表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
68/131

四十七、別れ

 空位二十一年初夏の十八日。ジロー・ドゥ・テッシュは気の進まない行軍の最中にあった。


 彼の属するラ・ピュセル侯爵軍はダオステの南に位置する森林地帯、コーニュ林道を南下していた。中軍との連絡は絶えて久しい。輜重を中心とした最後尾との距離は四十里近く離れているものと思われる。だと言うのに最前を行くこの軍団の総大将は、見通しの悪いこの森の中で斥候も出さず、嫌がる馬に鞭打って一両日中にも駆け抜けてしまおうと言うのである。


 全く正気の沙汰じゃねえ。隊列を振り返っていたジローは足音に顔を向け、即座に眉根を寄せた。意見の具申にやった部下がげんなりとした顔を横に振りながら戻って来たのだった。


 ジローは溜め息を吐いて馬を急かした。足場は良くないが軽装のため身は軽い。程なくして行軍の先頭が見えてくると咳を払い、苛立ちを抑えた声で呼びかける。


「あー方々、少し、宜しいですか」


 先頭集団はその声に気づいて少しずつ速度を落とした。ご丁寧に各員完全装備の重騎兵。この木々に囲まれた狭苦しい空間で一体どう扱うつもりなのか、立てた騎馬槍をしきりにぶつけ鳴らして、ようよう動きを止める。返ってくるのは重々しい鎧には不釣合いな音域の声による不協和音だった。


「何者だ」

「何故あって我らの足を止める」

「はいはい、失礼。ジロー・ドゥ・テッシュに御座います。今一度閣下に具申したき儀が御座いまして、あ、通りますよ」


 口々に投げられる非難の声を紳士的な苦笑でやり過ごして、ジローは隊列の横をすり抜ける。


 目当ての人物は、あろうことか本当に一団の最前を陣取っていた。甲冑から馬装、得物の騎馬槍と長剣の(こしら)え、果ては馬の毛色にいたるまでを純白で揃え、ぴんと背筋を立てて鞍上に跨る姿には堂々たるものがある。聖ジョルジュもかくやと言わんばかりの見事ないでたちではあったが、その実際を知るジローに言わせればそれは全くの虚飾に他ならなかった。


「何用か」軍団の長は面頬を下ろしたまま尋ねた。やや険はあるが、他の者と同じく澄んだ高音だった。

「馬上にて失礼致します、閣下。ジロー・ドゥ・テッシュに御座います。今一度閣下のお耳に入れたき儀が御座いまして、参上致しました」


 ジローは真剣な面持ちで述べると軽く顔を伏せた。ややあって、純白の面頬が上がった。


 兜の下にあるのは、まず美人と評して良い面相だった。高く通った鼻筋に大きな青い瞳、そして薄い唇のそれぞれに均整がとれていて、見るものを不快にさせない品の良さがある。冷たい声音に同じく起伏のない表情だが、やや下がり気味の目尻には愛嬌があり、冷然とした印象は与えない。鎖帷子(かたびら)に隠されて眉から下唇辺りまでしか露出していないものの、その情報だけで十分判断が下せる美貌だった。


 純白の甲冑に身を包んだ女騎士は、名をマドレーヌ・ドゥ・グリンデルヴァルドと言った。ラ・ピュセル侯爵の臣下グリンデルヴァルド伯爵家の当主で、近衛騎士団の一番隊、通称山百合騎士隊の隊長を務める女丈夫である。


 マドレーヌは細い眉を寄せて答えた。


「許す。申せ」

「はッ」ジローは答えて咳を払った。


「閣下、何度も申し上げますが、少し速度を落とすべきかと存じます。このままでは後続の部隊との距離が開くばかりで十分な連係が取れません」

「テッシュ子爵、卿にはラ・ピュセル侯の禄を食む者としての憤りは無いのか」

「勿論、御座います。御座いますが」

「ならば下らぬ申し出で進軍を妨げるな。我らの眼目は一日も早く公都を奪還することにあるのだぞ」


 にべもない返答にも怯まず、ジローは努めて冷静に理を説いた。


「そうは仰いますが、このまま騎兵だけが先行しても仕方ありますまい。それも全軍の長が率先して前線に立つなど兵理に適いません。もしも道中奇襲を受けたらどうなさるおつもりです。よしんば無事山を抜けたところで、兵馬共に疲弊しきった状態で如何にして十全の敵と戦うおつもりなのです。急く気持ちは重々お察しいたしますが、今は軍勢の掌握こそ優先すべき時では」


