『幼女と少女、どちらが美味いと思う?』
あれからどのくらい時間が経ったのだろうか、と目が覚めた時にふと思うと、辺りは真っ暗で、次いで何者かが囁き合う声が聞こえた。
「なんかかわいそうな気もするな……」
「おいおい、こいつを捧げることに賛成したのは、お前もだろ?」
「まあ、そうなんだけどさ……」
「気持ちは分かる。こいつはまだ十にも満たない歳だし、そんなガキを捧げることへの疚しさがあるのは俺だって同じだ。けどな……」
「けど?」
「こいつを捧げなければ、お前んとこの娘が捧げられることになったんだぜ?」
「……それは、分かっている。だからこうして捧げる役を買って出たんじゃないか」
何やら不穏な単語がちらほらと耳へ流れてくる。
(十にも満たない? 捧げる? 一体何の話だ?)
唐突に始まる会話では、その流れを読むことが難しい。
一つだけ言える事は、会話の指しているだろう何者かへの捧げものが、十にも満たないガキということだった。
捧げものとは、そして娘だとかガキだとかの単語から推測できるのは、恐らくは人間の子供が、何らかの理由で捧げられる……俗に生贄とか人柱とか人身御供みたいな形で、犠牲になったということだろう。
(……それにしても、十にもならないうちに生贄にされるなんて、流石に不憫だな)
まだ生きたかっただろうに……それにやりたかったことだってたくさんあったはず……それが、よく分からない理由で生贄にされて捧げられるとか理不尽なことこの上ない話ではないか、などと考えているうちに、ふつふつと怒りが湧いてくる感覚に襲われた。
(そういえば俺も、世界のためとかいう理由で……)
生贄にされただろう子供の境遇に境遇に、自分を重ね合わせていた、その時だった。
(――!?)
何と言うか、抗い難い磁力に引き寄せられるかのように、抵抗するも虚しく引きずり込まれていくのが分かった。
(な――何なんだっ!?)
奇妙な感覚だった、としか言えない。
それまで感じたことのない――強いて言うなら、下水道とか掃除機に無理やり吸い込まれると言った感覚に近いのだろうか?
吸い込まれたやつがいたと言う話もあるかもしれないが、しかしその生還者からの体験談を未だかつて聞いたことはないため、吸い込まれる感覚がどのようなものかの片鱗も分からなかったことは事実だ。
まあ、これで生還することができたなら、話のネタにするくらいの自慢話にはなるだろうか――などと考えていた直後、目眩が襲いかかり全身が揺れ身体の輪郭がぶれるような感覚が襲い掛かってきた。
そう――まるで世界がぐーるぐると回っているような、そして目玉が螺旋を描いている気になってしまう。
あれはデフォルメであって、実際に瞳孔が螺旋を描いたら奇病扱いされるのは目に見ているけれども。
目眩〈めまい》に次いで吐き気と脱力感も襲い掛かって来る。
嘔吐感を何とか耐え切りながら、落ち着くまでの暫くの間は、かなり嫌な気分だった。
「うう……」
何とか声を上げようとして、やはり呻き声が先にくる。
こういう時は、水を飲むと少しは落ち着くのではないか――と思い立って、辺りを見渡そうとして、妙な違和感を感じた。
「……」
いくつかの違和感の正体はすぐに分かった。
喉のイガイガする痛み、脚の付け根がグチョグチョに濡れている不快感……何よりもこの生々しい感覚――
「――!?」
それは生きているという感覚。
と……
「げほっ、ごほっ――!?」
と咳き咽た。
喉というか首周りに痛みが走り、それに続いて頭が割れるような頭痛が走る。
まるで脳の血管がぶち切れたような――
一体何がこの身に起こったというのだろうか?
「何が……!?」
と自分の出したしゃがれた声に驚く。
しゃがれ声もそうだったが、それ以上に、声の質が自分のものではなかったことにだ。
こう、音質が高い声で……まるで小さい子供のような声だと言うことに。
「どういうことだ?」
それにさっきから顔を隠すように髪の毛が揺れ動く。
「何なんだよ鬱陶しい――!?」
と手で弾こうとして、髪がかなり長いことに気づく。
恐らく背中の半分よりしたほどは確実にあるだろう長さだったし、それに弾こうとした手が妙にちんまりとしていたことにも!
「ん……どういうことだ!?」
(俺の手はこんなにも小さかったか?)
