プロローグ
その日のお昼前、飯島介人は、この世界に来て以来、もっとも図体の大きい住民の対応をしていた。
「ええっと、赤龍連合のレッドアイ・クリムゾン3世様、で、ですよね?」
語尾が震えてしまったのは、その巨大な眼にギロリと睨まれたような気がしたからだ。介人は、もらった名刺に書いてある名前をそのまま読み上げただけだ。分厚い羊皮紙の上に、禍々しく赤く光る文字(魔力が込められている)で書かれた名刺にはこう記されていた。『赤龍連合 3代目総長 レッドアイ・クリムゾン3世』と。これだけだと、暴力団関係者にしか思えない。しかし、名前のすぐ下にこう書いてあった。『人間・エルフ・ドワーフから魔法石まで何でも運びます、総合旅客・運送業の赤龍連合!ご用命は、エイルンフィールド市第8区の赤龍連合お客様センターまで!!現在、春のキャンペーン中!!!』
介人は、名刺から顔を上げて、目をこすり、ついでに、自分の頬を入念に3回も抓った。そこまでして初めて、介人は、目の前の現実を受け入れることにした。
彼の眼前には、全長10メートルほどの赤龍が座っていた。しかも、ただでさえ赤い眼と皮膚を、一層怒りで赤くしていた。
「おんどれが、城の役人どもの頭か!?ぶち殺したろうか!?」
赤龍のレッドアイ氏は、口を大きく開いて恫喝してきた。人間一人丸呑みするなんて造作もなさそうな大きさだ。しかも、口蓋の奥には、炎の塊まで見えた。赤龍は、その名のとおり、炎のブレスを吐くことで知られている龍種である。
怒れる龍種を前にして、しかし、介人は、一歩も引かない。顔色一つ変えず、目線を一瞬たりとも逸らさない。その胆力たるは、伝説の龍殺しに匹敵するほどのものであった。だが、介人は、龍殺しでも、勇者でも、英雄でも、戦士でもない。
「おっしゃるとおり、わたくしは、エイルンフィールド市一等政務官(総務担当)、飯島介人です。立ち話もなんでし、一旦座られてはいかがでしょうか?」
介人の職業は、異世界の片隅にある都市国家エイルンフィールド市の公務員であった。
「……なるほど、お話は分かりました」
事情はこうであった。レッドアイ総長の経営する赤龍連合は、ライバル関係にある青龍同盟と並んで、エイルンフィールド市の航空業界を牛耳る2大勢力の一つである。規模こそ全然違うが、日本におけるJALとかANAと同じような位置づけの企業であるようだ。さて、その赤龍連合社だが、先日、エイルンフィールド市役所より、突然、業務中止命令書が送られてきたそうだ。赤龍連合としては、寝耳に水というわけで、こうして総長(社長のようなものだ)直々に殴り込みにきたというわけであった。
「わしらには、魔王様からいただいた特許状があるのじゃ。なんで、おんどれらにやめろなんて言われなあかんのだ!」
レッドアイ総長は、懐から一枚の古びた羊皮紙を取り出した。そこには、禍々しく光る黒色の文字で確かに、『赤龍連合に、余の領土の空を飛行することを許可する。第8代エイルンフイールド王 クライシス・フォン・クローヴィス』と記されていた。ちなみに、エイルンフイールド王というのが、通称魔王と呼ばれる存在であり、クライシス王は、勇者革命によって王位を失った最後の魔王になる。
「どうじゃ、紛れもない本物の特許状じゃ。これで文句なかろう!」
禍々しく光る黒色の文字は、魔王がその魔力を込めた直筆のものだと、介人にもすぐに分かった。(この世界には、役所の必須アイテムと言える公印がなぜか存在しておらず、代わりに、魔力を込めることで本物であることを示しているようだ。)
「……そうですね。見たところ正真正銘の特許状のようですね。そうなると、なぜ、あのような中止命令書が出たのか……。少し確認させてもらってよろしいでしょうか?」
勇者革命によって、魔王はいなくなったが、だからといって、魔王時代になされた行政処分(許可や命令等々)が全て無効になるというわけではない。そんなことになれば、社会基盤が土台からひっくり返ってしまう。仮に日本政府が転覆したとしても、新政府は、旧日本政府下の各都道府県公安委員会が発行している運転免許証を全て無効にはしないだろう。(もしそうなれば、経済的・社会的損失は計り知れない。)特許状という名称こそ中世的だが、現行法に照らせば、その内容は『エイルンフィールド市上空に利用に関する法律(通称飛行法)(勇者歴元年6月27日法律第389号)』に基づく、許可処分と何ら効力上の違いはなかった。
となると、中止命令が出た理由は、無許可で、航空業を営んだせいではない。理由は別のところにありそうだった。
