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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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十二、未明の出撃

 隊長代理を名乗る若者は腰に差した剣の柄頭を片手でいじりながら、呼びつけた行商一人ひとりの肩を叩いて急遽陣を払うことになった旨を告げ、払い下げ品のいくつかを言い値で取り引きしてくれるよう、(少々高圧的な)お願いをした。


 商談が成立すると、すぐにでも辞去しようとする行商たちの中から一人、他に抜きん出た財力と経験と人望で一同のまとめ役を任されていたルオマ商人エミリアーノ・ルチアーニを捕まえて、「ここだけの話だぞ」と、その大きな耳に打ち明けた。


「実は、この陣払いは偽退なんだよ。俺たちがケツまくって逃げりゃあ、やつらここぞとばかりにその背中を叩きに来るだろ? 城からまんまと出てきたところを別働の隊長殿、我らが『エッセンベルクの白狼』が取って返して城を奪う、っとまあそんな手筈になってるわけだ。つまりさっきの商談も演技の一部ってわけだから、がめつく粘らないで速やかに撤収するよう皆をまとめといてくれよ。隊長殿が帰って来て、見事ルシヨンを落とした暁には、損した分全部倍にして返してやるから、な。この隊長代理、ライナー・ランドルフが請け負うぜ。絶対だ」


 エミリアーノはなお不安を拭えなかった(商談相手が傭兵なのだから無理もない)が、その内心は一切表に出さず、言われたとおりにオートゥリーヴで刈り取った食料の大部分、予備の刀剣や防具一式、略奪した農具や工具に布陣してから運んできた材木などを買い取った。なお協力を惜しまない商売人は傭兵たちの身を軽くするために彼らの財布に流れた現金を宝石類に換え、別れ際に切った六芒星に武運を祈った後、空位二十三年初秋の二十日深夜、エスパラム軍と時を同じくしてルシヨン城外市を出た。


 夜更けであり、また折悪しく降り出した雨もあって、行商たちが当座の雨宿り先をルシヨンに求めたのは必然であったと言える。


 ルシヨンの城門を守る兵たちは深夜の来訪に最大限の警戒で以って対したが、代表者を名乗るエミリアーノの言葉には耳を傾けざるを得なかった。エミリアーノはラ・フルト侯軍全権代理者たるアレイラック伯の名を出し、火急に伝えたいことがあるので是非とも目通り願いたいと申し出てきたのだ。


 疑いながらも伝令は城内に飛んだ。参上した兵の報告、殊に目通りを願っている相手の名を聞くと、意外なことにアレイラック伯はあっさり開門の許可を出した。


 エミリアーノは案内されるままにルシヨン城内に構えられたアレイラック伯の客室へ通された。気鋭のルオマ商人はいくらかの見返りを期待して、つい半日前に「エッセンベルクの白狼」の隊長代理から聞いた話を包み隠さず伯に伝えた。


 双方にとって有益なやり取りとなったことは間違いない。しかし、両者にとって誤算となったのは、この会見が秘密裏に行えなかったことであった。近い復仇戦のために城内を隈なく視察し兵員の鼓舞と扇動に努めていたオートゥリーヴ伯ガストンが、深夜の開門を耳ざとく聞きつけて会合の席に居座っていたのである。


 話を聞き終えたオートゥリーヴ伯はやにわに立ち上がった。全権代理者は当然尋ねた。


「どこへ行かれるのです、オートゥリーヴ伯?」

「知れたこと」隻眼の武将は憤激に燃える眼光で答えた。「すぐに追撃をかける。みすみすやつらを逃がしてなるものか」


 アレイラック伯は立ち上がった。相手の耳に届かないよう気を配った微かな溜め息と共に告げる。


「お待ちください。軍権を預かる者として、それは許可できません」


 オートゥリーヴ伯は今にも部屋を出ようとしていた足を止めた。低い声が尋ねる。


「何と言った?」

「出撃は許可できません。そう言ったのです」


 一瞬の間の後、樫材の開き戸が弾け飛んだ。直後に、振り返るオートゥリーヴ伯の怒声が轟いた。


「また臆したか、アレイラック!」


 殺意も露わの剣幕である。彼がすぐにでも行動に移らないのは決して理性のためでなく、怒りのあまり震える拳が剣の柄を取れないほど固く握られているためだった。


 居合わせたエミリアーノなどは腰を抜かして立ち上がれない有様だったが、反して怒りの矛先となっているアレイラック伯は冷静だった。平時の微笑こそないものの、顔色は変わらず、臆する様子もなく、オートゥリーヴ伯の怒りを正面から受け止めてなお答えた。


「感情の話ではありませんよ、オートゥリーヴ伯。今一度冷静になって考えても御覧なさい、敵の動きがあまりにも不自然だ。なるほど策があるとしても、それを易々商人などに話すものですか。先ほど彼から聞いた話は敵が意図的に流した情報である可能性が高い。これは何かしら別の思惑があると考えてしかるべきでしょう。別働隊による城の奪取と偽退、そのどちらか、あるいは両方が、こちらをその思惑通りに誘導するための罠なのかも知れません。すれば敵の動きに呼応して不用意に行動することこそ、今は自重するべきだと」


 アレイラック伯の意見は論理的で説得力に富んだ洞察だったと言える。しかしながら、復讐に燃える男はそのどちらも必要としていなかった。


「その態度を臆したと言っているのだ、俺は!」


 アレイラック伯の言葉を怒声で遮り、オートゥリーヴ伯ガストンは続けた。


「罠だと!? そんなものは弱者の詐術だ! 誇り高きラ・フルト騎士の魂を傷つけるに(あた)わん!」


 泡を飛ばす感情論にアレイラック伯は片目を閉じる。最早無益と悟りながら、それでも怒れる男に道理で返した。


「なるほど、仰るとおりだ。確かにエスパラムの槍は我らの魂を傷つけないかも知れません。ですが何人の槍であれ、突かれれば肉体は傷を負うものです。自重なさい、オートゥリーヴ伯。一時の感情に身を任せて大成は掴めませんよ」


 対峙する二人の男は息を飲んで数舜にらみ合った。やがて間合いを詰めたオートゥリーヴ伯は相手の胸倉をつかみ、低めた声を聞かせた。


「賢しらに語るな、臆病者め」


 踵を返す背中に、ラ・フルト侯軍全権代理者は何も声をかけなかった。


 未明の出撃はオートゥリーヴ伯の独断で行われた。彼の手勢四千と雪辱に燃える六千の将兵、さらに加えてオートゥリーヴ伯の檄に焚きつけられた市民と傭兵による一万余もの混成軍が続き、早いものからルシヨンの城門を出ていった。


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