髪の毛は、一ヶ月で大体一センチほど伸びるから、ずっと放置していたのならめちゃくちゃ伸びていても不思議ではないが、手が小さくなることはそうそうない。
使わないで萎縮したとしても、いやだとしたらこんなにぷにっとした手ではないはずだ。
(まるで子供の手のような――)
「子供っ!?」
と辺りに子供の声が響いた。
少しして反射してきた自分の声が返ってきたのに気づく。
つまりここは洞窟とか通路のような空間で、この先に壁があり、そこに反射した声が返ってきたのだろう。
何らかの磁場に吸い寄せられて、洞窟のような、或いは地下壕のような場所にいる、そのことについての説明はできる。
問題は何故そのような場所に自分がいるかだけれど。
(そういえば、捧げものがどうとか、そんな声を聞いた後……)
吸い込まれるように引き寄せられて、気づいたらこんなだった。
ぷにぷにでちんまりとした手で体中をまさぐってみると、どうやら全体的に柔らかく、それに小さくて痩せこけている、どうやら子供のような身体に両手が触れているのを知る。
(……これは、どう考えても子供の身体……だけど、どういうことだ?)
何が起きたのかがまるで分からない。
だからもう少し調べるべく、今度はもっと念入りにまさぐってみた。
すべすべな肌、それに猫っ毛な長い髪、全体的に堀の深そうな顔立ち、でもってぽっこりしたおなかの子供の体躯……その身体が纏っているのは、どうも民族衣装のようなゆったりとした服……それが脚の付け根辺りから足首まで濡れている。
(……お漏らし?)
この歳になってすることの恥ずかしさでいっぱいになるばかり。
(冗談じゃないっ!)
いくらなんでもこれはあんまりだ!
だが、誰も見ていないことは不幸中の幸いだったと言えるだろう。
(俺はしていない……何も――特に、お漏らしなんてしていない……)
「いや……」
誰も見ていないのだから、この事実は知られることなく隠蔽することにすればいい……つまり、お漏らしなどしていなかったのだ。
そのためには証拠の隠滅を図る必要がある。
言い換えれば、証拠がなければ、そして誰も見ていないのであれば、このお漏らしをした事実はなかったことにできると言うわけだ!
(だから、ずぶ濡れになった下着を……)
「……ん?」
奇妙な感触に首を捻った。
妙に柔らかい布地、濡れているからかと思ったが、そういうのとは根本的に違う。
第一、形が……明らかに別物だったのだから。
いや、それ以前に、どうして身体を覆う布地をまくるとすぐ下に下着を触れることができるのか?
「…………」
無言で恐る恐る手を、脱いだ下着のあった場所へと触れてみて……
「…………」
言葉を失った。
身体が震えてくるのは、きっと気化熱で冷えたからではないだろう。
「ない……」
そう……十年以上慣れ親しんできたあるはずのモノがそこにはなく、湿り気を帯びた奇妙にぐにゃぐにゃした感触だけが手に残っていた。
「嘘……だよ、な?」
であればどれほどよかったことだろうか?
しかし自分の身に起きた出来事は、紛れもない事実であるのは疑いようのないことだ。
「うううっ……」
膝を着き、項垂れながら目を潤ませた。
泣いてみた所で、事実が変わる訳ではないけれど、しかし気休めくらいにはなる――そう思っていた時だった。
「――!?」
炎が立ち上がり、辺りが急に眩い光に包まれた。
突然の眩しさは暗闇に慣れていたのだろう、咄嗟に目を瞑ってしまったが、炎は周囲の岩の壁や天井を焦がすように、辺りを灯している。
「……」
暫くして、目が明るさに慣れたからか、薄っすらと瞼を明けてみると、そこがどこであるかを知ることができた。
即ち、洞窟である、と。
床や壁を焼く炎が噴き上がり洞窟の中を照らした。
ゴツゴツとした岩肌は鍾乳石のように、石筍を作り、如何にも何かいそうな雰囲気を漂わせている。
「……ここは一体……?」
と、何かに身体がぶつかりよろけた。
「――?」
振り向いて目に入ってきたのは、石でできた祭壇のようなもの……子供が一人寝れるくらいの台の両端が柱のようになっており、それには竜のような蛇のような装飾が施されている。
祭壇の周りには、ブドウ酒をはじめとする果実酒や、子羊だろうか家畜の丸焼き、それもかなり手の込んだもので、恐らく蜂蜜を塗り石窯で焼いたものだろう料理が並べられていた。
「これは……」
と先ほどの会話を思い出す。
やれ捧げものがどうとか、子供が云々といった会話だ。
それは生贄についての話であり、では今この祭壇に寝かされていたであろう自分こそが、その生贄であると答えが出るのに、そう時間はかからなかった。
「……つまり、俺は生贄である、と?」
祭壇の台に映る明るい髪の少女……いや、どう見ても幼女にしか思えないそれに、引きつった顔になる。
表面はかなりよく磨かれていて、まるで鏡でも見ているかのように向かい合ったものを映していた。
「これは、俺なのか?」
自問自答してみたが、やっぱり幼女だった。
強いて言えばサラファンっぽい衣装を着ている、炎で照らされてるから黄色く見えるが恐らく銀髪で灰色の瞳、発育はとても悪く痩せっぽっちだが年齢は十ほどだろうか?
