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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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四十六、決着

 歓談の雰囲気は徐々に変わっていった。だらしなく薄ら笑いを浮かべていた傭兵達の口角は次第に下がり、「あれ?」とか「ん?」と言ったつぶやきをしきりに漏らしては決闘者の二人を見つめた。


「ありゃあ流石に、まずいんじゃねえのか」クラウスは誰にともなく問いかけた。「遊ぶにしたってやり過ぎだろ。あの間合いで、剣を捨てるなんて」

「だよな、確かに」エンリコは肯いた。彼もまた、状況をよく理解していなかった。


 傭兵達は一様に思っていた。首筋に短剣を押し付けられながら、長剣を手放してしまったとしても、あの隊長殿が、まさか負けるはずはない。妄信に近い信頼が、彼らを現実への理解から遠ざけていた。


「まずいもくそもねえよ」ライナーはただ一人驚きを隠せない表情でつぶやいた。

「隊長殿の負けだ」


 ライナーのつぶやいた事実は少しずつ傭兵達の耳に届いた。


「隊長殿が負けた」


 口にしてみれば理解も容易かった。実際どう贔屓目に見ても、追い詰められて剣を捨てた隊長殿が、彼らの目の前にはいるのだ。


 しばしの静寂はざわめきに変わり、やがて怒りを孕んだ沈黙となった。荒くれ者達は得物に手を伸ばし、未だ窮地にある隊長殿を救い出さんと殺気立った目を英二に向けた。無敵の傭兵隊長、「エッセンベルクの白狼」が、こんな若造を相手に遅れをとったなど認めない。許せるはずがない。


 騎士の名誉など知った話ではなかった。傭兵達の多くは由緒ある貴族の家柄ではない。ここであの少年たちを亡き者にしてしまっても、彼らには惜しむ名など無いのだ。


 荒くれ者たちの動きを制したのは隊長殿だった。ヴァルターは皆に聞こえる大きな声で告げた。


「参りました。小生の負け、完敗です」


 ヴァルターはなおも短剣を離そうとしない英二を見下ろし、次いで立会人に視線を送った。


「あ、騎士殿、エイジ殿、貴殿の勝利はもはや疑いようの無いもの。この上の流血は神の望むところではありませぬゆえ、どうか決闘の相手に慈悲を賜りたく」


 立会人の仲裁で決闘は完全に終着した。後に残ったのはいまいち納得できない傭兵達の不満と、期待はしても想像まではしていなかった意外な結末に只々感情が追いつかない少女たちの混乱だった。


「勝ったの? ねえ、ペペ?」ガブリエッラは傍らの巨漢を見上げた。

「ああ」ペペはぼんやりと肯いた。「勝ったんだよ、お姫さま、エイジは」


 なあ、兄貴、そうだろ。振り返るぺぺの傍らからアンジェリカは飛び出した。続いてガブリエッラが、後に遅れてペペが、英二の元に駆け寄る。


 アンジェリカは呆然と立ち尽くす英二に飛びついた。受け止めきれずに転倒する英二を人目もはばからず抱きしめて、土の上を転げ回りながら歓喜の声を上げた。ガブリエッラも姉に続き、最後にやって来たペペが三人まとめて抱え上げ、雄叫びを上げる。


 とうとう英二も笑い出した。高々と拳を掲げ、他の誰でもない自身の勝利を祝ってくれる仲間たちに応えた。周りの空気など気にも留めず、彼らは勝利の喜びに身を任せた。


 わざとらしい咳払いが、英二たちを現実に戻した。見ればいつの間にか騎士ヴァルターは(うやうや)しく(ひざまず)いて頭を垂れていた。


 英二達が静まるのを待って、ヴァルターは口を開いた。


「両殿下におかれましては、大変な御無礼を働き恐縮の極みに御座います。如何様(いかよう)に罰せられても致し方ない身の上であること、重々承知の上では御座いますが、もし、お許し頂けるのであれば、この騎士ヴァルター、一生涯の忠誠を誓い、武勲と忠勤を以って両殿下への謝罪に代えたき所存であります。願わくばどうか、寛大な御処置を賜りたく存じます」