「卿にはラ・ピュセル侯閣下のお嘆きが分からんのか!」


 嘆かわしい。全く嘆かわしい。一揆の報を聞いて以来、閣下は食事も喉を通らず、毎晩枕を濡らすばかりで眠れぬ夜をお過ごしあそばされておられるのだ。そのお気持ちを(おもんばか)ればこそ、我らには寝る間も休む暇も惜しんで力の限り忠勤に励む義務があると言うのに、余所者の卿にはそれが分からぬと言うのだな。これだから傭兵上がりなど信用できぬとかねてより申し上げてきたのだ。


 ジローの正論はマドレーヌのまくし立てる怒声とそれに同調する彼女の部下たちの罵声によってかき消された。閣下の仰るとおりです。謝りなさいテッシュ子爵。(かしま)しい金切り声が林立する木々の間を反響し、のどかな森から静寂を奪った。


「いやいや、決してそのような」弁解しつつもジローは心の内で嘆息した。これだから女は。溜め息と共に口を出そうになる言葉を寸でのところで飲み込む。


 ジローの嘆きは特別女性を卑下するような意味合いは持たなかった。人々が狩猟によって生計を立ててきた太古の昔より、生死を懸けた戦いの場とは即ち肉体的な優位を誇る男の職場であり、そこに婦女子の介入する余地など無いのが常識とされてきたからだった。


 高度な文明を築いたと言えるこの時代に至っても事情は変わらず、尼僧と娼婦以外の女性が戦場に近寄ること自体がまず珍奇な状況と言えた。騎士道に則れば女性は守るべきものであったし、聖教会も女性の尊さを賛美する立場にあった。兵役とは男性にのみ課せられた義務であり、女性には戦わない権利と言うものが多くの場合法によって保障されている。


 そんなか弱き、守られるべき女性が死と暴力の坩堝(るつぼ)たる戦場に出るなどとんでもない。真っ当な教育を受けた貴族の男子なら一人の例外とてなくそのように考えるはずであり、結果的に男女がその生き方、役割を明確に区別する男女異権の社会が形成されてきたのである。


 しかしながら、何事にも例外はあった。


 ラ・ピュセル侯爵家は王国法により女性の家督相続が認められている数少ない貴族家の一つである。その経緯は歴史に詳しく、法の制定はルイ一世統一王の時代にまで(さかのぼ)る。


 ともあれ、爾来(じらい)伝統的に女権の強いラ・ピュセル侯爵領では軍務においても例外なく要職の多くを女性が担っていた。分けても近衛騎士団と言えば任官の条件からして女性であることを掲げる生粋(きっすい)の女所帯である。


 しかし近衛と言う割りにその練度は決して高くなかった。元来があまり好戦的ではないお国柄もあり、彼女ら近衛騎士の訓練と言えばもっぱら整然とした隊列による行進や武具装具の保守点検ばかりで実戦の経験はそれこそ皆無だった。


 彼女たちの緊張と混乱は、任官以来初めてとなる実戦を目前に控えた者としては至極常識的な反応だった。高々と掲げた使命感ばかりに駆り立てられて現実の状況を一つも(かえり)みようとしない強行軍も、極限にまで達した心労の為なら致し方ない行動と言えた。


 ラ・ピュセルでの暮らしの長いジローとて当然理解していた。具足を着込んで馬に乗り、男言葉を用いても女は女。感情に任せた金切り声で自ずから耳を塞ぐ様は癇癪(かんしゃく)を起こした時の彼の細君に同じだった。


 事が家庭内なら時間に解決を任せるところだが、未だ全容の知れない敵地とあればそうもいかない。何としてでも冷静になってもらって、一刻も早くこちらの理屈が聞こえるような話し合いの卓に着いてもらう必要がある。


 なんとなれば、彼女たちの自侭な振る舞いによって生じるツケを支払わされるのは、いつだってジローのような下の者達だからだった。指揮官の無能によって命を落とすのがいつだって前線の兵卒であることを知っていたからだった。


