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ピアノ教室で


 二日たってピアノ教室の日だ。放課後、学校からそのまま向かった。

 後藤音楽教室は大きい。玄関は自動ドアで広い待合室がある。従姉の結婚式があったおしゃれなホテルのロビーみたいだ。

 いくつかのソファの向こうにアップライトピアノが一台置いてあり、その横は全面ガラス張りで和風のお庭に面している。庭の右奥に別館が見える。本館ではピアノ、それ以外の楽器は別館で教えているらしい。


 待合室で少し指慣らしをしただけで、渋谷(しぶや)みのり先生の待つ二階の第二ピアノ室に行った。一回弾いたら先生は

「あら、今日はひどくでこぼこね、何かあった?」

 と訊いた。

 明らかに沙紀の練習不足だが、「渡辺美佳ちゃんの失敗に呪われたかもしれない」と思ってしまった。

 音楽の先生がドファラを弾き間違えるなんてあり得ない。ミスタッチを恐れる余りにテンポが狂った。美佳ちゃんを呪い返してやりたい。

 

「先生、でえまいなあって何?」

 できる限り聞こえた通りに発音してみた。

 渋谷先生は何故か「目をつむって」と言った。

 ふわりと先生のシャンプーの匂いがすると軽やかな五音が聞こえた。


「何だった?」

「レファラファレ」

「Dマイナーよ」

 先生は今度は三音を同時に弾いた。

「レファラ、この和音の名前がDマイナー。DはABCDのディーよ」


「和音に名前があるの?」

「あるわよ。前のお教室でもう習ったと思ってたわ。瀬川さん左手も器用だから、片手ずつ練習して合わせるのがすぐできるものね。和音の話あんまりしてないね」

「ドミソやドファラにも名前ある?」

「ええ、CとかFとか。コードって言うんだけど」

「そう……なんだ」


 沙紀は音楽室での場面を思い浮かべた。

 あの時阪口君はドの代わりにレを弾いてしまった美佳ちゃんに、レファラだよって言ってあげたんだ。

 

「阪口君ってここの生徒?」

 後先考えず口にしてしまった。

「さかぐち……夏樹君? そうよ、よく来てるわ」

「私より上手?」

 渋谷先生は「ヘンなこと気にする子ね」といった顔をした。


「ピアノは沙紀ちゃんのほうが上よ。夏樹君は別館の生徒だもの」

 みのり先生が沙紀を下の名前で呼ぶ時は「雑談中」の合図だ。

「別館ってバイオリンとか?」

「ううん、雅楽と声楽かな」

「ガガク?」

「お琴とか弾けるのよ、おうちが神社だから」

「お琴って男の人も弾くの?」

「あら、雅楽ってもともと男の人ばかりだったんじゃない?」

 阪口君がお琴を弾く、不思議に似合う気がした。


 一度話題にしたら止まらなくなった。

「阪口君は校長先生のお気に入り?」

「何それ、お気に入りとかはないわよ、校長先生には。みんな可愛い教え子」

「だって校長先生のこと『さくらさん』って呼んだ」

「それはただ、別館には他にも後藤先生がいるからよ、息子さんの司郎(しろう)先生とか」

「そうなんだ。何で知ってたんだろう、私がここの生徒だって」

「去年の発表会、いたんじゃない? 夏樹君は土曜の部で歌唱だったけど、日曜日お父さんがピアノ弾いたから」

 ああ、そうかと沙紀は納得した。


 でも次の疑問はお父さんのほうだ。おじさんの生徒さんなんていただろうか?

