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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十五、鷹の目のジョバンニ-1

 東都モンツィアと公都リティッツィを結ぶコルメンティーノ街道は、東へ向かうにつれその様相を変える。馬車数台が足を止めることなくすれ違える広い道幅も、リティッツィから二十里余りまでに限った話で、二十里以東は利用者の少なさを象徴するように道の整備がずさんになった。敷石の間に雑草が生え、道の両側からは繁茂する草木や朽ちた倒木が行く手を遮るように街道を塞ぐ。近くを流れる河川の氾濫の跡か、流された土砂が往来で固まり、ただでさえ存在感の薄い一里塚を隠してしまうものだから利用者が減るのも納得の有様だった。


 慣れない鞍上に四苦八苦しながらフェデーレは自然舌を打っていた。彼の不機嫌は何も悪路のためだけではない。この街道で七本目となる倒木が今まさに彼らの眼前に横たわっているのである。

 心得のある者なら軽く騎乗したまま飛び越えて見せるのだろうが、ついこの間乗馬を覚えたばかりのフェデーレには不可能な芸当だった。面倒だが一度下馬し、手綱を引いて跨がせるか迂回させるかしなければならない。付き従う秘書官補佐の二人もフェデーレに倣って馬を下りた。いずれもペルーノ村からの付き合いで、手綱よりは農具を扱っていた時間の方が遥かに長いのだから文句もないようだった。


「なあ、フェデーレよう」手綱を引きながら、補佐の一人ジローラモ・ピエポリは声をかけた。「そう、急ぐこともねえんじゃねえのか? 道がこれじゃあ、言い訳だって立つだろうしよ」


「馬鹿言うな」フェデーレは振り返らずに応えた。「勅書を預かってんだ。急がなくてどうするんだよ」


「そうは言うけどよお、急ぐってんなら飛脚でも伝馬でも足の速いやり方を使やあいいじゃねえか。俺たちよりよっぽど早く届けられると思うぜ」

「勅書だって言ったろ。もし役も肩書きもないやつに任せて、失くしたなんてことになったら大事件になる。これは俺たちにしかできねえ仕事なんだ、信頼されてんだ、分かれよ」

「信頼、ねえ」ジローラモは肩をすくめて吐息を漏らした。「東都くんだりまで遣いっ走りとくりゃあ確かに犬猫には務まらねえ、大したお役目だよ。けどお前、そいつは本当に秘書官の仕事か? 馬に乗れてここらの地理に詳しい別のやつの方が適任だったんじゃあねえのか? それに威信だなんだって話ならそんな大事な書簡をよお、たった三人で運ばせるのだってどうかと思うぜ、俺は。なあ、ロベルト」


 同意を求められたロベルト・アレオッティは苦笑して肯く。


「元帥にしろとは言わねえけど、勅使がたったの三人たぁいかにも寂しいわな」ロベルトは大元帥となって西へ向かった兄の破顔を思い出した。「こんなことなら俺も兄貴について西都に行くべきだったぜ。そしたらむかつく傭兵どもをまた懲らしめられたってのに」


 フェデーレは渋面を作るだけで何も言い返さなかった。黙って馬の尻を押していると、二人はますます調子よく口を回した。


「大体ケチ臭ぇんだよな、ジャコモのやつは。戦の初めから一緒だった俺たちに対して、労いの一つもあっていいんじゃねえのか」

「全くだなそいつは。秘書官なんてつまらねえ仕事じゃなくて、もっとでけえことができる役職が欲しいもんだぜ。なあジローラモ、この仕事が終わったら言いに行こうぜ。やい、坊さま、一体誰のおかげで王なんか名乗ってられると思ってんだってな」

