リルバ ~・遺された女戦士・~
フレイシアは走った。
人混みをかき分け、オネェを飛び越え(イヤン!)、風のように、ただひたすらに走った。
「だから嫌だったんだよおおおぉぉぉぉおおぉおお!!」
エルアランの発射に伴い、フレイシアが一人取り残されることは必然であった。
とんでもない速度で、ミサイルのように大空へ消えていったミーランとエルアナは、さぞ満足した事であろう。
しかし、あそこまで人の目がある状態での発射である。
抱擁合体エルアランの姿が見えなくなった時、空を向いて唖然としていた人々の視線が、一斉にフレイシアに向かうのは、ごく自然なことであった。
――だから逃げた。
もちろん逃げた。とにかく逃げた。
誰かが言葉を発する前に、今は逃げろ、と心が叫んでいた。
「あ~もぉ~! なんでわざわざあんな目立つとこでぇ~……」
というか実際に叫んでいた。
目尻に涙を浮かべ、羞恥によって頬を赤らめ、路地を駆けるフレイシアは、土地勘もない町であるためか、無意識のうちに、宿泊している宿へ駆け込もうとしたのだが――。
――バインッ。
「ふゃっ!?」
「――うッ」
建物内に駆け込もうとしたところで、入り口から出てきた誰かの柔らかい部分にぶつかり、おかしな声を上げてしまうフレイシア。
不安定な体勢でぶつかってしまったために、フレイシアは尻もちをついている。
「ごめんなさい! よそみしてて――リルバさん!?」
ぶつかった相手に謝罪の言葉を述べ、途中で顔をあげたフレイシアの目に写った人物は、ドワーフのリルバであった。
建物に入る直前で多少減速していたとはいえ、衝撃はあった筈なのだが、リルバは多少ぐらついた程度でその場に佇んでフレイシアを見下ろしていた。
この世界のドワーフは背が低いわけではなく、背丈は普通の人間と然程変わらない。
違いがあるのは、力が強く、茶褐色の肌で、火属性の魔法が得意であることだ。
故に、リルバは衝撃に耐え、力は然程強くはないエルフのフレイシアの方が、リルバの弾力のある胸に――体幹の整った健康的な肉体に弾かれたのである。
「大丈夫かい? 入り口に飛び込んできたら危ないだろう?」
と、リルバは怒っている訳では無いようで、軽く注意はしつつも、フレイシアに手を差し伸べた。
「リ……リルバ……ざん……!」
ギルド前で一人取り残され、心細い思いをしていたフレイシアは、手を差し伸べてくれるリルバが、とてもまぶしく見えてしまったようだ。
「リルバざん! リルバざん! リルバざ~ん!」
「ア……アンタ……。どうしたんだい、尻もちがそんなに痛かったのかい?」
もはや癒しはここにしか無いとばかりに、リルバの腰に抱きつき、泣きじゃくっていた。
突然泣きついて来るとは思っていなかったリルバは、すっかり困惑してしまっている。
この一年、リルバを気遣うあまり、必要以上に近づいてくる者がいなかった為、こうも無邪気に接してくる相手は、どこか新鮮で、なによりフレイシアと接触している事で、僅かに和らぎを得ていた。
リルバは腰に抱きついたままのフレイシアの頭を撫で、少し落ち着かせてから事情を聞き出した。
いつまでも入り口を塞いでいると邪魔になってしまうので、今はフレイシアが借りている部屋に移動して、二人並んでベッドに腰掛けて――いや、フレイシアはリルバが嫌がらないのをいいことに、未だリルバの腰に抱きついている。
「うぐっ……実は、ミィとエルが……居なくなって……」
その言葉に、リルバの胸がチクリと痛んだ。
かつて、大切な仲間を失った彼女だからこそ、もしかしたらフレイシアも……と思ったのだが。
よくよく話を聞いた彼女は。
――ゴチン!
