『次があると思っているなのね?』
『なのね』久しぶりなのね。
「ちょ……これどういう冗談や? わ、笑えないやないかっ!!!」
「冗談? 私は冗談なんて言ってはいませんが?」
リュボーフィーが笑っている。
それもとびきり暗い笑みを。
ユースフが床に尻餅をついて後ずさっていた。
受付嬢も腰が抜けたように動けないでいる。
「いや、待て、待ってくれっ!! 嬢ちゃんなんか誤解してるっ!!! ワイらは同じギルドの仲間――」
「私がいつ盗賊ギルドに登録しました?」
「へ――!?」
と間抜けな声を出すユースフ。
「私はただ『ギルドに行きたい』とだけしか言ってませんでしたが? それに適性を測っただけでギルドへの登録はまだしていないでしょう?」
それは本当のことだった。
異常な魔力値にその適性を見出して、盛り上がっていたのはユースフと受付嬢の二人だけで、リュボーフィーは一言も『盗賊になりたい』とも『盗賊ギルドに登録させてください』とも言っていない。
「なんでや――ここまでの話の流れで、盗賊になりたない思う方がおかしいやろ?」
「帝国の苛政に虐げられた人たちが理想の下に集い世直しする――でも、ですね……」
リュボーフィーはひどく冷たい目をしていた。
青い瞳の奥に宿る深い闇の一端を覗かせている。
そして口元を綻ばせながら、リュボーフィーはユースフへと近づいていく。
「あなた方は貧乏人は金持ちが作ると、そう言ってましたが、ではどうして金持ちは貧乏人を作るんですか?」
「――!?」
ユースフの顔が変わる。
「か、金持ちが、貴族たちが、官僚たちが、ワイらの、弱者からありとあらゆる理由をつけて、様々なものを搾取するからや!!! そう――ワイらは被害者なんやっ! そして本来得るべきだったものを取り戻そうと――」
「そう――貧乏人を踏み台にして彼らは金持ちにのし上がった……ですが――」
リュボーフィーの言葉に一喜一憂するユースフ。
「ではどうして、あなた方は弱者を狙うのです?」
「な、何を言って――ワイらは貴族や大商人といった連中しか狙わ――」
「か弱い女の子をひげもじゃな男たちが寄ってたかって襲い掛かる――それのどこが世直しなんです?」
冷たい視線が、しどろもどろになりつつあったユースフにとっては、ファーティマの邪視以上に体を凍りつかせる力を持っていたのだろう。
「待ってや! あの赤髪のガキは皇族やないの? 皇族言うたら、ワイら民草の敵やねんで? それを狙って何が悪いんや?」
「帝国の皇族たちと癒着して? ひげもじゃたちがエリーナを狙ったのも、オットーとかいう皇族の犬が依頼主……つまりですね、あなたたちは皇族の犬の犬なんですよ。それに――」
リュボーフィーの笑みは、狂気に満ちていた。
「弱者のために、世直しをする、あなた方は崇高な理想を口にしてますが、実態はただの盗人ですよ?」
「なんでやねん! 盗みやないっ! あるべき持ち主も元に、本来得るはずだったものを取り戻しているだけや!!!」
少しずつではあるが、首に巻きついていた縄がユースフの首を絞めていく。
「悪事というのはですね。表向きは綺麗な言葉で取り繕っているものなんですよ。そして美談でまとめていく……」
首を絞める縄をどうにかしてはずそうともがくユースフだが、縄が鋼よりも固く、大の男の力であっても逃れることはできなかった。
「あなた方は、帝国の苛政を『盗み』としていた。なら、それを否定すべきだったのではないですか。にも拘らず、盗んだ。それも弱い相手から!!!」
「何を……」
「盗みを否定するためには、少なくともあなたは盗みをしてはいけないし、誰かがあなたから盗んでも、それを非難する資格はない……そうは思いませんか?」
「や、やめ……」
ユースフの首が更に絞まっていく。
「そうや……金を……いくら欲しいんやっ!?」
「ふふふ……」
だがリュボーフィーは笑うだけだ。
「それとも、このギルドを欲しいんかっ!?」
「ふふふ……」
「ほ、欲しいものなら、何でもやるから……だから……命だけは――うぐぐ……」
