それぞれの朝
「うへへぇ~。昨日は楽しかったなぁ、リルバさんと仲良くなれたし……それにあの抱き心地……うへッ……」
などと、リルバの逞しくも柔らかい、健康的な肉体を思い出し、乙女を捨てた腐った女の子のような、だらしのない顔でニヤつきながら町を歩いているのはフレイシアである。
「ふふふ。憎っくきエルアランめ……この私は完全復活を果たした! いつぞやの借り、必ず返してくれるわ! ……くっふっふっふ~」
(おかーさん、あの人変な顔してるー)
(シッ! 見ちゃダメよ!)
周りに聞こえるような声量ではないが、百面相しながら歩いているためか、正面の通行人達は彼女を避けるように道を空けている。
そんな周りの目などお構いなしに、彼女はリルバに会うべく、ギルドに向かっていた。
ミーランとエルアナがいない事で、だらしない部分が出たのか、今朝は少し寝坊して遅めの朝食を宿で摂った。
その際、給仕をやっていた犬獣人のルーリーに、リルバなら、すでにギルドに向かったと教えてもらったのである。
折角仲良く慣れたのだから、今日は一緒に依頼を受けたいと思ったフレイシアは、リルバを追ってギルドに向かうことにしたのであった。
宿を出た彼女は、気の緩みから、髪を束ねるのも忘れ、銀青に煌めく長髪をゆらゆらと揺らしながら、機嫌よく町を歩いている。
表情さえ緩んでいなければ、誰もが見惚れる美少女なのだが、残念である。
「少し遅くなっちゃったしな~、リルバさん、まだ居るかな~?」
フレイシアは少しと言っているが、リルバが宿を出てから、すでに二時間ほどが経過している。
すでにギルドにいなかった場合は、受付で行き先を聞いて、手伝いに行こうかと考えていたのだ。
「ん?」
そんなフレイシアは、ギルドに近づくに連れ、どうにも周りが騒がしいことに気がついた。
更に進み、ギルドの入り口が伺える距離まで近づいた時。
(もっと武器を集めろ!)
(くそぉ、今この町には四つ星以上の冒険者は居ないんだぞ……)
(あのスプリガンが出たってほんとなの?)
(あのまま居なくなっててくれればよかったのに……)
(急げ! とにかく準備を急ぐんだ! 必要な物資を馬車に詰め込め!)
(あの馬鹿……リルバの奴、一人で飛び出していきやがって!)
ザワザワ、バタバタと騒ぐ若い冒険者と住人達の会話の中から、彼女は信じられない言葉を――信じたくない言葉を拾ってしまった。
先程までのだらしない表情から一転して、フレイシアの眼光は鋭いものとなった。
同時に、感情の起伏に反応してか、彼女の体からとてつもない魔力が溢れ出した。
その冷気を孕んだ強烈な魔力は、少し離れたギルド内の者達にまでも届いていた。
「「「「――――ッ!?」」」」
少し間があって、我を取り戻した冒険者達が、何事かと外へ出てきた。
そして辺りを見渡した彼らは、この強烈な魔力の元凶、フレイシアを目にした。
悪寒を抱かせる威圧感を放ちながらも、銀青の長い髪をたなびかせ、凛と佇むその姿は、不思議と眼を引きつける魅力を感じさせた。
その彼女は今、一人の冒険者の両肩を掴み、冷たく、鋭く、そして力強い眼差しを向けている。
掴まれている冒険者は、怯え、震えながらも、必死に言葉を紡いでいた。
「リルバの奴は……もう随分前に郊外の林に向かったよ……聞いた話じゃあ、馬を借りて行ったらしい。で、おやっさん――ガジルの旦那達、三つ星の冒険者達は、リルバを追って、大急ぎで追いかけて行ったから、時期に追いつくはずだ……と思う。は……林は、東門から出て、道沿いに行けばいい」
話をを聞き終えたフレイシアは、冒険者を開放してつぶやく。
「そう……。ユイ、『涼風の双翼』」
パートナーである上位精霊のユイに指示を出したフレイシア。
言霊を聞いて、ユイは魔装を発現させる。
凛と佇む彼女の背に、絵画に描かれる堕天使のような、大きな翼が顕れた。
「キレイ……」
誰かが零したその言葉。
細々とした霰を散らせる彼女の翼は、根本が黒く、太く、先端に行く程に白く、鋭い。
空中に散らされた霰が陽の光を反射し、どこか幻想的な雰囲気である。
「ユイ、急ぐよ」
焦り、リルバを追うことしか考えていないフレイシアは、周りの視線などお構いなしに飛翔し、その場には煌めく霰だけを残して飛び立っていった。
「あれは……魔装……」
「覚醒者……だったのか……」
「エレメンター……」
この世界に生きる人形種族の殆どは、精霊を宿し生まれてくる。
司る属性の光を放つ、守護精霊と呼ばれる精霊達。
多くの者は、実体を持たず、淡く輝く光の粒、下位精霊を宿している。
ウィスプ達は殆どの時間を宿主の体の中で過ごすが、時折、気まぐれに外に出て、フワフワと漂っている事もある。
一方、上位精霊を宿す覚醒者達は、エレメンターと呼称され、エレメントは、何らかの生物の姿を模した実体を持っている。
エレメンターは、希少な存在であり、己のエレメントを操り、武器、防具、装飾品に変身させる、もしくは、己の肉体と一体化させることが出来、その力は強大と言われている。
このように、エレメントを変身させる能力が“魔装”である。
本来、多くの魔力を消費する魔装を発動し、維持し続けることは非常に困難であるが、フレイシア達は訓練によって、日がな一日維持することが出来るようになっていた。
常に魔装を身に着けていた事で、一目見ただけだは、エレメンターであることを、周りに気付いてもらえなかったのである。
