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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十九、狼は駆け、鷹は舞う

 リティッツィまで後二十里ほどの距離だった。日暮れにはまだ時間がある。ことによれば騎兵一個中隊単独で仕掛けてもいいとヴァルターは考えていた。


 城攻めはもちろん騎兵の得手ではないが、相手の虚を突けば西都の時のように都市部へなだれ込むことができるかもしれない。そうなればしめたもの。飯の心配はまずなくなるし、陣地だって容易に構築できる。昼夜眼前に敵陣を眺めるなど、相手にしてみればこれほど頭の痛くなる問題もないだろう。正しく理想的な展開だった。


 しかし、その甘い目論見は斥候の報告によって夢と消えた。


「何に見える?」ヴァルターは傍らのライナーに尋ねた。

「騎兵に見えるよ」ライナーは答えた。視線の先、二町ほど離れた丘の上には、確かに騎乗した人の影がいくつも視認できた。


 本隊を後方に残して、二人は斥候に追いついていた。木陰から東を窺ってみれば、報告どおり騎兵の一団が行く手で足を止めている。数は少なくとも百以上を数えた。


 場所は北のダオステ、東と西にモンツィアとブリアソーレを結ぶ交通の要衝、リティッツィの玄関口とも呼ばれるリポリの丘である。


「軽装だな。旗はねえけど、どうも味方じゃなさそうだね。ハインツの旦那が言ってたやつかな? ほら、鷹がどうのってやつ」


「あり得ねえ、早過ぎるぜ」ヴァルターは即座に頭を振った。「リコが言うには、東都はここらから三、四日はかかる田舎にあるって話じゃなかったか」


「俺もそう聞いてるけど、リコの話だからなぁ」

「それを言われると何も言い返せねえ」


 苦笑したヴァルターは気持ちを切り替えるように東方を見やった。


「気づいてると思うか?」

「五分ってところだね、この距離なら。もう少し近づいてみれば分かると思うけど」

「それで逃げられちまったら面白くねえだろ」ヴァルターは口角を上げて丘の上を睨んだ。獲物を見つけた狼の眼だった。「一体どこの誰なのか、是非とも直接聞いてみてえじゃねえか」

「なるほど、そいつは間違いねえ」ライナーも犬歯を覗かせて答えた。


 副隊長がこの場にいればもう少し長引いただろうが、止める者のない男たちの決断は早かった。


 ヴァルターは隊を二十ほどの分隊に組み直した。一分隊あたり十騎の重騎兵は、目標の丘を中心とした大きな円を描くように散っていった。二里の距離から始めて、円は徐々にその径を小さくしていく。敵の様子に細心の注意を払いながら、たっぷり三刻の時間をかけて二十の分隊全てが敵集団を二町の距離に捉えた。


 突撃の合図は隊長の仕事だった。これだけ離れていては一斉に行動を開始することも不可能。起点となる者が先んじて仕掛け、それに呼応する形で残りの者たちが続く手筈である。包囲の外縁で、白狼たちは今か今かとその時を待っていた。


 僅かな疑心がヴァルターの脳裏を過ぎる。いい加減気づいていてもおかしくはないのに、敵の様子に全く動揺が見られないのだ。罠の可能性も皆無ではなかった。見る限りは何の異変も見られない草原だが、なにせ包囲の範囲が広すぎる。見落としはあってしかるべきだろう。


 疑心は晴れなかった。しかし、結局は自負が勝った。考えることは走りながらでもできる。何か問題が起きたなら、最速で対処してやればいい。俺たちにはそれができるはずだ。


 ヴァルターは面頬を下ろし、右手に持つ騎馬槍の先端で円を描いた。視界の外から面頬を下ろす音が続く。分隊が彼の背後に集まった。


 一呼吸の後に手綱を打ち、馬腹を蹴る。弾かれたように、十騎が駆け出した。


 馬蹄はまばらに増えていく。時を置かずしてライナーたちも仕掛けたようだ。


 ヴァルターは一々確認しなかった。ただ真っ直ぐ、正面を見据えた。


 狭い視界で目標の軽騎兵が大きくなる。無謀にも正面からぶつかるつもりらしい。


 同時に湧き上がる喜びと怒りが、面頬の下の表情を引きつらせる。真っ向勝負で軽騎が重騎に勝てる道理もない。必勝の予感と、その程度のことも理解できない相手への軽蔑。相反する激情が愛馬を急かした。


 一町、五十間。瞬く間に両者の距離が縮まる。


 十間の間合いで、ヴァルターは槍を構えた。


 そして同時に、目を見開いた。


 突然、瞬きの間もなく、一瞬で。


 その視界から、敵の姿は、消えてしまった。


 ヴァルターの頭は真っ白になった。なお敵を追いかけたのは彼の本能、無意識の部分だった。突き出した槍が天を指す。ヴァルターは不自由な首を動かす。槍の示す先、上方へと。


