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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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一、戦場の花-1

 空位二十三年の夏が終わろうとしていた。


 ラ・フルト侯爵領中央部、三十里四方に渡って広がるオートゥリーヴ平野は、主都ルシヨンから程近い交通の利便性に加えて平坦で見通しのよい地勢と近隣を流れるローヌス川に由来した栄養豊富な土質も相まって、名実ともにラ・フルト侯領の台所を支える大穀倉地帯である。


 残暑厳しい晩夏三十日。平年ならば刈り入れを待つ麦穂で一面黄金色となっている時節であったが、この年、そこに居並ぶのはおびただしい数の軍旗だった。農夫の代わりに畑の土を踏むのは鎧兜に身を包んだ屈強な男たち。未だ少年と言った童顔もあれば孫がいたとしてもおかしくはない老兵もあり、さらには額に角の生えた鬼や身の丈を超える戦斧を担いだ侏儒(しゅじゅ)、獣様の顔立ちをした獣人と言った亜人の類まで、数だけを数えるなら十万を超える大軍勢が、麦に代わって畑の上をひしめき合っていた。


 燃え盛る太陽を兜の鏡面に反射させながら、たぎる熱気はそのまま彼らの闘志だった。相も変らぬ乱世の弊害が、豊かな実りを根こそぎ焼尽していた。





 事の発端は十日前の出来事だった。


 同年晩夏二十日、収穫を間近に控えたオートゥリーヴ平野は、突如として東方から現れた鉄の嵐に見舞われた。


 完全武装の重騎兵が凡そ五千、後に続いて歩兵七千。赤地に黄帯と青地に白い狼の旗をなびかせた計一万二千の軍勢は、おっとり刀で駆けつけた領伯ガストン・ドートゥリーヴの手勢を瞬く間に蹴散らすと、近在の町村で略奪の限りを尽くした挙句、あろうことか刈り切れなかった麦畑には火を放つ暴挙に出た。止めに入る農民には白刃を突きつけて脅し、それでも聞かない命知らずにはその身を以って立場の違いを分からせた。


 ラ・フルト随一の穀倉地帯は一面炎に包まれた。三日の間炎上し続ける大農場を背に、一命を取り留めたオートゥリーヴ伯ガストンに先導された領民達は、ほうほうの体で侯の座すルシヨンまで逃げ帰った。


 難民たちによる涙ながらの陳情は、小胆で知られる当代ラ・フルト侯シャルル・ドゥ・ラ・フルトの重い腰をついに上げさせた。


 実際はなお消極的な領主の尻を武闘派の臣下が一丸となって叩いた結果だったが、文官の間でも交戦への支持は多数を占めていた。


 無論財政に大打撃を与えられた怒りもある。しかしそれ以上に、領内でこのような狼藉を見過ごせば貴族としての沽券に関わるのである。戦場に立つことなど久しくなかった彼らにしてみても、その体を流れるのは紛れもなく貴族の血だった。この期に及んで何の抵抗も示さないと言うことがどれ程の不名誉となるか、理解できないものは皆無だった。


 かくしてラ・フルト侯爵領は、領内全軍を挙げてのエスパラム公軍掃討作戦を決行する運びとなった。


 ラ・フルト侯シャルルはすぐさま近隣の同盟諸侯に西方のエスパラム本領への牽制を依頼すると共に、領内全軍の召集を呼びかけた。


 東方からの侵略者は確かにエスパラム公軍の旗を掲げていたが、厳重な警戒下にある西の国境を越えてきたわけではない。二年前に南東公領ルオマで起きた一揆の鎮圧に際して、エスパラムがルオマに獲得した飛び地から兵を進めて来たのである。


 開戦当初から度々小競り合いはあったが、やはり軍の規模から言っても主戦場となるのはエスパラム公自らが指揮を執る西の国境線だった。主力をあくまでもエスパラム本領と据えていたラ・フルト侯軍は、その油断を見事に突かれた形だった。


