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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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八、二年で得たもの

 考えるんじゃねえ、感じるんだよ、とライナーは言った。


「目を閉じて、静かに意識を集中させるんだ。皮膚の下、骨やはらわたの中、自分の中心に潜っていく、みたいな感じで」


 エイジは言われたとおりにした。ライナーは続けた。


「そうすると自分の体の中、奥の奥に溜まってる力みたいなやつが分かるだろ。炎みたいだって言うやつもいれば水みたいだって思うやつもいる。とにかくそいつは、よくよく注意してみると身体中の隅々、頭の枝毛から足のつま先まで、ぎっしり流れてることも感じれる」


 エイジはやはり言われたとおりに意識を集中させた。炎も水も、何も感じることなど出来なかったが、ライナーはなおも続けた。


「全身がその力に包まれてるって意識するんだな。体の一部だって考えるやり方もあるぜ。まあともかく、それが出来たら今度は強く念じる。何かに怒ったり、やってやるぞって感じで気持ちを昂ぶらせるとやり易い。こんな感じで」


 ライナーは右の拳を握って見せた。相当に強い力で握っているのは分かったが、エイジに感じられるのはそれだけだった。


「マナが暴れだすの、分かるだろ? 目的を決めた方が分かりやすいかな。例えばこの石」


 ライナーは掌大の石を拾い上げてエイジに見せた。


「こうやって握って、強く思うわけだ。負けねえ。俺の方が強い。こんな石潰してやる。そうすると」


 石はライナーの手の中で粉々に砕けた。ライナーはこともなげに言った。


「ほら、な? こんな感じよ」


 やってみろとあごで示されて、エイジも石を拾った。見よう見真似で手の中に握り、念じてみる。たちまち体は震え、歯の間から「んぎぎぎ」と気合のうめき声が漏れる。前腕を中心にして、体全体の筋肉がその小さな石を砕くために力を集中しているのが分かった。頭上を二、三羽の鳥が通り過ぎ、ライナーが二度欠伸をする間も、エイジは顔を真っ赤にして強く念じ続けた。もちろん石は砕けなかった。


「はい、終了~」


 三度目の欠伸混じりにライナーは告げた。


「え?」エイジは石とにらめっこしていた顔を上げた。「ちょっと待った、もう少しで何かつかめそうな気が」

「無理無理、何もつかめやしねえよ」


 ライナーはエイジの手の中の石を指で弾いた。エイジの思いをあざ笑うかのように、石は一瞬で砂利に変わって大地に帰った。


「石砕きなんて教えりゃガキだって出来る初歩の初歩だ。こんだけ時間かけて駄目なら、そりゃもう才能ねえって言われたって仕方ねえ。時間の無駄だって」


 ライナーは革帯に差していた木剣を抜いて大きく伸びをした。柔軟体操で骨を鳴らし、両手に持った木剣をゆっくり正眼に下ろすと、意地悪く口角を上げる。


「時間ってのは、才能ある若者のために使うもんだと俺は思うぜ、先生」


「言ったな」エイジは木剣を取って構えた。


 両者は四間の距離をとって対峙した。構えは互いに前傾気味の八双。二歩ずつ間合いを詰めて、木の刃が風を切る。


 互いの首元を狙った木剣は交差する形で止まった。エイジが踏み出し、同時にライナーが上段に変えつつ一歩退いて即座に振り下ろす。中段に斬りつけた一刀はエイジが左肩に寝かせた剣に流され空を切り、手首で旋回されたエイジの刃が逆を突いてライナーの頭を狙う。エイジの剣を下がりながら寝かせたライナーの剣が受け、一つの型を終えた両者は静かに足を滑らせて後退。休みなく次の型へと移った。


 ライナーの身体は調子よく躍っていた。前後左右、相手の動きに合わせて自在に重心を傾け、操作して、その動きに追随する手足は損ねることなく相手の木剣を受け、かわす。一連の動作は決して人の目で追えないほど速いものではなかった。ただ、末端のみで動かず身体の操作に四肢を追従させて行う動きは、彼がこの二年で教えられてきた技術を完璧な形で体現していた。


「どうだい、大したもんだろ?」


 したり顔で尋ねるライナーに、エイジは頭を振った。


「まだまだ、俺の師匠ならそう言うね」


 実際のところ、ライナーの武術の上達ぶりは大したものだった。エイジが剣術の指南を始めた当初こそ多くの志願者で溢れかえっていた稽古会だったが、その術理の難解さが災いしてか、すぐに教えを請う者の数は減り、今ではライナーとヴァルターの二人しか顔を出さなくなった。


