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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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十一、騎士を射んと欲すれば

「戦は速い方がいいってのは、有名な言葉だよな。ほら、あの、あの聖人が言った」

「聖アルテュールだろう。そして正確には『兵は神速を尊ぶ』だ」

「そう、それよ」ライナーは言い間違いを気にする素振りもなく指を鳴らした。「そんなわけだから、俺も先人の教えに倣って足を使うことにした」


 言って机上の地図に手を乗せる。彼の説明する作戦の概要はこのようなものだった。


 先陣は騎兵、中陣に輜重を配置し、殿(しんがり)は歩兵が担う。陣払いは速やかに、今日明日中にでも行い、必ず敵より先に動く必要がある。四列から五列の縦陣を組んで進路は南へ、街道上を行く。速度は歩兵の足に合わせて、落伍が出ない程度の全力。こちらの動きに応じた敵の追撃を確認したら長槍を構えた歩兵が反転停止、密集隊形で敵を迎え、その間に先陣らは中陣の出せる最高速で南下を続ける。これを逃すまいとさらに追い討ちをかける敵が輜重に追いついたら金目のものをばら撒くなどで敵の勢いを殺ぎ、頃合いを見計らって騎兵が迂回反転。追撃のためにおそらく縦陣を組んでいる敵の騎兵を左右両側面から二度に渡って攻撃する。


「つまりは機動戦、と言うことか」

「それだ」ヤンの言葉にライナーは肯いた。「兵は機動なりってのも、その聖アルテュールの言葉だったか、なあ、たしか」


 やはり正確には「詭道」だが、ヤンは口を挟まずにライナーの言葉を待った。ライナーは饒舌に続けた。


「敵が推定四万と言っても、その大半は歩兵だろうぜ。逃げる相手を追いかけて走り続ければ、自然とまとまった行動はできなくなる。走ることと戦うことを馬と人間が別々に分担してるわけだから、速さも体力も自分の足で走る歩兵や弓兵が騎兵に敵わないのは、まあ当たり前の理屈だ。走りに走って、俺の読みじゃあルシヨンから南に四里五里のあたりだろうな、俺たちの中陣に追いつくのは。お供の歩兵からかなり離れて先行する騎兵の頭数はそう多くならねえだろう。真っ向から戦えば四万対二万だが、騎兵だけを比べるなら五千対三千ってところか。落伍が出ればもっと減るかも知れねえが、そうなるならそれはそれで都合が良い」


 しばしの間が場を満たした。皆作戦の成算について考えているようだった。クラウスの溜め息が、その沈黙を最初に破った。


「簡単に言ってくれるがなあ」難しい顔のクラウスはこめかみを親指でかいて続けた。「お前の作戦には歩兵の身の安全は入ってねえのか? 敵が騎兵を追いかけずに各個撃破に出たら、歩兵は逃げ場のない平地のど真ん中で五千近い騎士に袋叩きにされて全滅必至だ。囮になって死ねって言ってるようなもんだぜ」


「確かに負担はでけえけど、俺だってそんなひでえ命令は出さねえって」ライナーは軽く頭を振って答えた。「間違えんなよクラウス、俺が殿に期待してんのは敵の足止めじゃねえ。堅く守って、こりゃ叩き潰すのは骨だぞって相手に思わせることだ。俺としてはあんまり望んでねえ展開だけど、もし奴らがそれでも先陣を追っかけて来なかったらすぐ反転するさ。そうなりゃ騎兵と歩兵で挟み撃ちにしてやれる。あるいはそうなった方が早くけりがついていいのかもな」


 クラウスはなおも苦い表情を崩さなかったが、ライナーの言う意味を一応は理解したらしい。また溜め息を吐いて地図に視線を落とした。


 その後もいくつかの質問が上がったが、いずれも作戦の可否をどうこうする類のものではなかった。兵糧はどうするのか、弓兵の役割は、敵前に並べた投石機は? 隊長代理は全ての疑問によどみなく答えを返し、さしあたっての命令を与えて程なく軍議は解散となった。





 軍議が終わると、ライナーの指示に従って各自は持ち場に戻った。


 不機嫌顔のクラウスはしきりに頭をかきながら歩兵陣地へ向かう。作戦の成否にかかわる重要な仕事を、彼の指揮する歩兵たちが担っているためだった。


 気鬱な様子はクルピンスキィも同様だった。本陣を出た彼は憤懣の篭った吐息を一つこぼして、最前線の第一陣へと足を向けた。


 ディルクとエンリコは慌ただしく旅篭を飛び出し、第三陣の兵糧庫とそこらにたむろする行商らのところに、それぞれ駆けて行った。


 ユーリィとエティエンヌも連れ立って諜報と偵察の仕事に戻った。用があればすぐにでも戻れるように、連絡用の白犬を一匹ライナーの元に残している。


 ヤンは本陣に残った。魔法士の仕事は今回の作戦に限ってはそれほど重要ではない。代わりにライナーが手をつけるべき事務仕事の処理が、さしあたって彼の片付けるべき仕事となった。


