オーバーヒート
「ふう」
「どうしたの? 溜息なんて吐いて」
運転席でクラッチ操作をしてトップギアに入れた進に遥香が声を掛ける。
「いや、小さい子と女の子ばかり乗せているから誘拐しているような気分だなって」
「危険発言は止めなさい」
車がネットスラングで有名な名前だったこともあり、遥香が進に呆れる。
その直後、車は異音を出して急に止まる。
「何があったの」
「オーバーヒートだ」
水温計の針がレッドに入っているのを見て進は顔をしかめた。
「エンジンを確認する、一寸下りて」
助手席と後ろに座っていた仲間を下ろすと、助手席の下にあるバックルを開ける。座席を後ろに倒しエンジンルームを開ける。
「パイプじゃありませんように、パイプじゃありませんように」
進は呟き祈りながら、冷却水の甘ったるい匂いが立ち上るエンジンルームの中を見る。
「畜生、パイプだ」
「どういう事?」
助手席側から身を乗り出してみていた遥香が尋ねる。
「エンジンに付いているラジエターのパイプが割れて冷却水が漏れている。これ以上運転出来ない」
「なんでこんな車を選んだのよ」
「全員を乗せて移動出来て、エンジンをかけられそうなのがこの車しか無かった」
「直せないの?」
「配線外してインテークを外して、その内側にあるパイプを交換するんだ。半日仕事だ。しかも替えのパイプもない」
「でも何か方法が」
遥香が身を乗り出して進に尋ねようと、手を付いたが、その場所のプラスチックが割れてクーラントの蒸気が手に触れる。
「熱っ!」
「大丈夫か?」
「大丈夫、でもゴメン。壊しちゃった」
「この形式の車は冷却系統の合成樹脂が脆いんだ。熱と圧力で変性して飴細工のように少し触れただけでボロボロだ。こんなものを採用するなんておかしいよ」
「直せないの?」
「部品がないからね。交換出来ない」
「エンジニアなら直してみてよ。転生前は整備士だったんでしょう」
「チェンジニアにそこまでの事を求めないでくれ」
「チェンジニア?」
「部品を交換するだけの技術者ってこと。最近の部品は高度化されていて技術者独力でなせる物は殆ど無いよ。故障した部品を見つけて部品会社から購入して取り替えるだけさ。チェンジするだけのエンジニア、略してチェンジニア」
自嘲気味に話す進に遥香は呆れ黙り込み、代わって美咲が尋ねる。
「他の車から部品交換出来ませんか?」
「見つけられないから無理だ。テープで巻いても圧力が高いし濡れて漏れ出してくるだろう。エンジンはまだ大丈夫だと思うけど十数分ごとに止めて冷やして移動するのは困難だ。新しい車を見つける方が早いよ」
「何故自嘲する?」
相変わらず自嘲する進にソフィーが尋ねてきた。
「自嘲?」
「そうだ。進は状況を把握し自分が出来る事を提示している。誠実な事だと思うが」
「何も出来ないのに」
遥香が呆れ気味に言う。
「進を責めるというのなら貴方が進に代わって車を直すべきだろう。なのに、貴方は自分が出来ないにも関わらず責めるだけ。貴方は何が出来るというの」
「それは……」
「短時間で状況を把握し、誇張すること無く解決法を教えてくれた。そのことに対して感謝こそすれ責める理由はない。寧ろ他の手段を探すべきと言う進言は建設的だと考える」
ソフィーの指摘に遥香は黙り込んだ。
「進、これだけの複雑な機械を見て直ぐに故障の原因を見つけたことは尊敬に値する」
「大した事無いよ」
「いや、故障だけで無く多くの車の中から現状解決に合った車を選択し実際に動かした手腕は素晴らしい。余程、深い知識を持っているのですね」
「ああ、まあ、少しかじった程度だよ」
進の顔を見てソフィーは首を傾げた。だが進は直ぐに真面目な顔に戻り、皆に尋ねる。
「さて、厚木の学園までおよそ三〇キロ。何時間かかるかな」
「人の歩行速度は四キロだったはずよ」
「人によっては六キロで歩けるけど、それは天気が良くて、何の障害も脅威も無い状況での話だ。障害物のある悪路を歩くとなると時速二、三キロ程度、警戒しながらだと時速一キロあるかどうか。今の俺たちと状況では何時間でたどり着けるだろうかね」
魔物の跋扈する東京の住宅街からどうやって脱出するか。
進の言葉に、その場にいた全員が不安を抱いた。
「っとその前に片づけなきゃならないことがあるな。あんたは何者だ」
進は自分たちを助けてくれたソフィーと名乗る少女に尋ねた。
「私はソフィー。転移門の向こう側から来た」
「どうして?」
「ここ最近魔物達の動きに変化がある。特に見たことのない金属を使っての武器の調達など人類側に対する構成を強めている。何故そのような事になったのか調べていたら、転移門の存在を知り、通ってみた」
「無茶をするわね」
「確かめるためには自ら通ることが最良と判断した」
「まあ、それは分かるけど」
ただ見るだけで判断するより実際にやった方が判断しやすい。
考えるより行動した方が早いことは世の中に多々ある。
「それでどうして僕たちと接触を」
その時ソフィーのお腹の音が盛大に鳴った。
「魔物の追撃を振り切るためにここ数日何も食べていない」
「とりあえず、こいつを食べておいて」
進はポケットに入れていたレーズンチョコを渡した。高カロリーだし、レーズンの酸味でチョコよりも飽きが来ないので、行動食として好んでいた。
「ありがとう」
小粒なので分けて食べることで長持ちするのだがソフィーはあっという間に袋の中身を全て食べてしまった。
「申し訳ないのだが、もっと食べたい」
「うーんこっちもそうしたいね」
怪しい人物だが命の恩人でもあるソフィーを無下にしたくないし、何より戦闘の後で進達も腹は減っていた。
「食事をするにしても安全な場所に行きたいな」
車で逃げたとは言え、近くに別のモンスターがいるとも限らない。
「出来れば今夜一晩安全に過ごせる場所で食事を摂ってそのまま寝たいな」
腕時計と太陽をみて進は言う。今日の日没まであと三時間ほど。暗くなってから寝床を探すのは困難だ。
野営準備――安全を確認し、寝床を作るのに二時間かかるとして、一時間で到達できる場所にたどり着きたい。
「警戒しながら移動するとして一キロ程度の園内かな。逃げ道があって見つかりにくくて雨風凌げる場所が良いな」
「あー」
具体的な場所を想像して口に出していた進の脇で遥香がうなり声を上げる。
「どうしたんだ」
「……一つ、心当たりがあるんだけど」




