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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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十八、勝敗

 開戦当初より三千ほど数を減らしたクラウスの歩兵隊は、なお一万二千あまりの軍勢で大規模な方円陣を組んでいた。急造の部隊ゆえに訓練不足の感は否めず、一時は士気の高い敵の勢いに押されかけることもあったが、指揮官クラウスをはじめとした精兵の奮戦で何とか陣形は維持されていた。


 とは言え、どれだけ善戦しても守勢に回っていては数で劣る現状を覆せない。このまま戦い続ければこちらの力が先に尽きるのはまず間違いのない予測だった。


 疲労と共に蓄積される損害はクラウスの心理を圧迫した。期待するのは劇的な変化だ。できればこちらにとって都合の良い変化であって欲しい。クラウスは祈るような気持ちでそれが訪れる瞬間を待った。


 その時、南面に備えていた中隊から伝令が走った。


「お頭、クラウスさん」


 息を切らせる伝令の声にクラウスは南を振り返った。必死の報告は耳に入らなかった。目を凝らせば、彼が何を伝えに来たのかは容易に知れたためだった。


 乱立する味方の長槍越し、見渡しのよい地平線に砂塵が見える。数里の先に思えた砂塵は、見る間に駆ける騎士の像をクラウスの網膜に結ばせた。百、二百、三百、まだ増える。まとまりのない騎馬の集団が、気づけば視界いっぱいを遮るほどに現れ、速度を緩めることなくこちらへ向かってくる。


 敵か、味方か。クラウスは焦れる思いでその様子を観察した。まだ家紋が判別できるような距離ではない。旗を掲げている者もいないようだ。鬨は上げているか? 指揮官の面はどうだ? 馬装や具足に見覚えは?


 その存在に気づいた多くのエスパラム兵が、クラウスと同じ心情で迫りくる騎兵群を眺めやった。そして、気づいた者から次第にその表情を曇らせていった。具足の端々に目立つ青。よれた陣羽織はいずれも紺色で白狼隊にとって馴染みのある色ではない。決定打となったのは鞍に引っかかっていた軍旗だった。疾風にさらわれて宙を泳ぐ軍旗の文様を、目ざとく見つけた誰かが叫んだ。

 白地に、六角形の入った青の大盾。


「ラ・フルト侯家の、ラ・フルト侯家の家紋だ」


 絶望的な事実は一瞬で全軍に広まった。早いものはすでに、どうやって戦線から離脱するか思案し始めていた。白狼隊古参の面子でも、さすがに動揺を隠せない様子だ。


 そんな中、クラウスだけは正体の知れた敵の騎兵から、なおも目を離さなかった。注意深く観察を続けていたクラウスは、程なく口角を上げて鼻息を漏らすと、朗らかな表情で周囲に告げた。


「慌てんなよ、お前ら。どうやら、隊長代理殿はやってくれたらしいぜ」


 クラウスが長槍の先で示したのは騎兵集団のさらに南だった。よくよく様子を見ていればクラウスでなくとも気づけていただろう。ぼろぼろの具足、乱れた足並み、時折背後を振り返る何かに怯えたようなその表情は、いずれも勝者の姿としてはあまりに惨めだ。

 

 果たして、ラ・フルト騎兵群の後方から、真の勝者による鬨の声が上げられた。


 聖アルテュール、エスパラム、ライナー・ランドルフ!


 おびただしいほどの返り血を浴びてもなお美しい輝きを放つ白銀の集団が、逃げるラ・フルト騎兵に槍を向けていた。始め縦列を組んでいた白狼隊騎兵は、無秩序に展開する敵の姿を認めるや徐々に横隊へと陣形を変えていく。襲歩しながら一糸の乱れもなく、血染めの白狼旗をはためかせて敵を求めるその雄姿を見れば、一時恐慌に陥りかけていた白狼隊の歩兵たちも歓喜の声を止められなくなった。


「さあさあ、野郎ども、ぼさっとしてんじゃねえよ」クラウスは歓喜の雄たけびに耳を塞ぎながら指示を出した。「高く掲げて、白狼旗を振るんだ。やつらの巻き添えでこっちにまで突っ込んでこられたら笑い話にもなりゃしねえ。うちの騎兵がすっかり通り過ぎちまったらお待ちかね、小遣い稼ぎの時間だぜ」


 クラウスの命令は即座に伝達され、熱狂する陣中にはすぐさま無数の白狼旗がそびえ立った。その光景を見て、俄かに総毛立ったのはラ・フルト侯軍であった。優位のまま運んでいたはずの戦況が一瞬で覆される。何重にもなって響く鬨の声に紛れて、微かに聞こえる幾つもの味方の悲鳴が、不吉な予感の正しさを伝えていた。


 一度でも、一人でも、挫けてしまえば崩壊はあっという間だった。怯懦の連鎖は瞬きの間にラ・フルト侯軍全将兵へ浸透し、時を置かずして戦線は総崩れとなった。


 半狂乱で逃げ惑う敵の背中を眺めながら、クラウスはようやく人心地をつく気持ちになった。





太陽が西の空へと傾き始めるころ、戦況は互いに死力を尽くした命の取り合いから勝者による一方的な略奪へとその様相を変えていた。


 歩兵たちは皆本領を発揮して忙しく働いていた。身分が高そうな者は生け捕りに、そうでなければ鎧の下の肌着まで剥いで縛り上げた。捕らえた貴族に身代金が支払われればいくらか捕縛手当てがつくし、分捕り品もきちんと届け出れば賞与が支給されることになっていたので、とかく身なりの良い者は真っ先に標的となった。


 非道を罵る声は当然そこかしこで上がったが、いずれも二言三言で訴えを取り下げることになった。無理やり黙らされた者もいれば、自ら悟って口を閉じた者もいた。相手が荒んだ傭兵なら命まで取られないだけましなのだった。