 さりとて、どうしたものか。穏便な苦笑で金切り声をやり過ごしていたジローは、不意に表情を険しくして腰の長剣に手をかけた。


「な、何の真似だ、テッシュ子爵」


 色めき立つ近衛騎士達を背後に庇うと、即座に剣を抜いて、生い茂る木々に狭められた林道を凝視する。


「お下がりください。何者かが潜んでおります」


 確証は無かったが確信はあった。いくら油断していたとしても、長らく傭兵として培ってきた彼の勘は茂みに潜む不穏な気配を察知していた。


 同時に、とても(まず)いとジローは思った。賊の類ならはったりで退かせることも難しくないだろうが、もし相手が東都の傭兵隊だったなら、目も当てられない大損害を被ることは必至だった。


 果たして、警戒するジローの視線の先から投げかけられたのは敵意を感じさせない声だった。


「もし、そちらはラ・ピュセル侯閣下の御手勢では御座いませんか」


 言って茂みから姿を現す具足には覚えがあった。木漏れ日を照り返す白銀の胸甲には咆哮する狼の横顔がはっきりと見て取れる。


 やれやれ、びびらせやがって。未だざわつき続ける近衛騎士隊のご令嬢方を尻目に、安堵の吐息を漏らしたジローは剣を納めた。





 ラ・ピュセル侯軍と白狼隊の合流は同日の午後に果たされた。


 林道を抜けてすぐの平野にて、山百合騎士隊はすでに陣を構えていた白狼隊の歓待を受けた。


 隊長を名乗る若者の悠長な接待には苛立ちを覚えながら、国益のためと礼を失さない態度でマドレーヌは応えた。北都攻略に当たってはエスパラム軍の助力が大きかった、目的が同じなら相争う必要は無いと、必死に取り成すテッシュ子爵の顔を立てたのだった。


 一通りの形式ばった挨拶が済めばもう用は無い。一刻も早い進軍の再開をと踵を返したマドレーヌだったが、その傭兵隊長にとっては事情が異なるようだった。


「閣下御自らの御裁量を与かりたき儀が御座いまして」


 たっての願いと強引に引き止められ、結局断りきれずに陣所の奥へと通される。


 日はとうに南中を過ぎていた。リティッツィまでは未だ四十里以上の距離があった。


 考えれば考えるほどいや増す苛立ちに気炎を吐く思いだったマドレーヌは、案内された先で思わず小脇にしていた兜を取り落とした。焦りも怒りも一瞬の間に霧消する、それこそ幻と見紛うよう光景を目にしたためだった。


「お(ひい)様……?」


 呆然とつぶやく声に、少女達が振り返る。牧童が着るようなぼろぼろの平服に短く刈り込まれた金色の髪は、とても彼女の記憶する人物とは似つかなかったが、他ならぬその面相は確かに、彼女が慣れ親しんできた二人の少女達を思い出させた。


 マドレーヌは我知らぬ間に駆け出していた。


「お姫様に、御座いますね。覚えておいでですか。ラ・ピュセル侯軍近衛騎士、山百合騎士隊のマドレーヌに御座います。グリンデルヴァルド伯爵家の、マドレーヌに御座います」


 マドレーヌは跪いて少女達の手を取った。しきりに涙声を詰まらせて、懇願するように二人を見上げる。


 同じく目に涙を滲ませて、アンジェリカは答えた。


「ええ、ええ! よく覚えていますよ、マドレーヌ! 幼きころ、ガビーを伴って遠乗りに連れていってくれましたね。美しい白騎士マドロン。よく覚えていますとも、ねえ、ガビー」

「もちろん、忘れるわけないわ」ガブリエッラは腰をかがめ、マドレーヌの首に抱きついて頬を寄せた。「あなたの優しい白毛馬は元気? あの子のおかげであたしは馬が好きになったの」

「元気、元気です。今日も、一緒に」マドレーヌはガブリエッラを抱き返して洟をすすった。「ああ、お姫様方、よくぞ、ご無事で」


 耐え切れなくなったマドレーヌは、とうとう顔を伏せて嗚咽しだした。公姫姉妹ももらい泣きの形で互いを抱き締め合い、人目もはばからぬ号泣の大合唱が傭兵陣地に木霊した。





 彼女らが泣き疲れるころにはすっかり西日が射す時刻となっていた。


 現状を思い出したマドレーヌは、慌てて手勢の山百合隊を集合させ、すぐに撤収の準備を始めた。


 ラ・ピュセル侯軍の主目標は依然一揆の平定、公都の奪還にあるが、近衛にとってひとまず目標とするべきは主君に姪御の無事を伝えることにある。作戦の指揮は後続を待った後テッシュ子爵らの先遣隊に一任することにし、マドレーヌ直率の山百合騎士隊はラ・ピュセル侯が未だ戦支度の最中にある主都シュテッフェルへ、ルオマ公姫姉妹を護送してはどうか。テッシュ子爵とエスパラム公軍の代表者たるヴァルター・ベレ・フォン・エッセンベルクによる進言を受け入れた形だった。