 アンジェリカは困惑して英二を見た。傭兵達を一喝した荒々しい態度と貴族の御曹司と言っても十分通じる丁寧な振る舞い。どちらがヴァルターにとって真実の顔なのか分からずに戸惑っているのだった。英二が小さく肯くのを見て、アンジェリカは答えた。


(おもて)をお上げなさい。さし許します」

「はッ、有難く存じます殿下」ヴァルターは顔を上げ、なおも跪いたまま続けた。

「エイジ・ナイトー殿、貴殿の流派を、今一度お聞かせ願えますか」

「内藤流、です」英二はおずおずと答えた。

「ナイトー流」ヴァルターは噛み締めるように繰り返した。「申し訳ないのですが、やはり存じ上げません。自身の不明を恥じる思いです。貴殿が創始なされたので?」

「いいえ、父祖からのものです」

「ふむ、それは興味深い。このような剣が世にも知られず存在していようとは」


 ヴァルターは再び頭を下げた。身構える英二に、変わらず慇懃な態度で続ける。


「貴殿の冴え渡る剣技には、小生まことに感服致しました。この上は是非小生にも、その妙技をご教授頂きたく存じます。どうか我が隊『エッセンベルクの白狼』にて、剣術指南の役を引き受けて頂くわけには参りませんでしょうか」

「え?」


 突然の申し出に、英二は間抜けな声で答えてしまった。少しの間の後、言葉の意味を理解し慌てて首を振る。


「いや、いやいや、そんな俺、いや、自分は、人に教えられるような、その、身分じゃないので」


 事実、目録(それも自称)では内藤流の指導者としての資格は認められなかったが、気持ちの面でも英二には人に教えを説く余裕などなかった。先程の勝利もぎりぎり判定勝ちのようなものであったし、技量に関して言えばようやく目録程度の実力。人に教えを請いたいのはむしろ英二の方だった。


 しかし、そんなことはお構いなしとヴァルターは英二の手を取って食い下がった。


「そう謙遜なさらずに、どうか小生に剣をお教え下さい。どうか」


 ヴァルターは英二の腕を引くと、その耳元に口を寄せ潜めた声で告げた。


(うけたまわ)ったと言いな。悪いようにはしねえ」英二の腕を取る手に力を込めて続ける。「お前さん闘技はからっきしだろう。そんな様で要人の護衛なんかが務まると思うのかよ。世の中俺のような馬鹿ばっかりじゃねえんだ。お姫様の騎士なんかやってたら、手っ取り早く名を上げたい命知らずが腕試しに喧嘩を売ってくることだって一度や二度じゃ済まねえはずだ。そうなった時、今日みてえな勝ちが拾えると思ったら大間違いだぜ」


 英二は返す言葉をなくした。誰よりもヴァルターとの実力差を痛感していたのは英二自身だった。今日の英二の勝利は、あくまでも剣技にこだわるヴァルターの手心に上手く付け込んだ結果に過ぎない。もしヴァルターがその気だったなら、最初の数合で為す術もなく斬られていたことだろう。居合とて、二度同じ手が通用するかと問われれば肯定する自信はなかった。


 なんとなれば、英二の術技はようやく目録を名乗れる程度だった。未だ神速に至らぬ剣で今日のような幸運の勝利に期待するのは、誰かの命を与る立場にとってふさわしい心構えとは言えなかった。