 分けても十日に一度ほどしか参加しないヴァルターに対して、決して暇ではない身であろうに欠かすことなく稽古に出るライナーは、わずか一年半で柔術の修行を修め、さらに半年で剣の基本型は完璧にものにしている。常識を疑わされるような教えの数々に対しても熱心に探究し、弟子としての実力ならヴァルターを凌いでいた。


 言うまでもなく二年もやって石一つ砕けないエイジの『闘技』の素養に比べれば雲泥と言えたが、この段階での満足を許さないのも彼の流派の教え方だった。


 エイジの辛口な評価にライナーは苦笑した。


「そんな、おとぎ話とかの相手を引き合いに出されてもな」

「失礼な。確かに化け物じみてはいるけど、実在するし空想じゃないって」


 真っ向からの斬りを寝かせた剣で受けたライナーはいい加減受けを続けるのに飽きてきたらしい。取りのエイジが寸前で止めた木剣に自身の剣を当てて押し返すと強引に役割を交代した。


 今しがた見てきた取りの動きを、これもまた正確に再現する。左から右へ身を入れ替え、脇から正眼へ構えを変える。上段からの剣を踏み込みつつ右肩へ受け流し、輪を描く剣先は二足目と同時に相手の頭上から真っ直ぐ落とす。


 かん、と木剣が打ち鳴り、ライナーは次の型に移るため脇に構え直して足を退いた。ライナーは無意識に笑みを浮かべていた。彼が相談もなしに斬りかかっても、エイジの受けは必ず正確な動作でそれを受ける。それを間近で見るのが面白いのだ。


 さて、次はどの型で試してやろうか。思案していたライナーは不意に相手の構えが今まで見たこともない形に変わって思わず目を見開いた。


 いや、正確には以前に何度かだけ目にしたことがある。身体は大きく開いた左半身。左の肘を突き出したままその手で剣の柄頭辺りを緩く持ち、横倒しの剣身は右の肩に乗せる。一度見たら忘れることはない。どうにも奇妙で、どう見ても隙だらけな構えだ。


 好奇心がライナーの口角を上げた。正眼に持ち替えて、一歩、二歩、間合いを詰める。


 あと半歩の距離で相手の構えが変わった。相正眼で剣身が交差する。双方間合いの内だ。


 咄嗟に半歩踏み込みつつ斬りつけたライナーは喉に詰まるものを感じて激しく咳き込んだ。


「あ、ごめん」


 くず折れるライナーの背中に手をやってエイジは言った。


「でも今のは自業自得だ、ライナー。強引に踏み込んだりしなければ喉を突かれるようなことはなかった」

「今の、どうやった?」ライナーは喘ぎながらも目を輝かせて尋ねた。「左半身から、右半身の正眼までは、見えてた。いつ、どうやって、突いたんだ?」

「本当は突きで終わる型じゃないんだけど」エイジは苦笑して頭をかいた。「まあ、もう一回やってみるか。立って。相正眼までは同じで、今度はそこからの退き足で上段に変えるんだ」

「正気かよ。あの間合いから上段なんて、斬ってくれって言ってるようなもんじゃねえか」

「良いんだよそれで。実戦の再現をやろうってんじゃない。型稽古ってのは、身体を武術の動かし方に強制するための訓練なんだから」


 エイジは了解を待たずに間合いを取り、先ほどと同じく変則的な八双に構えた。


「実際動いてみれば何で上段なのか分かる。打てるかも知れないなんて欲を出すと、さっきみたいに痛い目見るぞ」


 ライナーは立ち上がった。喉を突かれた恐怖はすでにない。彼の双眸はひとつでも多くのものを吸収しようと輝いていた。


 二呼吸後に、歩を進める両者。と、不意にエイジは構えを解いてライナーの背後を見た。つられたライナーも振り返る。下げた視線は彼を真っ直ぐに見つめる黄金色の瞳とぶつかった。天を突く三角の立ち耳に曇天のような灰色の毛皮を持つその犬は、もの言いたげな目でライナーを見上げていた。


「今日はこれまでだな」


 エイジが手を招くと、胴に革帯を巻いた灰色の犬はすぐに足元へ駆け寄った。エイジはその頭を撫でながら革帯にくくりつけられている赤い紐を手に取った。ユーリィの飼い犬は隊内の連絡係としてしばしば使われる。赤い紐は隊長格を集合させる合図だった。


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