 さしあたってラ・ピュセル侯軍の行動を阻むものは無かった。危惧していた東都の傭兵隊と遭遇することも無く、街道沿いの中小都市は「エッセンベルクの白狼」の名を聞いただけで容易く降伏を受け入れた。ラ・ピュセル侯軍近衛騎士隊は、幸いなことに一度の戦闘にも及ぶことなくルオマ北西部一円をその支配下に治める事となっていた(エスパラムとの連合と言う形ではあったが)。


 とんとん拍子に話はまとまり、日ごろの訓練の成果である規律の取れた行動のおかげもあって支度は全く順調そのものと言えた。


 ただ一つ、護送されるルオマ公姫姉妹の気持ちを除いては。


「どうして駄目なのですか、マドロン!?」


 マドレーヌの右手を取って、訴えるのはアンジェリカだった。細い眉根に皺を作って、困り顔のマドレーヌは潤んだ瞳から目を背けた。


「何度だって申し上げますが、規則なのです。法があるのです。お姫様」


 答えた矢先に左手を引かれる。こちらに縋りついて駄々をこねるのは頬を紅潮させたガブリエッラだ。


「もう! マドレーヌの分からず屋!」

「ええ、マドレーヌは分からず屋です。それが分かったなら、さあ、お早く、お支度を」


 二人がごねているのは彼女達の従者の扱いだった。少女達が当然許されるものと思っていた従者三名の随行をマドレーヌが頑として謝絶したのである。


 理由はマドレーヌの言い分通り法にあった。


 ガルデニア王国の法体系は王自らが制定する王国法を頂点にして高度に細分化されている。法の基本理念や王国臣民のあるべき心構え等、王国を形作るための基礎となる部分を規定しているのが王国法であり、それをさらに細かく実用的な条文として定めたものが各聖人の名を冠した憲章である。そしてその憲章を元にして文化や風習等の地域差を補うため、各地方ごとに制定されたものを侯爵領では領国法と言った。


 ラ・ピュセル侯領の領国法では、領内外への人の出入りに関して(こと)に未婚の男性を厳しく取り締まるよう定められていた。関所に常設されている査問機関を通し、短くて数日、長ければ一月にも及ぶ入国審査を通らない限り領国への通行は許されず、仮に入国が叶っても大抵は窮屈な生活を強いられることになった。


「お姫様の従者であっても例外は認められません。きちんとした素行調査の元、問題がないと判断されれば、入国も許されることでしょう。どうしても随行させたいと仰るなら、ダオステまでなら認めます。それより北に行けるかどうかは従者達の心がけ次第、と言うことです」


 厳しい口調で言い放つと、マドレーヌはみすぼらしい三人の従者達を睥睨(へいげい)した。上背がある分その鋭い視線には一層の迫力があり、動じない瞳からは強い意思が感じられた。


 どこの馬の骨とも分からない輩を、大事な姫様方の側に置いておく訳にはいかない。ラ・ピュセル生まれの女としては極常識的な男性蔑視の感情が、マドレーヌの表情をことさらに険しくさせていた。


「素行調査と言うのは、何をするの?」アンジェリカは恐る恐ると言った様子で尋ねた。


 一転、相好を崩してマドレーヌは答えた。


「生まれや経歴、人となりを調べて、そこに嘘偽りが無いか実際の生活態度を見て判断するものかと。早ければ数日で済みます。厭うほどのものではありませんよ」


 その答えに、アンジェリカは途端口をつぐんだ。人となりについては問題にならないはずだった。英二もペペも純朴なお人好しと言える人柄だし、ボリスにしたってぶっきらぼうなところはあっても根っこの部分は情の深い善人であると彼女は信じていた。


