シンパシー
早朝に出発してから数時間。
エルアナが空腹を訴えたところで、三人は日が高くなっていることに気がついた。
青々とした、涼やかな草原の景色も時期に終わり、一面緑色だった草原の景色にも、少しずつ土の色がまじり始め、長く鼻腔をくすぐっていた草の香りとも、そろそろお別れである。
頬を撫でていた、草原の涼やかな風にも、砂埃がまじり始めていた。
日も高くなり、いよいよ草原を抜けるとあって、三人は小休止をとることにした。
「お昼は外で食べよっか。ピクニックみたいでいいよね!」
「オーライなの。今のうちに草原を堪能しておくの」
「シアお姉ちゃんのクッキーまだあったよね? デザートはクッキーがいいなぁ~!」
「エルもクッキーを好きになってくれてよかったよ。ご飯の後でだしてあげるね」
草原最後の昼食を、ドールハウス内で済ませてしまうのは味気ないため、三人は椅子とテーブルを用意して、草の絨毯の上で食事の用意をしている。
エルアナが言っているクッキーは、フレイシアが作ったチョコチップクッキーだ。
日持ちがするため、旅に出る前に作り置きして、マジックバッグの中に収納してある。
菓子作りが趣味のフレイシアは、幼い頃から、母親であるステリア・ハートと一緒に作っていたのだ。
それはさておき。
ミーランは、持参した魔道具――トラベルシリーズの一つ、“キッチン”を取り出した。
この細長い作業台の上には、様々な調理器具などが並んでいる。
言ってしまえば、キッチンをそのまま持ち歩いているだけだ。
とはいえ、ミーランの魔道具の見どころは、収納している中身だけではない。
一般的に出回っているマジックバッグは、青っぽいロボット、丸えもんのポケットのように、直接出し入れしなければならない。
しかし、ミーランが使っているのは“アイテムボックス”だ。
アイテムボックスは、手で触れたものを収納出来、自分の周辺に、ある程度正確に取り出すことが出来る。
このアイテムボックス自体は母親であるカレット・ダイスの発明なのだが、母親の教育により、ミーランもアイテムボックスを作成出来るようになった。
「アイシングピッツァがあるの。ベア姉さんの差し入れなの」
冷凍庫の役割を持つアイシングボックスの中身を確認したミーランは、旅立つ前に、エルアナの母親であるベアータからの差し入れ――冷凍ピザが入っているのを見つけた。
「マンマのピッツァ! ねぇねぇ! お昼はピッツァにしようよぉ~!」
「そうだね。せっかく持たせてくれたんだし、悪くなる前に食べちゃおうか」
「じゃあオーブンで温めるの」
そういってミーランは、加熱の温度調整が出来るオーブンの魔道具に、冷凍ピザをいれた。
「温めてる間にお茶淹れとくね」
ミーランが食事の用意をし、暇を持て余していたフレイシアが紅茶の準備をしている中、エルアナは、可愛らしく椅子に座って、足をプラプラしている。
「ピクニック楽しいなぁ~。やっぱりお姉ちゃんたちと一緒に来てよかった!」
エルアナは、フレイシアとミーランと共に旅をするために、大きな障害を乗り越えた。
もちろん、エルアナ一人の力だけでそれをなし得たわけではなく、自分のために、家族全員が、文字通り命を掛けてくれた。
右眼の眼帯――その下に隠れている紫色の瞳には、家族の愛情が詰まっているのだ。
この穏やかな日々に、エルアナは、心から喜びを感じている。
その後、3人は食事とデザートを食べ終わり、一息ついてから、ブレの町への移動を再開した。
日暮れまでに到着したかった三人は、午前中よりペースを上げて移行している。
――それぞれが空を飛んで。
フレイシアは魔装で大きな翼を出し、風を操って。
ミーランは空間魔法を用いて。
エルアナは重力魔法で体を軽くし、微力な風魔法で推進力を得て。
彼女たち三人は、全員が空中を移動する術を持ち合わせている。
徒歩で移動していたのは“旅”だからだ――旅っぽいというのが大切なのだ。
しかし、このまま徒歩で移動していては、町につく頃にはすっかり暗くなってしまう。
折角の旅なのだから、キチンと宿屋にも泊まってみたかったのだ。
野営する必要がある時以外は、極力、宿屋を利用しようと決めている。
「お……おい……アレ! 飛んでるぞ! 人が飛んでるぞォ!」
「はあ? 何馬鹿なこといってん……だ……――ッ! 飛んでるじゃねえか!」