◆◇◆
そんなフレイシアが林を目指して飛び立った少し前のこと。
ブレの町から少し離れた南の空に、ヤマンバ族が管理するフェアリーファームでの用事を済ませた、ミーランとエルアナの姿があった。
「ヤム……ヤム……なの……」
「んふ~! おいしいね~!」
二人が食べているのは、集落で手に入れたであろうソフトクリーム。
現在はエルアラン形態ではなく、それぞれで飛行している。
発射役のフレイシアが居ないことと、帰路を急ぐ理由がないこと、何より、折角のソフトクリームを台無しにしないために、のんびりと空の散歩を楽しんでいた。
「それにしても、とんでもない事件だったの。急いで来た甲斐があったの」
「そ~だね~。グラスペコラの赤ちゃん可愛かったぁ~」
エルアナが言ったグラスペコラというのは、羊のような家畜である。
ヤマンバ族が放牧し、育てている家畜の一つだ。
先日、ミーランが受けた連絡の正体は、このグラスペコラのメスに、出産の兆しがあり、出産をミーラン達に見せるために呼び出したのであった。
初めて集落を案内してもらった際、ちょうど妊娠しているグラスペコラを見かけていた彼女達は、案内に着いていてくれたヤマンバ族と、ある約束をしていたのだ。
近々出産をするなら、その頃までは近くに居るだろうから、是非呼んで欲しいと。
その約束を果たすために、ヤマンバ族は人騒がせな連絡手段を用いてしまったのである。
黄色で信号を送ってきたヤマンバからすれば、ただのおちゃめ心だったのだが、そのせいで、ミーラン達は約束のことが頭からスッポリと抜け落ち、何か危険が迫っているのではないかと、大急ぎで飛んで行ったのであった。
「あの小さい角を見ると、エルが赤ちゃんの頃を思い出すの」
ミーランは生まれたばかりのグラスペコラを思い浮かべながら、出会った頃のエルアナとその姿を重ねて、そんなことを呟いた。
旅に出るまでの間、フレイシア、ミーラン、エルアナとその母親達、計六人は、フレイシアの育ての親であるステリアの家で暮らしてきた。
まだフレイシアとステリアが二人だけで生活をしていた頃。
空き家となり、当時はもう使われていなかった、フレイシアの生みの親であるノーリン・ハートが住んでいた家を掃除に行った際、誰も居ないはずのその家に、一人の女性が逃げ込んでいた。
その女性とは、ちょうどエルアナを身籠っていたディアブロ族の女性、ベアータである。
フレイシアとステリアが彼女を発見した時、彼女は破水を始めており、逃げ込んでいた事情はさておき、フレイシアとステリアは、彼女の出産を手伝うことにした。
そして、急ぎフレイシアの祖母である、医者のミケット・ハートを呼ぶことで、エルアナを無事出産するに至った。
ベアータの事情を聞き、数日ベアータの体調が整うのを待って、彼女達もステリア家に居候することになったのである。
ここまでの話はミーランも聞いただけのものである。
ミーランとその母親、カレット・ダイスが合流したのは、ベアータの引っ越しが完了した頃だ。
ミーランとカレットがステリア家にやってきた理由はまたにして、赤子であったエルアナは、皆に、とにかく可愛かがられていたのである。
もちろん、ミーランもエルアナを溺愛しており、抱いているエルアナがじゃれついてきて、時折、生えかけの小さな角に、チクリと刺された事などを思い出して、ほっこりしていた。
「も~! 恥ずかしいからやめてよ~! エル覚えてないもん!」
自分では覚えていない昔話を持ち出されて、いつもは無邪気なエルアナも、さすがに恥ずかしいようであった。
「ベリーキュートだったの……でもエルは今も可愛いの」
「ミィお姉ちゃんのいじわるッ! ――ッ!? これ……シアお姉ちゃんの」
すでにアイスを食べ終わった二人は、昔話などをしながらじゃれ合っていたのだが、そんな時、ブレの町の方から、よく知った魔力を感じ取った。
町まではまだ距離があり、本来感じ取る事は出来ないのだが、三人の魔力の波長はほぼ同じと言っていい程に似通っている。
フレイシアの魔法によって、波長を調律しているのだ。
その為、多少距離があろうと、今回のフレイシアのように魔力を膨れ上がらせれば、大方の居場所を感じ取ることが出来る。
「様子がおかしいの。シア……キレちゃってるの……」
「……どうしたんだろう。ねぇ、シアお姉ちゃんが怒るのって」
「多分そうなの。誰かがひどい目に合ったか……誰かに危険が迫ってるの」
「お姉ちゃん急ごう! シアお姉ちゃん、すごい速度で移動してるよ!」
滅多に見せないフレイシアの怒り。
余程のことがあったのだろうと、二人の表情に焦燥が現れる。
しかし、だからこそ、一つ深呼吸して、ミーランは息を整える。
「落ち着くのエル。シアは町の外に向かったの。ということは、危険は町の外にあるの」
「じゃあ早く追いかけないと!」
距離が開けば、それだけ合流に時間が掛かる。
だからエルアナは進路を変え、急いて追いかけようとするのだが、それをミーランが諌める。
「カームダウンなの。こういう時こそクールになるの。まずはギルドに行って事情を聞いてみるの。もし何かを討伐に向かったのなら、相手の情報を知っている方がいいの。シアのことだから、そういう情報を仕入れずに飛び出してると思うの」
「……うん、分かったぁ。なら急いでギルドに行こー!」
目的地をギルドに決めた二人は、ブレの町へ急いだ。
Tips:ミーランは早寝早起き。