 しかし一万二千と言えば恐らくはその全兵力である。これを駆逐できれば東西に敵を抱えると言う不安定な現状を打破できるだけに、ラ・フルトとしても全力を出さないわけにはいかなかった。


 幸い同盟者の南西侯、サン・ドゥニエ大伯の両者がラ・フルト侯の求めに応えてくれた。今にも国境を侵さんと迫っていたエスパラム本領軍は、北方から迫る新たな敵に対して兵を割き、進軍を止めた。


 それを機にラ・フルト侯軍主力の内五万が主都ルシヨンに帰還し、領内各地から集められた三万あまりの軍勢と合流を果たした。そこに南西侯らの与力と急遽徴募された傭兵、農兵らの二万が加わり、不埒なエスパラム公軍による奇襲からちょうど十日のこの日、未曾有の大軍勢がオートゥリーヴ平野の焼け跡に布陣を終えたのであった。





「閣下、騎兵一万二千、歩兵その他一万八千、共に準備万端整いまして御座います」


 アモーリ・ドートゥリーヴは快活な声で報告した。オートゥリーヴ伯ガストンの嫡男にして戦傷の父に代わり伯軍を率いる少年は、今年十五になったばかりの初陣である。


 彼の言葉は真実を述べていた。敵軍一万二千の布陣するオートゥリーヴ平野から見て北西三里にラ・フルト侯擁する歩騎兵四万が本陣を構え、その両翼、ちょうど鶴が翼を広げるような形で各三万ずつの包囲軍が斜形に並べた隊列を敵の面前まで押し出している。

 突撃の命さえ下れば、計十万の総攻撃が東側を除く三方から戦力比十分の一程度しかない敵軍を容赦なく押し潰す手筈となっており、全軍はまさに、その命を待つのみとなっていた。


 血気をみなぎらせたまま下がろうとしない少年の報告に、ラ・フルト侯軍の右翼を担うユーグ・ドゥ・ラマストル伯爵は「うむ」と肯いた。

 角張った相貌に武人らしい豊かな髭を蓄え、戦を目前に控えながらも動じることのない佇まいは、流石に万の兵を預かる武将のいでたちだった。


「いやはや全く、壮観ですな」


 顔中に滲む汗を拭きながら、ラ・フルト貴族アントワーヌ・ドゥ・ペラ伯爵は息を吐いた。こちらは普段事務仕事が主の文官だからか、小太りの体は慣れない具足に難儀しているようである。


 政事畑のアントワーヌが窮屈な具足を我慢するのは何と言っても主君の命があってのことだった。


 大同団結して決戦に臨むべし。


 ラ・フルト侯シャルルの言葉は身分爵位の高低に関わらずラ・フルト侯軍全将兵に通達され、してみればアントワーヌの感嘆も全く素直な声と言えた。


 最前には出撃の下知を待つ重騎兵が整然と馬首を並べ、その背後に控える歩兵たちにしてもぴかぴかに磨いた甲冑を誇るように整列している。並ぶ得物は一様に天を向き、それに手を添える兵たちの顔には怯えも竦みも認められない。


 普段の生活ではお目にかかることもないラマストル伯軍の勇姿をその目で見れば、誰であれ思わず感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。ましてラマストル伯の軍勢はラ・フルト侯軍でも指折りの精鋭部隊として知られている。その精鋭と肩を並べて戦ができるのだからこれほど心強いこともなかった。


「ペラ殿、卿はどう見る」


 不意に尋ねられ、アントワーヌは目を丸くした。


「と、申されますと」

「敵の思惑について、卿の思うところを伺いたい」

「はあ、思うところ、ですか」


 アントワーヌは途端言葉に窮した。無茶な投げ掛けをした自覚があったのだろう。ユーグは言葉を継いだ。


彼奴(きゃつ)らがこの地に兵を進めて十日が経つ。その間我らが主君ラ・フルト侯には同盟者に支援を請い、兵を募り、こうして敵を包囲するべく万全の布陣を整える時間があった。だと言うのに彼奴らは軍勢の集結を邪魔することもなく、兵を退くこともなく、この開けた平野に変わらず陣を構えている。何故だと思う、ペラ殿」