「校長先生のピンチヒッターで男の人が出たの聴かなかった?」

「えー? あのイケメンの人? プロだと思ってた、服もコンサートみたいだし、すごい上手で。『月光』の第三楽章だけすごい迫力で弾いたの」

「すごい」を連発してしまう、そんな人だった。


「そうそう、あの人が夏樹君のお父さんなのよ、困ったことに」

「どうして困るの? 阪口君、どうしてもっと威張らないの?」

「威張りたいかどうか疑問だわ。最近はここに来ても第一ピアノ室に直行なのかな。校長先生が淋しくないようにピアノ弾いてあげてるみたい。『さくらさんは僕のお祖母ちゃんのひとり』って言ってたし」


 みのり先生はそこでため息をついた。

「困るのはね、もう四十才越えてるのよ、私より年上なのに子供っぽいの。『あ、みのりちゃんだあ、こっち来て来てピアノ弾いて。えっとねー、今日はねー、ピーターと動物たち。新しい振り付けで僕が踊るから。さくらさんに見てもらうんだ』とかっていうの。さくら先生はにこにこ眺めてて、私はドキドキしながらピアノ弾いて、だから出くわしちゃうと大変なのよ」


「どうしてそんななの? おかしいの?」

「天才なんだって。才能があり過ぎると変人になりやすいのよ」

「阪口君は? 夏樹君も変人になる?」

「あの子はならないわね。才能はきっと同じくらいすごくあるのよ。でもコントロールが()くの。天才より秀才なのかな。その困ったお父さんの手綱(たづな)を引いてるのが夏樹君だってみんな言うからねえ。夏樹君のほうが上手(うわて)なのね」


「何かすごい人なんだ、阪口君って」

「いつも誰にでも優しいでしょ?」

「うん、初めて同じクラスになって急に話しかけられたからびっくりした」

「それでピアノの練習そっちのけで上の空だったんだ?」

 みのり先生が冷やかしてくる。


「だってぇ……新しい音楽の先生がピアノ下手っぽくて、ドファラ弾こうとしてミスするんだもん。期待できないなあってがっかりしてたら隣で楽しそうなんだよ?」

「ドファラがレファラになっちゃって、夏樹君がDマイナーって言ってどうなったの?」

「別にぃ、先生がごめんって言って阪口君は眼鏡はずして目をつむってた」

「心配いらない、リラックスすればいいよ」

「え?」


「夏樹君は慣れない先生にそう言ってあげたかったんじゃない?」

「どうしてそうなるの?」

「いつもそうだから。お父さんの心配ばっかりしてるせいなのか、夏樹君はすぐその場を丸く収めようとするのよ。失敗しちゃったらすぐ応援してくれる」

「そんな小学生いない」

「夏樹君に会うまでいないと思ってたわ。例えばさっきの『ピーターと狼』ね、私が困ってるとするじゃない。もし夏樹君がそこに現れたら、すっと楽譜探してくれて

 『信ちゃん、ピーターからでいいの? 順番は?』

  信也さんが『うんと、出てくる順!』って叫んで、

 『OK、じゃ、渋谷先生僕が譜面めくりますんで』って言うの。

それでついでに動物の声を歌にして、お父さんの踊りに合わせちゃったりするのよ」


「ふう〜ん」

 想像がつかない。

 まずは阪口君のお父さんという人が思い描けない。あのカッコいいピアニストが子供言葉を話すなんて。

 阪口君が楽譜をめくるところは分かるとしても。

 

「沙紀ちゃんも下手に演奏すると夏樹君に手伝われちゃうわよ?」

「手伝うって?」

「声でメトロノームになってくれたり、つっかえたところから歌ってくれたり」

「歌そんなに上手? 学校ではあんまり目立たないよ?」

 沙紀は過去の記憶を探ってから言った。合唱のクラス別発表でもソロ歌ったりしたの見たことない。


 みのり先生は驚きもしない。

「じゃ、目立たないようにしてるんだわ。さあ夏樹君のことはまた本人にでも訊いてちょうだい。もう一回今日のとこ弾いて」

 いつもよりかなり長い雑談時間は終わってしまった。


 ピアノのほうは、「でえまいなあ」の謎が解けたせいか、一回目よりするりと弾けた。

 他の謎が深まった気もするけど、阪口君はすごい人で音楽が得意。それだけは分かった。

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