進と姫理香の前世
自分が差し出した当然のようにタバコを吸い、煙を堪能している姫理香に進は何も言わなかった。
ようやく煙を吐き出した後、姫理香は思い出したように進に尋ねる。
「あなたもどう?」
「まあ、貰おうか」
タバコを勧められた進は自然な動きでタバコを咥えた。自分が買ってきたタバコだったが気にしない。
姫理香は自分の咥えているタバコを進に近づける。進はタバコを口にくわえるとタバコの先を姫理香のタバコに付けて吸い、火を付け煙を堪能して天井に吐き出した。
見覚えのある動作が終わってから姫理香は進に尋ねた。
「あなた、転生者ね」
「姫理香もだろう」
「ええ、記憶が戻ったのは何時?」
「中学校の頃。同級生に頭ヘッドロックされた状態で殴られた時に思い出した」
「私はハブられてぼっちになった小学校で思い出したわ」
二人とも暗い雰囲気となり話題を変えるべく姫理香が尋ねた。
「あなたの最後はどうだったの?」
「トラックに轢かれて即死」
「よかったじゃないの。苦しまずに死ねて」
「その前がしんどかったけどね」
転生前は酷かった。
大学時代無能教官の研究室に配属され、無意味な研究と雑用を強制された。そのため交感神経が不調で、絶えず筋肉が緊張し二四時間、常に鈍痛がつきまとう。痛みで夜も眠れず、疲労で更に酷い目にあう。
そんな生活を転生前の進は送っていた。
「大学時代からずっとな。心療内科で薬貰うまで八年間止まなかったよ」
「そんな状況で就職していたの?」
「親が就職しろと五月蠅かったんだよ。辛いと言っても怠け病だと言って理解してくれないしね」
自嘲気味に言いつつ進はライターでタバコに火を点けた。
「姫理香はタバコ吸うのか」
「ええ」
「未成年だろう」
転生前は成人だったが、今は互いに高校生だ。
「我慢していても精神的に悪いし。ゴーストが転生前の記憶がタバコを欲するのよ」
「確かに」
進は姫理香のようにタバコを欲しないが、転生前の記憶で行動を起こすことがある。
姫理香は学生時代からストレスでタバコを吸うことが常態化しており、転生前の研究室時代進にタバコを買ってくるように命じたこともある。
「会ったときは吸っているようには見えなかったけど」
「シャワー浴びる前に吸ったりしていたのよ。今なら硝煙に紛れて解らないわ。けど知っていたんでしょう。予めタバコを買っておくなんて用意が良いわ」
「姫理香と聞いてタバコを思いついたからね。もしかしてと思って。酒もやるの?」
「試したけど、上手く行かなかったわ。飲み慣れていないのか、吐く」
「薬は?」
「二度とゴメンよ」
転生前の姫理香は非常勤講師としての生活の苦しさからストレス発散に薬に手を出した。
苦しいだけで何の成果も報酬もない任期制ドクターのポストでは薬による一時の快楽が唯一の慰めだった。勿論、それが破滅に繋がっていると薬をやる前の姫理香も知っていた。
「確かに初めて薬をやったときは本当に嬉しかったわ」
だが他に何があったのだ。
世間は姫理香が窮状を訴えても自己責任だ、努力が足りないと責めるだけ。言えば言うほど苦しい。ただでさえ仕事で無意味な研究を押し付けられ、失敗が解っているにもかかわらず既に上から承認されたからと行って実行を強要される。案の定、失敗すれば実験担当者、姫理香自身の努力が足りないと言われる。
そんな四六時中責められる世間の中で一時の安息を求めるのは罪だろうか。
「あんなに心が晴れやかになったのは小学校以来じゃなかったかしら。塾や習い事、勉強で何もかも苦しいだけだったから。だけど、その後が苦しかったわ」
薬によって確かに一時の安息は手に入れられた。一時的にストレスは発散され、仕事にも前向きになれ、精神は安定した。
だが薬が切れれば反動で苦痛が増していく。
あとは、お馴染みの道、薬物依存症へまっしぐら。かつての快楽を求めて薬の量が幾何学的に増えていく。
週一回が二回に、三日に一度が二日に一度に、一日一回が二回に。
薬の量が増えていく度に姫理香の身体はボロボロになり崩れていった。
そして最後には薬をやっていることがバレて逮捕された。
「逮捕されて安堵したわ。薬を止めることじゃなく、もう仕事に行かなくて良いことに」
薬物依存症の治療を受けて、姫理香は依存の状態から回復した。
だが姫理香の自身の状況は前と同じに戻った、あるいは悪化した。
薬物依存の経歴により仕事の幅がより狭くなり、更に苦しくなった。
結局、姫理香は再び薬物に手を出して、最後には苦しさの余りに自殺した。
その頃の進は引きこもりの状態でネットニュースで姫理香の死を知った。
「で、転生して薬は二度とゴメンと思った。他の道はないかと思って探したけど、結局転生前と同じ。特にあの爆破テロ事件があって大混乱。イライラしてタバコに手を出し始めたわ。その後も上手く行かないことばかりで不満は募るばかり。結局、この学園に入るしかなかったわ。でも薬なんてもう勘弁よ。まあ、タバコを止められないんだから、私のほうが問題なのかもしれないけど」
「そんな事無いと思うぞ。薬以外に安息を心の休息を与えられない世間の方こそ問題ではないのか」
「ははは、進が慰めてくれるなんて」
自分の病気に悩まされて、自分自身の事しか考えられなかった進が顔見知りの姫理香に対してとはいえ人を気遣うなど転生前では考えられなかった。
それだけでも進が変わった証だった。
「まあ、いいわ。けど、薬だけは止めておきなさい」
「わかっているよ。でもタバコを吸って良いのか? 精神はともかく法的には一応まだ未成年だし、ここは禁煙の筈だろう」
「何の法を以て禁ずるというの? ここは日本であって日本でないグレーゾーン。日本の法律はあっても処罰する人間が何処にいるというの。そしてここは私の部隊の部屋であり、私が主。何をしようが勝手でしょう」
「その言葉だけでも、転移門出現で世界が大きく変わったことを実感させてくれるよ」
かつての日本ではお天道様が見ているといって日頃から人目が無くてもマナーを守っていた。何時からか、マナーを守らなくなった。そして今は人目があってもマナーを破る。それが良い悪いかは別として。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何だ?」
「どうしてこんな所に来たの? 貴方なら他にも道はあったはずだけど。名古屋の試験と御殿場の訓練キャンプでの成績を見たわ。今の状況と貴方なら上手く立ち回れば安定した生活を営めるでしょう。若年層が少ないのだし、メカの腕も良い」
確かに転生前に車の整備士をしていたお陰で進は多少メカに詳しい。この混乱した状況と人手不足の状況なら少し上手く立ち回れば八島に来る必要はなかった。
「なによりこんな事してここに転がり込む必要なんて無かった」
「……バカは死んでも直らない。そういうことだろうよ」
進は扉を開けて部屋から出て行った。




