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音楽教室で


「ごめん、ここ座ってくれるかな?」

 阪口君は庭に向いたソファを沙紀に勧め、自分は少し離れて腰を下ろした。

「うちの父親が言ったこととかしたことで、嫌なことはなかったんだね?」

「何にも。とっても楽しかった。私、男の先生苦手なんだけど、信也さんは大丈夫だった。私のピアノお行儀いいとか言ってたから、少し力が抜けるようにしてくれたんだと思うよ?」

「うん」


「大丈夫、黙っておくから。すごいピアニストだってことは言ってもいい? 去年の発表会出てたんだから知ってる人もいるよね?」

「ピアニストだったのはあの人のお母さんで、あの人は何なんだか」

 阪口君は眼鏡をはずすと自分の膝に肘をついて前屈みに顔を隠した。沙紀は何を話していいかわからない。沈黙は怖い。


「阪口君が眼鏡をはずすときって、相手にリラックスして欲しいときなの?」

「え?」

 肩がギクッとしたようだった。前屈み加減のまま顔を振り向けて、背筋を伸ばして座っている沙紀と目を合わせた。

「君には隠せないのか。そうだね。眼鏡って冷たく見えることがあるし、相手に気持ちが伝わるか心配なときにはずしたくなる……かな」


 学校での阪口君と違う。何か話したいことがあるのに迷っている。「フォローが要る」って言ったのはどういう意味だろう。黙って座っていればいいんだろうか? もじもじしてしまった。

 窓の向こうの庭ではほんのり色づいた藤の花が池のほとりで揺れている。


「僕がここに座っているのは大丈夫?」

「え? もちろん」

 一人分くらい間を置いた隣だ、さっきからドキドキはしているけれどイヤじゃない。さくら先生への試演直前の気分に似ている。

「あの人僕のこと何か言ってた?」

「信也さん? えっと夏樹は気にしぃだって」

「気にしぃにもなるだろ、普通」

 また独り言を言ってうつむいた。

 

「うちが神社だってことは聞いた?」

「うん、みのり先生から。お琴が弾けるんでしょ?」

「あ、えっと琴っていっても(そう)のほう。(きん)じゃなくて」

「どう違うの?」

「普通みんながお琴って呼んでるのが筝」

「じゃあ合ってる。私がお琴だと思ってるのが弾けるのね。すごいじゃない」

(きん)が弾けるほうがすごいんだ。筝は調弦すれば何とか音程は保てる。琴はね、左手で弦を押さえなきゃならない。自分の耳だけが頼りなんだよ。それをあの人は弾いてしまう。七弦琴って正倉院にあるような楽器なんだよ? 光源氏が得意だったとかいわれてる。そんな楽器を復活させちゃった」

「すごいのね、お父さん」

 お父さんが天才過ぎて困ってるのかな。手綱を取ってるのは夏樹君のほうってみのり先生は言ってたけど、そんなに簡単じゃなさそう。


「あの人あれで神主なんだよ」

「やっぱり? でもピアノ弾いてるところからじゃ想像できない」

「できないよね。うちの神社は音楽の神様をお祀りしてて、あの人はその生まれ変わりじゃないかってよく言われてる」

「そっか、それならなんか納得。ピアノもお琴もできて、子供っぽくてもいいかなって思うな」


「それ騙されてるから」

「だまされてる?」

「さっき言ってたじゃない、子供なのは表面だけ、ちゃんと大人だって」

「だってすっごい難しい曲、転調してコード習えばある程度は弾けちゃうんだって見せてくれたのよ?」

「あの人はね、基本子供でいたいんだ。大人の世界は辛すぎるらしい。でもそれだけじゃなく、今日みたいにわざと子供の振りをすることがある。それを瀬川は見抜いちゃったんだよ」