 書き入れ時と分かっているだけに勤勉にならない者はいなかった。散々暴れ回った騎兵たちも遅ればせながら馬を下りて仲間に加わり、気分はさながら戦勝の前祝いと言うところだった。


 そのお祭り騒ぎの余波すら届かない後方、ライナーによって騎兵の大転回が行われた跡地で、エイジは一人ハナの傷を診ていた。


 全身いたるところに裂傷があるものの、幸いどれも深刻な傷ではなさそうだった。千切れてしまった尻尾だけはかなり痛々しくみえたが、出血自体は驚くほど少なかった。トカゲのような見た目に違わず元々切れやすい部位なのかも知れない。表情や呼吸からも異常は見受けられず、エイジはひとまず安堵した。


「頭、ご無事ですか」


 聞きなれた声にエイジは顔を上げた。街道に、列をなして走る馬車の集団が見える。先頭で率いているのはデヴィッドのようだった。


 デヴィッドは馬車から飛び降りて弓兵頭の元に駆け寄った。周囲に転がる人と馬の死体(いずれもラ・フルト侯軍のもの)を踏み越え、ようやく合流する。


「よくご無事で」デヴィッドは安堵の表情で額の汗をぬぐった。「肝を冷やしましたよ。お一人のまま乱戦に突入してしまいましたから、支援もままならず」


「まあ、ハナのおかげで、なんとかね」


 エイジが首筋を撫でると、ハナは嬉しそうに目を細め高い声で小さく鳴いた。


「痛ましいですな」


 神妙に漏らすデヴィッドにエイジは答えた。


「ひどそうに見えるけど、幸いほとんどかすり傷だった。ただ、右足の骨か腱をやられたらしくて、歩くときかばうんだ。早いとこ何とかしてあげたいんだけど」

「法術は出払っているはずですな、予定通りなら。とりあえず、傷口を清めて包帯でも巻いておきましょう」


 デヴィッドの指示でウィリアムが飛んできた。水で湿らせた絹布に綿帯、人に用いるものだが傷薬も、いくらかなら馬車に積んであった。エイジはおっかなびっくりハナの体に触ろうとするウィルの手から、「ありがとう」と絹布を受け取り、思い出したようにデヴィッドに尋ねた。


「うちの被害状況としては、ハナの尻尾くらいってことでいいのかな」

「あ、いえ、それが」デヴィッドは軽く言葉を濁して答えた。「弩で二分隊ほどやられた者がいます。逃げようとする騎士を追いかけて逆襲にあったようで」


 途端、エイジは穏やかだった表情を曇らせた。


「誰の隊だ」

「ドメニコと、ミケーレです」


 エイジの脳裏に二人の若者の顔が浮かんだ。ルオマ人らしい陽気さで隊内の雰囲気を明るくしてくれる青年たちだった。彼らの安否をエイジは聞かなかった。報告したきり目を伏せるデヴィッドの様子から、二人の顛末を悟っていたのだった。やがて沈黙に耐えかねたのか、デヴィッドが口を開いた。


「私の人選に問題があったかも知れません。分隊とはいえ、どちらも、隊を率いるのは今日が初めての経験だったはずです」

「いや、デヴィッド、その理屈なら責任は俺にあるよ。君に編成を任せたのは俺だ。その人選に許可を出したのも」


 異を唱えようとするデヴィッドを制してエイジは続けた。


「突き詰めて考えるなら当人たちにだって責任はある。功を焦らなければ死ぬことだってなかったはずだ」


 言ってしまってから、エイジは自身の非情さに内心で戦慄した。冷酷な傭兵の口はなおも非情な言葉を止めなかった。


「この件に関して、これ以上議論する必要はない。仕事に戻ろう、デヴィッド。二個分隊やられたくらいで気を落としてたら、ついさっき俺たちにやられたこの人たちに恨まれそうだ」


 エイジは視線で周囲を示した。数え切れないほどの物言わぬ敵兵たちを見て、デヴィッドは苦笑した。


「ええ、確かにそのとおりです、お頭」


 デヴィッドは踵を返して集う弓兵隊に指示を出した。この辺りに転がっているのは騎兵、つまり大半が貴族で、そうでなくとも裕福な家の者のはずだった。身に着けている物はもちろんのこと、死体だって丁重に扱って家族の元に返せば謝礼がもらえる。まだ息のある者を見つけたらしめたものだ。弓兵たちは本日の仕事の総仕上げに入った。


 嬉々として死体を漁る部下たちの様子を、エイジはどこか遠い国の出来事でも見るような目で眺めた後、愛馬の応急手当を再開した。勝利の余韻になど浸れず、暗く沈んでいく気持ちがあった。仲間の死を聞いて涙ひとつ流さない自己への嫌悪。敵とは言え死んだ人間を冗談のように扱ってしまった罪悪感。次第に絹布を持つ手は震え、引き結んだ唇の奥で根の合わない歯が微かな音を立てる。何のことはない、いつもの癖だ。戦いが終わり、後に残された善良な十九歳の青年が、己の罪業深さに慄いているのだ。


 戦っている間はそれだけに集中していられるのに、一度終わってしまうとこうして恐ろしさに押しつぶされそうになる。してみれば自分にとって戦いが続くことの方が幸せなのかも知れない。戦い続けてさえいれば何も思い悩まずに生きていけるのだから。

 そんな考えが一瞬脳裏をよぎり、エイジは己の度し難さにいっそう震えた。


 俯きかけるエイジの頬をハナのざらついた舌が撫でた。元気のない主を慰めたつもりだったのか、あるいは早く体を拭けと催促しただけなのか。どちらにせよ、エイジは彼女に救われてばかりだった。


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