「漸くお逢いできましたね、エリーナ妃殿下」
今回はエリーナのエピソードになります。
帝都、それは帝国の首都。
この世界に帝国と呼ばれる国は一つしかない。
ニャポニカ、即ち皇帝が支配する国のみ。
では皇帝とは何か?
国王とは、一つの国を治める者を云うが、皇帝とは数多くの国を支配し統率する者であり、国王より上位の存在。
その皇帝が、崩御した。
名君と呼ばれて、帝国内の各民族から敬愛されてきたニャポニカの第四代目の皇帝は、ニャポニカ人とその他の民族との融和を願っていた。
博愛主義者という訳ではない。
だが、自らの治める国が、つまらない民族問題ごときで揺るがされるのを恐れたのだ。
ニャポニカにはいくつかの民族がいた。
ニャポニカ人、エミス人、パヤット人などの人族、それに征服した獣人族や魔族とされた民族……所謂多民族国家、その舵取りは極めて難航するもの。
エミス人やパヤット人であれば、同じ人族同士であり、文化も近く、何より同じ言葉を持ち、宗教を奉じているが、獣人族や魔族は違う。
胃が痛くなるような日々だった。
早い話が民族対立があったからだ。
皇帝と言う存在が、巨大な重石として、各宗教原理主義者や、民族主義者を弾圧していたために、表立っての抗争は起こらなかったが……
そして皇帝ともなれば、支配地からのあらゆる文物が手に入る訳で、毎日山海の珍味を、競うように腕を磨く料理人たちが、技術の粋を尽くして仕上げたフルコースが食卓にあがり、或いは国土の隅々より選出された美女を後宮へと集め、毎夜毎夜のお楽しみ……まさしく酒池肉林のハーレム生活、と思いきやそうでもなかった。
何しろ、宮廷料理というのは絶対料理、つまりは誰が食べても美味しいものでなくてはならない。
人間が美味しいと思うのは、生理学的に結論を出すなら、ナトリウムで、グルコースで、グリセリドでアミノ酸。
毎日のお楽しみも、義務として強いられるとすれば、途端に苦しみに変わるのも世の常。
ハッキリ言うと、体が持たない。
しかし義務は義務。
皇族の血統を後の世に遺すことは最大の使命といって過言ではない。
だから絶倫となるべく、様々な試みがなされた。
体力増強の為に、得体の知れないもの……鹿のナニかを漬けた酒とか、コブラとかのエキスの滲み出た薬とか、そういうのならまだ可愛い方で、世の中にはもっとヤバい薬があったりする。
つまり不老不死の秘薬的な何か。
化合したり還元したりすると姿を変える、これは不老不死だとかこじつけて秘薬とされた水銀とか、ヒ素とか、確実に命を蝕むだろう劇薬を。
皇帝だからこそ、生きなくてはならないし、血統を世に遺さなくてはならなかった訳だ。
が、体に悪いの物をこれでもかと摂取時食った挙句、長生きなど出来ようはずもなく、呆気なく皇帝は崩御。
まあ、そんな訳で帝都は乱れていた。
何故かって?
俗に言う後継者問題だった。
が、この後継者が、曲者だったのだ。
何故なら、第一皇子は無能で、汚職官僚の言いなりであり、性質の悪いことに宗教にドはまりしていた。
イェビー教……北方のどこかにあるらしい、人間のある部分を御神体とするいかがわしい宗教にだ。
それに汚職官僚たちが丹精込めて作り上げた傀儡皇子。
こんなのが帝位に就けば、汚職は進行し、帝国の瓦解は火を見るより明らか。
では、他はどうなのか?