 蹄の残像が一瞬でまた視界の外へ。


 馬腹を締め手綱を左へ繰る。振り返った視界に映るのは、夕空にたなびく白い尾毛と、旋風を巻き起こして羽ばたく、翼だった。


 ヴァルターは馬を止め、面頬を上げた。言葉にならない呻きが口から漏れる。


 その体側に羽を生やした馬は、彼が見つめる間にも天空高くへと駆け続けていった。馬蹄を鳴らさず、羽毛のような白い翼を羽ばたかせて、天の国へと至る階段を、駆け上がるように。


 白狼隊の面々は誰もが呆けた顔でその姿を見送っていた。得物に敵を貫くことなく、気づけば目標としていた円の中心周辺に集まっていた。


 天駆ける白馬が大きく旋回する。


 ヴァルターは我に返って叫んだ。


「引け! 各自散開! 注意しろ、上から来るぞ!」


 ヴァルターは兜を投げ捨てて馬首を南西へ向けた。徐々に馬速を早めながら上空を舞う敵の動きを目で追う。余りに高く、小鳥ほどにしか見えなくなった白馬の群れは螺旋を描きながら彼らの頭上を占有し続けていた。


 目を凝らす。何か、黒い物が、空高くから投げ込まれたように見えた。


 落ちてくる。確かに。ヴァルターは頭上を騎馬槍で薙ぎ払った。


 突然響いた鈍い音に驚いて愛馬が前脚を上げた。飛散した破片が頬を掠める。叩き落されて地面に突き刺さったのは、黒く染められた、木の短槍のようだった。


 舌打ちするヴァルターの元に、続けて黒槍が飛来する。器用に手綱を繰りながら二つ、三つと、なんとか防ぎきる。


 しかし、彼の部下たちは彼ほど器用にはなれなかった。そこかしこで悲鳴が上がる。馬の嘶きが聞こえる。落馬した者もいるようだ。ヴァルターは改めて声を張り上げた。


「兜を脱げ! よく見りゃ見えないこともねえはずだ! 落とせる自信があるやつは俺の近くに来い! こっちに引き付ける!」


 ライナー他数騎が近くに集まった。ヴァルターは怯える愛馬をなんとか御して速度を緩める。落ちてくる槍を弾きながら、苛立ちに歯を軋らせた。


 速さが違う以上どれだけ走っても振り切れそうにない。当たらないように祈りながら逃げ回るか、逐一叩き落すか。そうして相手が諦めるのを待つ、分の悪い根競べだった。


 部下に徒な負担を強いるような戦い、それもどう好転したところで勝ちにつながらない戦いなど、ヴァルターの好む戦いではなかった。


 しかし、それを招いたのが紛れもなく自身の不手際であると、ヴァルターは理解していた。


 黒槍の雨を辛くも凌ぎつつ、三里ほどを速歩で駆ける。


 やがて敵の姿は見えなくなった。





 眼下の重騎兵は半刻ほどで完全に射程外へと逃れていった。追って追いつけないこともなかったが、それ以上は自分たちにとって意味のない行為だと鷹の目は理解していた。


 陽が沈めば全く狙いをつけられなくなるし、肝心の武器がすでにして心もとない有様だった。一人あたり十本を標準装備とする(それ以上を持って行こうとすると天馬が嫌がるため)短槍は残すところ二本。更なる戦果の拡張を目指すなら一度戻って補充しなおす必要があった。


 それにそもそも、彼が自身へと課した仕事は敵の殲滅ではなく撃退だった。主たる目的は後続の歩兵その他で構成される主力部隊を安全にリティッツィへと入れることにある。この各都市を結ぶ要地さえ押さえておけば、それで事は足りるのだった。


 傭兵の性として、戦闘に至るならあわよくば壊滅的な打撃を与えておきたいところではあったが、欲をかいてこの地を奪われるようなことになれば本末転倒というものだろう。攻撃にも防御にも向かない天馬の性質を考えれば、十分な仕事は果たしたと言える。


 鷹の目は戦略的な観点を重んじる男だった。目先の勝敗にこだわらない姿勢は、戦争に理想や感傷を持ち出したがる貴族の生き方とは正に対極と言えたが、彼の強さとはその貴族の何たるかを知悉している故のものだった。分けても相手が貴族の中において勇武を以って任じる騎士なら、戦況はいつだって、何らの誇張もなく彼の掌の上で推移していた。


 それにしても。夕闇に染まる大地を見下ろしながら鷹の目は思った。存外あっさり引いたな。


 彼の知る騎士と言う生き物は清廉潔白を旨とし、名誉と誇りのためなら容易に命も投げ捨てる馬鹿者たちのはずだった。天馬の羽で軽々と飛び立った上空から見下ろしてやれば、滑稽にも届くはずのない騎馬槍を振るって口汚くわめき散らすしか出来ない、ちっぽけな存在のはずだった。