少し上空を飛翔している彼女達にその声は届いていないが、三人に気がついた街道を進んでいる通行人達は驚愕している。
彼女達三人は当たり前のように飛んでいるが、人形で空を飛べる者は然程多くない。
フレイシアとエルアナには羽が生えてはいるが、フレイシアはエルフだし、エルアナの羽は、それだけで飛べる程大きくない。
そして、通行人たちが特に驚愕しているのは、白衣をはためかせて飛翔しているミーランだ。
彼女に翼はなく、外見からしても普通の人間にしか見えない。
――ミーラン・ダイス。
人間の少女であり、錬金術師であり――“ウィッチ”である。
この世界には“魔道士”と呼ばれる者達がいる。
男性をウィザード、女性をウィッチと称する。
“気”は血管を通って全身を巡っている。
全身を巡る気は、細胞で自然に魔力に変換されるのだが、普通、一度魔力に変換されれば、魔力から再び気に戻すことは出来ない。
しかし魔道士は、気と魔力の変換を自在に行うことが出来る。
彼らは肉体を超越しており、通常、寿命で死ぬことはないと言われている。
一見万能に思える彼らにも、悩みの種がある。
その力を欲して近づいてくる者や、魔道士という存在を忌み嫌う者達の存在だ。
上手く秘匿し続けることが出来ればいいのだが、そう都合良くも行かない。
人の意思、そして欲望と言うものは、楽観視出来るものではないのだ。
かく言うミーランも例外ではなかった。
幼いミーランを狙う者達によって、ミーランは故郷を追われ、父親を失っている。
逃走の末に、母親のカレットの冒険者時代のパーティメンバーであるステリアを頼って、そこでフレイシアと出会ったのだ。
一時は復讐を企てたミーランだったが、フレイシアと、産まれたばかりだったエルアナとの共同生活によって溜飲を下げた。
この旅に後ろめたさはない。
三人仲良く、笑顔で世界を回りたいと、ミーランは願っている。
ともあれその旅に戻るが――。
「見えたよ! あれだよね、お姉ちゃん?」
空中を飛翔して移動している三人は、ついにブレの町を視認した。
「多分そうだね。私も初めてだからわかんないけど」
「位置的に間違いないの。あれがブレの町なの」
このブレの町は、それなりに大きくはあるが、都市といえるほどの規模ではない。
そうは言っても、穏やかで程よく栄えているブレの町は、中々に住み心地の良い町だ。
「ついたー! 最初の町だー!」
「シアははしゃぎ過ぎなの。どうみてもお上りさんなの」
「シアお姉ちゃん嬉しそぉ~」
やはり移動速度が絶大だったのか、日が暮れるまではまだ余裕がある。
町の手前で地上に降り立った三人は、道行く人々の視線を集めながら町に入った。
「食事にする? 宿屋に行く? それとも、ギ・ル・ド?」
「……………………いい加減にしないとこっちが恥ずかしいの……シアは離れて歩くの……エルも見ちゃだめなの……」
「え~?」
すっかりテンションがおかしくなっているフレイシアに対して、ミーランはエルアナの手を取って距離を置いた。
「――ちょわッ! 待ってよミィ! エルもー!」
町を見渡して浮ついていたフレイシアは、いつの間にかミーランとエルアナが少し先を歩いていることに気がついた。
「エル、振り返っちゃだめなの。目を合わせてもいけないの」
「ミィお姉ちゃんどうしたの?」
お上りさんと並んで歩きたくないミーランだったが、エルアナは特に気にしていないようだ。
ともあれ。
しばらくして、小走りで近づいてきたフレイシアが、ミーランの白衣を摘んで涙目で講義することで、三人は再び並んであるき始めた。
宿屋は後回しにして、ひとまずはギルドに顔を出しておくことにしたようだ。
おすすめの宿があるなら紹介してもらおうという打算もあってのことだ。
◆◇◆
三人はギルドの前に到着し、建物を見ている。
「ミクスの町のギルドより、少し大きいかな?」
「それはそうなの。ミクスは平和すぎて、冒険者の仕事が少ないの。それに比べて、ブレの町には“ポート”がなくて交通の便がよくない上に、周辺のモンスターの間引きも簡単じゃないらしいの」
ミーランが言ったポートとは、ポートストーンという石碑の事で、所謂、転移装置だ。
ポートストーンは、主に主要都市に設置されている。
「まぁ、あの森は島の端っこにあるし、モンスターの出現ポイントも限られるもんね」
「ここではいっぱい戦えるのぉ?」
「とりあえず、今日はざっと依頼を見てみるの。本格的な活動は明日からなの」