「ひへへ、ロベルト、そいつはさすがに不敬ってやつだぜ」

「不敬か、違ぇねえ」


 声をそろえて、二人は笑った。馬に合わせて足を止めると、先頭を歩いていたフェデーレが眉間に皺を寄せて二人を睨んでいた。


「二人とも、口が過ぎるぞ」フェデーレは低めた声で軽く周囲を窺った。「気安くそんな話をするな。猊下の威信に関わる」


「猊下」ジローラモは大げさにのけぞって同僚を見た。

「猊下、猊下」ロベルトは口元から笑みを絶やさずに肯いた。「出自も知れねえ乞食坊主が偉くなったもんだ」


「止めろって言ってんだ!」


 生い茂る木々の間を、フェデーレの怒鳴り声が反響する。あまりの剣幕に二人は緩めていた口を閉じた。


「二度と、口にするな。命が惜しけりゃあ」


 (あぶみ)に足を乗せてフェデーレは二人に背を向けた。


 フェデーレは苛立っていた。彼とて分かっているのだ。こんな遣いっ走りは、神聖天主王国法王付き筆頭秘書官の仕事ではない。こんなつまらない仕事をいくらこなしても、世の理不尽に蹂躙され続けてきた怒りは収まらない。神国法王ジャコモ・レイは、崇め奉らなければならない大人物などではない。彼の語る真実の神ですら、彼の語るような救いを、もたらしは――。


 苛立ちの原因は結局、己自身に求められた。同僚の意見も軽口も、全く否定できないどころか心の内では肯定すらしている自分自身に、その癖ジャコモから預けられた書簡を後生大事に懐へしまい込む自分という人間に、フェデーレは苛立っていたのである。


 俺は一体何なんだ。何がしたくて、村を出たんだ。


 幾度も頭に浮かんでくる自問に答えを見出せないから、フェデーレはことさらに馬を急がせた。





 神暦元年(空位二十一年)初夏の十一日夕暮れ前、神聖十字王国法王付き筆頭秘書官フェデーレ・ベリーニとその補佐二名は、ついに東都モンツィアに辿り着いた。遣いを命じられてからおよそ四日、ろくに休むことなく馬を飛ばしてようやくの到着だと言うのに、フェデーレの心には喜びも感動もなかった。


 東都モンツィアは狭隘な山の中にぽつんと(たたず)んでいた。一応大都市らしく巨大な市壁に囲われてはいるものの、その市壁の様子からしてうら寂れた雰囲気をかもしだしている。(つた)に覆われてただでさえ視認し辛い壁表面には、周囲の山々と同系統の色で塗装が施されており、近づいて見なければそれと分からないほど山の景色に同化していた。城外市は存在せず、都市特有の賑わいも聞こえない。一見したところ、そこは都市と言うより要塞と表現した方が適切な風情だった。


 フェデーレ達がその都市の出入り口を見つけたのは、はや日も沈もうかと言う時刻だった。

 一行は誰の歓迎を受けることもなく開きっ放しの市門を通過した。市内はやはり閑散としており、通にも路地裏にも街の家並みにも、人の気配はほとんどなく、奇妙なほど静まり返っていた。

 時折聞こえる物音の方に足を向ける。ようやく出会った工夫らしき男に身分と用件を告げると、程なく現れたのは、ややたるんだあご肉と控えめな口髭が特徴的な、何とも頼りにならない風貌の騎士だった。


「遠路ご足労頂き恐縮に御座います。小生名をコドゥリーのパスカルと申します。『白鷹騎士団』では副団長を任されております」


 品の良い笑みと共に低く頭を下げた騎士は、一行を先導して大通りを歩いた。


 パスカルに連れて来られたのは街の中ほどにある屋敷だった。大きいと言えば大きい(それこそペルーノ村の家屋が三軒くらいなら収まりそうなほどに)が、リティッツィの中心部なら平均的な、普通の邸宅。その二階にある一室の戸を軽く叩き、「失礼いたします」と声をかけながら、パスカルは一行を室内へと招じ入れた。


「お休み中でしたか」


 燭台に火を灯すパスカルの問いに、長椅子で寝そべっていた男は身を起こして答えた。


「いや、そろそろ起きようと思ってたところだ」


 頭を振り、目蓋を上げると、切れ長の鋭い眼光が印象的な顔立ちだった。さほど大きくはない目に比して瞳は大きい。その黒い真円は色の薄い虹彩と相まって猛禽を思わせる。黒に近い栗毛に、高いが野暮ったくはない鼻。目立つほどの美男ではないが、まず女には不自由しないくちだろう。


