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「どうすれば私が更に輝けると思いますか?」

お待たせしました。

 盛り返った土、そこに立てられた碑銘、つまり墓を前にしながら、悔しそうな顔をしている幼女が祈りを捧げていた。

 水の撥ねる音が世界の全てを覆っているかのように、視界に入るものは皆、滴り落ちる雫に打たれている

 ナジェージダ・ウラジーミロヴナ、それが彼女の名前だという。

 ハニーブロンドの髪、赤と青のオッドアイ、サラファンっぽい服を血に染めながら、彼女は誓いを立てた。


 「みんなの……みんなのかたきは、きっととるからね」


 一晩中泣きじゃくった一昨日の夜、出会った少女に聞いた『この世界に女勇者が振りまいた』という世界の混乱を齎すだろう数々の遺産。

 その一つに、自分と一緒に暮らしていた者たちが殺された。

 赦せる訳がない――でも、残念なことに、女勇者自体は既にいないのだと言う。

 なら、どうしたら、復讐になる?

 だから、ナジェージダは一つの結論に誘われた。


 「わたしが、そのせかいをこんらんにみちびくいさんを、ぜんぶこわす……みんなのかたきをとる」と。


 『みんなのかたきをとる』、即ち復讐――それはリュボーフィーをして、甚く共感させた。

 何故なら、彼女もまた復讐者だったからだ。


 『分かった。でも――』


 ナジェージダは見るからに幼い女の子だ。

 確かに文様を滅ぼす力はあるだろうが、それでも一人にすることは危険だと言わざるを得ない。

 だから、リュボーフィーは彼女へと言った。


 『私も、その手伝いをさせて』と。


 次第に顔がくしゃくしゃになり、涙をポロポロとこぼしていくナジェージダ。


 「ありがとう……おねえちゃん――」


 リュボーフィーの胸に顔をうずめて、喜びの涙を流す彼女の口元は、しかし笑っていた。





 ――ゆったりとした衣装に身を包み、ボウを抱えた少女は、言葉を詰まらせた。


 「……イルザ? 今なんて言ったなのね?」


 言葉の理解が追いつかない。

 確かに、賢いとはいえないと自覚していた彼女だが、会話不能なまでとは、自他共に認めていたものであるのに、テーブルの向かいに座って話を持ちかけた聖女の言葉が、彼女を混乱させた。


