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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十二、ルオマ一不幸な男

 それは野山で鹿を狩るより簡単な作業だった。向かい来る敵の軍勢は意味の不明な呪文を叫びながら隊列もなさずに駆けてくる。壁上で構える彼らブリアソーレ東門守備第三中隊は門前に群がるその集団に狙いを定めて引き金を引くだけ、なのである。


 瞬きの間に数十の敵兵が悲鳴を上げながら足を止めた。彼らの生き残りが苦痛に悶えながらも果敢に門へと這い進む内に、弦を巻き上げ台座に矢を装填した弩砲が再び狙いをつける。この単調な仕事を繰り返していれば日暮れ前には適度な疲労感を肴に美味い葡萄酒が楽しめるだろう。


 東門守備連隊長イラーリオ・フラーキは定評通りの手堅い篭城戦をすでに三刻はこなしていた。敵の勢いも目に見えて弱くなっている。数とて最早当初の四分の一程度しか残っていない。相手がまともな指揮官だったなら二刻前には迎撃中止を命じているはずだったが、この惨状を見る限りそうではないらしかった。


 これならもう一個中隊北に向かわせても良かったか。軽い後悔に思いを巡らすイラーリオは指揮所の戸を叩く音に眉根を寄せた。伝令だろうが、定刻より早い。兵が戸を開けるや、自然厳しくなる声でイラーリオは尋ねた。


「どうした?」

「南門守備隊より、救援依頼です」若い伝令兵は蒼白の顔で報告した。「市内に潜伏していたと思われる賊徒により南門を制圧されたため、至急救援を請う、と」

「何っ!?」イラーリオは思わず声を荒げた。「南門守備のエルヴェツィオ殿は何をしている!?」

「安否不明です。おそらく、賊徒に討たれたものと」兵は目を伏せて続けた。「それから、奪われた南門より敵の軍勢が侵入。市内にて略奪行為に及んでいるとか」


 イラーリオは悪態を吐いてしまいそうな口元を覆った。鉄壁の城塞に驕るあまり、誰も想定していなかった事態が彼らを直面していた。尖塔も櫓も弩砲も城壁も、防御施設は全て外からの攻撃に備えたものである。一度侵入を許せばいずれも無用の長物となるのは「ルオマの壁」に同じだった。


「敵の規模は?」イラーリオは尋ねた。まごつく兵を急かすように続ける。「侵入を許した賊徒は何人かと聞いている」

「はッ」兵は背筋を伸ばして答えた。「正確なところは不明です。百とも二百とも」

「一個大隊規模か?」

「それは、不明です」

「クソったれめ!!」


 とうとうイラーリオは悪態を吐いた。防備に頼れない以上外敵を追い払うのは彼らの実力をおいて他にないが、その現実こそがイラーリオを苛立たせる原因だった。


 なんとなれば、隊長の気質に影響されたのか「パエザナの稲妻」は白兵戦を何よりも不得手としていた。過去、敵に対して同数の軍勢で白兵戦に及んだ際、損害の比率を見て勝利を収めたためしが一度としてなかったのである。過剰にも見える堅牢な城塞は、つまるところその自信のなさの裏返しと言えた。


 とは言え、当然放置するわけにはいかなかった。制圧された南門も、侵入を許した賊徒も、早急に対処しなければこの戦の趨勢(すうせい)に関わる問題だった。


 冷静に、情報を整理して対策を講じなければ。そんな時に限って新たな報せが舞い込んでくる。開きっ放しの戸を幸いに、大急ぎで駆けて来た伝令兵が声を張り上げながら入室した。


「北門より報告、エスパラム軍が動き出しました! 北門正面半里に構えた陣から投石を行いつつ、西と東に分かれた部隊が都市を迂回するような動きを見せております。数は双方千弱」

「何と間の悪い!」イラーリオは舌打ちして爪を噛んだ。「まるで計ったような時機に」


 その時、連隊長は、はたと気づいた。偶然にしては出来過ぎている。やって来たエスパラム軍と、機を同じくして発生した賊徒。奴らはエスパラムの手の者なのではないか。そして今東門に無謀な攻撃を仕掛けるこの狂人どもも、やり手と知られる「エッセンベルクの白狼」の差し金なのではないか。


 だとしたら悠長に考えていられる暇はない。迂回する敵よりも先に奪われた南門を奪回、封鎖しなければ、副隊長殿が企図した篭城策は総崩れとなる。どころかなだれ込むエスパラム軍本隊のために、西都は地獄を見ること必至だろう。その最悪の事態だけは、なんとしても避けなければならない。


「第五中隊は急ぎ南門を奪還。第二、第四中隊は共同して市内に入り込んだ賊徒の討伐に当たれ。恐らくは、西門のオンドレイ殿も兵を出しているはずだ。上手く連携して、速やかに」


