進と姫理香の関係
「!」
咄嗟に叫ぼうとしたが、液体はゼリー状で鼻や口を覆って声を出せない。
しかも液体は更に遥香の奥に入ってこようとする。
スライム
液状不定形のモンスターで家屋の屋根裏や天井裏に隠れて真下にやって来た獲物に落下し自らの身体で包み窒息死させて消化する。
進が驚いて銃を構え助けようとするが、遥香が包まれていて撃てば彼女にも当たってしまう。
そこへ異変に気が付いた姫理香がやって来た。
スライムに襲われているところを見た姫理香は銃剣を取りだし、スライムに刃を滑らせた次の瞬間、スライムは水のように流れて落ちた。
「がはっ」
口や鼻の奥に侵入してきたスライムの残骸を遥香は吐き出して咳き込んだ。
「大丈夫?」
「ええ、何とか」
姫理香の言葉に遥香は答えた。
「スライムを見落としたのは私の落ち度ね。最近は少なかったし、まさか屋根裏があるとは思わなかった」
「まあ、大声で叫んでいたし、石鹸の残り香にも引かれて落ちてきたんじゃないのか」
「でもスライムを銃剣で殺せるんですね。初めて知りましたよ」
「アメーバみたいだけど、実際は胃をひっくり返したようなモンスターよ。中の神経と頭脳を切断すればこうなる。慣れると意外と簡単よ」
「よく知っていますね」
「一応、生物系のコースでこの学園に入ってモンスターの生態調査をしているのよ。モンスターの解剖調査もしているから」
転生前の姫理香は大学で生物学を習っていた事を思いだした進はピッタリだと思った。
「一応見ておきましょう。スライムの消化液で目とかに異常が無いか見るわ。衛生兵の資格も持っているから洗浄できれば良いんだけど」
「少し待ってくれ」
進はそう言うと隣にあったカー用品店に入り、液体の入ったポリ袋を持って出てきた。
「何それ」
「バッテリーの補水液だ」
「大丈夫なの?」
「補水液はバッテリーから抜けた水分を補充するために純水だけだ。バッテリー液は希硫酸で使えないけど、補水液なら消化液を洗い流すのに最適だ」
そう言って蓋を開けて遥香に補水液、純水をかけて洗い流した。
「まあ、何とかモンスターを見つけられたわね」
遥香を洗っている間に姫理香は、倒したスライムの細胞を回収する。
「やっぱりこの周りにもモンスターがいそうね。他のモンスターがいないのが気になるけど」
「そもそも、このスライムはどうしてここに居たんだ?」
「どういう事?」
進の言葉に遥香は尋ねた。
「いや、スライムの移動速度は遅いはず。なのに徒歩とはいえベースから二時間ほどの近距離に現れているのがおかしいなって。この辺りは調査隊が動いているはずだろう」
「他のモンスターにくっついてきたんじゃ」
「だとしたら他のモンスターに出会わないのがおかしい。これまでモンスターと接触しないのはおかしい」
「確かに」
進の意見に姫理香は同意した。グレーゾーンでも危険な二三区内でこれまでモンスターに遭遇しないのはおかしい事だ。
「とりあえず、予定の行動は終了ね。ベース基地に帰投する」
疑問を抱きつつも、いや、疑問に思ったからこそ姫理香は早めに帰還することを決定した。
「その前にメシにしないか?」
「話を聞いていましたか? ベースに帰ってからでも十分に食べられますけど」
進の言葉に美咲が意見を言う。
「それでもベースにいる他の人間に気兼ねする事無く食べるのは良い事だと思うけど」
「そうね。少しくらい時間が遅れるくらい構わないわね。行動開始して三時間くらいになるし、ここで大休止に入りましょう」
姫理香が進の意見に賛成し結局、この場で食べる事にした。
「じゃあ、何か作るよ」
「いいえ、支度や後始末に時間が掛かるから、レトルトから直接食べなさい」
「ちょいと味けが無いな」
「ここも安全という訳ではないからね」
かつての東京と違い、ここは魔物の跋扈する危険な場所だ。
長時間の居座りは危険だ。
「良いんですか? こんな事をして」
「余裕がないと人は疲れて何も出来なくなるわ。そして余裕は自分で作る物よ。意識して余裕を作るようにしないと直ぐにダメになるわ」
「じゃあいっそ料理を作る時間も作っては?」
「いいえ、それだと危険が増すわ」
「中途半端だな」
