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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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十六、掛かれの遠吠え

 後方から前線へ、輪唱のように途切れない遠吠えは白狼隊特有の伝達手段だった。馬の足より遥かに早く、犬たちの吠え声は最前線に反転の合図を知らせた。中陣の最前、四列縦隊を組む騎兵たちのすぐ後ろに位置するユーリィを経由して、その知らせは先頭のライナーに届けられた。


 報告を受けたライナーは「ようやくか」と無邪気な笑みを見せた。すぐさま隣を走るハンスとブルーノに目配せする。


 二人は軽く騎馬槍を掲げ、面頬を下ろして手綱を繰った。先頭の動きに合わせて、二列の縦隊が大回りの左旋回を始めた。





 全体を牽引する先頭集団の足が乱れたことで、ラ・フルト騎士たちは一時的に統制を失った。

 先刻から飛んでくる矢の雨に我慢の限界をむかえた者たちがいた。彼らは競うように隊列を離れ各々目に付く馬車を追いかけ始めた。

 進軍の最中、友や肉親とはぐれた者たちがいた。彼らは隊列から取り残された家族らの無事を確かめるため徐々に速度を落としていった。

 血のつながりこそないものの、全幅の信頼を寄せる直属の指揮官を失った者たちがいた。戦場においては神の声に比肩し得る絶対の命令が与えられない。不安が彼らに己が命の大切さを思い出させた。


 目を見張るほどの進撃は、首脳部の統制不足によって俄かに速度を落とした。混乱により弛緩してしまった隊列は、すでにしてまとまりのない騎馬の集まりと化していた。一部が自侭に敵を追いかけ、一部が勝手に隊列を離れ、それ以外の大部分は漫然と馬を走らせる。声を揃えての鬨の声も久しく上がらなかった。


 不意の喊声が轟いたのはちょうどその時だった。絶えない弓の発射音と両軍の立てる幾つもの雑音のため、始め聞き取り辛かったその声は、やがて弓の攻撃が収まるに連れて徐々にはっきりと戦場全体に認識されていった。


「聖アルテュール!」と、まずは騎士と知恵の守護聖人に加護を求める。


「エスパラム!」続けて誇示される南西公の名。


 いよいよとなって、最後に告げられたのはその一団を率いる者の存在だった。割れんばかりの大音声で、重なる雄たけびはそれをはっきりと伝えた。


「ライナー・ランドルフ!」


 ラ・フルト騎士たちが自らの危機を察知したのと、白狼隊の騎兵が戦場に姿を現したのは、ほぼ同時だった。向かって南東、扇状に広がった馬車の間から、騎馬槍を構えた重騎兵が突然飛び出してきた。馬車まで後一歩のところまで迫っていたラ・フルト騎士は、なす術もなく粉砕され、すぐに草原の肥やしとなった。


 白狼隊の動きは止まらない。白銀の甲冑に陽光を照り返らせて、何とも締まりのない集団のど真ん中へ突撃をかける。


 眼前の弓兵への対処に苦心していたラ・フルト侯軍にしてみれば急な反撃だった。すぐに馬首を返そうとするも、密集した状態ゆえ互いの動きが邪魔をして、致命的なもたつきを生じてしまう。野放図な集団の脆さが明確に現れていた。


 多くの騎士は右手に槍を携えるものである。不意の攻撃も槍の持ち手から来るならもう少し対応が楽だったことだろうが、その点を抜かるライナーではなかった。ハンス、ブルーノの率いる両隊は、態勢の整わない左手側から敵集団の中に割り入った。


 鋭気満ち足りたる騎馬突撃。正面から受けて立たなければいかな騎士と言えど防ぎようもなかった。鎧は裂かれ、馬は弾け飛び、突き破られた肉体から上がる鮮血と臓物が一帯を赤く煙らせる。


 針で乾酪(かんらく)を刺すように、いとも容易く数多の騎士たちは倒れていった。ハンスとブルーノが南西から北東へと駆け抜ける間に、二百近くのラ・フルト騎士が命を落とした。重軽傷及び体は無傷でも戦闘不能なほどの恐慌に陥った者を含めればその数は優に八百を数える。全体を南北に分断されて、ラ・フルト侯軍は大混乱の様相となった。


 しかし、それだけの損害が出ても、依然として数の優位はラ・フルト侯軍側にある。集団の最前と最後尾、つまりは敵の襲撃から最も離れた位置におり、比較的冷静に状況を見ることができた一部の指揮官たちは、駆け抜ける敵の背中を衝動的に追いかけた。


 単騎駆けに飛び出した数名の騎士を、その姿に励まされた者たちが次々に追従する。即席の小集団は自然と縦陣を形成し、鋭い槍先でエスパラム公軍の後背を狙った。


 迅速な判断、そして行動だったと言える。彼らの構える槍が無防備なエスパラム公軍の背中を貫くまで四半刻の時間も必要としなかった。


 ただ、その迅速と評せる時間すら、ライナーにとっては遅すぎたのだった。機を計ったように、向かって南西から馬車の間を縫って飛び出したライナーたちは、敵の右側面を広く包み込む斜形陣でラ・フルト侯軍に迫った。


 まず不屈の闘志で南東に抜けた敵の縦陣を追いかけていたラ・フルト騎士の小集団が、突然現れた新手に自身の側背を突かれてものの見事に崩れ去った。


 もちろん、彼らの存在はライナーにとって行き掛けの駄賃のようなものだった。狙うはあくまで敵の本隊。未だ混乱の続く敵騎兵の塊目がけて、ライナーの指揮する斜形陣は順次突撃を敢行した。


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