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(だから……今度は、私がアリカを助ける番なんだ)

 『アリカ……大丈夫なのね?』


 落ち着きを取り戻した時には、アリカは絨毯の上で風にそよられていた。

 もうだいぶ日も落ちている時刻になっている。


 「一体どうしたと言うのですか?」


 心配そうに顔をのぞくエリーナの声。

 気づけばひどい汗で、顔も涙の跡でべたべたになっている。


 (ボクは……)


 大丈夫だから――と言おうとして、しかしこの言葉を口にするのは、大抵危険な状態にある者の台詞だというのを思い出して口を噤む。

 どう考えても大丈夫ではないことは明らかだった。

 アリカ自身でさえ情けない顔で、訳も分からず頭が真っ白になった時のことを覚えていない。


 (でも……)


 自分の中に沸きあがった感情を、アリカ自身が認めることができない故の葛藤が起こる。

 認めたくなかった。


 『気分が悪いなのね?』


 「アリカ――」


 心配させてしまっている……そのことに心苦しくなるのだが、でもつい感情が先走ってしまった。


 「……て」


 『なんなのね?』


 「何て言ったの?」


 「暫く放っておいてよ! 一人にして――!!!」


 言ってしまってから後悔するアリカ。


 『わ……分かったなのね』


 「……」


 悲しげに絨毯から降りる一人と一匹を見つめながら、アリカの心は混乱が渦巻いていた。


 (こんなはずじゃなかったのに……)


 何故こんなに声を荒げ、怒鳴り散らしてしまったのか、自分で分からなかったのだが。

 まるで八つ当たりのように怒鳴ってしまったことへの罪悪感。

 未だ消えない恐怖心。

 それを認めたくない葛藤。

 自分が自分でなくなっていくような感覚。

 全てがアリカへと圧し掛かっていくのだ。


 「どうして……」


 向かい合いたくない、リュボーフィーが自分を殺そうとしたことが嘘であってほしい、心のどこかでそう思っていたのだろうか?

 あるいは、イルザに殺された時の記憶と重ね合わせて、リュボーフィーの行為が瘡蓋かさぶたでも剥がしてその傷に塩を塗りこんだのか?

 酷く情けなかった、と云わざるを得ない。


 (勇者が……怖いだって? 少女や猫に八つ当たり?)


 このままではいけない、そう自分でも思うアリカだが、これらの事実に向かい合おうとするほど却って傷を深めるだろうことは明らかだ。

 平静を装うとしても、おそらくリュボーフィーを連想させてしまうものを見れば、同じように混乱をきたすだろう。


 (どうすれば……どうすればいいんだよ)


 答えは出なかった。

 いや、出ていた。

 乗り越えればいい。

 きわめて簡単な答えだ。

 だが人間とは、こうした簡単なものが一番難しく思えるという。

 今のアリカがまさにそれだった。

 乗り越えると口にするのと、実際にその体験を乗り越えるのでは、その難しさが違う。


 「ボクは……」


 頭を掻き毟りながら絨毯の上で頭を抱えていたその瞬間のことだ。

 急に視界が軽くなるのを感じたアリカが顔を上げると――


 「――!?」


 火柱が上がった。

 それは村の方からだ。


 「これは……」


 村が燃えている。

 まだわずかに震える体を、でも無理に押して、アリカが絨毯を降り、村へと向かう。

 ここへ来た本来の目的を思い出してだ。


 (あいつが――)


 既に村は半壊し、家屋は崩れ村人だろう老人たちが血まみれになって横たわっていた。


 「……まだ息がある?」


 重傷だったが、治癒できないこともない、と手を差し出すアリカに、老人の手がガシリと手首を掴んだ。


 「……けて」


 「……?」


 「あの子たちを――」


 と――


 『ひゃははあっ!!』


 聞き覚えのある声が辺りを震わせて鳴り響いた。

 声のした方を向き、思わず四つの目と視線がぶつかった。


 「――!?」


 全身を黒い鱗が覆い、突き出た二本の角、大きな羽を広げるそれから漂う血生臭さと、村に立ち込める肉や毛が焦げる嫌な臭いが鼻を突く。

 血だらけの口が開き、言葉を発した。


 『まさか……』


 『こんなところにいるとは……』


 それを目の当たりにしてアリカの顔が凍りつく。

 洞窟にいたあの二頭竜だった、それもあるだろうが、何よりもアリカを凍りつかせた理由は――


 「青い……目!?」


 二頭竜の放つ目の光が、青白く輝いていたからだった。

 





 「アリカ……」


 心配そうな声で、吐息していたのはエリーナだった。

 村を見下ろす丘の上で、彼女は実に難しい顔をしている。


 (……どうして何も言ってくれないの?)


