十九、落日の誓い
空位二十三年初秋の二十一日。ルシヨンの南四里、アルボンヌへと至る街道上で繰り広げられた戦いは夕刻前に終結した。状況だけ見れば、大勢はエスパラム公軍の騎兵が自軍の歩兵と合流した昼ごろにはすでに決まっていたが、戦闘に参加していたラ・フルト侯軍の将兵たちが全面降伏を受け入れたのはこの時刻だった。
そして同時刻、ラ・フルト騎士ギイ・ドゥ・クレボールはまばゆく輝くローヌス川の畔で、主を看取っていた。
騎士ギイが狂乱する敵味方の群れから辛くも逃れて彼の主を発見したのは主の復讐が未遂に終わった少し後だった。いくつもの死体に囲まれる中、うずくまる陣羽織はすっかり踏み荒らされて見る影もなかったが、そこに刺繍された交差する麦穂に星印の大盾だけは間違えようもない。彼の仕えるオートゥリーヴ伯家の家紋に相違なかった。
ギイは大慌てで駆け寄り、主君を助け起こした。耳をそばだてれば紫色の唇から微かに生命の息吹を感じる。慎重に鞍上に乗せて、ギイは進路をふさぐように並ぶ馬車の列へ愛馬を突っ込ませた。冷静な考えによる行動ではない。本能が彼にそうさせた。結果的にはそれが彼を救うことになった。彼がとっさの行動で選んだ進路は、最も恐れるべき敵の騎兵の進行方向とは正反対だった。
南西から騎馬突撃で駆け抜けたエスパラム騎兵の視界に、彼らは映らなかった。行く手を遮るものと言えば最早逃げる必要もなくなり停止している敵の馬車くらいである。ギイは渾身の突撃でそれを粉砕し、なお愛馬を止めなかった。追いすがる敵には騎馬槍を投げつけ、無我夢中で駆け続けて、とうとう馬が倒れたのが敵も味方も見当たらないこのローヌス川の畔だった。
ギイは落馬直前にすんでのところで抱え上げた主の体を、優しく川岸に横たえた。見つけ出した時すでに青白かった主の顔は、今や土気色にまで落ちていた。呼吸をしている様子もほとんどなく、深々と釘のような短剣が突き刺さった眼窩から流れる血涙はすっかり乾いている。医学に覚えなどなくとも、見るものに決して希望を抱かせてはくれない、それは無残な有様だった。
逃げている間は直視する余裕のなかったギイだったが、今改めて主の状態を目の当たりにして強い自責の念に苛まれた。もっと早くお救いしていれば、手遅れになる前に無理やりにでも前線から連れ出していられたなら、募るばかりの後悔が、彼に謝罪の言葉を述べさせた。
「申し訳、ございません、オートゥリーヴ伯閣下。小生の力が、及ばぬばかりに」
その独白には思いがけない返事があった。今まさに生死の境をさまよっているガストン・ドートゥリーヴは、消え入りそうな呼気に音を交えて彼の名を呼ぶ臣下の声に答えた。
「……クレボール……いるのか」
大いに驚いたギイはわずかに表情を明るくしながら主の手を取って答えた。
「はい、閣下、ここに、ここにおります。騎士、ギイ・ドゥ・クレボールは、ここに」
「皆も、いるのか」弱く臣下の手を握り返して、ガストンは尋ねた。「モンテス……ボーフォル……エレギュト……レバル……そうだ……ヨアンは……無事、だろうか? ……あれは、アモーリのことを……私の次に……悔いて、おった」
途切れ途切れに上がる名は皆オートゥリーヴ伯家の直臣たちだった。それはギイの同僚の名でもあった。
「はい」ギイは言葉を詰まらせながら答えた。「皆、健在です。ただ、今は哨戒に出ておりますゆえ、お傍には」
ギイは震えそうになる声をこらえるのに必死だった。相次ぐ小競り合いの中で、彼の従騎を勤めていた同僚たちは一人として残らなかった。
「そうか」ガストンは溜め息と共に答え、最早何も見えなくなった目を臣下の方へ向けて続けた。「クレボール……卿には、苦労を……かけて、ばかりだが……いま一つ、頼みたい……ことがある……聞いて、くれるか」
「はい閣下、何なりと、お申し付けください」
「私はついに……アモーリの仇を、討つことが……できなかった。……全てを、全てを捨てて……臨んでみたが、叶わなかった。……このままでは、あまりに、不甲斐なくて……天の国で待つ、アモーリに……顔向け、できん。……だから卿には、どうか、私の、代わりに……仇を、息子の仇を……討って、もらいたい、のだ」
呻くガストンの口端から血の泡がこぼれる。肺腑を貫く鏃は呼吸すら許さず、逆流した血液が鼻腔を塞いだ。それでもなお、ガストンは最後の訴えを止められなかった。
「情けない主君と……思うであろうが……こ、これだけは……どうか……どうか、聞いてほしい。……私は……仇を……」
「ご心配には及びません、閣下。小生しかと心得ました」
ギイは即座に答えた。最早悲しみで震える声を隠そうともしなかった。強く主の手を握り締めるのは、言葉を発する度に彼の主から生命力が失われていくのを感じていたからだった。
「騎士ギイ・ドゥ・クレボール、必ずや、必ずや閣下の悲願を成就してご覧に入れます。ですから、どうか」
ギイは長らく顔を伏せた。その間、彼の主からは何の言葉も上がらなかった。
やがて顔を上げた時、涙で赤くなった彼の目には悲壮な決意が表れていた。
「今しばらくは、審判の門にて、お待ち願えますよう」
ギイの言葉には今度こそ返事がなかった。穏やかに流れるローヌス川の畔で、乱世に翻弄された男ガストン・ドートゥリーヴは、三十九年の生涯を終えた。




