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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第一章「エスパラム」
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四、導師

 アントニオを睡魔に抗わせているのは不安を伴う既視感だった。物見塔の麓に腰掛けながら、導師アントニオはあくびを噛み殺して朝陽に焼かれる大地を眺めていた。


 二年前のあの日も同じだったと、胸中をざわめかせながら。


 今をさかのぼること二年前の晩春、魔獣との遭遇で野営を余儀なくされた警邏隊は帰路に一人の少年を拾った。


 自らの吐しゃ物で飾り気のない上品な黒衣を汚した少年は、保護された当初から意識が無く、ひどい衰弱に見舞われていた。

 肌の白さに癖のない黒髪がこのあたりの生まれでないことを物語っている。肉付きのよい体は適度に鍛えられており、奴隷や乞食の類ではなさそうだった。といって家紋の一つも施されていない無地の黒衣は貴族のものではなく、まるで機能性がないことから農夫でもなければ商人でも職人でもない。

 似ているとすれば僧衣だが、その背中には肝心の六芒星が描かれていなかった。信仰の対象が違っても聖職に従事するものなら必ず装飾のどこかに己が神の象徴を描くものだ。

 所々土で汚れてはいたが纏う織物、肌着、純白の靴下に布製の軽い靴はどれも非常に上質で、身分の高さをうかがわせるいでたちである。


 しかしながら、うわ言でもらす彼の言葉を解するものはいなかったため、素性は不明のまま、とりあえず警邏(けいら)隊は明け方ベルガ村に帰参した。


 起きぬけに報告を受けた領主ギョーム・デ・ベルガは、あろうことか半死半生の少年から身包みを剥いで地下牢に放り込ませた。いまだ意識の戻らぬ少年には当然口を挟む力もなく、彼を保護した警邏隊長とて不憫には思ったがかばう義理もない。


 代わって立ち上がったのは尋問を依頼されていたアントニオだった。もしこの少年が異国のものであれ貴族の子弟ならこの扱いは大きな問題になる。捕虜にだって守られるべき権利があるのだ。それを不当に扱えば戦争の火種にだってなりかねない。


 熱のこもった坊主の抗議にギョームは失笑で答えた。


 曰く、曲がりなりにも貴族なら、何故公用語を話さない?


 曰く、エスパラムの最南端、こんな辺境に供も連れず異国の貴族が何をしているというのか?


 極め付けに鷲鼻をふんと鳴らし、ギョームは格子の間から縋りつく少年の鼻面を蹴り飛ばした。


「この醜い面を見てみろ、アントニオ。大きい黒目に低い鼻が、へへ、まるで猿じゃねぇか。こんな醜男は王都生まれの俺でも初めて見るぜ。こいつが貴族だってんなら、へ、小鬼だって王になれるな」


 凹凸が少なく、のっぺりと平たい少年の相貌は、王国の基準から見れば確かに美男ではなかった。目蓋にかかるほど伸ばしっぱなしの黒髪も洒落を尊ぶ当世の貴族ならばあり得ない。


 結論からいえば、ギョームの推測は正しかった。といっても、素性が割れたわけではない。分かった事といえば、振る舞いや様子から少年がやはり貴族などではないらしい、ということぐらいである。

 彼が一体どこから来た何者なのかというと、それについては少年の意識が回復してからもさっぱりわからなかった。


 理由は尋問を始めた初期の初期に明らかとなる。


 一人で食事ができるまでに回復した少年に対し、アントニオは早速対話を試みた。無論のこと言葉は通じなかったが、聖職者であるアントニオには言葉なくとも意思の疎通を可能にする術がある。


 食事を終えて一息つく少年の頭に手を置き、アントニオは脳内に疑念を思い浮かべた。


《誰何》

《誰なるか汝?》

《問う》《汝の名を》


 アントニオの感情が短い単語の羅列となって脳内に反響する。


 初めにあるのは不安と恐怖だ。相手のことがわからない。どのように接していいのか、何を考え、感じているのかわからない。


 だからこそアントニオは知りたいと思った。反響するのは言葉ではなく、不安という感情に、「何故」「何が」という方向性を与えた信号である。感情には言語の違いもなければ、身分も種族もない。