ユースフの話など、あたかも聞いていなかったのごとく、リュボーフィーは純真無垢な子供のように真っ直ぐな口調だった。
「……だって、そうでしょう?」
リュボーフィーの目が光る。
「弱者の味方を吹聴しながら、でも実際には帝国の犬と化している。エリーナを襲ったのも、帝国からの依頼でしょう? あなた方は、盗賊ギルド自体が、弱い相手を踏みにじる存在に成り果てていたんですよ……」
冷たく笑う言葉を聞く男の首から上は、既に紫色に変色しかけていた。
「ふふふ……あなた方は大罪を犯した。でも、あくまで罪は有限。罪とは何か? 祓うべき心の穢れ。ではどうしたらこれを浄化することができると思います?」
リュボーフィーがせせら笑っているそばで、受付嬢がガタガタ震えて、床はびっしょりと濡れていた。
「答えはですね……吊るされる事なんですよ。これこそが聖女様の福音――そう、愛とでも呼んでおきましょうか?」
「きゅう……」
ユースフの最期の声がした。
受付嬢は気を失っている。
「――」
リュボーフィーは徐に二人の頭へと手を触れた。
次いで周囲に誰もいないことを確認し、彼女は呟く。
「……やっぱり」
何がやっぱりなのか、口角を上げる彼女の目は少しも笑ってなどいなかったが。
「パヴェシェンヌイ教だけじゃなくて、盗賊ギルドまで……世界中に害悪をばら撒くなんて――」
リュボーフィーは憎しみの炎をその青い瞳の中で滾らせていた。
「しかも、自分で作っておいて、それを壊す予定とか意味が分からない……」
何を言っているのか、しかしその顔は実に忌々しそうに歪んでいた。
「恐らく、ニャポニカの内乱にしても、あいつの差し金と見て間違いないはず――あの悪魔――」
水晶玉を睨むその顔が、よく磨かれた球体に歪んで映し出されている。
「ウラジドゥラークで『奇跡』を起こしたのも、盗賊たちを『退治』したのも、その目的がどうしても分からない……」
でも――と彼女は言った。
「私の考えが正しいのだとしたら、盗賊ギルドにアリカを連れてこなくて正解だった」
リュボーフィーからプラーナが爆発的に放出され、彼女の周囲の床が吹き飛ばされる。
「見た目こそ可愛らしい女の子を装っていても……あいつの本性は悪魔そのもの。ヴォストクブルグを滅ぼしたのも――だから、だから今暴走を止められるのは私しかいない――」
再びプラーナを収束して、体内へと納める。
「あの悪魔から――女勇者から世界を救ってみせる!!!」
そして決意を胸に、リュボーフィーはギルドから足を踏み出していった。
「……ぐすっ」
その頃ファーティマは、洟をすすりフラフラになりながらも、どうにかギルドのすぐ近くまで逃げ戻っていた。
「くそ……あいつ、ぐすっ……今度会ったら……すっぽんぽんで吊るして晒し者にしてやるぅ……ひっく」
顔にはナニかが、ちょうど鼻の位置に貼り付けながら取ることができなくなっていて、負け犬のように尻尾を巻いて逃げてきたと言うしかない。
「それと……ユースフ。あいつは帰ってきたらぶっ殺してやる!!!」
裏切られたことへの復讐心が、今は唯一の生きる気力となりそうだった。
しかし――生きていればいつか反撃の狼煙を上げることができる。
要は負けを認めなければいい。
悪態を吐きながらも、何とかここまでたどり着くことができたファーティマだったが――
「な――っ!?」
ギルドの中はカオスとなっていた。
受付嬢は気を失って、床は濡れているだけでなく、テーブルの墨で消し炭となっていた焼死体が三つ、それだけでなくユースフが天井から首吊り用のロープで吊るされているという惨状……一瞬だが言葉を失った。
「これは一体どういう……」
混乱がファーティマを襲う。
次いで辛かった日々の記憶がフラッシュバックした。
十数年前、村を襲った二つ首の怪物により、村は全壊し、ファーティマは放浪することになった。
行く先々で投げかけられたのは侮蔑の視線と心無い言葉、時には石まで投げられて、常にひもじかったあの日々……だからファーティマは思い知らされた。
力こそ全てであると。
世の中に正義がある?
法が味方してくれる?
いい事をしていればいつか報われる?