 アリカは、いつも肝心なことを言わない。

 それどころか、自分に関することを、これまでついぞ一言も口にしたことがない。

 こういう態度をとる理由は何でなのか――エリーナの疑問は、やがて不満となり、それはアリカへの苛立ちへと変わっていく。

 何故なら、相手と向き合わない態度は、言うなら不信であり、相手をある意味で拒絶したものだからだ。


 (もしかして、私のことを……)


 純血な人族ではないことを知って、微妙に避けているのではという疑心暗鬼がエリーナへと襲ってくる。


 (でも……)


 盗賊に襲われた時も、邪視で石にされた時も、濁流に飲まれて死に掛けた時だって、アリカはエリーナを助けた事実を思い出す。

 本当に嫌いなら、助けたりするだろうか、と。

 そもそも大嫌いな相手なら関わりたくないしものだ。

 だけどいつの間にか逃げていったりせず、オットーに殺されかけた時にだって、命を救ってくれたのではないか、と。


 (アリカには、いつも助けられてばっかり……)


 一方的な関係、そんなのはまともな状態ではないのだ、と――


 (アリカは今とっても苦しんでいる……)


 洞窟の中ではずっと呆然としていたし、漸く自分を取り戻したかと思えば、村の子供たちに取り囲まれた途端に突然身を竦めてしまった。

 間違いなくいつものアリカではない異変というべき行動。


 (だから……今度は、私がアリカを助ける番なんだ)


 しかし、どうやって?