 そしてエイジはと言えば、心ここにあらずといった様子で考え事をしながら弓兵の溜まり場へ足を向けていた。考え事と言うのはもちろんライナーの立てた作戦のことだった。エイジは歩きながらずっとライナーの立てた作戦について考えていた。


 概要には何の文句もなかった。いささか敵に対する見積もりが楽観的過ぎる内容だとは思うが、機動戦なら小回りと言う少数の利を活かして多数の不利を突くことが出来るかも知れない。現状から考えてみればまず合理的と言って良い作戦だろう。何より対案も思いつかないので批判の権利はない。


 彼が頭を悩ませているのは自身の指揮する弓兵の扱いだった。


 ライナーの作戦では弓兵は特別な働きを期待されていなかった。大半は武器を持ち替えて歩兵の指揮下に入り殿に回される。それ以外の一部には輜重の馬車に便乗して工兵その他、非戦闘要員の護衛が命じられていた。


 後者の場合はそれほど危険な仕事ではないので構わない。しかし、前者に選抜された弓兵の労苦は、輜重の護衛とは比較にならないほど厳しいものになるはずだった。ただでさえ弓兵には敵と直接対峙する事に慣れていない者が多い。加えて慣れない得物で激戦が予想される歩兵の真似事をやらされるのだから、戦力として機能することなど期待できるはずもなかった。兵員の中では歩兵の次に数を揃えやすい弓兵の扱いとしてはまだしも批判に及ばない命令かもしれないが、実際人選するエイジにしてみれば、そして前線に送られる兵士たちにしてみれば、これほど気の重くなる話もなかった。


 ライナーはおそらく、遊兵を作らないためにこの編成を提案したのだろう、とエイジは一応理解していた。戦力差のある状況では一兵卒の力も無駄には出来ない。実際現実の問題として、歩騎兵と違い弓兵は走りながらは戦えないのだ。機動力を旨とする今回の作戦において、他に任せられる仕事がないと言うのも理解は出来る。しかし、だからと言って十分な訓練を受けていない兵を最前線に配備すると言うのは強引過ぎるとエイジは思った。


 どちらが正しいと言う話でもない。ライナーは歩兵騎兵指揮官としての経験から、本作戦に期待できる弓兵の能力を過小に評価していたし、エイジはエイジで弓兵の長として戦のやり方を弓兵主体で考えるきらいがあった。


 ともあれ、エイジの悩みは一向に解決しなかった。作戦の抜本的な見直しがない以上、弓兵頭の彼が早急に取り掛からなければいけないのは輜重の護衛に回す、つまりは弓兵全体の中で失いたくない人員の選抜である。


 輜重隊は八百もの馬車に物資と工兵ら非戦闘要員を満載して撤退する。それに相乗りできる弓兵の数は最大でも千人程度だと輜重頭のディルクは見積もった。弓兵隊七千の内、徴募されて間もない五千の新兵には、遺憾ながら貧乏くじを引いてもらうことになる。彼らの能力をエイジは知らないし、人となりに馴染みもない。訓練だって始めたばかりだから突然配置換えを命じられても比較的対応出来るのではないか、勝手ながらそう判断せざるを得ないのだ。問題なのは慣れ親しんだ二千の仲間から、さらに半分を選ばなければならないことだった。


 何を基準に選んだらいい? 能力、人柄、経験、志望?


 いずれにせよ、仲間の命を取捨選択する責任と権利がエイジにはあった。純軍事的に考えれば能力の適性を見て判断するべきだ。だが、その考えでいくなら、膂力に秀でたペペは歩兵に回すべきだし、指揮能力に目立つもののないボリスだって馬車に乗せるべき正当性を失う。


 答えを出せない問題がエイジの視野を狭めていた。甲高い金属音と直後に上がる歓声に、エイジは顔を上げる。いつの間にか、彼は弓兵の訓練場まで来ていたのだった。


 人だかりの中心で得意になっていた男は、若い弓兵頭の存在に気づいて声をかけた。


「お頭、軍議はもうよろしいので?」


 長弓第二大隊長デヴィッド・ブラウンは丁寧な口調で尋ねた。彼は自分より十も年下の弓兵頭に対して礼儀を欠かしたことがなかった。


「ああ、まあ」


 エイジはあいまいに答えて目を逸らした。発しかけた言葉を、吐息ごと飲み込む。是非とも相談したい事柄だったが、人前で話すべき内容ではなかった。何よりもエイジ自身にとって気乗りのしない話題だった。言い出しづらいエイジは衝動的に問題から逃避した。