 急に呼び捨てされた。でも距離が縮まったみたいで嬉しかった。


「何の曲だったの?」

「リストの愛の夢」

「ああ、大好きなヤツだ」

「私もあの曲とっても好きで、何とか弾けるようになりたくて、でも急がなくていいって」

 そういう言葉をくれたわけじゃないけど、そんな意味だったと思う。


「阪口君、お父さん嫌いなの?」

 他の人、例えば学校で会う人達とは接し方がとことん違う。お父さんのことになるといつもの礼儀正しい阪口君じゃなくなる。

「瀬川にだから正直に答えるけど、はっきし言って、めんどくさい。すぐヘンなことに首を突っ込むし、周囲をひっかきまわす。そのフォローは大変で手ばっかりかかるのに、悔しいことにとっても好き」


 少し頬を染めて外を見ながら話した。

 沙紀はそれを見て手のひらが熱くなるのを感じた。阪口君の悪友たちなら「夏樹、ファザコン〜」って冷やかすだろうに。沙紀は本人に出会ってすごさを目の当たりにしてしまったから、阪口君の複雑な気持ちがそのまま身体に入ってきた気がする。


「今、悩みとか、ある?」

 静かな声で訊いた。

「私? 私は……そんなに……最近阪口君を見てて自分はダメダメだなあって思うけど。私ってピアノばっかりで他に何ができるわけでもなくて、両親働いてるからお夕飯くらい作ってあげられたらいいかとも思うんだけど、『指怪我したくないでしょ』なんて言われてそのまま甘えて。阪口君は何でもできるからすごいなって、誰にでも優しいし、私は心が狭くて自分のことばっかり」

 沙紀は自分のことを語るのは不慣れで文章が切れ切れだ。


 阪口君が顔を向けた。

「僕は君が羨ましいよ。やりたいこと一つ見つけてそれに全力でぶつかってる。ほんと、羨ましい」

「うそ、私こそそっちが羨ましいのに」

 目を合わされて逸らせなかった。眼鏡なしで真面目な顔をした阪口君はゾクっとするほどキレイだった。


「僕はね、瀬川……君が……好きだよ」

「え?」

 ――好き? 好きって言った? 阪口君が私のこと、ス……キ?

 トクリと心臓が跳ねた。うつむいたら自分の手が震えていた。どこを見ていいかわからない。窓の外を見ても目に何も映らない。

 ――えっと、こういうときどう答えるんだっけ? 何か言わなきゃ、なにか。


「あ、ありがとう」


 ――告、られた? 私、告られたの? 生まれて初めて、男の子から好きって言われた。それも阪口君から……。


 阪口君は身を起してソファの背にもたれ、ため息を吐いた。

「言っちゃった」


 弱々しく微笑んでからゆっくり話しだした。

「僕の父親はあんな風にわけわからないけれど、まあ、スーパーマンなんだ。ピアノ、歌、踊り、雅楽、今のところ僕が敵うものは何もない。あれだけピアノ弾くのに柔道なんかまでできる。普通やらないだろう、怪我するからって。勉強も中学から私立」

 阪口君がどんどん早口になっていく。


「みんなは僕があの人の面倒見てるって言うけれど、違う。僕は毎日あの人の凄さ見せつけられてうろうろしてるだけ。せめてひとつ、ひとつだけでもこれがやりたいって選べて、あの人を追い越せたらどんなにかいいだろう? すぐには追い越せなくても、これで勝負するんだって決めてそれに打ち込むことができたら。それだけできっと楽になれる。君を見てて思うんだ、僕にピアノは無理だ。挑戦してはみたけど脳の構造が違う気がした。去年の発表会の君のショパンに感動した。同い齢でここまでできる子がいるって、僕も頑張れば、何か一つを一生懸命やれば君みたいになれて、いつかはあの人に追いつけるんじゃないかって」