 下がり気味の口角と眉間に刻まれた皺に寝起きの不機嫌さを滲ませながら、男は一行を一瞥した。


「で、何の用だ」

「リティッツィよりの使者殿をお連れいたしました」


 パスカルは一歩下がり、フェデーレを促した。フェデーレは俄かに乾く喉を湿して上擦った声を上げた。


「し、神国法王付き筆頭秘書官、フェデーレ・ベリーニである。き、貴殿が東都の守備総督に相違ないか」


 緊張を隠せない自身の声に顔を赤くしながら、なるべく尊大に見えるようあごを上げて長椅子の男を見下ろす。法王の勅使が下手に出て、なめられるわけにはいかない。憎むべき傭兵たちの頭目を相手に精一杯の虚勢もあった。


「ああ、相違ない」対して、男はなんら意に介する様子なく答えた。長椅子に深々と腰掛け、足を組んで続ける。


「『白鷹騎士団』のジョン・ウッドだ。まあ、ここらじゃジョバンニの方が通りがいいし、鷹の目なんてあだ名で呼ぶやつもいる。格別こだわりもないし、好きに呼んでくれていい」


 尊大、と言っていい態度だった。フェデーレと違って気負いもなければ嫌味もない。自然な振る舞いから出た態度が敬意の欠片もないのだから、神国法王付き筆頭秘書官の感情は余計に逆なでられた。


「それで、使者殿のご用向きは」


 聞いてやるから話してみろ、とでも言うように、鷹の目はあごをしゃくって見せる。


 激昂しかけたフェデーレは職務を思い出してなんとか怒りを抑えた。


「法王猊下より、勅書を預かっている。先日貴殿が上奏した書簡についての返書である」


 フェデーレは懐から書簡を取り出して突きつけた。受け取った鷹の目は中身を検めようともせずパスカルに渡す。パスカルは一礼して封を解き、殴り書きされた文面を見て眉根を寄せた。


「どうも……大変お怒りのようですな、法王猊下は」

「そうか」


 欠伸まじりに鷹の目は答える。その様にフェデーレは声を荒げた。


「誰のために、お怒りあそばされていると思ってるんだ」

「俺のためだと?」鷹の目は意外そうに眉を上げ、頭を振った。「悪いが、身に覚えがない」

「貴殿には」フェデーレは怒りのあまり言葉を詰まらせた。「密書を出したはずだ。今月の頭、我らが公都を落としたばかりのころだ。その書状の中で、猊下は同盟の条件について述べられていた。領主を差し出すこと、さすれば東都一円の自治を認める、と。それに対して、貴殿は何と返事をした」


 尋ねられた鷹の目は、眉根を寄せてパスカルを見やった。本当に覚えていないらしい頭目に苦笑して、「ありのままを書状に」とパスカルは答えた。


「ああ、つまり」納得した鷹の目は悪びれる様子もなく口にした。「手違いで取り逃がした、とでも答えたんじゃないか?」

「領主と、一族郎党、従者から厩番(うまやばん)に至るまで、ことごとく、か」

「ああ」鷹の目は肯いた。「文にそう書いただろう」

「そんな答えで、猊下がお許しくださると思うのか。こちらの求めに応えぬまま、ただ神国の庇護だけを受けようなど、あまつさえ直接の謝罪もなしに書面だけでことを済まそうなど、これ以上の不敬はないぞ」

「納得してもらう他ない。事実だからな」小指で耳の穴をかきほじって、ふっと息を吐きかける。「要するに同盟は結べないと、そんな小言を言いにわざわざやって来たわけか。使者殿もご苦労なことだ」

