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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十七、不在の街

 見渡す限り広がっている茶色の絨毯は、耕作地のようだった。初夏も半ばと言うのに、目算でも三里に及ぶ広大な畑には作付けの行われている様子もない。人目を避けたい英二たちにとって喜ぶべき状況にも見えるが、農夫のいない畑が自然な光景のはずもなかった。


 恐らくは一揆の影響だった。反乱によって突然莫大な富を手にした下層階級者たちが、これまでの生き方に馬鹿らしさを感じて労働意欲をなくしたのか、あるいはもっと単純に、戦いと言う新たな仕事に追われて本来の仕事を忘れてしまったのか。どちらにせよ良い予感はしなかった。


 空位二十一年初夏の十六日。英二ら一行はクイラ山地の最北、ギエゴ山麓を出て約六日ぶりに平らな地面を踏むことになった。水の不足は折り良く降った雨や山中の水源によって事の他容易に解決した。不安を感じていた山地の踏破も、相応の疲労こそあったものの足を止めるほどの問題にはならなかった。


 昼日中だと言うのに人気もなく、平地なら馬と同等の働きが期待できる馬竜も健在。多少の起伏はあるが山道の傾斜に比べれば何ほどのこともない。然るに彼らが足を止めているのは全く別の問題のためだった。


 くぐもった音が、落ちかけていた英二の意識を呼び起こす。ぐるぐるとやかましいくらいに響くのは、ペペの腹の虫だった。


「腹、減ったなぁ」


 木立に背を預けるぺぺは誰にともなくつぶやいた。英二もアンジェリカもガブリエッラも、誰もそのつぶやきには応えない。反応する気力すらなかったし、応えたところで空腹が満たされるわけでもないのだ。

 一行は、この二日と言うもの何も食べていなかった。言うまでもなく問題とは食料のことである。


 もとより周到な計画に基づいた逃避行ではなかった。持てる物だけとりあえず持って、足りなくなったらその場で調達すれば良い。進む先が人里ならその方針のままで問題はなかったが、予期せぬ入山で生じた齟齬(そご)が彼らの予定を狂わせた。


 食に窮した一行はまさに現地で何とか食料を調達しようと試みた。しかし、鳥や鹿は彼らのような素人の手に負える獲物ではなかったし、自生する植物やきのこ類も下手に手を出すのは危険過ぎた。


 不幸中の幸いだったのは雑食の馬竜が不調をきたすことなく働いてくれたため、下りだけは歩くよりもずっと早い速度でやり過ごせた点である。


 ともあれ、場当たり的な行動で今日まで命を永らえてきたのだから上出来とも言えたが、それでもやはり限界は訪れた。


 近づいてくる足音に顔を上げる。探索に出ていたボリスが戻ってきたようだ。英二は藪から半身を出してボリスを迎えた。


「どうだった?」


 英二の問いに、ボリスは頭を振って両掌を上向けた。


「二里くらい先に街が、あることにはあったが」


 歯切れ悪く続けるボリスは抱えるように頭を掻いて眉根を寄せた。「とにかく、ちょっと来てくれ。実際に見たほうが早い」


 ボリスに従って一行は南東を目指した。二里の距離も馬竜の足ならものの四半刻。程なく目的の場所へとたどり着いた一行は、ボリスが言葉を濁した理由を理解した。


 大きな穴を穿(うが)たれて崩壊した市壁。家並みはことごとく火にあぶられて崩れ落ち、黒く煤けたその残骸が初夏の微風にもてあそばれて宙を舞っている。路地には農具や食器、衣服の一部と思われる布切れなど、生活感を匂わせる様々なごみが散乱し、井戸はさながらごみ箱のようにそれらの不用品で埋め立てられてその機能を失っている。


 そこにあるのは街の面影だけだった。


「どう、なっているのでしょう」アンジェリカは不安げに口元を押さえて尋ねた。「火事、でしょうか?」

「そのようですが」


 英二は家屋の残骸に手を触れてみた。指先に付着した黒い煤はこの街が焼き討ちにあった事実を物語る明らかな証拠であったが、それを確認すると同時に奇妙な違和感が頭をもたげてもいた。


 何故、誰によって、この街は焼かれたのか?


 当然の疑問だが、英二が気になるのはそこではない。


 違和感の根源は臭いだった。荒廃した街には生者の気配はない。にも関わらず不快な死の臭いと言うものが一切感じられないのである。


 荒らされた形跡はあるのに、住人の姿は生死を問わず全く見られない。襲撃にあったのなら死体の一つ、血痕の一つでも残っていてしかるべきなのに、街からは人の存在だけが不自然に消失しているのである。


「少し見て回ったが、食えそうなもんはなかったぜ」ボリスは焼け焦げた木桶にどかりと腰を下ろした。「どうするよ?」


 英二は皆の顔色を窺った。俯いた顔は青白く、馬竜を除いて誰一人疲労を感じさせない者はいない。自身も同様であることは確認の必要もなかった。


「小さくはない街だ。隅々まで、探してみよう」


 不気味で不自然な荒廃に、無論不安は尽きなかった。


 しかし、現実の問題として、これ以上足を伸ばす体力が誰の身にも残っていなかった。英二の提案には何かと異を唱えたがるボリスですら、黙って指示に従った。図らずも空腹が、皆の結束を固めたのだった。


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