全体的に痩せこけていて、栄養状態を考えると、あまり大切には扱われていなかったように思える風体だった。
「どうなっているんだ――!?」
と――再び頭痛が襲い掛かってきた。
それと同時に、様々な映像が洪水のように頭の中に流れ込んでくる。
「う……うう――うあああああああーーーーーーーーーっ!!?」
両手で頭を抱えてのた打ち回り、小さな身体が硬い岩肌にぶつかり痣を作り傷を拵えるのも省みず、頭が割れそうな痛みが去るまでの……おおよそ十分ほどだっただろうか、正確な時間は不明だが、頭痛は止みぐったりと地面に転がっている幼女がいた。
涙の跡と、掻き毟ったように乱れた髪、それに体中にできた傷、息はかなり荒くまだ意識は朦朧としていた。
(……今、のは……?)
荒廃した村の映像だった。
荒れ果てた大地に作られた村は、竪穴式住居と思わしき家々が十数軒ほどある、環濠に囲まれた集落で、しかし田畑はなく、村人たちは粗末な衣装を……貫頭衣のような服を着て、例えば石槍を持っていたりする、カオスめいた光景で、この幼女は村の繁栄や安寧のために生贄として捧げられたという記憶が蘇ってくる。
それは今この幼女が見た記憶だろうことは推測に難くないのだが、では何故その幼女の記憶を自分の物として見るハメになったのか……そんな問いが幼女に生まれ……
「――!?」
先ほど襲い掛かってきた頭痛が、再び幼女へと襲い掛かってきたではないか!
「や……やめ――やめろおおおおおおおーーーーーーーーーーっ!!?」
痛いとか、頭が割れそう、なんて安っぽい言葉でそれを語りたくないほどに、それこそ今幼女は頭を血だらけにするくらいには地面に額を打ち付けるくらいの錯乱だった。
一体何の嫌がらせなのかと思うほどに。
「…………」
痛みが止むまでには、幼女の服はボロボロになり、頭が割れて血だらけになり、全身から吹き出た汗が嫌な感じに纏わりついていた。
ぴたりと動かなくなった幼女は、何を見ているのだろう焦点の合わない目と、ぽかんと開けられた口に、手足が僅かに痙攣し、頭が痺れるような感覚に浸りながら、自分に起きただろう出来事を思い出していた。
(俺は……勇者、だった?)
鎧を身に纏いながら、大柄の戦斧を手に持ち、聖女や弓使いや魔法使いとパーティを組んで、世界を手中に収めんと企む魔王ドラクルを討伐しに、危険を顧みず敵地へと赴き、そして遂にドラクルを倒したその直後に、パーティメンバーの手にかかって死んだ……そう、死んだはずだった。
(勇者は死んだはず……では、俺は? 俺は誰なんだ?)
自分の死体を担ぎながら、ではその死体を担いでいる自分は誰なのか――なんてのは落語の世界ではないか!
(そうだ……俺は異世界へと召喚され……)
あの時の記憶が蘇り、それが引き金となったのか、世界に対する憎悪も沸き上がってくる。
怒り、恨み、憎しみといった感情が、その行き場を求めて今にも噴出しそうになった時だった。
何者かが言い争う声が聞こえた。
こちらへと近づいてくるのが分かる。
大きな足音とともに、辺りを焼いていた炎を更に焼くようにして、火を吐き出してる二つの頭……それが幼女の存在に気づいたのか、四つの目がこちらを向き、視線がぶつかるのを感じる幼女。
そいつは開口一番こう言った。
『幼女と少女、どちらが美味いと思う?』