第二皇子は武勇には優れていたが、外戚の繰り人形で、尚且つ極度の女狂い……誰彼となく、それこそ気に入った女を見れば、直ちに我がものとせんとするような奴で、部下でも街娘でも捕虜でも……それどころか実の妹すら手にかけようとしたほどだ。
おまけにペド。
大事なことだから二度言わなければならない。
第二皇子はペドなのだ。
ロリコンではない。
ちょうど、ハ○ジからア○スくらいがストライクゾーンの性癖の持ち主。
こんなのが皇帝の椅子に座れば、他国から侵略を受けるいい口実を作ってしまうばかりか、易姓革命必至だ。
ならば、と第二皇女という選択肢もあるにはあったが、取り巻きの宦官に政務は丸投げの上、第二皇女は極度のサディストなのだ。
ことあるごとに理由を付けては、泣き叫び赦しを請う宮女の顔に筒を押し当て、床にコロコロさせたり、或いは適当な新婚夫婦を、油の塗られた青銅の柱の上を歩かせ、勿論下には石炭で熱せられた石が赤くなって彼らを抱擁せんとしている。
辺境貴族に彼らの赤ん坊を蒸し焼きにして食べさせたり、亜人の美少女に家畜を産ませようと交わらせたり、暴虐を極めていた。
こんなのが女帝にでもなれば、国民から反乱を起こされるのは目に見えている。
と言うかまともな奴が誰一人としていなかった。
権力は人を腐らせるのだ。
だが――希望が失われた訳ではない。
皇籍を捨てると宣言し、未だ行方を眩ましている第一皇女と、そしてまだ幼女ではあるが、だからこそ可能性のある第三皇女だが、如何せん彼女らには後ろ盾がなかった。
官僚も宦官も宗教も外戚すら当てにならない。
身寄りのない、でも顔の良かった婢女に、皇帝が手を付けた結果、この第一皇女はこの世に生を受け、北方の獣人の国より連行した美少女を見て、心奪われた皇帝が手をつけた結果生を受けたのが第三皇女なのだ。
皇統の、いわば正統性なる物も、疑われかねない出自。
だから身の危険を感じ宮殿を飛び出した第一皇女、そして第三皇女にしても、今まさに逃亡の準備に取り掛かっているところだった。
継承争いなんてものは、どこでも凄惨な出来事となって、降りかかる。
利害が絡むと、人間は本性を現すのだ。
況してや国家を継承するのだから、敵となりそうな者は根絶やしにされるのは、珍しいことではない。
国家を分裂させないことは、至上命題となり得るからだ。
「さて……どうしようか」
と言っても、帝都の外など彼女は知らない。
そもそも血を分けた皇帝の顔すら知らないくらいだ。
姉である第一皇女は、度々帝都の外へと足を運んだこともあり、外の世界を知ってはいたから、放浪生活を可能にしたみたいだったが、彼女はつい最近知らされた皇族の身分以外の財産などない。
食べていく術を、身を守る術を、生きていく為の術を知らない。
が、生き残るためには、背に腹は代えられない。
第二皇子なら、最悪慰み者にされるくらいだろうが、第二皇女なら、凄惨なことになるだろうことは確実だ。
喉を焼かれ、耳を削がれ、胴体だけにされた上で、豚呼ばわりされる目には、誰だって遭いたくはない。
対抗する手段もない今、逃げる以外に生き延びる術はないのだ。
地下通路を通り、そして帝都からの脱出を試みる第三皇女だったが――
「漸くお逢いできましたね、エリーナ妃殿下」
でっぷりとして、髭のない高い声――だが声の主は男――いや、男だったと言うべきだろう。
「オットー……!?」
オットーと呼ばれた頭のヤバそうな宦官が一人、目の前の第三皇女へと微笑みかけた。
「幸運と言いましょうか……私めにはエリーゼ妃殿下に、是非帝位を継いで貰わないといけない理由があるのですよ」
オットーが刺々しくプラーナを放出している。
「……お姉さまに?」
後ずさりしながらも、第三皇女は問い返す。
「はい、私めを男でなくした、この世界への憎しみから、妃殿下は救ってくださったのです……私めは、その恩義にどうしても報いたいのですよ」
どことなく、その目には狂気が宿っているのを、この幼女は見逃さない。
「わたしは純粋な帝国の血統……純ニャポニカ人ではないし、帝位だって継げる順位にないわ。お姉さまの脅威には――」
事実その通りだ。
皇位を継承できる順位としては、エリーゼの方が先、覆らないはずだ、と。
「……それでもですよ」
オットーは口元を緩ませて言った。