(そんなのは嘘だ……)
力こそが正義なのだ、と。
力を恐れるあまり、暴力に諂い、特権階級を前に伸び縮みする法、いいことをすれば悪人に食い物にされるのが現実だった、と。
だから力を求め続けた。
自らの正義を認めさせるために。
が、不器用な上に、教育もなかったファーティマは、弱いままだった。
自分よりもはるかに恵まれた境遇にある連中は皆、ファーティマの百の努力で一の成果と比較すれば、一の努力で百の成果を手にしている現実を叩きつけられ、世界を呪い、憎悪した。
あの人に逢うまでは……
見た目は修道女のような格好をしていたが、全身に傷を負っていた。
誰がやったのか、それは不明だが、この修道女をカモにすべきか助けるべきか、だが修道女は言った。
『力がほしいか?』
願ってもない提案、二つ返事をすると、修道女が自分の手を握り――
(あの時にあたいは力を手に入れた……なのに……)
先ほどの戦闘で、折角得た修道女から与えられた力――邪視――は使えなくなってしまった。
「どうすれば……」
絶望が襲う。
「いや……再び力を得る手段はどこかにあるはず」
邪視はナニかで今は力を失っているが、これを何とかすれば再び取り戻すことができるかもしれない。
「そうだ――数日前に来たあのガキ――」
と、ファーティマの脳裏に少女の姿が浮かんだ。
おぼろげながらの記憶しか残ってはいなかったが、あいつは確かこう自分に告げたはずだ、と。
『お前に必勝法を授けてやろう――』
再びあの少女に出会えば、自分にかけられたこの呪いを解くことができるかもしれない――
「そうだ、生きていれば、再起を図れ――」
『次があると思っているなのね?』
声がした。
しゃがれた声だった。
「――!?」
驚き辺りを振り返るファーティマ。
だが人の気配はない。
そう、人は……目の前には黒猫が一匹、テーブルの上でこちらを向いているだけだ。
『お前は負けたなのね……』
黒猫が人語を口にする光景だった。
「ね――猫が喋ったっ!?」
驚くファーティマの顔が目を剥く。
『あの悪魔に何を吹き込まれたのかは知らない――しかし今のお前に邪視が使えないのはウチにとっても都合がいいなのね』
「な……何を――!?」
と言い終わらないうちに、天井へと血が飛び散って、ファーティマの頭がタイルの剥がれた床の上に転がった。
『ふう……』
と黒猫が一息つく。
強い力を感じて廃墟の中に入ってみればこの惨状――誰がやったのかと黒猫が首をかしげて、思い出したくもない過去をフラッシュバックさせていたところに、運悪くファーティマが帰ってきてしまった訳だ。
『それにしても……あいつ世界を滅茶苦茶にしやがってなのね』
黒猫は忌々しげに吐き捨てる黒猫。
『ウチをこんな姿にして……その上世界中を引っ掻き回して……でもウチ一人の力ではあいつには、あの悪魔には勝てないなのね……』
しかし、黒猫は笑っていた。
『だけど……あいつには期待できそうなのね。あの悪魔の力を――邪視持ちを倒すなんて、もしかすると掘り出し物……なのね?』
ファーティマとアリカの戦闘を一部始終を見ていたのか、思い出しながらゴロゴロと喉を鳴らす。
よほど嬉しかったのだろう。
『あの銀髪、何かおかしな風体だったけど、あいつは間違いなく悪魔に匹敵するだけの力を持っているとウチは見たなのね』
喉を鳴らしながら黒猫は続ける。
『魔力といい、あの剣術といい、あいつなら――』
黒猫は上機嫌なのか、ファーティマの首を床の上でいじり始めていたが、ふと思いとどまる。
『それはそうと……この建物内の惨状は、銀髪の仕業じゃない……一体誰が、なのね? でも……あいつはあの後何度も転生していた……思わぬところから恨まれていてもちっともおかしくはないなのね』
怪しげな光を帯びた目が光る。
赤い光だ。
『あの悪魔を倒す切り札になるか――いや、倒して貰わないと困るなのね』
転がるファーティマの頭を弄びながら、黒猫は憂鬱そうな声で鳴いた。
『ウチは絶対に赦さないなのね。例え全てを失ったとしても、あいつだけは――あの聖女だけは葬り去らなければいけない存在なのね』
決意をひとしきり述べた黒猫は、最後にファーティマの頭を放り投げた。
宙を舞う生首へと、赤い光が突き刺さり――けたたましい音を上げた時には、ギルドの中は血肉と脳漿が散らばり、床や天井にへばりついていた。
『あいつも、これと同じように――』
そして黒猫の姿は次第に薄くなり、掻き消えるかのようにその場から消え去るのだった。
吊るされたユースフの双眸だけが、その全容を知っていた。