「赤龍連合様宛に送られてきた、中止命令書がございましたら、見せていただけませんか?」
レッドアイ氏は、その血走った赤い大きな目で、ギロリと介人を睨んだ。しかし、介人は、今度は、どこ吹く風という表情で受け流す。初対面こそ赤龍種の巨躯にド肝を抜かれたが、慣れてくればどうということはなかった。日本の某市役所に勤めていたときにたまに相手をする羽目になった、髪の毛を金髪にした輩とか、刺青をわざとらしく見せつけてくる輩と基本は同じだった。すなわち、ビビったら負けだ。慣れろ、である。
レッドアイ氏は、懐から丸まったくしゃくしゃの紙を取り出した。どうやら、中止命令書のようだった。仮にも公文書なのだから、少しは丁寧に扱えと介人は思う。無論、声には出さない。オンブズマン(この世界ではまだ見かけていないが)よりも先に、レッドアイ氏のブレスで黒焦げにされてしまう。
さて、中止命令書もわら半紙の上に、青い魔力を込めた文字で書かれている。つまりは、紛れもない本物だということだ。介人は、目を細めて、その内容に目を通す。一読して、介人は、徐に告げる。
「……なるほど、許可条件、この場合ですと、特許条件違反と言ったところですね」
許可条件違反、それは、文字通り、許可(法令に基づき一般的に禁止されている行為について、特定の場合又は相手方に限ってその禁止を解除するという法律効果を有する行政行為)の条件に違反することである。本件で言えば、赤龍連合は、特許状で認められた航路以外でも営業を行っていたため、『飛行法』に基づき、業務中止命令が出されたというわけだった。
レッドアイ氏の血走った目がにわかに大きく開かれた。正直怖い。
「……この場合ですと、市役所といたしましては、飛行法第45条の規定に基づき、業務中止命令を出さざるを得ませんでした」
介人は続ける。
もし、赤龍連合が、許可を得ていない航路で事故を起こしたら、それだけ大きな問題になったか想像に難くない。特に、航空産業の場合、その被害や影響の大きさは計り知れない。
「……とはいえ、いきなり業務中止命令を、それも事前の連絡もなく出したのは、こちらとしても、少々不手際であったことを認めざるを得ません」
法律上は、違反行為があれば、ただちに監督処分(中止命令や是正命令など)を出すことが可能だ。というよりは、出さなければならないというべきか。しかし、通常実務においては、前段階として行政指導を行ってからということが圧倒的に多い。行政指導とは、法的強制力のない任意のお願いである。それゆえに使い勝手がよく、大事にもならずに済むという利点がある。本件で言えば、いきなり中止命令書を送りつけるのではなく、まずは、許可されていない航路以外での営業が、飛行法の違反状態であることを告げて、折衝を図っていくべきだったのだ。
伝えるべきことは伝えるが、引くべきところでは一歩引く。日本では公権力を振りかざしていると、マスコミや世論からの手痛いしっぺ返しがある。この世界では、物理的に手痛い―場合によっては手ばかりではすまないような―しっぺ返しに遭ってしまう。そのあたりのバランス感覚が何よりも、公務員には求められる資質であろうと、介人は思う。
「……うちも、許可された航路をよう確かめんまま営業していたわ。その点は申し訳なかった」
激高状態が収まったレッドアイ氏は、その巨体を折り曲げて深々と頭を下げた。
「……ひ、ひえ」
介人はあやうく謝罪してきた相手に踏み潰されそうになった。
「それで、うちはどないしたらええんや?」
ここまでくれば、あとは、事務レベルの話だけだ。
「それでしたら……」
今日一番の大きな案件を片付けた介人は、午後からも、部下が起こした問題の火消しに追われた。本日窓口を担当しているエルフ族のアリーシア嬢は、今日も陳情にやってきたトロールの消費者団体と口喧嘩を始めた。その隣では、ロワイスがエルフの森林組合と何やら険悪な雰囲気だ。元々エルフ族とドワーフ族は仲が良くない。加えて、ロワイス氏は土木担当であり、今、エルフの森林地帯を突き抜ける幹線道路の敷設を目指していた。おそらく補償金関係でこれからもめてくるだろう。
胃痛を感じて、介人はトイレに駆け込んだ。個室のドアを締切ると、介人は叫んだ。
「異世界に転職なんてするんじゃなかった!」
美少女もチート能力も魔法もハーレムも何もない。何もなかった。あるとすれば、机の上に溜まった山積みの書類とひっきりなしに発生する問題の数々。
飯島介人の職業は、異世界の市役所に勤務するしがない公務員であった。
勢いで書いているので、おかしいところはおいおい直していきます




