出撃
完全休養日を部屋の中で過ごして英気を養った特務調査隊第三班のメンバーは翌朝、予定通り班の部屋に入り装備を整える。
「早すぎない?」
最後に部屋に入ってきた遥香が先に入っていた三人に尋ねる。
「準備を整えておく必要があるからな。少し早めに入って確認しておきたい」
一応の準備は一昨日に既に終えているが最新情報の更新や装備の点検は終えておきたかった。
姫理香も美咲も同じで、スマホで情報を確認したり銃の手入れを行っている。
進も自分が運ぶ物資の確認を行っていた。
「うん?」
「な、なによ」
進が鼻を近づけ、クンクンと嗅ぐ。
「良い匂いだ。香料の良い石鹸を使ったの?」
「ええ」
「今すぐそこのシャワー室の無香料の石鹸で洗い直してきた方が良いよ」
「何で?」
「ゴブリンとか鼻が利くらしい。特に自然界で稀少な甘い香りに反応しやすいと聞くからね。甘い匂いに誘われてゴブリンが出てきて戦闘になったら目も当てられないよ」
「分かったわよ。けど、酷いこと言うのね」
「そうかな。善意で言っているけど」
「それが善意? そもそも善良な人が言うモノだと思うけど」
「僕は善良だよ。善良でいられる内はね。まあ、地獄への道は善意で舗装されている、という言葉の如く、捨てないように力を付けようと思っているけどね。シャワー室を奪われてもこれだけ尽くしているんだから」
「ふん」
顔を背けて遥香はシャワー室に入っていった。
遥香のシャワーが終わってから四人は前進キャンプのある砧公園へ向かうトラックに乗り込んだ。八島が調達したのではなく、厚木基地奪回後、周辺に捨てられていた民間のトラックを回収して動かせるようにしたものだ。
国から膨大な金が流れ込んできているが、それ以上に費用が嵩む八島にとって現地で役に立つ物を使うのは当然だった。まして、末端組織だと下りてくる金額も少ない。なので現場判断で落ちているモノが使われる。
厳密に言えば窃盗なのだが、グレーゾーンの中で取り締まる人間はいない。
トラックは護衛の装甲車に守られつつ、東名高速へ向かう。
厚木の周囲はまだモンスターが徘徊しているが。多大な犠牲を払い、無事だった東名高速の橋を確保。対岸に進出し東京インター近くの砧公園に前進拠点を作ることに成功した。
運良くモンスターの進出が鈍った時期で、幸運もあって何とか確保出来た。
このまま都心へ奪回作戦を行おうという話も出たが、神奈川県内のモンスター掃討が終わっていない上、都心に近づくほどモンスターの生息数が多くなる絵、廃墟が多く前進に支障を来した。
何より自衛隊の再編成が終わっておらず、兵力不足のまま攻勢を行えば、ゲート出現ジト同じくあっという間に消耗し大損害を受ける。何より寒い冬に攻勢を行うなど、兵の消耗が激しい。準備を完璧に整えてから本格的な反攻を行うことを決定した。
その間の準備、情報収集や拠点確保などを行うのは下請けたる特殊法人八島。そこに所属する特務調査隊だ。
二三区有数の広さを誇る砧公園だが今は八島の前進キャンプとして整備され多数の要員が詰めている。
だが実体は難民キャンプに近い。モンスターの出現が多く、防御用の柵や塀、避難用のバンカーを作るのが優先され居住設備は最小限に抑えられている。
精々、テントとコンテナを改造した簡易建物だけで他は無い。
そのため、出撃拠点としての機能しか無く、守備兵は数日間、勤務した後後方の厚木に戻って休養することになっていた。
「なのにより危険な場所へ歩いて行くなんて」
キャンプ最東端のゲート前に建った進は愚痴る。
二重の門扉に重機関銃の配備されたゲートの先はかつての東京、今はモンスターの跋扈する魔窟だ。
「そのために給料を貰っているんでしょうが」
「確かに」
姫理香の叱責に進はおどけたように答える。
音に敏感なモンスターを刺激しないため、自動車などは使わず歩きで移動する事になる。
当然、ドローンの使用も無しだ。
「いい、みんな。今回は今日と明日の二日間、ここを拠点に周辺を調査する。日帰りだけど、危険な任務だという事は分かっているわね。でも私は全員で生きて帰ってくることを最優先に考えている。でもそれが出来ないときは、生き残らせることが出来る人間を最優先に考える。いいわね」
他の三人は無言で姫理香の言葉を受け容れる。そういう人間なのだ。
演習の時、撃たれた遥香を見捨てて逃げ出したのは、もう救いようが無いと判断しそれを元に決断したのだ。
