十四、復讐者
街道に点々と残る泥を曙光が照らし始める。なおもオートゥリーヴ伯ガストンは馬を休ませなかった。血走る目は敵の逃げた南を見据え、眼帯の裏には彼を執拗に駆り立てる情景を映していた。
彼が冷たくなった息子の亡骸と対面したのはルシヨン市内の教会だった。
遺体を運んできた導師と兵務官が沈痛な面持ちで死因を述べていたが、すでに彼の耳には届いていなかった。ガストンは愛する息子のふっくらとした頬を撫で、彼譲りの艶やかな栗毛を撫で、清められて雪のように白くなった額に接吻をした。死の冷たさは一瞬で彼の全身を駆け巡った。手足から感覚がなくなり、世界は光を失った。直後、ガストンの希薄な五感は息子の顔を濡らす温かい何かに気づいた。それが彼自身の目から零れる涙だと理解するのには少しの時間が必要だった。
「何故だ、アモーリ」
息子の死を受け入れた父親は、そう言わずにはいられなかった。
「何故、お前が、父より早く」
嗚咽をこらえる声はそれ以上続けられなかった。顔を伏せたまま、父親は冷たくなった息子を抱き上げた。
一体何が、お前の命を。
非情な現実に直面した父親の、それは素朴な疑問だった。見たところ外傷は少ない。左の頬に多少の擦り傷。手足にも欠損はなく、骨が折れた様子もない。と、ガストンは息子の鎖帷子に開いた綻びに気づいた。
剣や槍にしては小さい。斧や棍棒がつける傷ではない。ガストンが疑問としているところに気づいた導師は、改めて彼に息子の死因を教えた。
矢羽のついていない矢が胸部を貫いておりました。恐らく、弩の矢でしょう。
その瞬間、ガストンの怒りは明確な対象を持って燃え盛った。息子の命を奪ったもの、それは武器と呼ぶにも値しない、下賎で卑劣な狩りの道具だ。誇りも名誉もありはしない、畜生も同然の扱いで、アモーリは。
心内に燃え滾る復讐の炎はガストン・ドートゥリーヴと言う男を変えた。これまで剣の稽古も槍の手入れもろくにしてこなかった、穏やかで諍いを好まない文官だった彼は、この日を境に最愛の息子の命を奪った憎き敵をその手で八つ裂きにすること以外考えられなくなった。教会の祭壇にひざまずいて祈るか、ルシヨン城の内庭で剣の素振りをするか、以前の彼をよく知る者から見れば異常と思える光景が彼の日課となった。
起きている間は目蓋に焼きついた息子の亡骸が彼を駆り立て、ほんの一時でも眠りにつけば胸に穴を開けた息子の幻が彼を急かす。息子の幻は何度も何度も彼に訴えかけた。父上、仇を、仇を、と。激しい憎悪と罪悪感とが、そうして彼を休ませようとはしないのだった。
見かねた彼の妻は少し休むべきだと夫に勧めたが、夫は無言の一睨みだけでその勧めを拒絶した。以来ガストンは誰にも阻まれることなく、止められることなく、静かに復讐の刃を研ぎ続けた。
その変貌振りには見ていて痛々しいものがあったが、同情し、賛意を表す者も少なくはなかった。家族を失った者、土地を焼かれた者はオートゥリーヴ伯だけではない。彼らの中にくすぶるエスパラム憎しの思いは先の敗戦の後も絶えることなく火をくべ続け、(総軍司令官の命令無視と言う形ではあるが)、今現実に報われようとしている。してみれば強行軍を止められる者など、この世のどこにもいないはずだった。
「閣下!」
無数の足音に紛れる一声が、ガストンの目蓋から息子の亡骸を消した。ガストンは正面を見据えたまま並走する騎士ギイに答えた。
「見えている! 遅れるな、クレボール!」
間髪を入れずに馬腹を蹴る。疲労を感じさせない彼の愛馬が命令に応えてさらに速度を上げる。数里先に確認できた敵の隊列は、見る間にはっきりとガストンの網膜で像を作った。重騎兵の襲歩よりやや遅い。路面の凹凸に大きく動揺するのは二頭引きの幌馬車だ。敵の大将ではあるまいが、槍を下ろす理由もなかった。
ラ・フルト騎士たちは先導するガストンに倣って駆け続けた。脳裏に敵の悲鳴を思い浮かべながら、敵との距離は程なく半里を切る。
その時、エスパラム公軍の馬車列が動きだした。三列に並んでいた馬車の左と右が街道を離れて草原に乗り入れる。
恐慌を来たしたか。そうみなしたガストンは構わず真っ直ぐに馬を走らせた。背後で幾人かが、逸れていく馬車に標的を移したようだが気にも留めない。たった一つ残された鳶色の瞳には、最早敵しか見えていなかった。
自慢の騎馬槍が敵を貫くまで四半刻もかからない。そんな距離で、ガストンは突然奇妙な悲鳴を聞いた。時を同じくして甲冑に感じる微かな抵抗と幾つもの金属音。不可解なはずである。彼我の距離は百間。とても槍の届く間合いではない上に、悲鳴を上げているのは後背に続くラ・フルトの騎士たちなのだ。
「閣下、お下がりください!」いち早く事態を察知した騎士ギイはガストンの前まで馬を走らせて進路をさえぎった。「最前に出るのは危険です。奴らは」
ガストンの単眼はギイの肩を掠めるそれを見逃さなかった。怒りに震えるその瞳に映ったのは、間違えようもない、彼の息子の命を奪った下賎な道具に他ならないのだ。