 しかし、生まれや経歴は。


 偽りなく証言するなら、彼らはエスパラムから逃げてきた奴隷の身分である。豊かで人の多いルオマ生まれのアンジェリカにしてみれば馴染みのない身の上だが、奴隷身分にある者が所有者の元から逃げることが、死に値する罪であることくらいは知っていた。一月後でも半年後でも入国が許されるなどと考えるのは希望的観測と言うもの。実際には良くても国外退去措置、最悪の場合彼らにとっては縁もゆかりもないラ・ピュセルの法に則って死罪と言うのが妥当なところだった。


 危機から脱したとは言えアンジェリカの胸中には未だ根強い不安が残っていた。伯母であるラ・ピュセル侯を信用していないわけではない。マドレーヌの献身も身に沁みる有難さだった。それでも、ここで英二達と、折角巡り合った彼女の騎士達と別れるのだけは嫌だった。


 ちょっとした別れが、永遠の離別になることだってあるもの。何の前触れもなく突然に両親を失った経験が、アンジェリカの不安をことさらに駆り立てた。


 続く言葉を思いつけぬまま、アンジェリカは見る見る気を落としていった。そこへ追い討ちをかけるように口を挟んだのは、彼女がようやく若干の信用を置き始めていたエスパラム騎士ヴァルターだった。


「恐れながら殿下、今お二人が何よりの大事とすべきは伯母上様にお二人の健在なお姿をお見せすることではないでしょうか。殿下のお供廻りなら伯爵閣下をはじめ近衛騎士の方々もおられます。従者殿方を伴う必要はないものと存じますが」


 余計なことを、と言わんばかりにアンジェリカはヴァルターを睨んだ。つと視線を逸らすエスパラム騎士にはあらためて不信を抱くが、その言い分自体にはやはり反論の余地がない。


 窮したアンジェリカは当の本人達に話を向けた。


「あなた達はどうなのですか? 私達の騎士でしょう? 是非伯母様に紹介して差し上げなくてはいけませんし、もちろん一緒に来てくれますね? その方が良いと、思いますね?」


 問われて、ぺぺは二人の顔を窺った。どうしよう、と弟分に目顔で訴えられたボリスが肘で英二を小突く。ばつが悪そうに頭をかいて英二は答えた。


「俺、いや小生も、ヴァルター殿の意見に賛成いたします。今もってご心配なされているラ・ピュセル侯閣下に、一刻も早くお二人のご無事なお姿をお見せして差し上げるべきと、存じます」


 英二は少しの罪悪感から顔を伏せた。その回答は乱の早期終結のためとヴァルターが入れ知恵したものだった。


 実際、怒髪天を突くラ・ピュセル侯がいま少しだけ冷静さを取り戻すことは、司令部の暴走によって生じる戦線の混乱と泥沼化を抑制出来る期待もあったし、姫君二人の安全を思えば、一刻も早くルオマを出るべきだと英二自身も思っていた。


 英二の答えにアンジェリカが反応する隙を許さず、ヴァルターは言葉を継いだ。


「ご心配には及びませんよ。従者殿方の身柄はこの『エッセンベルクの白狼』が請け負います。こう見えて小生、この辺りではそれなりに名の知れた傭兵隊長を自負しておりますゆえ、ガルデニア王国広しと言えども小生の側ほど安全な所は二つと無いことでしょう」

「あなたはまた、差し出がましい事を」


 食って掛かるアンジェリカを制して英二も続けた。


「ヴァルター殿もこう仰ってくださいますし、我々のためにお心を砕いていただく必要はございません、殿下。もとより小生らは、殿下方のお側にお仕え出来るような身の上にはないのです。そのような従者を伴っては、ルオマ公家の品位を下げることにも」


 そこまで言って、英二は自身の失敗に気づいた。先ほどまで勝気な瞳でヴァルターを相手にしていたアンジェリカの表情が、気づけば石畳で盛大に転んだ幼児のようなものになっていた。


 驚きが先んじて痛みを自覚出来ていないらしい。遅れて理解した言葉の意味に、アンジェリカは堪らず声を震わせた。


「エイジ、あなたまで、そんなことを言うの」


 丁寧な言葉であっても、その意味するところは明確な拒絶だった。丁寧であればこそ、返って強い拒絶を感じたのかもしれない。アンジェリカの瞳は見る見る涙で満たされ、自然呼吸は嗚咽に変わっていた。