 「もう一度言いますよ、勇者は殺さなくてはなりません」


 聖女は確かに『勇者を殺せ』と口にしている。

 弓使いは混乱する頭で、聖女を、イルザを凝視した。


 「イルザ……自分の言っていることの意味を、分かっているなのね?」


 勇者を殺す。

 それは二つの意味で不可能だ。

 先ずは勇者というのは、世界を混乱に陥れるだけの力を持つ魔王と肩を並べるほどの力を持ち、既に魔王が倒された今、勇者はこの世界における最強の存在。

 つまり実力と言う意味で倒すことができない。

 もう一つは、勇者殺しの道理だが……


 「魔王亡き今、この世界最大の脅威は斧の勇者なのですよ?」


 そう、この世界の人間にとっては脅威になるかもしれない。

 これは本当のことだ。

 どう足掻いても武力では勝つことのできない存在が、もし自分の欲望のままに暴れだしたら手をつけることができなくなる。

 悪夢と言っていいだろう。

 だが、あくまでそれはこの世界側の都合でしかない。


 「そうかもしれないけど……でも間違っていると、ウチは思うなのね」


 魔王を討伐する――という理由で、この世界へと召喚された相手からすれば、全く身勝手な理由で、拉致同然に連れてこられた、ある意味被害者と呼ぶべき存在。

 その上イポニアは討伐に際しての、ありとあらゆるサポートをサボタージュし、陰に陽に阻害していた。

 下手をすれば殺されていただろう場面も少なからずあった。

 恨まれて当然……力をつけた段階で、魔王側に寝返り、三国鼎立なんてことだってできたはずだ。

 にも拘らず、この召喚者は、魔王討伐を最後までやり遂げたではないか、と。


 「あいつは、いつでもウチたちを殺せたなのね。それどころか、人族を裏切って、ドラクルと組むことだってできたはずなのね。でもしなかった……」


 「ドラクルは尚武の気風、よく言えば純朴な部分を少なからず持っていたですの。斧の勇者とは、寧ろ気が合いそうなほどだった……」


 と黒いローブを被った少女が……魔法使いが口を開く。


 「でも……それをしなかったばかりか、何の義理もないウチたちのために、彼は身を投じてくれた。それなのに殺すなんて、あんまりなのね!」


 勇者を殺す大儀などない、彼女はそう言いたかったのだろう。


 「この世界を裏切るのですか?」


 「えっ!?」


 話を飛躍させすぎている。

 そう思ったが、うまく言葉にできない弓使いが言葉を詰まらせた。


 「この世界と勇者、どちらが大事ですか?」


 「そ、それは――」


 「召喚者は、結局最後には私たちへと牙を剥くですの……それはイポニアの歴史が証明している」


 「……」


 青い目を光らせ、イルザが悲しそうな顔をしながら言った。


 「ドラクル……あの魔王だって、元はイポニアが召喚した異世界人。彼も嘗ての魔王を倒し、そして魔王となった。これは事実なんですよ?」


 「そ、そうだけど……」


 だとすれば、問題は異世界人というよりも、イポニアや世界のシステムにあると言うべきではないのか?

 疑問が頭を駆け巡っていく。


 「私はこの世界を守りたい!」


 イルザが声を絞り出して言った。

 その頬を赤らめ、目に涙をためて。


 「忘れたんですか?」


 かすれた声でイルザが訴える。


 「ドラクルが、この世界で何をしたのかを!!」


 弓使いの脳裏に、様々な情景が映し出された。

 ドラクルは尚武で純朴……言い換えるなら裏切られた時の激情の仕方は想像を絶するものがあった。

 街を焼き払い、或いは捕虜を串刺しにして、蒸し焼きにされた頭を城壁の中へと投げ込んで降伏勧告したり……


 「召喚者は始めのうちは大人しく、善人を装いながら人族の信用を得ていくですの」


 魔法使いが言った。


 「う……うん」


 見たことも聞いたこともないような知識や発想、それに召喚される際に与えられた力の数々。

 力を持て余し――いや、どちらかと言えば力に引き摺られるようにして、暴走する召喚者というのは、イポニアの伝承には数多く見られるものだった。


 「でも彼らは総じて、力を自分だと思ってしまうですの。そうして力を振りかざし、この世界を自分好みに変えていき、気に入らない者を踏みつけて――お前は故郷をならず者に踏み荒らされて平気ですのっ!?」


 「ウチは――」


 弓使いは葛藤する。

 この世界はいろいろと問題はあるだろう。

 いい世界かそうでないかと問われるなら、碌でもない世界に分類されるかもしれない。

 しかしながら、ここは弓使いが生まれた故郷、特別な感情を抱く世界だ。

 勇者か世界か、どちらかを天秤にかけろと言われるなら、この世界を取るだろう。

 勇者の代わりはいるかもしれないが、故郷の代わりは存在しないのだから……


 「……分かったなのね」


 弓使いが首肯した。


 「でも、ギリギリまで説得してほしいなのね。せめて、元の世界へと帰るようにと……」


 「ええ、それが最善の選択です」


 朗らかに微笑んで、イルザが彼女へと返した。



 それなのにだ。

 地面が抉れて、焼け焦げた跡が生々しく弓使いの目に焼きついてしまった。


 (勇者を……殺した……なのね?)


 たった今見た光景を、弓使いは信じることができなかった。

 何の躊躇もなく、しかもそれまで一度たりとも見せることのなかった力で……


 (『神風招来』……? イルザがあんな力を持っていたなんて――)



 戦勝記念の祝杯――とはならなかった。


 「どうしたのです? 浮かない顔をして。何か気になることでもあるのですか?」


 何事もなかったかのようにイルザが問いかけてくる。


 「……のね」


 肩が震えている。


 「何で、説得しなかったなのねっ!?」


 「説得? 何の話です?」


 イルザはいけしゃあしゃあと言った。


 「何の話じゃないなのねっ! 大体さっきの力は何なのね? あんな力があるなら、あいつをこの世界に召喚する必要なんかなかったはずなのね!?」


 「あんな力……ああ『神風招来』のことですか?」


 「そうなのねっ!」


 苛立ちを募らせて弓使いが矢を番えボウを構える。


 「どういうことなのか、ウチにも分かるように説明しろなのね!」


 「分かりませんか?」


 「何がなのね?」


 微笑むイルザが、実に冷たい目をしている。


 「それだから、あなたは愚かだと言うのです」


 「な……!?」


 「あなたも、そしてあの勇者も、結局は私の手のひらで踊る哀れな繰り人形にすぎないのですよ」


 「――?」


 「この世界を私が救う――本来ならそうであるべきだったのです」


 何を言っているのかがまるで分からない弓使いが、混乱をきたした顔でイルザを凝視した。


 「……何を、言っているなのね?」


 「本当に鈍いですねあなたは」


 喉を鳴らすイルザ。


 「この世界は私に救われるべきだった。であるにも拘らず、あの勇者は出しゃばった真似をして、あまつさえ魔王を倒すことに成功してしまった……この私が、いえ、前世の私が苦労して作った魔王を」