「……ッ!」


 怒りがフェデーレの体を動かした。左手が腰に提げた長剣の鞘を握り、右手は後を追うように柄へと伸びる。


 しかし、フェデーレは剣を抜けなかった。いつの間にか彼の左隣に立っていたパスカルが苦笑を浮かべながら柄頭を押さえていたのだ。


「まあまあ皆様方、穏便に」


 フェデーレは押さえるパスカルの手を振りほどこうとした。が、人の良さそうな小太りの男は、フェデーレがどれだけ暴れようとしても微動だにせず、「まあまあまあ」と繰り返して微苦笑を絶やさない。得体の知れないものを感じたフェデーレはとうとう抵抗を止めた。


 パスカルは細めた目でフェデーレの背後を見やった。フェデーレに続けと抜剣の構えを見せていた二人は、フェデーレが鞘から手を放すのを見てそれに従った。


 俄かに熱も冷め、ばつの悪い沈黙が室内の空気を重くした。


 沈黙を破ったのは鷹の目だった。


「まあ、遠路はるばるご苦労だったな秘書官殿」鷹の目はなお不遜に手を払った。「遺憾ではあるが、先方がお怒りなら致し方ない。こちらはこちらで、勝手にやることにするさ。法王猊下にはよろしく伝えといてくれ」


 一方的に告げ、話を締める。血を見る可能性とて皆無ではなかったはずなのに、少しも遺憾そうに見えないその態度には先ほどまでと変わらない余裕が窺えた。


 パスカルに解放されたフェデーレは、こめかみに青筋を浮かばせながらも本来の仕事に気持ちを切り替えた。


「法王猊下は、寛大なお方だ。改めて言うまでもなく、大層お怒りでもあられるが、しかし、弁明があるならその罪を許すことも一考すると仰せになっている。何故東都の領主一族を取り逃がしたのか、それを直接申し開く礼を欠いたのか、言い訳があるなら聞いてくださると、そう仰っている」


 鷹の目は息巻くフェデーレから視線を外した。勅書にその旨記載されていたのだろう。目顔で尋ねられたパスカルが首肯する。


 フェデーレはつかの間目を逸らした相手に気を良くした。口元に微笑を浮かべて、凄むように声を低める。


「よく考えて答えた方が良いぜ。あんたの返答によっては、俺たちだって黙っちゃいない。十万を超える神国軍の手にかかれば、こんな田舎街なんて事もなく落とせるんだ。南都も、公都も、俺たちの前じゃてんで相手にならなかったんだからな」

「勇ましいことだ」鷹の目は冷めた表情で応えた。「それも真実の信仰とやらの、なせる業か」


 フェデーレの大見栄もまるで用をなしていない。至って冷静に視線を戻した鷹の目は無造作に頭をかいた。


「しかし何故、と言われてもな、逃げられちまったんだから仕方ないだろう。俺を責めるんじゃなく逃げおおせた前の雇い主を褒めて欲しいもんだ、こっちとしては」


 鷹の目はなおも不遜に背をもたれさせ、わずかに眉根を寄せて続けた。


「それから、わざわざ使者をたてず書簡だけで済ませた理由は、あんたらなら分かるんじゃないか?」

「どう言う意味だ?」

「公都からここまで、何日掛かった?」問いに答える間を与えず、鷹の目は続けた。「三日、四日か? 馬を乗り継いで文だけ届ければ用は足りるのに、そんな道のりわざわざ人を割いてご機嫌伺いに行くなんて、馬鹿らしいと思わんか?」


 その問いかけにフェデーレは下唇を噛んだ。自らの仕事を馬鹿らしいと断言されて、フェデーレの頭は再び沸騰しかける。


 しかし、その怒りは外へと向かわなかった。彼自身が、鷹の目の言葉の正しさを自覚しているからだった。


 いかにも、無駄で馬鹿らしい仕事だ。道中秘書官補佐の二人も同じ不満をもらしていたものだが、全くの同意見には返す言葉もなかった。


 頭を下げるべき立場であった鷹の目の言い分については不精以外のなにものでもないが、此度のフェデーレたちの場合は話が別だった。同盟に主導権を持つ神国の側が、わざわざ直々に人を遣わす必要などない。にもかかわらず彼らがこんな使いっ走りなどさせられたのは、ひとえに怒り心頭に発したジャコモのわがままと言えた。