「折り合いを付けていると言って。理想を追い求めても現実と妥協しないと何も上手く行かないわよ」
姫理香の意見に進は肩を竦めつつも納得し、食事の準備を始める。
他の三人も自分のバックパックを下ろして中に入っていたレトルト食料、鶏飯を取りだし、生石灰を使ったヒーターで温め食事を始めた。
パックを開けると湯気が出るほど熱々の料理だ。皿を用意する手間を省くため、パックから直接食べるのだが、出汁が染み込んでいて中々に美味しい。
「タクアン缶頂き」
「勝手に取っていくなよ。ゲットするのに苦労したんだからな」
進が副食に取り出したタクアン缶を姫理香が奪い取った。
自衛隊が産んだ至高の食料タクアン缶。人気の缶詰ですぐに無くなるため特務調査でも配給されることは滅多にない
「良く手に入れたわね」
「調達関係の人と繋がりが出来てね」
「そういう所は本当に得意ね。全員と仲良く出来れば良いのに」
「どうしても相性があるんだよ」
進の前世を知る姫理香が茶化す。進は、性格上好き嫌いが激しく、好きな人には好かれるが嫌う人にはトコトン嫌われるタイプだ。
上下関係でも同じで教員が好いてくれるタイプなら問題無いが、前世で配属された研究室の教官は残念ながら進を嫌うタイプだった。
「どうして、そんな研究室に入ったのよ」
「研究内容に興味があった。釣りだった上に猫を被っていやがった」
質の悪い教員に騙されてただ働き、いや、授業料を払った上にこき使われて進は大学を辞めた。
「そっちだって似たようなものだろう」
「まあね」
偶々同じ大学で共通の友人を介して知り合い幸いにも馬が合った姫理香とは昼食を共にして愚痴を言い合う中だった。
「それにしてもよく八島に入れたな。姫理香の専門は生物学だから未知の生物であるモンスター相手には十分に役に立つか。で、どうだモンスターの事について何か分かったか?」
「少なくとも私たちと同じで炭素から構成されている生物よ。スライムはともかくゴブリンとかは身体の構造も近い。だけど全く別の進化を遂げているわね。遺伝子は二重螺旋構造で人間に近いけど違うところも多い。完全に異世界の生物ね」
「他に分かったことは無いのか」
「匂いや音に敏感ね。多少の知能もあるみたいだけど。それと種類が豊富ね。調べていて飽きないわ」
「弱点は無いのか」
「人間と同じような事をすれば死ぬわ。人間より少し頑強だけど。あと美味しくない」
「……解剖して食べたのか」
「調べることが科学者の役割よ。シーラカンスが不味いと分かったのも解剖した人が身を以て調べたからよ」
姫理香の言葉に唖然とした遥香と美咲。だが、進はさもありなんと納得していた。姫理香が生物学の為ならどんなことも行う人間だという事を思い出したからだ。精々自分が解剖されないように気を付けようと進は心に決めた。
「あの」
物騒な話を始めた二人に美咲は質問した。
「お二人は付き合っていたのですか?」
突然の美咲の質問に進と姫理香は溜息を吐きつつも答えた。
「いいえ、今も前も付き合っていなかったわね。互いに接点無かったし忙しかったし。精々気が合う、というか意見が合うので話していただけ」
「それなら十分に付き合えるのでは」
『それは無理』
進と姫理香は声を合わせて答えた。
「互いに自分自身で考えて突き進む唯我独尊タイプだから、互いに歩み寄るなんて無理ね。しかも気が合うのは学問への姿勢だけでそれ以外は付き合いきれない」
「互いに意見交換や相談をするだけでそれ以上踏み込むと互いに破滅する。気の合う一点だけで交流しているだけで、他では衝突するから互いに距離を保っているだけ」
先ほどの姫理香の発言を見るとおり、彼女も世間一般からズレている。コミュニケーション能力あるいは追随や忖度を美徳とする二一世紀の日本では生き辛いタイプの人間で社会から弾き飛ばされた。出なければ八島には居ないだろう。
進と会話が合ったのも進自身もはみ出したタイプであり、そこの部分で共感できたからだった。それ以上関係を深めれば互いに傷つけ合うためお互いに距離をとっていた。
「でも、お二人はお会いしたのですから、将来的にお付き合いする可能性も」
「それはないわね。何しろ進は」
美咲の反論に姫理香が答えようとした時、雷鳴のような音が響いた。