 強烈な臭気に、イラーリオは顔をしかめた。やって来た新たな伝令は体中から血の臭いを発しながらイラーリオの前に跪いた。


「本陣より、伝令」


 かなり疲弊しているようだ。その伝令兵が荒い呼吸で肩を上下させるたび、血塗れの具足からは赤黒い滴が垂れ落ちている。彼は長い間をとって顔を上げた。


「本陣が、市内に入り込んだ敵の急襲を受けております。このままでは、持ちこたえられません。どうか救援を」


 イラーリオは下唇を噛んだ。自身の不明を叱責する思いだった。


 「パエザナの稲妻」はその特殊な指揮系統ゆえ、戦力の九割を城壁と門の守備に当てていた。本陣に詰めているのはいずれも情報の伝達を主任務とする連絡一個中隊のみである。当然戦力として期待できるものではなかった。


 本陣の状況こそ、敵の侵入を聞いてまず第一に知っておくべき情報だというのに。平素の冷静な連隊長は、変転する戦況に苛立ちを隠せなくなった。


「各中隊、行動を急がせろ! 東門は第三中隊のみで事足りる。駆け足だ!」


 伝令が二人、飛ぶような勢いで指揮所を出る。イラーリオはふらつく足で彼らに続こうとする血塗れの具足を押し止めた。


「貴様は少し休んでおけ。ひどくやられているじゃないか」


 法術士、いないか。声を大にして呼びかけるイラーリオは、やはり冷静さを欠いていた。


 平素の彼ならその伝令兵の不自然さに気づいていただろう。負傷が原因にしては、その具足は血に汚れすぎていた。兜のてっぺんから鉄靴の先まで、自らの鎧を覆うほどの血が全て彼自身のものだとしたら、いかな法術士の『治癒術』といえど命を救うことは不可能なはずだった。本人のものでないとすれば、それは返り血と判断するよりないが、それこそ不自然な話と言えた。


 こんなに大量の血を浴びる程の激戦を潜り抜けてきたのか?


 「パエザナの稲妻」の本陣付きの伝令兵が?


 そもそも、伝令ならこんな大仰な装備は必要ないはずだった。本陣と各拠点の間を何度も往復するため、軽装は基本。武器を持つことさえ義務付けられてはいないのだ。


「有り難くあります、連隊長殿」


 血塗れの伝令は音もなく剣を抜くと、血と脂に塗れたその刃を、感謝を述べたばかりの相手の延髄めがけて振り下ろした。





 ちょうどその頃、西都の中央に位置する「パエザナの稲妻」本陣にも賊徒侵入の報せが届いていた。


「そんな馬鹿な!」声を荒げたのは作戦を直接指揮するヴィンチェンツォだった。「一体どう言うことだ! エスパラム軍は、つい先ごろ北面に布陣を終えたばかりのはずだろう!?」

「そ、それが」若い伝令兵は言い難そうに続けた。「南門を襲ったのは、エスパラムの者ではないようで」

「なら、どこのどいつなんだ?」状況が理解できていないのか、幾分冷静なアマデオが尋ねた。

「ラ・フルト侯爵領の騎士、バルティエ子爵軍と名乗っておりますが」

 アマデオに目顔で尋ねられ、副隊長は渋面を横に振った。「少なくとも、近在の領主ではない、かと」


「何だってそんなやつがこんな時に」アマデオは栗色の頭髪をかきむしった。「どうすりゃいい、ヴィンチ?」


「各門から兵を集めて、速やかに殲滅するよりありません。どの道南門への移動は行う予定でした。少々、手間が増えただけと思えば」


 副隊長は苦々しく答えて窓の外を見た。エスパラム軍の攻撃開始、それに伴う市内の動揺と各拠点の報告により、本陣周辺はかつてないほどの混乱に見舞われていた。少々どころの手間でないことはアマデオにも分かった。


「とにかく、兵を戻すんだろ? 北に集めた奴らをすぐ南に向かわせて、門を」


 喊声が、アマデオの言葉を遮った。


 南向きの窓から見えるのは都市を東西南北に断つ中央通。そして雄叫びと地響きを上げながらその通を駆けて来る数百余りの一団だった。

 男たちはしきりに叫んでいた。


 聖ブロワ、バルティエ!


 力と勇気の守護聖人、聖ブロワの加護を求める声は、中央通をまっすぐ、迷うこともはぐれることもなく、アマデオらの拠るこの庁舎を目指して駆け続ける。


 ヴィンチェンツォは拳を机に叩きつけてがなった。


「迎撃、迎撃だ! 弩構え! 奴らをここに近づけるな! 通を封鎖しろ!」


 兵が直ちに駆け出した。覚束ない手で矢をつがえ、未だ半里以上の距離があるのに慌てふためいて引き金を引く。放たれた矢は緩やかな放物線を描いて無人の通に落下した。


 叱責するヴィンチェンツォの声をどこか遠くで聞きながら、アマデオは、駄目かもしれない、と思った。


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