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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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四十一、因縁

 手に伝わる感触、耳朶を打つ音、いずれも自身の騎馬槍が相手に届いた証だった。


 然るに視覚から得られる情報だけがその結果を否定していた。ヴァルターは、衝撃の瞬間、その黒衣の人影が赤い霧となって消える様を目撃していたのだ。


 興奮冷めやらぬまま焚き火を蹴散らし、ヴィントは十間も駆け抜けた後ようやく止まった。振り返る。やはり黒衣の姿はなかった。

 随行の白犬隊もヴァルターに続いて足を止めた。ライナーは眉根を寄せて周囲に首を巡らせた。


「突いたよな、槍で、隊長殿?」

「の、はずだけどな」


 ヴァルターは薄明かりに目を凝らした。微かに確認できる騎馬槍の先端に血痕は無い。なるほど、槍は確かに相手に届いたはずだが、その体を貫いた訳ではなかったのかも知れない。衝突に合わせて短剣を繰り出し、上手く突撃をいなしたのだろう。騎馬槍試合でヴァルターもよく使う手だ。姿を消したのは、『魔法』によるものだろうか。騎士の突撃を目前にして、いささかの動揺も見せず冷静に対処して見せた胆力は賞賛に値するものだった。


 しかし、そこまで考えてヴァルターは頭を振った。


「まあそんなことは、正直どうでもいいんだ、今となっちゃあ」


 兜のないヴァルターの広い視野には見えていた。人気の無い往来の端、彼の突撃を避けるように縮こまる人影が。


「おい、そこの」手綱を操り、馬首を道端へ向ける。「面を見せな」


 薄闇の中で二つの影がぎくりと動いた。華奢な方をかばうようにして、少年の黒い双眸がヴァルターを見上げる。ヴァルターは尋ねた。


「はじめまして、じゃあ、ねえはずだな。たしか」記憶を辿るように続ける。「ナイトリュー、とか言ったか」


 少年は何かを答えようと口を開閉し、唾を飲み込んで言った。


「ヴァルター・ベレ・フォン・エッセンベルク……さん」


 ヴァルターは努めて表情を殺した。自身の名を一字一句違わず覚えていたこの少年に対して、不思議と親しみを感じている内心に気づいていた。ことさらに作った冷酷な声は続けた。


「どこをどうやって、こんなところまで逃げてきたのかは知らねえが」騎馬槍の穂先で石畳を突く。歯を剥いて笑う面相はいかにも傭兵隊長らしい悪人面だった。

「見過ごすわけにはいかねえんだよな、エスパラムからの奴隷の逃亡を。エスパラムの正騎士としては、なあ」


 少年は答えなかった。馬上を見上げていた顔を(うつむ)けて、結んだ唇からは返事も呼気も漏らさない。羞恥に耐えるように、その両手は微かに震えを見せていた。


 重い沈黙を破ったのは思いもよらない種類の声だった。


「無礼でしょう、あなた、先程から」


 少年の背後にいた人影が、今度は逆に少年をかばうようにして進み出る。雑に切り揃えられた金色の短髪は制止する少年を振りほどいて続けた。


「騎士を名乗るのは、最低限の礼儀をわきまえてからになさい」


 潤みを湛えた碧い瞳が精一杯に馬上を睨む。鋭利な騎馬槍を鼻先に見て、怖くないはずもないだろうに、その瞳がヴァルターの悪人面から逸れることはなかった。


「勇ましいな坊主」ヴァルターは思わず微笑を浮かべていた。「いや、お嬢ちゃんか」


 自身の言葉に対して眼下の二人に緊張が走る様が見て取れた。この身形、声、口調、振る舞いで隠しおおせると思っていたなら、浅慮と言わざるを得ない。微笑は苦笑に変わり、その隠蔽(いんぺい)の意図については考えることもなくヴァルターは答えた。


「礼ってのは相手を見て尽くすもんだぜ。ルオマじゃどうか知らねえが、世間一般じゃ貴族より偉い身分はねえはずだ」


 ちょっとしたいたずら心がヴァルターに意地の悪い笑みを浮かべさせた。


「それとも嬢ちゃんは、エスパラムの正騎士たるこの俺様に礼を尽くさせるだけの身の上なのかい?」


 その皮肉に深い意味はなかった。雰囲気から箱入りの令嬢であろうことは察していたが、貴族の娘だと返して来たなら俺もゲルジア公家直臣の家柄だと返してやるつもりだった(厳密には陪臣格だが)。


 それ故、少年に制止を受けながらも毅然と答えた少女の言葉には、さしものヴァルターも虚を突かれる思いだった。


「私は当代ルオマ公の娘、アンジェリカ・ディ・ルオマ。礼を尽くすのに不足がありますか」


 少年の顔からさっと血の気が引いていくのが分かった。ヴァルター自身、その言葉の意味を理解するのにほんのわずかな時間を要した。意味を理解し、深く吟味してみれば、これほどの世迷言もないはずだったが、ヴァルターはその言葉を偽りとは思わなかった。


 無論、根拠はない。直感と言うやつだった。だが、自身の勘を疑う習慣を、彼は持たなかった。


「ルオマ公姫か……。大きく出たな、え、嬢ちゃん」


 ヴァルターの軽口にも、自称ルオマ公姫は怯まなかった。どころか返って腹が据わったのだろう。しゃんと胸を張り、馬上を見上げるその瞳からは今にも零れ落ちそうだった涙の兆しが消えていた。


 ヴァルターはいよいよ確信していた。ルオマ公の血筋は乱を逃れて、確かにここに生きていた。


 ならば騎士として、またラ・フルト侯軍に知己を持つ者として、取るべき行動は一つのはずだった。槍を納めて礼で応える。高貴なる者を前に頭を垂れるのが、貴族としての正しい振る舞いだった。


 しかしヴァルターは槍を納めることもしなければ馬を下りることもなく、鞍上の高みから変わらず少女たちを見下ろした。


「なるほど、そりゃ確かに非礼だった」鉄篭手で額を掻きながら、内心の動揺を隠した軽薄な笑みで続ける。「もしそれが本当ならな」


「私が嘘をついていると」

「おう、もちろん」ヴァルターは肯いた。「ルオマ公の一族は、一揆にとっ捕まって皆首を刎ねられたと聞いている。こっちの話を当てにするなら、嬢ちゃんの言い分は身分詐称の罪だ。大抵の場合は死罪を申し付けられるくらいの大罪だな」


「待ってください! この方々は本当に」


 俄然声を上げた少年を、ヴァルターは殺気のこもった目で睨んだ。


「黙れよ。テメェの出る幕じゃねえ」


 声を飲み込む少年を尻目に、ヴァルターはなお勝気な少女と視線を合わせる。


「嬢ちゃんは公姫だと譲らねえ。俺にはもちろん信じる気はねえ。こいつはどうやら、人に決められる案件じゃあねえな」


 ヴァルターは、その騎馬槍の先端を上向けた。示す先には星空が広がっていた。無数に煌めく星々の中で、一際強い輝きを放っているのは、折れそうなほどに細い弧を描いた三日月だった。六つの強い光に囲まれるその大きな衛星こそ、古より聖六芒星教会の主神エデンが住むと言い伝えられている神聖の象徴だった。


 口端を上げて、ヴァルターは続けた。


「ここはひとつ、神様にでも聞いてみようじゃねえか」

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