非情ではあるが、優柔不断よりまし、そして無意味な命令を言い渡さないポリシーを持つ姫理香は三人にとって頼りになるリーダーだった。
何より危険な場所に命を賭けて飛び込むのだから。
『ゲート開門五秒前』
「開門と同時にダッシュして居住区に入る。一応見張り台があって援護してくれるけど、あてにしないように。物陰からドラゴンが来るかもしれないわ。では全員、走れ!」
姫理香が言い切る前にゲートが開き始めた。進達は無言で走り始める。
環状八号線を越えて住宅街へ入り、物陰に隠れる。
環八は広い道路でモンスターの接近を遠くから見る事が出来る。
だが、同時に遮蔽物が無いために、横断するとき無防備になってしまう。その時間を短くしようと四人とも懸命に走る。
前進キャンプの周辺にも監視所は設置されているが、モンスターの接近を阻んでいる訳ではない。危険は最小限に抑えるべきだ。
しかし二〇キロの装備を背負って走るだけでも大変で実際の距離より長く感じてしまう。
それでも四人はどうにか走りきり、通りの向こう側へ到達した。遥香は既に息を切らしている。
「まだ始まったばかりよ。大変なのはこれからよ」
姫理香が言った通り、任務はこれからだ。
四人は廃墟となった住宅街を進んでいく。
戸建てが殆どで時折アパートが現れるくらいの閑静な元住宅街。運が良いのか、モンスターに会うこともなく、進む事が出来た。
四人の行動は迅速型、程々に確認を終えると一挙に進み止まって周囲の状況を確認してまた進む。
絶対の安全が確認されなければ進まないという手段もあるが、時間が掛かるのを嫌がっていた。何よりモンスターとの遭遇が少ないため過剰な警戒心は不要だとリーダーである姫理香は考えたからだ。
ただ、スマホを使って周囲の状況を確認しながら移動する。上空には自立型の飛行船が、地上には固定式無人探査機が、配置されており、光学あるいは赤外線で周辺を探索している。
全てのモンスターを捉えられる訳ではないが、移動中のモンスターと遭遇するという事態だけは避けることが出来る。
精々、飛び込んだ先にモンスターがいたなどと言う不幸さえ無ければ無事に歩けるという素晴らしいアプリだった。
「ねえ」
二時間も経過すると慣れてきて余裕の出来た遥香が無事なアパートの中で小休止した際に進に話しかけてきた。
「崩壊した故郷に来てどう思う」
不機嫌な声で遥香は尋ねた。
「ああ、そうだな。安心したよ。崩壊して無くなって安堵、いや喜んでいるよ」
「嬉しい? 喜ぶ?」
真面目な声で予想外の言葉にハルカは驚いた。
「なんでそう思うの」
「嘘とやせ我慢で作られた、虚構の町だったからだよ。幸せそうに見えてその裏は苦しくて、表面は綺麗でもその下は醜くて、何より嘘が好きな場所だったよ。本心を言っても誰も喜ばない。自分の信じたいことを嘘を打つ枯れたときだけ喜び受け容れる。そして受け容れた嘘を真実だと思って暮らす虚構の町だ。崩れ去って当然だよ。ここが崩壊しているのを見て安心したよ。塵は塵に。灰は灰に。虚構は虚構に。ようやく現実が現れたんだ。やっぱり虚構の町だったと確認出来て安心しているよ」
「廃墟が安心なの」
「廃墟になってようやく本物が見えたんだ。もう、嘘幻など見たくない。いや、嘘幻が素晴らしいなど思いたくない」
「変わったわね」
「変わったんだよ。ゲートが開く前、いや、開会式の前から世界がね。とっくに価値が変わっていて、それまでの価値観が無意味になっているのにまだ意味があると思い込んでいた。いや無価値だと知っていて価値があるように嘘を吐いて見せかけていたんだ。価値があると言わないと今までの事も、全て無価値になって仕舞うと思い込んでしまって、更に嘘を吐いた。それが積み重ねて何とか生きて来ただけ。前世は嘘の重みで崩落したんだよ。今回は転生と転移が重なって重みが増して早まっただけだ」
進、いや犯罪に走った多くの元ニート転生者達にとって、転生した時点で町は廃墟同然だった。
精々自身の数メートルだけが安全な楽園、シェルターであり、底が無くなれば廃墟、あるいは荒野と同じ。
「ようやく真実が見えたんだから嬉しいよ」
「馬鹿馬鹿しい、そんなのは嫌よ。そんなねじ曲がった根性なんてテロ興連中と同じよ」
「おい落ち着け」
「言っておくけど」
遥香が更に言おうとしたが、それは上から落ちてきた液体に阻まれた。




