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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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三、理想と暴虐の王

 アンリ一世温厚王の死は、建国から百八十年の長きを大過なく歩んできたガルデニア王国の歴史に、一つの亀裂をもたらした。享年九十一歳と言う長命に恵まれた彼には存命中の男子がなく、父を同じくする兄弟もすでに他界していたため男系の血統が絶えてしまったのである。


 王国法によれば王位の継承は男子のみに許される行為であった。もし嫡子嫡孫を残さぬまま王が亡くなってしまった場合は、王に父親の同じ兄弟がいれば臨時議会過半数の支持で王位を引き継ぐことが出来、以降はその血統が宗家となるように定められていた。

 同父の兄弟がいない、あるいは議会から過半数の支持を得られなかった場合は継承候補者を王の娘婿とその子供(外孫)にまで広げた上で改めて会議を行い、全体の四分の三の支持を集めた者が新たな王と認められた。


 法に則ってすぐさま議会が召集された。六名の公爵と六名の侯爵、そして六名の大伯が一堂に会し、王城の円卓を囲んで熱弁をぶつけた。


 紛糾(ふんきゅう)する議論の末、王冠が落ち着いたのは先王が六十を過ぎてから生まれた第四王女アンナの娘婿ジャン・ドゥ・ラ・リヴィエールだった。ラ・リヴィエール大伯家の三男であるジャンはこの時二十八歳。眉目秀麗で文武に優れ、快活な人柄と真摯(しんし)な仕事ぶりから身分を問わない人気を集めながら、生を受ける順番に恵まれなかったためにラ・リヴィエール大伯家の執政顧問と王邸侍従官に甘んじてきた男である。


 まず順当な結論と言えた。継承候補者はジャン以外にも八人(外孫が五人と娘婿が三人)いたが、いずれも彼に比べれば見劣りした。特定の家門と親し過ぎる、あるいは対立していると言った政治的な問題や、年齢性向等の資質的な問題によって、議場の支持を四分の三も集めるには難のある候補ばかりであった。


 他に選択肢がないと言う極めて消極的な理由がジャンにとっての追い風となった。相対すればジャンを除いて他に相応しい人物はいなかったし、何より彼自身に人を惹きつける魅力と議会の支持を集める弁舌力があった。流石に全会一致とはいかなかったが、最終的には大伯四名、公侯十名の支持を得てジャンの継承は議決された。


 先代の崩御から二ヵ月後、ガルデニア王国の都パラディスの王城にて、戴冠の儀は執り行われた。式典には千を超える高位貴族や名士の歴々が出席し、王城の周辺にも晴れの舞台を一目見ようと国中から人々が詰め掛けた。長引く議会の間に臨時措置として王の代理を務めていた先王妃から王冠を授かり、ここにガルデニア王国第六代王ジャン二世が誕生したのである。


 ジャン二世は皆の期待した通り、いや、期待以上の熱意で職務に取り組んだ。日に三度は会合を開き、各分野の顧問、大臣と王国の抱える問題について話し合った。徴収の滞る税制を見直し、不適当な人事を改め、自らの足で市井を回っては直接民の生活を見聞きしてきた。

 各地の領主との親交も欠かさなかった。議会で彼を支持した貴族とのみ付き合うのではなく、不支持に回った対立派とこそ積極的に懇親を深め、支持派に対してもみだりに王の権威を頼もうとするところがあれば躊躇なく取り締まった。その公平な姿勢は彼への信頼を確たるものとさせ、議会で生まれた多少のわだかまりも、いつしか過去の話となっていった。


 誰もが求める理想の王の姿がそこにあった。不安に揺れていた王国の未来は、ジャン二世の誕生によって繁栄を確約されたと、思わない者はいなかった。


 ところが、天地に燦然(さんぜん)と輝きを誇る太陽がついに草木を枯らせてしまうこともあるように、ジャン二世の存在は次第に王国にとっての害となって行く。


 公平な王は些細な過失も見逃さなかった。追求の余地があれば徹底的にその過失を掘り下げ、容赦のない罰を科して罪を償わせた。


 その裁定には年齢や性別、立場などは一切考慮しなかった。

 二十年近くにわたって王城の警備を任されていた近衛騎士が非番の日に家族を王城に招き入れて処罰された。

 数年内には隠居を予定していた老司書が許可を得ず宮殿内の図書館に泊り込んだ罪で裁かれた。

 知らずその身に子を宿していた侍女は、急なつわりのため宮殿の廊下を汚してしまった罰に棒打ち十回を科せられた。身重の体にとって重過ぎる罰は生まれるはずだった新たな命をその侍女から奪い、失意のあまり彼女は数日後に自死した。


 彼の振る舞いは突然気をおかしくしたためでもなければ強大な権力を手にした者にありがちな慢心と言うわけでもなかった。彼は元来が完璧を信条とする人間だった。自身の行状には当然完璧を求めたし、他人のそれに対しても決して誤謬(ごびゅう)を許さなかった。


 従前(じゅうぜん)の立場なら大きな問題にはならなかった。たとえ重大な過ちを見つけたとしても、土台に身分と階級を据えた社会に生きている以上権威と言う価値観が彼を誤謬の側に従わせた。心に含むところがあっても、権威以上の正義など、少なくとも貴族の社会には存在しないはずだった。