腰に縋り付き泣きじゃくるフレイシアに、拳骨を落としていた。
「んふぇ!?」
「んふぇ、じゃないよ! 心配して損したじゃないか!」
リルバが怒るのも無理はなかった。
期せずして、フレイシアは彼女のデリケートな部分に触れてしまったからだ。
「居なくなったなんて言うから……てっきり、あたしと似た経験をしたのかと……」
「――ッ!? ごめんね、リルバさん! 私……ごめんね……」
ふぅ、とため息を付き、気持ちを落ち着けたリルバ。
リルバは触れられたくない部分に触れられたにもかかわらず、フレイシアに対しては、そこまで嫌な感情を持ってはいなかった。
昨日、出会ったばかりの頃は、仲の良さそうなフレイシア達三人を見て、恨めしい気持ちを抱いたのは事実である。
以前に失ったものが大きかったからこそ、仲間と共に笑いあっていたフレイシア達を羨ましく思い、僅かにだが逆恨みして、無愛想な態度をとってしまったのは、仕方のないことであった。
しかし今日、フレイシアと接触してからというもの、何故だかリルバは、フレイシアの心に触れたような気がしていたのだ。
それが切っ掛けで、本能的に、無害な存在だと認識するに至った。
なのでリルバは、フレイシアに踏み込まれたというのに、そこまで嫌な気持ちにならなかったのである。
気まずそうに沈黙するフレイシアを見て、リルバはポツリ、ポツリと語り始めた。
――己の過去を、大切な家族との別れを。
・~・~・~・~・~・
あたしは孤児院の出で、ずっと冒険者に憧れて育ったんだ。
この町の冒険者には、同じ孤児院の出身の人も居るから、たまに遊びに来てくれて、色んな冒険の話を聞かせてくれたり、食べ物を持ってきてくれたりするんだ。
だからあたしも、いつか先輩たちみたいな冒険者になって、自分の後輩達に、色んな話を聞かせてあげたり、食べ物を買ってあげたいって思ってたんだ。
そして、十歳になったその日に、ギルドに行って冒険者登録をしたんだよ。
入れてもらうパーティはすでに決めていてね、同じ孤児院出身の先輩達で、よく一緒に遊んで貰ったし、あたしより先に孤児院を出て行ってからも、時々帰ってきては、話をしてくれていたから、その時にお願いしていたのさ。
メンバーは、攻撃役の魔法使いであるリーダー、足が早く、身軽さを活かした遊撃役の剣士、何時も冷静に状況を見れる弓術士、回復魔法が使えるヒーラー、そしてあたしは盾役の戦士になった。
その内、ヒーラーのお姉さんとあたし意外は男だったよ。
あたしが戦士になったのは、メンバー曰く、「まずは自分の身を守れるように盾を使いこなせ」、って事らしい。
一番敵に近い位置に、一番の初心者を置くのはどうかとは思ったけど、でも、上手く出来るようになれば、皆を守れるんじゃないかと思って、あたしも張り切って練習したもんだよ。
パーティのバランスは良かった。
突出した力を持った人こそ居なかったけど、無理をせず、堅実にやっていけば、それなりのランクにはなれる筈だった。
幸い、メンバー達は、きちんと自分の力量を理解していたし、功を焦る事は無かったからね。
順調だったんだ。
低いランクの依頼からコツコツこなしていき、少しずつだけど、信頼も得ていた。
この町で住民たちの信頼を得て、頼られるようなパーティになりたいって、メンバー皆が思っていた。
そして、冒険者として活動を初めて、五年が経とうとしていた頃。
何時もの様に、自分達に見合った、無理のない討伐依頼を受けて林に入ったんだよ。
受けた依頼の魔物討伐自体は、メンバーの一人が多少の怪我をしながらも、無事に達成した。
後は、討伐証明部位を剥ぎ取って帰るだけとなった時――そいつは現れたんだ。
――野良精霊スプリガン。
何らかの理由によって宿主を失い、暴走した精霊の総称さ。
その姿、能力は様々で、あたし等が出会ったのは、人形をした氷の化身だった。
エレメンターでもない、平均より弱いあたし等が太刀打ち出来るような相手じゃない。
リーダーはすぐに撤退を指示したんだけど、遅かったんだよ。
魔物を討伐して気が緩んでいたところへ、突然格上の相手が現れて動揺していたあたし達は――体制を整える暇も無く、攻撃を受けた。
初撃で、一番足の早い、遊撃役の剣士が、脇腹を氷の矢で撃ち抜かれて負傷してしまってね。
盾役だったあたしは、動けなくなった剣士の前に飛び込んで、トドメを刺させる事だけは、一先ず防げたんだ。
あたしが盾で攻撃を凌いで、弓術士が牽制している間に、ヒーラーのお姉さんが、とりあえず止血だけ済ませて、リーダーが剣士を担ごうとしていた。
でも剣士は、このままだと逃げ切ることが出来ないと思ったんだろうね、負傷した自分が惹き付けてる間に、皆で逃げろと言い出したんだよ。
だけど、そんなことを許せる人は誰も居なかった、傷ついた仲間を囮にするなんて出来ないからね。
そこで、その役を自分がやると、弓術士が買って出たんだ、自分なら距離を保ち、逃げ続けることが出来ると言ってね。
それでも皆は渋ったけど、結局はその案でいくことになったのさ。
でも甘かった。
先頭をヒーラー、次に剣士を背負ったリーダー、そしてあたしが殿になって撤退を始めた時――奴は急激に距離を詰めてきたんだ。
その速度に驚いたあたしは、攻撃を受け損ない、吹き飛ばされた。
それを見た弓術士は、なんとか注意を惹こうと攻撃を仕掛けていたんだけど、威力が足りなかったのか、中々ダメージが通らなくて、スプリガンの眼中にも無いようだった。
その代わりに狙われたのが、背負われていたはずの剣術士。
あたしが吹き飛ばされた時に、すでに剣術士はリーダーの背中から転がり降りて、スプリガンに向って居たようでね、そこでリーダーも腹を括ったらしい。
新しい指示を出したんだ。
――そう、あたし一人を逃して、スプリガン発生の報告と、救援の要請をさせる事だよ。
一番年下だったあたしだけは死なせたくないと皆思っていたのか、あたし意外は、誰も反対しなかったんだ。
あたしは一人で逃げるくらいなら、皆と共に戦いたいと叫んだ。
だってそうだろう?