「エスパラム公の指揮する本領軍と呼応するためでは」筋道を与えられて、アントワーヌは質問の意味を理解した。

「ここで我らを引き付けておければ、その分西方の国境が手薄になります。もっとも、ラ・ロシュの軍勢がエスパラムに差し向けられた今となってはその意味合いも変わってくるでしょうな。今兵を退けばエスパラム公は我らとラ・ロシュと言う二つの勢力と正面から戦わざるを得なくなりますから」

「理に適った良い答えだ。が、小生の見解とは異なるな。我らの誘引が目的なら十日も手をこまねいて待つ必要はない」

「では、閣下はどのようにお考えで」


 ユーグは敵陣を見据えたまま、わずかに口角を上げて答えた。


「要するに、舐めているのだ、彼奴らは。我らラ・フルト侯爵軍の力を」


 ぴりと空気が張り詰めるのを、アントワーヌは感じた。歴戦の勇将は静かに声を抑えながら、その実胸の内に憤怒の炎を燃やしているようだった。口元には微笑を作りながらも、敵方を睨みつける眼光に穏当な風はなかった。


「兵の薄い東方の小競り合いを制して、白狼とやらは少々気が大きくなっているのだろう。この世に怒らせてはいけない相手がいると言うことを、恐らくは知らんのだろうな。聞けばまだ二十五、六の若造と言うじゃないか、無理もない。若者と言うのはとかく自分を大きく見積もりたがるものだ。卿にも覚えがあるだろう、え、ペラ殿」

「ええまあ、そう、ですな」


 戸惑うアントワーヌが言葉少なく応じて会話は途切れた。気まずさから思わずアントワーヌはアモーリ少年に耳打ちした。


「本陣からの下知はまだないのか」

「はい、閣下。再三確認の伝令を出してはいるのですが」


 その時、一里の先にある敵の陣内で、俄かに砂埃が巻き上がりだした。色めき立つ将兵を手で制して、ユーグは声を張り上げた。


「法術士、見ているな!」

「はッ! 敵軍の運動を確認しました!」


 目を閉じたまま弾かれたように返事をした法術士は、深く呼吸をして再び意識を集中させた。目蓋の裏で輝く無数のマナは、一つの例外もなく彼の知覚範囲から遠ざかっていく。自信なさげに小さな声で法術士は続けた。


「数千を超える敵の騎兵が、東方へ、移動しているものと、思われます」

「馬鹿なやつらよ。この期に及んで逃げられるつもりか」


 ユーグが眉間の皺を一層深くした刹那、雷鳴さながらの鬨の声が北方の空に轟いた。


 聖ブロワ、ラ・フルト、エルヴェ・ドゥ・フランシェヴィル!


 喊声は地鳴りと共に密度を増し、敵方も叫びで応えて一帯はすぐさま戦渦の混沌に飲まれた。それでもなお、しきりに聞こえるその声は、左翼の指揮を担うエルヴェ・ドゥ・フランシェヴィル伯爵の勇武を誇って止まなかった。


「下知が下されたようですな、閣下」アントワーヌは不安に曇った表情でユーグを見た。「我らもすぐに倣うべきでしょうか」

「無論」


 答えながらユーグは、フランシェヴィル伯の独断を疑っていなかった。ラ・フルト侯シャルル様には少々決断力に欠けるところがあらせられる。亜人や農民にまで声をかけてむやみやたらに数を増やしたのも、兵を均等に分けず三里も離れた本陣に最も多く割り当てたのも、全ては小胆からくる怯懦(きょうだ)のためだ。殿の判断を待っていてはいつまで経っても戦など始まらないはずだ。