 しかし王となった今、事情は変わってしまった。王国の最高権力者たる王の言葉は何者にも勝る権威だった。今までは立場のために見過ごさざるを得なかった誤謬も不出来も、今の彼なら正すことが出来たし、完璧な王たるためには正さずにおくことなど出来なかった。


 ジャン二世は確かに才能あふれる男だった。そしてその類まれな才気は彼に壮大な夢を抱かせた。

 ルイ一世統一王の威光すらも霞ませるほどの偉業を成そう。この地上に、恒久の楽土を築こう。

 彼の厳しい政治姿勢はその楽園に住まうべき完璧なる人民の選定でもあった。


 玉座へと至る階梯がそのまま楽園にまで続いているかのように、彼の目には見えていたのかも知れない。夢想に魅入られた王は決して自身を省みようとはしなかった。自身の正しさに疑いを持たなければ、それに従わない他者の誤りは明確に見えた。故にジャン二世は誰の言葉にも耳を貸さなかったし、誰の意見も信じなかった。


 してみれば臣下の諫言(かんげん)は彼の崇高なる目的を妨げる雑音でしかなかった。度重なれば処断され、やがて王の所業に異を申し立てる者もいなくなった。


 それは王国にとっても、また彼自身にとっても不幸な運命だったと言える。彼が王になどならなければ、ラ・リヴィエール大伯家の三男で、先王の娘婿でいられれば、抱くはずもなかった夢想が彼を理想の王から遠ざけたのだった。


 苛烈な王政は宮城から自由を奪い、やがて市井をも圧迫し始め、ついに小さな叛意(はんい)を呼び起こした。それは反乱と呼ぶには些細なものだった。幾人かの有力貴族が連名で王の苛政へ諫言を申し立てる、その計画だった。このままでは王国の行く末に不安が募るばかりだと、義憤に駆られた忠臣からの身を挺した進言だった。


 これが童話の類なら、それを聞いた王は自身の行状を省みて心を改めていたことだろう。改心した王に導かれて、ガルデニア王国は更なる繁栄へと歩みだしていたことだろう。


 しかし、童話のように救われないのが現実と言うものだった。事前に企図を察知していたジャン二世は彼ら忠臣たちを会食に誘い出し、伏せていた兵に命じて一人残らず殺害してしまった。のみならず、反乱に加担した下手人の親類縁者に至るまでことごとくを捕らえ、数日の内にその全てをも処刑してしまったのである。


 断頭台は連日の刑執行で真紅に染まり、王城の内庭はこびりついた死臭と腐臭によって近づくだけで吐き気を催す死の庭と化した。


 ジャン二世の暴虐ぶりはこの一件に端を発している。これまでは横暴であってもその理屈の根底には法を用いてきた彼は、弑逆(しいぎゃく)の危機に対抗する名目で王権を強化する法を次々と定めていった。反対する者も当然多数いたが、あるいは粛清され、あるいは爵位と領地を召し上げられて、王の専横に抵抗することは叶わなかった。


 ジャン二世の巧みなところは、王権を絶対の力と信じながらもその主張を自身の口のみによって語らなかった点にある。彼は王に反感を抱く貴族に対して、それらの貴族と反目関係にある別の貴族を重用することで対抗した。


 親政を支持した者には富と権力を約束する。


 ジャン二世の言葉に目の色を変えた貴族は決して少なくなかった。名誉こそが貴族の本懐と声高に叫ばれてはいても、実際名誉ばかりが人の心を動かすわけではない。ジャン二世の支持者は彼の暴政に比して多過ぎるほどに現れた。


 結果、天下は支持派と不支持派によって二分され、両派閥による争いが王国全土を舞台にして繰り広げられた。


 ジャン二世暴虐王がついに謀殺されたのは、彼の治世が始まってからちょうど四年目の春だった。


 暴君の死は王国を元の姿には戻さなかった。王を失くしたガルデニア王国は相変わらず二つの派閥に分かれていた。新たな王によって今度こそ秩序を取り戻そうと訴える王党派と王制を廃し有力者同士の合議によって新たな社会を築こうと考える議会派である。


 双方には譲れない信念があった。歩み寄る機会を幾度も設けながら、結局は武力と言う結論に至ったのは、貴族と言う身分の(さが)であり(ごう)だった。あるいはジャン二世が残した戦乱の熱気が、彼の死をもってしても一向に冷めやらず、残されたガルデニア王国を執拗に戦いへと駆り立てていたのかも知れない。


 いずれにせよ、以来二十年にも渡って両派の間に戦争が続き、離合集散が繰り返されて、今では誰が如何なる思想に基づいて槍を取っているのか、争いの当事者達ですらも忘れることがある始末だった。


 王党派の筆頭ブロワ大伯は議会派のラ・ロシュ侯、ラ・フルト侯らを味方につけて正当な王位を主張した。


 それに異を唱えたのはジャン二世の生家でもあるラ・リヴィエール大伯だった。彼は王国法『相続権の有無と継承の是認』の項を根拠に女系の相続を否定し、傍流ではあるがルイ一世統一王の血を引くゲルジア公の王位継承を支持してブロワ党と真っ向から争う姿勢を見せた。


 その話を聞きつけて我もと名乗り出たのが南西のエスパラム公だった。ゲルジア公に継承権があるなら同格の自分にだってその権利があるはずだと、法もろくに解さぬ身でありながら主張を譲らなかった。


 奴らに続けと王位を求める貴族は後を絶たず、彼らの争いは数年、あるいは数ヶ月の小康期間を設けながら今も続いている。


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