「エリーゼ妃殿下にとって、兄弟姉妹はその存在自体が脅威なのです。妃殿下だって、その立場なのですよ。例え卑女の子であろうと、夷狄の血が混ざっていようと、誰かが担ぎ出さないと言う可能性は決してない訳ではありません。政治とはそういうものなのです」
オットーの目が光った。
「それに残念ながら、私めの支持するエリーゼ妃殿下は、臣民たちにとって非常に人気がない……」
悲しげな声で宦官が言うも、その目は悲しんでいるようには見えなかった。
「……つまり、わたしをどうしようと言うんですか?」
ペロリと口周りを嘗める宦官。
背筋に嫌な汗を、そして悪寒を感じ取るエリーナ。
「決まっているではありませんか……」
「――ッ!?」
殺気を感じ取る野生の勘がなければ、その一瞬に起きたことにより、一命を落していたかもしれない。
「ほう、今のを……」
オットーの手には、マチェットがあった。
つまり間違いなく殺す気でいたと言うことだ。
「何故逃げるのです? 苦しいのは一瞬、もがけばもがくほど苦しみは増えていくのですよ、エリーナ妃殿下? 苦しみを最小限にすれば、その後に安らかなる日々が待っている、そうではありませんか?」
例えそうだとしても、こんなところで殺される訳にはいかない。
「……わたしは、まだこんなところで死ぬ訳にはいかない」
エリーナはそう言って槍を構えた。
「ほう……」
嗜虐性を帯びた目が再び光った。
「槍こそは兵器の王……ニャポニカは槍が創った、それは神話にもあるとおりです。なるほど、さすが先帝陛下が最期にその名を口にしたのも頷けます」
とマチェットを持った手をだらりと下げた。
(構えない!?)
エリーナが混乱した。
槍はあらゆる武器の中で最も強いとされる。
リーチであり、打突であり、剣術に比べても習得は容易だ。
マチェットでは不利と言うもの、なのにオットーは余裕のある顔でエリーナを伺っている。
不気味としか言えなかった。
「――!?」
オットーは動かなかった――しかしエリーナは腕に、脛に、背中に、激痛を覚えて、槍を取り落としそうになる。
「ほう……致命傷にはならないとは」
惜しみない賞賛、それ故にオットーは彼女を危険視する。
「油断は大敵ですよ、エリーナ妃殿下……」
口調こそ物腰柔らかだが、底知れぬ危険人物――エリーナの野生の勘がそう告げる。
(今のわたしでは……間違いなく殺されるっ!!)
実力差を見切るのも、生き残る術として必要な項目だ。
(戦ってはダメ――だったら逃げるしかないっ!!)
そうと決まればエリーナの判断は速かった。
即断即決、これも資質だろう。
エリーナは手を翳すと、辺りは漆黒の闇に覆われる。
「……ふむ、影魔法ですか。それもかなりのもの、よくその歳で魔術をここまで修められたものです。もしも私めが教官であれば、これなら優を差し上げられるでしょう。しかしながら――」
「きゃっ!!?」
エリーナの悲鳴だった。
「相手が悪うございましたね、エリーナ妃殿下……」
首筋にはマチェットで切られただろう傷、もう少し深ければ動脈に達していただろう。
「私めも、同じ影魔法の使い手なのですよ」
オットーのプラーナが増幅し、足元の影が起き上がり、動物の形を取り始めた。
即ち猟犬の。
痛みで思考が乱れるエリーナ。
恐怖心が彼女を苛む。
足がすくみ出し、体の震えが止まらない。
「もし私めがこんな立場でもなければ、エリーナ妃殿下を推挙したいところでした。その溢れた才能、まだ幼いにも関わらずの慧眼、他の誰よりもまともなところとか……ですが、私めにも恩義と言う物はあるのです。ご理解いただけるはず――では、お別れです、エリーナ妃殿下っ!!!」
オットーのマチェットが水平にエリーナへと襲い掛かる。
その周りを影の犬数匹が取り囲んで。
「あ――っ!?」
悲鳴とともに足を踏み外すエリーナ。
そこは――
「ああ、地下水道へと落ちてしまいましたか……なるほど、お隠れになった、としたい訳ですね?」
穏便に済ますには、生死を明らかにしないのも一つの手。
「ですが……私めはエリーナ妃殿下の最期を見届けるまでは、追撃の手を緩める訳にはない。行けっ!」
オットーの影魔法でできた犬たちが声にならない遠吠えをするや否や、エリーナの落ちたであろう地下水道へと追手として潜入していったのだった。