「あの、殿下」


 英二は慌てて取り成そうとした。が、いやいやと頭を振って耳を塞ぎ、今度はアンジェリカの方が英二の言葉を拒絶する。


 その子供じみたしぐさに、改めて英二は良心の呵責(かしゃく)を覚えた。齢十二、三の女の子が、普段は妹の手前大人びた風の多い彼女が、こんなにも必死になって俺たちの身を案じてくれている。別れを惜しんでくれている。


 それなのに、人の言葉を借りて言いくるめようだなんて、不誠実じゃないか。義にもとるじゃないか。少なくとも、騎士を名乗るにふさわしい態度だとは思えない。


 意を決した英二は、アンジェリカの両手に自身の手を重ねて告げた。


「聞いてください、アンジェリカ」


 不意に名を呼ばれ、アンジェリカは思わず顔を上げた。滲んだ視界に映るのは、彼女より少し背の高い英二の、憂いを帯びた微笑だった。


 優しく諭すように、英二は続けた。


「どこにいようと俺がお二人の騎士であることに変わりはありません。お二人に手ずから授けられた叙任を、俺は忘れないからです。一度お二人の危機と知れば、たとえ地の果てにいたとしても、必ず馳せ参じます。だから今は」


 泣かないでください。英二は掌に布切れを乗せて差し出した。高級な絹織りなどではない、硝子窓の掃除にでも使われそうな粗末なものだった。


 非礼だと、当然マドレーヌは思った。取り上げるつもりで身を乗り出せば、陣羽織に抵抗を感じて踏み止まる。傍らでガブリエッラの小さな手が、羽織の裾を引いていた。


「必ず」しゃくりあげる声でアンジェリカは答えた。

「必ず、ですよ。約束、ですから、ね」


 泣き顔を精一杯に歪めさせて、アンジェリカは差し伸べられた英二の手に自身の手を重ねた。布切れは優しく握られた彼女の掌に包まれ、払われる事はなかった。





 照りつける西日を背に受けて、山百合騎士隊は急ぎ街道を東へ流れていった。


 長らくその後ろ姿を見送っていた英二は、不意に声をかけられた。


「お前、生まれはルオマか?」

「いいえ、違い……ますけど」


 訝しげに答えると、ヴァルターは変わらず東の空を見据えたまま苦笑した。


「ルオマ男でもないのに、よくあんな、くさい台詞が吐けたもんだな」


 英二は自身の発言を思い出して赤くなる顔を伏せた。言われてみれば確かに、気恥ずかしさを覚える内容だったように思う。地の果てにいても会いに行きますなんて、よく根拠もなく言ったものだ。


「すみません」消え入りそうな声で英二は答えた。

「何で謝ってんだよ」ヴァルターは苦笑を漏らして続けた。

「俺はゲルジアの田舎の生まれだ。ゲルジア、分かるか? 北東公領の」


 英二は頭を振った。大体の位置関係しか分からなかった。ここルオマが南東公領と呼ばれているのだからここから真っ直ぐ北に位置する領地なのだろう。


 ヴァルターは構わず続けた。


「親父は一応貴族の家柄らしいが、お袋は平民の生まれだ。さして裕福でもない農家の一人娘だったし、親父とは結婚もしてない。まあ私生児ってやつだな」


 それっきりヴァルターは黙って、また夕焼けの空を眺めだした。返すべき言葉が分からず、英二もまた同じように東を見た。視線を落とせば長く伸びた影の輪郭がぼんやりと宵の色に溶け始めていた。


 しばしの間を空けて、ヴァルターは再び口を開いた。


「あーつまり、何が言いてえのかっつーとな」


 ぼりぼりと頭をかいて言い辛そうに眉をひそめる。頑なに話し相手の方を見ないのは名状しがたい照れのためだった。


「とりあえずそのかたっ苦しい喋り方やめろ。むず(がゆ)いったらねえ」


 英二は若干の驚きに目を見開いた。そして、次の瞬間には思わず噴き出していた。


「何笑ってんだよ」

「いや、ついこの前も、似たようなことを言われたなと思って」


 ツボに入った笑いは止められなかった。可笑しさと言うより嬉しさが、英二に笑うことを止めさせなかった。

 エスパラムから逃げて、色々な人と出会って、二人も友達が出来た。それがただ嬉しくて、ほんの少しだけ涙が出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