ディアブロ族であるエルアナは、本能的に戦いを求める。
もちろん、穏やかな日常が嫌いなわけではなく、そんな中にも、時折刺激が欲しくなるのだ。
フレイシアとミーランは気力に満ちているエルアナをなだめて、ギルドの扉を開いた。
中に入った三人は、やはり、ギルド内の人々の視線を集めたが、少し様子がおかしかった。
見慣れない少女三人組がギルドに入ってきたため、他の冒険者達の興味をひいたのは確かなのだが、値踏みするような目でも、邪な目で見ている訳でもない。
気まずい空気にいたたまれなくなった者が、丁度良く扉を開けた三人に視線を移したと言った具合だ。
どうにもギルド内の空気が暗い気がした。
「……何かあったのかな? みんな元気ない感じだけど」
おかしな空気を感じ取ったフレイシアが、ミーランに耳打ちした。
「ダメなのシア……耳は……ダメなの……!」
「エェ~………………」
あまりにも場の空気にそぐわないミーランの甘い声に、フレイシアはガクリと肩を落とした。
しかしだ、ウィッチであるミーランは、五感も中々に鋭く、敏感なのだ。
耳打ちされてくすぐったくなるくらいは仕方のないことである。
そんな風に、入り口の近くで話し込んでいた三人の方――入り口に向かって、一人の女性が歩いてきた。
先程まで、受付カウンターで何やら手続きをしていた、十代半ばほどの年齢に見える、真っ赤な髪のポニーテールの女性だ。
普段はキリリとした鋭い目つきなのだろうが、俯き、前髪に隠れてしまっており、その力強い瞳を伺うことは出来ない。
体はスラリと引き締まった、背が高い女性だ。
そして、その女性がフレイシア達の横を抜けていく段になって、ギルド内の視線が、赤髪の女性に集まっていることに気がついた。
赤髪の女性に何かを感じたのだろうか、ギルド内の視線などお構いなしに、フレイシアが女性を呼び止めた。
「――ねえあなた、この町の子だよね? 私達今日ここに来たばっかりなんだ。よかったら色々教えてもらえるとうれしいな」
フレイシアが声を掛けても、その女性は重い空気を纏ったまま、体を向けることはしない。
「…………悪いね……他を当たってくれ」
「あ……」
肩越しに振り向いた女性はフレイシアの申し出を断り、そそくさとギルドから出ていった。
「シア……あの子が気になるの?」
「うん……ちょっとね……ああいう顔してる人の気持は……なんとなく、わかる気がして……」
「シア……」
フレイシアはあの少女に何かを感じていた――昔の自分と重なって見えた。
彼女は何か大切なものを失ったのではないか。
そんな予感が胸を締め付けていた。
赤髪の女性のことが、どうしても引っかかっていた。
「いつまでもここに立ってたら邪魔になってしまうの。気になるなら、受付で聞いてみるの」
「……そうだね、いこう。……ありがとう、エル」
ミーランに促され、カウンターに向かおうとしたフレイシアの手を、エルアナが優しく微笑みながら握った。
それがフレイシアの気持ちを持ち直させ、改めてカウンターに向かった。
「ようこそ、ブレの町冒険者ギルドへ。ご用件は何でしょうか?」
フレイシア達を始めてみた受付の女性は、ひとまずは事務的な挨拶から始めた。
「私達は、しばらくこの町で活動することにしました冒険者です。それで――」
どうしても気になって仕方がなかったフレイシアは、挨拶もそこそこに、先程の女性の事を訪ねた。
「……冒険者の方々の秘密を、軽々しく口にする訳には参りませんが、話せる範囲でよろしければ」
事務的なやり取りから、真面目で口が硬そうな印象を受けた受付の女性だったが、融通の聞く人柄のようだ。
どんなことでもいいから女性のことを知りたかったフレイシアは頷いた。
「彼女はドワーフの“リルバ”さんです、数年前から、この町で冒険者活動をなさっています。戦士としてパーティに入っていたのですが……」
そこで受付の女性は言葉を区切った。
「……一年前に、彼女以外のメンバーは亡くなりました」
この受付の女性から聞き出せた情報はここまでだった。
話をしていた時の受付の女性の苦々しい顔を見て、フレイシアもそれ以上は聞けなかった。
結局この日は、宿だけを紹介してもらって、依頼は見ずに、ギルドを後にした。
Tips:地球のドワーフは、妖精や精霊という説があり、この世界では、それを擬人化して登場させているため、背が高い。