 「……本当に、何を言っているなのね?」


 「あの勇者は、本来なら、駄目な三枚目として、この私を引き立てる役を背負うべきだった。それなのに、役を超えて活躍してしまった――」


 「……っ!?」


 イルザの顔が次第に険しくなっていく。


 「あなたもですよ!」


 「――!?」


 「ただサポートに徹しているだけでよかっただけのみそっかすが、この私に意見しようなどとはおこがましいにもほどがあるとは思いませんか? そういうところが駄目だというのです」


 「……お前、本当にイルザなのね?」


 人族の最大の国であるイポニアの聖女として求められる発言とは思えないと。


 「ええ、今回は」


 「今回は? えっ!?」


 「私はこの世界を転生する者……まあ、あなたにはどうせ言っても分からない話です」


 「ば……バカにするななのねっ!」


 「おバカさんじゃないですか、あなたは……素直に私の――聖女イルザにとって都合のいい道具として振舞っていればよかったものを――」


 「……この話を、陛下に訴状するなのね!」


 「私とあなたでは信用が違う。言ったところで誰も信じてなどくれないでしょう」


 その言葉に悔しそうに唇を噛む弓使い。


 「だったら、魔法使い。お前はどうなのね? 何とか言ったら――」


 「だから駄目だと言うのですよ」


 イルザが冷笑する。


 「魔法使いはいなかった」


 「――!?」


 一瞬で拘束される弓使い。


 「あなたが魔法使いと呼んでいた彼女は私の意のままに動く繰り人形……」


 「あ、あああああああっ!?」


 これではまるで道化ではないか!


 「ふ、ふざけるななのねっ!」


 「ふざけてなどいませんよ。私は至って真面目――」


 イルザの手が弓使いを捕らえた。


 「な、何のつもりなのね?」


 「知っていますか?」


 「何を……なのね? お前の話は――!?」


 突然の脱力感、全身から抜け出るプラーナ。


 「な……何をした、なのね?」


 「勇者も弓使いもそして魔法使いも、全てはこの聖女の手のひらで踊る駒でしかない、そういうことですよ。使えないもの、役立たないものは、捨てるか――」


 「な……っ!?」


 「使えるように再利用するべきでしょうね」


 「や、やめるなのねっ!?」


 弓使いの体が光を帯びる。


 「そうですねぇ……お前に相応しい姿と役割は――」


 「やめ――!!!」


 弓使いの胸へとイルザの手が突き刺していく。

 次いで取り出された魂……


 「どうすれば私が更に輝けると思いますか?」


 「……」


 知るもんか、と悪態をつきたかった弓使いだが、言葉が出ない。


 「そうですね……」


 空いた手の指を口元へと当ててから、イルザが冷たく微笑み――


 「――ッッッ!!?」


 魂を引き千切った。


 凡そ九分割と言ったところだろうか?