「さっきのは、何をしてたんだ?」

「ああ、ちょっとした遊びですよ。訓練も兼ねた」


 答えてデヴィッドは的場を指し示した。エイジはすぐに気づいた。いつもは適当な廃材でこしらえられている的が光沢を放っているのだ。人をかたどったそれは、どうやら甲冑のようだった。


 エイジはデヴィッドに続いて的の近くまで歩いた。デヴィッドは続けた。


「北西公領では通し比べとか、抜き合いとか呼ばれるやつでして、射った矢が鎧を貫通した後、どれだけ盛り土にめり込むかを競うんですよ。今私が射ったのがこれです」


 デヴィッドの指先が土に穿たれた穴を指した。エイジはその穴に手を入れてみた。手の甲が半ば埋まるあたりで、中指の先端が微かに矢羽に触れるのを感じる。素直な感嘆がエイジの口から漏れた。


「すごいな……かなり、深くまで入ってる」

「盛り土を貫通させたこともありますよ。的場係がしっかり務めを果たしてるかどうかは、穴の大きさを見れば大体分かります。雑な仕事だと簡単に抜けてしまいますからね」

「へぇ」


 その時、エイジは不意の疑問に行き当たってデヴィッドに尋ねた。


「クルト生まれは皆これをやるのか?」

「ええ、よく遊ばれてると思いますが」

「鎧を撃ち抜いて、矢を射れるってわけだ」

「鎧通しはクルト弓術の基本ですから。これが出来て初めて一人前です」

「デヴィッド、聞きたいんだけど、この的が、例えば隊列を組んで突撃をかける騎士の鎧だったとしても、君には抜く自信があるか?」


 デヴィッドはつと視線を上げ、数瞬宙を仰いだ後答えた。


「……条件と、状況によりますね」


 双方から軽口を言い合う雰囲気が消えていた。弓兵頭は続きを促し、長弓第二大隊長は答えた。


「まず、相手が隊長殿くらい武勇に優れた騎士だと、私にも自信がありません。それと相手との距離、遠過ぎればやはり正確に射抜くのは難しいでしょう。二百間なら二割以下、百間で五割程度、五十間なら八割方狙える自信があります。止まっていれば三百間でも命中させる自信はありますが、鎧を射抜けるかというと、自信を持って可能とは言い難いです。騎士の着る鎧は弓兵にとってこの世のどんなものより硬く感じる時がありますからな。止まっている相手なら、百五十間前後が限界でしょう。ただ」


 デヴィッドは言葉を区切って微かに口角を上げた。


「鎧を射抜く以外にも騎士を仕留める方法はありますよ」

「聞かせてくれ」


 間髪を入れない上官の反応にデヴィッドは気を良くした。得意顔で運ぶ人差し指を自身の目元に止める。


「一番確実なのは兜の細隙を狙う方法です。的は小さいですが、これならどんな剛の者でもほぼ確実に討ち取れます。それから甲冑の間接部、他より防御が薄い部分なら相手のマナを打ち破るのも比較的容易でしょう。そのどちらも難しい新兵なら、馬の足を狙うようにクルトでは教えられます」

「足?」


 デヴィッドは肯いて続けた。


「理屈は目や関節を狙うのと同じですよ。騎士の馬は騎乗者と同じように全身の大部分を鎧で覆われていますが機動力を確保するため足回りは防具が少ないことが多いです。目に捉えられないくらいの速さで動いてはいますが、未熟な矢でも数を撃てばそれを傷つけることは難しくありません。まあ、副隊長殿はお怒りになるかも知れませんが、クルト弓術の格言にもこうあります。騎士を射んと欲すればまず馬を射よ、とね。これはかの英雄アーサー・ネイトの言葉で」

「デヴィッド」


 エイジは部下の饒舌をさえぎった。頭の中でいくつかの案を検討する。考えもまとまらぬうちに足は自然と踵を返して歩き出し、かと思えば突然立ち止まって再び回れ右をする。すぐに怪訝な表情でこちらを見送るデヴィッドを見つけると、エイジはいくらか明るい顔で彼に答えた。


「いや、面白い話をありがとう。おかげですぐに相談したい案件ができた。ちょっと一緒に、とにかく本陣まで来てくれないか。急ぎで」


 返事も待たずエイジは駆け出した。デヴィッドは顔に疑問の表情をはりつけたまま、結局はすぐにその背中を追った。


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