 アリカは自分のことを話そうともしない。

 と――


 『心配なのね?』


 声を掛けたのはコーシュカ。

 金色の目がこちらの心を見透かしているようにエリーナには思えた。


 『アリカ、治ったと思ったのに……寧ろ悪化しているなのね』


 「……」


 そうなのだろうか、とエリーナが無言で返答を戸惑う。

 治ったと思っただけで、アリカは何とか一歩を踏み出したばかりなのではないのか、と直感的にエリーナが疑念を持った。

 ただしそれを言葉にはできなかったけれど。


 『でも……アリカがこうなるのも無理ない話なのね』


 「……?」


 『アリカがこれまで体験しただろうことを、その中でも特に思い出したくないだろう出来事を、何度も体験すれば……』


 怪訝な顔をするエリーナ。

 コーシュカの口ぶりは、まるでアリカことを知っているみたいではないか、と。


 「……もしかして、アリカのことを知っているんですか?」


 目を瞑り、コーシュカが微かな声で言った。


 『もし、ウチの想像が正しければ――』


 そこでコーシュカが言葉を詰まらせたのか、黙ってしまった。


 「あの――!?」


 その瞬間、動物的な勘というべきか、嫌な気配を感じ取るエリーナ。

 だがオットーの気配ではない。

 危険を報せるその正体は――


 『な……』


 コーシュカが毛を逆立てていた。

 それは次第にこちらへと近づいてくる。


 『……来るなのね?』


 何が――


 『何で……あいつがここに来るなのね?』


 動揺し、怯えたようにコーシュカが震えている。


 『あいつは……洞窟の中にいるはずじゃ――』


 「あいつ? あいつって――もしかして、アリカにあんな酷いことをした――」


 『逃げる……逃げるなのね』


 「え……?」


 首をかしげるエリーナに、コーシュカが声を荒げた。


 『いいから、逃げるなのね! ウチでもお前でも、あいつには勝てないなのね! 勿論今のあんな状態のアリカでも――みすみす殺される訳にはいかないなのね!』


 「ちょ……ちょっと!?」


 だが……その直後だ。

 村から火柱が立ち上がったのは。


 コーシュカの毛と、エリーナの服を一部焦がして、炎から逃れるも、コーシュカが弱々しく呟く。

 『いくらなんでも……速すぎるなのね。ウチら、みんな……』


 炎の中から影がゆっくりと近づいてくる。


 『く……』


 そして姿を現したそれを見て、一人と一匹に絶望が降りかかる。


 『ほう……ここにも』


 熱い息が口から漏れ、もう一方の首には、口から子供の足が出ている。


 「あの……足って……」


 言うまでもない、アリカの足だ。


 『お……お前、何を口に入れているなのね?』


 震える体と声で、コーシュカが問い質そうとしたが――それは、二頭竜は既に常軌を逸した目をしていた。


 「危ない――っ!?」


 いきなり一方の首から業火が噴出され、もしエリーナが庇ってコーシュカを突き飛ばさなければ、彼女らは灰になっていたことだろう。


 『……今のを避けるとは。だが……』


 もう一方の首も、咥えていた物を飲み込むと言葉を口にする。


 『オレ……オレたちは、世界最強!』


 今度は二つの首から、同時に炎が吐き出された。

 火柱が立ち上って大地を焦がし――煙が立つ地面がガラス質に変化する。


 『誰も……』


 『どんなやつだって、オレを止めることはできない……』


 愉快そうに、そして全能感を取り戻した二頭竜の顔は、まさしく自分の力に酔っているのだろう。


 『ふは……』


 『ふはああああはっはあ――!!!』


 猛り狂う遠吠えが、雲を裂き地を揺るがす。


 『……それだけ、なのね?』


 燃える炎が部分的に打ち消され、赤い半円を描いたような形に広がったプラーナの盾がそこから姿を現し、その向こうから挑発的な言葉で、だが震える声がした。


 『ほう……魔族か』


 『魔族のお前が何故人族に味方する?』


 二つの首が見下すように視線を向け、コーシュカへと問う。


 『魔族だろうと、何だろうと……』


 後ろに隠れていたエリーナへと、尻尾で逃げろと身振りするコーシュカだったが……


 「……んですか?」


 エリーナは言った。

 静かだが、怒りをこめた声で。


 「アリカを、アリカに何をしたんですか!?」


 槍を構えるエリーナは、鳥を象った穂先をこの二頭竜へと向けてしまった。


 『こいつ……』


 『身の程知らずがっ!!!』


 右の首がエリーナへと牙を剥く。


 『に、逃げるなのねっ!? 何で――』


 そのために危険を承知で二頭竜の意識を自分へと向けるつもりだったのにだ。

 だが、エリーナだって怖いのだ。

 それが証拠に彼女の足は震えている。

 当たり前だが、戦って勝てる相手では決してない。

 ではここでみすみす犬死をするのか?

 するとアリカを助けることができなくなる。


 (アリカを――助けなきゃ)


 しかしどうやって?

 アリカはこの二頭竜に呑み込まれ、今食道を通過している頃だろう。

 竜の首を切る?

 それができるのか?

 恐らくできないだろう、という想は実際正しい。

 強靭な鱗に阻まれて、プラーナで強化された槍でも貫通させることはできないはずだ。


 「――!!!」


 エリーナが手を出し、彼女のプラーナが練られていき、辺りが次第に暗くなっていく。


 『ん……!?』


 『何だ……!?』


 二頭竜の、それにコーシュカの視界を阻んでいった。

 所謂影魔法――これで安全な位置から二頭竜へと打って出ようという魂胆なのか?

 だが――


 「きゃっ!?」


 耳を劈く金属音が耳へと響くのと同時に、エリーナの悲鳴が上がった。


 「……」


 槍が弾かれ地面に突き刺さっていた。

 痺れる手を押さえながら、エリーナが二頭竜の気迫に完全に呑まれている。


 『はっ……』


 『くだらん魔法だ』


 「――!!!」


 青い目がエリーナを捕らえるや否や、彼女はあの時と同じ――ファーティマの邪視によって石にされた時の感覚に襲われた。

 即ち金縛り……


 『今日はついているぜ』


 とアリカを呑み込んだ方が笑う。


 『そうだな……今度はオレが楽しむ番だからな?』


 もう片方が大口を開けて、固まったエリーナへと近づいていく。


 『や……やめるなのねっ!』


 赤いプラーナの矢が二頭竜へと射撃された。

 渾身の力を込めて撃ったはずだったのに――


 『あ――えっ!?』


 矢は鱗で阻まれ、砕け散った。


 『邪魔だな』


 『そうだな』


 もう片方の首が口を開き――業火がコーシュカを襲った。


 『――――ッッッ!!?』


 火達磨となりのた打ち回るも、すぐに動きが止まり、音を立てて地面へと倒れる。

 パチバチと破裂音を立てながら、毛や肉の焦げる嫌な臭いが立ち込めてくる。

 そして……


 『では、改めて……』


 大きな口がエリーナへと覆い被さり、彼女はその口の中へと呑み込まれていった。

 

 喉を鳴らす音が聞こえる。


 『全く……最近の人族は躾が悪いなぁ……』


 『ああ、全くだ。この村のガキといい、さっきのガキといい、オレたち最強種族に対する礼儀を言うものをわきまえていな』


 あの女の言ったとおりではないか、と凶暴な目が光る。


 『それにしても……あのメスガキが、オレたちにあそこまで従順になるとはなぁ……』


 『ああ、オレたちはやはり世界最強……』


 愉快そうに喉を鳴らす。


 『さて――』


 勝利の美酒に酔いながら、嘗て打ち砕かれた自らの世界観が再び頭をもたげてくるのだろう、まだ辛うじて残っていた村の家屋へと向かって、二頭竜は火を噴きかけた。

 勢いよく燃え上がる業火は、全てを飲み込んでいく。

 逃げ遅れた老人たちが火に包まれてのた打ち回るさまは、まるで踊っているかのようだ。

 狂気をはらんだ目が光り、実に楽しそうに二つの首が笑い声を上げた。


 『人族とは、なんと脆い』


 『だからこそ世界は全てオレの下に傅く。それが正しい在り方なんだ』


 最も強い故に最も偉い――だから自分に牙を向けただろう人族に対しては容赦をしてはいけない。

 徹底的に痛みを伴った躾をしなければならないのだ、と。


 『先ずは村を焼き払った……次はどうしてやろうか?』


 『そうだな……』


 何をやるつもりなのか。

 まるで虫をおもちゃにする無邪気な子供の目をしていた。


 『人族を絶滅させる……なんてのはどうだ?』


 同時に羽が大きく広がって、二頭竜は宙へと舞い上がった。


 『男とか老人は皆殺し――』


 リズムをつけながら片方が歌い、


 『幼女と少女は丸齧り――』


 云うまでもなく邪悪で、常軌を逸している。

 そして――天空には巨大な火の玉が打ち上げられた。

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