 「知ってますか?」


 返答のできなくなった弓使いへと、イルザが楽しそうに語りかける。


 「猫……あなたに新たな生を与えましょう。姿は猫、九つの魂を持つという邪悪なる魔の使い……『魔族転生』ってところですね」


 弓使いの体へと分割した魂を再び投じると――体が猫へと変わっていく。

 黒猫――それは魔の使いと信仰される存在。


 「これであなたは人族から追われる身となった。私の計画の一端を知っていても、誰も信じてなどくれない」


 『――』


 「まあ、あの勇者なら、もしかしたらあなたの話に耳を傾けてくれたかもしれませんが――でもあなたは自分でその可能性を捨ててしまった。何しろ弓を引いたのですからね」


 『――ッッッ!?』


 「では、世界を救う聖女の邪魔をする小悪党という役割で、この私を大いに輝かせてくださいね」


 ふざけるな、と言いたかったが、しかし体がまるで言うことを利かない。


 「ああ、魔族は聖女に指一本触れることもできませんけどね? そう――何せあなたという魔族を創造したのはこの私なのですから」


 『ーーーーーーーッ!?』





 あれからどれだけ時間が経ったのだろう。


 『魔王陛下……』


 この世界に再び出現した魔王の下に彼女はいた。


 『コーシュカよ』


 と呼びかけるのは、サルターンと呼ばれた王。

 コーシュカという名を与えられ、魔王に重用される立場になっていた。


 『その言葉はまことか?』


 『間違いございません……なのね』


 かしこまって頭を下げるコーシュカ。


 『聖女は……魔王陛下を辺境へと追いやったあの女は、今イポニアで勇者を演じております……なのね』


 イルザは、再び同じことを繰り返していたのだ。

 世界を救う、それも自分の手でそれを実現するために、新しく魔王まででっち上げて。

 ただ……既に魔王自身はイルザの手からは離れていたけれども。


 『漸く万民のための国が出来上がるのだ……人族の支配からの独立、それこそが諸種族の夢』


 『はい陛下……既にこの国は……イポニアはおろか、全ての人族を同時に相手にしても負けることはない……なのね』


 サルターンを名乗る魔王は不思議な知識を持ち、法による支配、一君万民、君臨すれども統治せず、などをこの世界へと持ち込んでいた。

 魔族、獣人などの種族、時には人族までもが、この国では平等に扱われる。

 イポニアからの亡命者も多い。


 『これはイルザと、この世界との戦いとなるであろう……』


 決して負ける訳にはいかない戦いだ。

 見れば恭しく傅く蜘蛛の将軍と像頭の将軍が今か今かと決断を待ちかねている。


 『行け! そして世界を救うのだ!』


 勅命が降り、イルザとの戦いの火蓋は切って落とされた。

 だが――


 『どうしてなのねっ!?』


 戦争には勝った。

 途中で、魔法使いらしき少女が特攻を仕掛けてきたが、その程度で戦況が変わることなどないことは明らかだ。

 女勇者を装ったイルザにしても、魔法使いを自爆させた直後に、瀕死の槍使いに胸を一突きされて重傷を負った、そこまではよかったが……


 『陛下っ!?、どうして王都を滅ぼした……なのね?』


 王都は今や地中深くに眠ってしまった。

 魔王サルターンにより、イポニアの王都は滅びた。


 「あなたは、本当に愚かですね」


 『お前――』


 胸に穴を開けた女勇者がコーシュカへと向く。


 「お前の動向など、魔王からこの私へ筒抜けだったのです。何しろ私が魔王を、サルターンを作ったのですからね。この世界は、既に私のための最高の舞台を用意しつつあるのですよ」


 女勇者の顔が笑っている。

 サルターンが顔に手を当てると――


 『お前――あの魔法使いっ!?』


 自分と一緒にドラクルを討伐した魔法使いの顔がそこにあった。


 「『勇者でも倒せなかった魔王』を倒し『封印された街』を蘇らせる……最高のシチュエーションだとは思いませんか? ああ、心配しないでください」


 コーシュカ憎しみのあまり毛を逆立て震えていた。


 「魔王も王都も、次に生まれ変わった時には必ずこの私が解決してあげますからねぇ……『聖女の力』を持つこの私だけが、世界を救うことができる……」


 『――ッ!!?』


 「次は、そうですね。自分の生まれた故郷を怪物に滅ぼされた少女が、決意を胸に出立し、聖女の力に目覚める――なんて設定なんて最高じゃないでしょうか?」


 赤い矢が女勇者の頭を吹き飛ばした。

 問題は何一つ解決していなかったばかりか、更にイルザの目的に近づいているようにさえ見えたのだ。


 『ウ……ウチは……』


 どこまで愚かなのか。

 どこまで踊らされれば気が済むのか。

 イルザを倒すことができないばかりか、イルザでなければ解決できない問題ばかりを作り上げてしまっている。

 更に言えば、イルザの繰り人形がどこにどれだけ配置されているのかすら把握できないもどかしさ。


 『ウチは、どうすればいいなのね……』





 『は――っ!?』


 外は大雨だった。

 しかし自分の体が濡れていないことに気づき、辺りを見渡せばゴツゴツした岩肌が広がっている。


 「……ねえ、大丈夫? 酷いうなされようだったけど?」


 赤い髪の少女が問いかけてきた。

 エリーナだ。


 『だ、大丈夫なのね……ただ、魂を一つ使ってしまったから、体が酷く疲れているだけなのね……それより――』


 銀髪は――と目をやると、アリカの姿があった。


 『こいつは……まだ治らない、なのね?』


 アリカはまだ眠っていた。

 微かに息は聞こえるものの、起きる気配すら感じ取ることができない。


 (ウチがこんな姿になったのも、魂をいくつも無くしてしまったのも、ウチ自身があの時勇者を殺そうとした報いなのね……でも――)


 金色の目を光らせながら、コーシュカがアリカへと触れる。


 (こいつだけは死なす訳にはいかないなのね……)


 アリカが目を覚ます気配はない……

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