 秘書官を直接遣いに出すほど、法王猊下の怒りは深い。


 相手に対してそれを知らしめる、言わば政治興行のために、ある程度の肩書きを持ち、且つ不在でも神国の運営に支障がないフェデーレたちが選ばれたのである。


 鷹の目はおそらくジャコモの意図を理解していた。理解した上で馬鹿らしいと断じて見せた。結局フェデーレたち秘書官一行は、この傭兵隊長に鼻で笑われるために汗水流してこの東都までやって来たと言う訳である。これ程馬鹿らしい話もなかった。


 鷹の目は吐息を吐いて、うつむく秘書官の赤面を見上げた。


「少なくとも俺は思う。だから書簡だけで済ませた。察してくれるものと思ったが」


 言葉を切って腕を組む。そのまま何事か思案するように、鷹の目は天を仰いだ。


「いやそうか、法王猊下はお怒りだったか」


 つぶやく鷹の目は秘書官一行を見ていなかった。フェデーレは最早それを屈辱にも思わなかった。


 俺は一体何なんだ。


 フェデーレはまた不毛な自問を繰り返していた。


 本当のところ、すでに答えは出ていた。彼はただ、その現実をどうしても受け入れたくないだけだった。

 傭兵憎しの思いで村を出た。富で肥えた貴族や商人との戦いは連戦連勝。ついには国を興すまでになった。上等な馬と実家の何倍も大きな屋敷に使用人、法王付き筆頭秘書官という地位も得た。それで何かを成した気になっていたのだ。何かを成せる存在になれたのだと思っていたのだ。


 しかし、どれだけ必死に拒んでも、何も成してなどいないと言う現実が彼を追い詰めた。フェデーレは皆の、ジャコモの後についていっただけなのだった。ただジャコモの言うことを聞き、ジャコモに使われるだけの、何の力もない農家の倅。それがフェデーレの現実だった。


 何がしたくて、何ができると思って、村を――。


 自らで出した、出さざるを得なかった答えが、フェデーレを立ちくらませた。どれだけ飾ったところで、腰に剣を帯びてみたところで、所詮農家の倅は農家の倅でしかない。自己の無力を否定できないフェデーレは、いっそ何もかも捨てて故郷に帰ろうかとすら思った。


「パスカル」


 不意に声を上げたのは鷹の目だった。室内の視線は、自然この男に注がれた。


「はい、団長殿」パスカルは即座に答えた。その表情からは一瞬で微笑が消えていた。


 フェデーレの苦悩など気にかける素振りもなく、鷹の目は重ねて副官に尋ねた。


「作業の進捗はどうなっている」

「順調です。明日、明後日にでも全工程が終了する見込みかと」

「上出来だ」副官の返事に、鷹の目は肯いて答えた。静かに立ち上がり、眼前の秘書官一行には目もくれずに告げる。

「今夜発つぞ。仕度を急がせろ」

「はッ」答えたパスカルは念を押すように復唱した。「今から、ですか」

「今からだ。進路は南西、公都リティッツィ。三刻後に輜重隊から漸次(ぜんじ)進発を始めろ」

「はッ! 直ちにかかります」


 パスカルは跳ねるように室外へ飛び出した。見送る鷹の目は、その時ようやく気づいたと言う様子でフェデーレたちを見下ろした。


「まあそう言う訳だ。来て早々悪いが、あんたらはどうする」

「どう、するって」

「折角こんな田舎まで来たんだ。何もないところだがゆっくり骨を休めたっていい」


 その言葉に、少なくとも労いの意味はないだろうとフェデーレは理解していた。抑揚に乏しい声で鷹の目は続けた。


「ちょうど派手な歓迎会でも始めようと言うところだ。間近で見たけりゃ残って見ていったって、俺は一向に構わない。もちろん、勧めはしないがな」


 フェデーレは語る男の顔を見上げた。この部屋で対面して以来ずっと形を変えなかった男の口元が、わずかに歪んでいるように見える。

 それがその男の笑い方なのだと、フェデーレが知るのは少し先の話だった。


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