 学校では落ち着いて余裕たっぷりに見えていた阪口君が、ここ音楽教室では自分を見せてくれた。ふたり一緒にドキドキしてた。


 おもむろに眼鏡を取り上げてかけた。

「好きって言っちゃったけど気にしないで。今すぐ付き合ってとかそういんじゃないから。僕の気持ち知っておいて欲しかっただけだから」

 阪口君の声がいつもの温かさを取り戻す。


「私の気持ちは聞かないの?」

「嫌われてはないかなって思ってる」

 沙紀は緊張していたはずなのに、クスリと笑ってしまう。

「男子苦手なくせに僕は大丈夫みたいだし」

「阪口君と信也さんとうちのお父さんは大丈夫」

「ほら、またあの人に嫉妬させる」

「しっと?」

「そうだよ、あんな楽しそうにピアノ弾いて笑いあって、あの人にだって、君にだってヤキモチやいたよ」

 口をとがらせはしなかったけれど、阪口君の口調は信也さんの子供っぽい話し方にちょっと似ていた。


 すっとまた真面目な顔に戻って言った。

「君の前のピアノ教室がなぜ潰れたか、僕は知ってる」

「前の? うちの近所の? よく憶えてないんだけど、いつのまにかあの先生いなくなってたわよ?」

「父が潰した」

「信也さんが?」


「大人のあの人を怒らせると怖いんだ。君が憶えてないんなら、知らないほうがいい」

「え、気になるじゃない。なんで?」

 阪口君は沙紀の顔色を確かめてから答えた。


「うちの神社に来る人は大抵、『ピアノが上手になりますように』とか、『リサイタルであがりませんように』とかって祈って帰る。絵馬を奉納するところがあって、えっと、木の板に願いごと書いてぶら下げるとこ、わかる?」

「うん」

「そこに『ピアノの先生を殺して下さい』って書いたのが掛けられて、父さんが急いで調べて。君が男嫌いになった理由のひとつなんだろう、あの教室で酷いことがあったんだ。男はバカだからすぐ女の子を傷つける」

「私よく知らない。自分で女の先生に習いたいって言ったからここに移ったらしいんだけど」

「三年生の頃だ、何か嫌な雰囲気を感じ取ってたんじゃない? 絵馬を書いた人は高校生だった。君はまだ子供だったから」

「そう」


「ごめん、言わないほうがよかったかな? もっと男信じられなくなる? でもみんなと仲良くなってから僕を選んでくれなきゃ不本意だし。今のところ選択肢は、君のお父さんと僕の父と僕の三人だけなんだろう?」

 また笑ってしまった。深刻な話をしていたのに、阪口君が相手だと柔らかい心のままでいられる。


「阪口君、歌うほう頑張ったらいいと思う。ここ、声楽専門の先生がいるんでしょ? 信也さん確かに歌上手だったけれど、付け入る隙がありそうな気がする」

「あの人の歌まで聴いたの?」

「うん。『練習しに来たピアノには、ヘ〜ンなオジサン座ってて』って」

「またバカなこと歌って。でもやっぱり全部企まれてる」

 そう言って頭を抱えた。


「たくらまれてる?」

「うん、父は君が誰だが分かってたし、僕が君に気があることも気付いてた。僕の声楽が終わるの見計らってわざと仲良くなった。うちに帰ったら『夏樹にカノジョができた歌』かなんかを歌ってる」

「私、彼女?」

「いや、まだだけど」

 顔見合せて笑った。


「そろそろ行かなきゃね」

 揃って立ち上がった。

「どうもありがとう」

「こっちこそ。送ってかないで大丈夫?」

「自転車だから五分もかからない。まだ明るいわ」

「じゃ、いいか。僕もちょっとだけ神さまの力を授かってるからあてにして。いつも応援してる。何かあったら僕が守るから、学校でももう少し、男子と話してみたらいい」

「うん」

「それで僕を好きになってくれたら嬉しい」

 阪口君が赤面しながらそう言って、沙紀は一層赤くなった。


「じゃ、明日学校で」

 阪口君はバイバイという暇もくれずに出口に向かって行った。

「もう好きなのに……」

 沙紀はその背中にそっとつぶやいた。


阪口信也がどんなにヘンかご興味ありましたら、シリーズ作「おやしろの信ちゃん」や「帰ってきた人」をお覗き下さい。

(と、宣伝をさせてもらって)


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