 降りて来い卑怯者。正々堂々と立ち会う勇気もないのか。声高にのたまう騎士の顔面に短槍を見舞ってやるのは、鷹の目の楽しみの一つでもあったのだが。


 逃げたか。あの騎士は。


 罵倒もせず、恥と思うこともなく、不利を悟って即座に退く、およそ騎士らしくない振る舞い。


 全く、面白くない仕事になりそうだ。


 眉根を寄せた鷹の目は、口元を歪めて帰路に着いた。





 ヴァルターが隊の状況を把握したのは日もとっぷりと暮れた宵の口だった。


 損害は予想したよりはるかに少ない、人馬合わせても二十に満たない数だった。輜重をはじめとした非戦闘担当のいない編成のため、実質でも一割以下。まず軽微と言って良かった。


 しかし、常勝を自負していた白狼隊にとって実際以上の精神的な損害は確かに残った。


「おっかねえ。何なんだよありゃあ。羽生えてたぜ、馬に」


 ライナーは鞍上から飛び降りて地面に突っ伏した。湿気た土に具足が汚れるのもお構いなしだった。


「天馬ってやつだろ」クラウス・クラマーは答えた。


 名前の通り天駆ける馬。魔獣の一種だが一角獣とは異なり馬科に固有の種で高い知能と大空を自由に飛び回る翼を持つ。軍用の歴史は一角獣よりもはるかに古いが、その高い知能に由来する気難しさから実用の例はきわめて少ないはずだった。


「北西公領は産地だって聞くぜ。俺も戦場で見るのは初めてだったけど、伝馬としてならガキの頃何度か見たことがある」


 鈍い音が鳴った。皆が視線をやると彼らの隊長殿がもたれかかる大木に頭をぶつけていた。


「クラウス~、お前、そうゆうことは早く言えよ」

「すいません、隊長殿。いや、俺もまさか、あれが全部天馬だなんて思わなかったもんですから」

「いや、悪い。八つ当たりだった」


 ヴァルターはぶつけた後頭部を押さえた。敵の素性について深く考慮しなかったのはもちろん自身の責任だった。使う馬が天馬だと言うなら異常に速い行動にも合点がいく。深追いしてこなかったのはこちらを侮ってのことではなく、拠点の確保を優先したのだろう。


 その目的は、近隣の都市を焼き、溢れ出る住民で街道を塞いだことから想像できる。あの要衝で可能な限りこちらを足止めする間に公都の防備を強化しようとでも言うのだろう。


 考えるうちに、ヴァルターは時間稼ぎのもう一つの意味に思い当たって舌打ちした。あそこで敵を跳ね除けられれば、天馬の恩恵を得られない歩兵その他の兵員も無傷のままリティッツィの城砦に入れられる。こうなれば最早現有の戦力では手の施しようもない。


 こと戦場において、素人と玄人の間には明確な差異が生じる。まとまった戦力に篭城されては戦乱の早期解決は見込めないはずだった。ヴァルターは自身の掲げる戦略目標が達成不可能となった事実を理解した(そもそも見積もりからして困難な目標であったが)。


 嘆息するヴァルターの耳に獣のような轟吼が響いた。やかましく具足を鳴らしてヴォルフガング・ザイファルトが駆けて来る。彼の守役はくず折れるように跪いた。


「若、面目次第もございません!!」

「どうした?」

「栄誉ある隊旗に、穴を開けられてしまいました! 全て我が不徳の致すところ! いかなる処分も」

「分ぁかったから静かにしてくれ。テメェの声は昔っから耳に響くんだよ」


 二人のやり取りに、途端笑い声が上がる。ライナーも身を起こして巨漢の低頭と穴の開いた白狼旗を見上げた。


「派手にやられたもんだな、隊長殿。こりゃあ仕立て直さねえと」

「違ぇねえ」クラウスも横から覗き込んで苦笑する。「このままじゃ負けを吹聴して歩くようなもんだ」


「何おう!? クラウス、貴様!」ヴォルフは当然のように激昂した。

「負、け、て、ねぇよ!」同時にヴァルターも異議を唱えた。


 ヴァルターは咳払いして腰に手を置き胸を張って言い直した。


「負けてねえ。ああ、負けてねえ。旗に穴開けられたら負けなんて法、俺は知らねえ。だから負けてねえ」


 肯いているのはヴォルフだけだった。何故か目に涙を溜めて、どうやら感じ入っているようである。


 実際子供じみた隊長の主張に、同意の声は皆無だった。代わりにふざけ半分の野次が上がる。


「隊長殿、そりゃ苦しいぜ言い訳として」

「槍が掠りもしなかったしな」

「真っ先に逃げたんだから俺たちの負けだろ」


 調子はふざけているが言っている事自体はどれも全く正しかった。それでもなお、ヴァルターは主張を曲げなかった。


「逃げてねえ。戦略的、いや戦術的撤退ってやつだ」

「それを敗走って言うんじゃねえの?」


 クラウスの冷静な一言も、やはりヴァルターは頑なに無視した。


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