「悪いことは言わねえからうちに来いよ。俺が闘技の手ほどきをしてやる。代わりにお前は剣を教えるんだ。悪くねえ取り引きだろ、なあ」


 厳しい口調から一転、優しく諭すように言われて、動転した英二は思わず肯いていた。


「う、うけたまわった」

「おお、お引き受け下さいますか」ヴァルターは口角を上げて英二の手を握った。次いで立ち上がり、未だ殺気立つ部下たちに告げる。


「聞いたな、野郎ども! 今日からこちらの先生が剣を教えて下さる。一番弟子は俺だ。他の何が間違っていようと、剣の道に関してはいつだって巧者の意見が正しい。この決定に不満があるやつは俺と先生に勝ってから主張しろ。分かったか!」


 傭兵達は顔を見合わせた。その急な決定と言うよりも隊長殿が負けたと言う事実に納得する者はほとんどいなかったが、少なくとも隊長殿には自身の敗北を隠すつもりも無かったことにするつもりもないらしいことは理解出来た。


「返事はどうした?」


 隊長殿の声に、傭兵達は背筋を伸ばして答えた。


「はい、隊長殿!!」


 ヴァルターは満足して肯くと、再度跪いて今度はルオマ公姫姉妹に頭を下げた。傭兵達に対するものとはまたも一転して、またも礼儀をわきまえた物言いに戻る。


「恐れながら殿下、一つお尋ねしたき儀が御座います。お許し頂けますでしょうか」

「許します」

「はッ、殿下。小生の記憶によれば、ルオマ公家は隣国のラ・ピュセル侯爵家と御縁のある間柄と窺っております。如何でしょうか」

「ええ。ラ・ピュセル侯家は母の生家です。それが何か」

「なるほど、それならばひとまずは、北都ダオステに身を寄せるのが得策かと存じます。聞けばラ・ピュセル侯軍は殿下方の身を案じ、すでに軍勢を差し向けているとのこと。先遣隊の駐屯するダオステなら必ずや殿下方の御身を安んじられることでしょう。道中の安全は我ら『エッセンベルクの白狼』が請け合います。如何で御座いましょうか」


 アンジェリカは妹と英二へ、交互に視線をやった。正直なところ有り難い申し出ではあったが、そう簡単に信じて良いのかと言う疑念もあった。昨夜の狼藉振りといい、つい先刻までのやり取りといい、やはりこの騎士には信用に値する要素が何一つ無いのである。


 申し合わせたわけではないが、妹も同じ気持ちなのだろう。ガブリエッラは不安げな面持ちで姉を見上げ、その手を強く握った。


 迷うアンジェリカの気持ちを決めたのは疲れ切った英二の表情だった。死闘を終えたばかりの英二は目に見えて消耗していた。疲労のためか膝が震え、今にも倒れてしまいそうなほど顔色も悪い。そんな状態で、頼りなげな手は短剣の柄頭に添えられていた。長剣を砕かれた英二にとってはその小さな刃だけが頼みなのだった。


 これ以上の無理を強いるわけにはいかない。今度は私達が英二を守らなければ。アンジェリカは妹の手を強く握り返して答えた。


「分かりました。よしなにお願い致します、ヴァルター殿」





 ヴァルターの下知で白狼隊は陣を払った。


 歩兵の指揮は引き続きディルクが担い、ヴァルター率いる騎兵はルオマ公姫を護送して一路ダオステへ。


 傭兵達にとって隊長殿の命令は神の声に等しかった。心に思うところがあっても、隊長殿が命じればその少年少女たちは賓客として遇された。


 ただ一人、ディノ・ディアスだけがその命令に反感を抱いていた。ルオマ公姫の扱いなどどうでも良かった。だが、そのお姫様方の従者たちについては不平しかなかった。


 ディノは思っていた。何故あいつらのために、働かなければならない。何故隊長殿は手を抜いたんだ。


 納得いかなかった。承服など出来るはずもなかった。ディノはありありと怨念の滲む目で彼らを睨み続け、そして気づいた。


 従者の一人、痩身の金髪の目は、何故か彼のそれと全く同種の暗い光を(たた)えて、旧主の仇を見つめていた。


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