あいつに勝てないことは、誰が見ても明らかだ、最後まで一緒にいたいじゃないか。
そのくらいの我儘、言っても良い筈じゃないか。
でもそこで、ヒーラーのお姉さんに頬を叩かれてこう言われたんだ。
「リル、私達を信じて。大丈夫。あなたが助けを呼んできてくれるまで、ここで待ってるから」
そんな風に、両手で優しく頬を包まれながら、信じてと、待っているからと言われて、あたしは何も言えなくなった。
他の仲間達を見ても、あたしに向って優しく微笑んでいたよ。
だからあたしは、信じて走り出したんだ――あたしの仲間はこんなところで死なない、あんな奴に負けないと言い聞かせて。
絶対に振り返らず、無我夢中で走った。
なんとか町に戻ったあたしは、すぐにギルドに駆け込んで、スプリガン発生の報告と、仲間の救出を、泣いて懇願したんだ。
一刻も早く人を集めて、仲間の元へ駆けつけたかったからね。
だけど、スプリガンが相手ということもあって、討伐隊の結成には少し時間が掛かったんだ。
討伐隊と一緒に仲間達と最期に別れた場所にたどり着いた頃には、もう日が暮れるところで、すでにそこには、スプリガンの姿はなかった。
そして、薄暗い森の中であたし達が見つけたのは――変わり果てた姿の仲間達の遺体だけだった。
あたしはいつの間にか気を失っていて、目が覚めた時にはギルドの仮眠室に寝かされていたんだ。
あの時のスプリガンはあれっきり姿を眩ましてしまって、未だに見つかっていない。
と、ここまで話して、ふと思う。
何故あたしは、この女に、こんな事を話しているのか。
ん、いつの間にか、目尻に涙が溜まってたんだね。
その涙を拭いてあの女を見てみれば……。
「うぐっ……うあぁ……ぐゆぅ……ズズ」
…………泣いてる! あたしより泣いてる!!
「なんであんたが、あたしより泣いてるんだい……」
どれだけ感情移入してるんだか――呆れたもんだね。
「だ…だっでぇ……だっでぇ~!」
とんだお人好しに目をつけられちまったよ。
「っはは。人のためによくもまあ」
こういう奴も、悪くはないかもね。
「うぐっ……だって」
初めに冷たく当たっていたのは、悪いことしちゃったね。
「あはは。もう分かったから」
良いやつじゃないか。
「だってぇ~」
この子が泣き止んだら、謝らないとな。
「はは。ああ、よしよし」
泣き止んだら……。
「だで……うぐっ……」
…………謝ろうと……思ったけど。
「ハハァーワカッタワカッタ」
それにしても。(イラッ)
「だってぇ……」
こいつはいつまで。(ビキッ)
「ハハ――」
泣いてるんだ!(ゴラァー!)
「だっ――(ゴチン!)、んふぇっ!?」
拳骨を食らわせてやった。
「んふぇ――じゃないよ! んふぇっじゃあ!」
奴は頭を抑えて抗議してきた。
「ッツー……。ひどいよなにすんのー」
ひどいのはどっちだい! あたしの感動を返せ!
「何いってんだい! 人がせっかく謝ろうと思ってたのに、いつまでもいつまでも、ビービービービー泣きやがって! なんであたしがあんたを慰める側になってんだい!」
――ゼェ~、ゼェ~。
「え? 謝るって、なんで?」
はあ、こいつは天然なのかね……。
「あー、だからさ……、あれだよ……ずっとあんたと、その仲間にひどい態度だったろう? その事を謝ろうと思ったんだ」
「そんなの、別に気にしてないのに。謝ることじゃないよ」
そうなんだろうね。あんたみたいなやつはそうだろうさ。
「いいから! あたしのケジメなんだよ! ――本当に済まなかった!」
あんたのお陰で……また前を向けそうなんだから。
「……分かった。それじゃあ受け取っておきます」
それともう一つ。
「フレイシア、こんなあたしに声を掛けてくれて、話を聞いてくれて、泣いてくれて……ありがとう」
……ありがとう。
「うん!」
その後は、二人で笑いあった。
日が暮れるまで、色んな話をした。
こんなに笑ったのは本当に久しぶりだった。
皆を忘れることなんて出来ないけど。
あの悔しさを忘れることは無いけれど。
それでもあたしは――前を向こう。
いつか皆に、胸を張れるように。
そう言えば、フレイシアと話をしていた時に、少しだけ、何かがあたしに触れていたような感覚があった。
あれは何だったのだろうか――。
・~・~・~・~・
リルバとフレイシアが打ち解けた翌日。
朝食を済ませたリルバは、一人でギルドに向かった。
前日はフレイシアと話し込んでいたお陰で、依頼を受ける事をしなかった。
だがお陰で、今日は久しぶりに清々しい気持ちでギルドに入ったのだが、そのリルバのすぐ後に、一人の男性冒険者が飛び込んできて叫ぶ。
「スプリガンだ! スプリガンが出たぞ!!」
――リルバの家族を奪った仇が、再び姿を表したのだ。
Tips:フレイシアの耳はエルフ耳。