 先駆けが完全に伯の独断によるものか、左翼の大部分を占める傭兵達の暴走によるものかは定かではなかったが、ともあれ先に動いてくれたことにユーグは感謝したかった。もし戦後罪に問われるようなことがあれば少しくらいなら(かば)ってやるか。


 鞍上のユーグは高々と騎馬槍を掲げ、揺るがぬ自信のさせるままに命じた。


「全軍、突撃だ! エスパラムの若造に、騎士の戦のなんたるかを教えてやれ!」


 聖ブロワ、ラ・フルト、ユーグ・ドゥ・ラマストル!


 戦場の空に新たな鬨が上がる。万を超える蹄と鉄靴が、敵陣に向けて駆け出した。





 申し訳ない、とエイジ・ナイトーは心の中で謝罪した。


 指で掌に六芒星を描き、組んだ手を口元に運んで信じてもいない神に祈る。


 どうか天の国へ行かれますように。どうか天の国へ行かれますように。


 二度つぶやけば儀式は終わりだった。


 空堀の縁に手をかけて体を持ち上げる。わずかに覗かせた頭から窺えるのは、こちらのことには目もくれない騎兵の集団が大雑把な縦陣を組んで右から左に駆けて行くところだった。距離は二百五十から三百間。隊列の左側を走る騎士なら余裕で射程内に入っているだろう。


 エイジは再び空堀の中に身を沈め、手振りで仲間たちに合図した。速やかに堀から這い出た長弓隊二百名は、(つが)えた矢羽をもてあそびながら次なる指示を待つ。


 エイジは手に取った鏑矢(かぶらや)を弓に番え、深く息を吸って弓弦(ゆづる)を引き絞った。目一杯に引かれた弦は呼気と共に上空へ向けて放たれる。地鳴りと怒号の乱れる喧騒の中、一際高い鏑の音が山形(やまなり)の軌道を描いて騎士の縦陣に飛び込んでいった。


 直後、無数の風切り音がそれに続いた。びょおびょおと、嵐を思わせる音を立てながら次々矢の雨が騎士群に放たれる。


 わずかながら隊列に乱れが生じていた。悲鳴が聞こえる。馬の(いなな)きが聞こえる。鮮血を吹き出して倒れる騎士の姿が見える。申し訳ないと思いながらも、エイジとて手は止めなかった。


 自分の放つ矢が誰かの命を奪うかも知れない。現に矢が命中して悶え苦しむ人の姿を何度も見てきた。その瞬間に抱く罪悪感も皆無ではなかった。


 だからこそ思う。申し訳ない。すみません。


 しかし手を、止めるわけにはいかない。


 なんとなればそれが戦争と言うものだった。エイジ自身こうして戦場のど真ん中に身を晒している以上、誰かに命を奪われる危険がある以上、攻撃を止めるわけにはいかないのだった。相手がどんな善人であれ、幼子を持つ父親であれ、敵として(まみ)えた者に容赦をするわけにはいかないのだった。


 俺の矢に撃たれた人や動物が、どうか天の国へ行かれますように。心の中で祈りながら、エイジは矢を射続けた。


 程なく隊列の先頭が左に馬首を向けた。後続も(なら)って大きく左旋回をかけながら、槍先は完全にこちらへ向けて突き出されている。


 エイジはすぐさま鏑矢を番えて放った。同時に駆け出す。おっかない槍に背を向けて一目散に目指すのは、三町あまり後方の防壁と柵に守られた第二防御線だ。長弓隊も後に続く。


 ちらと一度だけ振り返った視界の中で、誰かの放った(やじり)が騎士の甲冑の上を滑っていくのが見えた。


 全く、何度見てもでたらめだ。


 吐息を吐く間も惜しんで、エイジはひたすらに駆け続けた。


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