どうしよう、どうしようっ!?」
「いやだっ! 私まだ死にたくないっ!!」
「あああああああっ!!!」
侍女だけでなく、兵士までもが恐怖から混乱に陥っていた。
エリーゼもこれを無言で凝視し続けている。
「クモが……ヘルマンが攻めてくる、と言うのですか?」
言葉を詰まらせながら、震える声でエリーゼが問い質す。
「はい。うたがわれるのであれば、しらべなおされても……」
と――
「エリーゼ様」
でっぷりと太った初老の男(?)らしき宦官が、エリーゼへと耳を欹てた。
「ちょうどよいではありませんか」と。
「何がです?」
「二つの可能性があるのです。ひとつはクモが攻めてきた場合。この時は彼女らとクモを互いに争わせて、運がよければ相打ちに……うまくいけばエリーゼ妃殿下の功績になるはずです」
「……では、もうひとつは?」
「クモが攻めて来なかった時には、徒に戦を扇動した罪で処刑してしまいましょう。どちらにしても、妃殿下に損はないでしょう」
エリーゼの顔が綻んだ。
「では、ナジェージダ・ウラジーミロヴナ。帝都を、ひいてはこのニャポニカを守る為に尽力してはもらえないですか?」
以夷制夷。
それは自ら血を流さず、敵同士を争わせ、いわば漁夫の利を得る方法。
怪しげだが、ハインリヒの象頭を倒すほどの実力者だから、一度自分に刃を向ければただでは済まない。
徐々に力を削いでいって、最後に適当な理由をつけて粛清するのは権力者の常。
が、無邪気な笑顔を輝かせながら、実に舌っ足らずな口調でナジェージダは返事をするのだ。
「はい、つつしんでおうけいたします!」と。
傅き首を垂れるナジェージダと、それを見下ろすエリーゼの口元は、互いに笑みを浮かべてはいた。