 こだまする問いかけは淡く輝きを放つアントニオの(てのひら)を通して、少年の脳内へと送られていく。


 あまねく生命の源であるマナに感情を乗せ、相手に伝達する『感応話法』は、『法術』の初歩として広く知られる技術である。殊に聖職を称し、万物の救済をその使命とする聖教会の僧侶にとって、言語の壁はまず第一に乗り越えなければならない課題であるため、聖教会の導師を名乗るものは皆『感応話法』を習得している。


 調子の上がってきたアントニオの信号は饒舌に身の上を語りだす。少年の反応は乏しかったが、頭に乗せた掌からアントニオの声なき声が少年に届いていることは確かに感じられた。


《我、主神エデンの教え子にして聖教会導師》

《姓はメスキ》《名はアントニオ》

《導師アントニオ・メスキ也》


 念じながらアントニオは少年の応えを待った。しかし、アントニオが語りかけをはじめてから四半刻、一向に少年からの回答はない。


 無視をしているわけではないようだった。少年は落ち着かない様子で異国の言葉をぽつりぽつりとつぶやいている。頭に乗せられたアントニオの手を指差し、食事を載せてきた皿を指差し、怪訝な顔でこちらを見つめる牢番を指差し、どうも困惑しているようである。


 妙な違和感にアントニオは声を送ることを止めた。代わって今度は少年の感情を聞き出すために意識を集中する。この少年が今何を考え、思っているのか。少年の発する異国の言葉が、体内を巡るマナに帯びさせた感情を読み取るのだ。


 少年に乗せた掌が、ぼうっと光を放つ。驚いた様子の少年はアントニオの手から逃れようともがいた。わめく少年を逃さじと、アントニオも強引に押さえ込む。


 そのままもみ合いを続けることさらに四半刻。アントニオに知覚できたのは雑音にも等しい無軌道なマナの奔流のみ。


 ついぞ少年の感情はアントニオの脳内に響かなかった。


 尋問の結果、何の情報も得られなかったと報告を受けたギョームは、興味無さ気に口髭をいじりながら吐き捨てた。


「牢から出していいぞ。焼印をして奴隷どもに預けておけ。聾唖か知らんが、話もできんのなら一人で生きていくこともできまい。俺は優しいだろう、アントニオ」


 『感応話法』は声と言葉を媒体とする普通の会話に比べればその情報量は遥かに劣るが、対象に一定の知能があれば相手が動物でも意思の疎通が可能である。どれだけ正確なやり取りができるかは対象の知能の程度により、相手の知能が高ければ言葉での会話と遜色ない対話が可能だが、逆の場合は対話の意思を伝えるだけでも多大な労力を要した。


 そう、時間と労力さえ惜しまなければ、対象に一定の知能があれば、対話は可能なはずなのである。


 しかし、この少年にはそれすらもかなわなかった。耳は聞こえている。目も見えているようだし、言葉のようなものを話すこともできている。アントニオの見る限り、知恵遅れのはずがない。


 彼にはただ一つ、マナの加護がなかった。あまねく生命の源、万物の最小単位。マナの力があってこそ、この世のすべての生き物はその命を育んでいけるというのに。少年の内包するマナは生物ではなく物体の有するそれと同じで、なんらの方向性も示さずただ存在するだけだった。血潮に乗って全身を巡り、呼吸に合わせて体の内外へと移動する。


 少年は生き物ではなく、まるでモノのような存在だった。


 神の祝福を知らず、マナの恩恵を知らず、少年を思うたび、アントニオは目頭を熱くした。


 おお、神よ。何故彼にばかり――。


 不意にこみ上げてきた涙をぬぐって、アントニオは顔を上げた。もうすっかり空が青い。いつもなら、そろそろ彼が教会を訪ねている時間だった。毎朝変わらず時間通りに、この二年もの間少年はそれを欠かしたことがない。真面目な彼のことである。今頃は教会の掃除でもしながら導師の帰りを待っているだろうか。


 眠気覚ましに立ち上がり、大きく伸びをしていると、背後から当の本人の声が聞こえた。


「おはようございます、導師アントニオ」


 手を振り、こちらに歩んでくるのは紛れもなくあの奴隷の少年だった。傍らには同じく奴隷の少女チキータが片足を引きずりながら彼に続く。


「やあ、エイジ。おはよう」アントニオは立ち上がり英二を抱きしめた。「すまないね。朝までには戻るつもりだったのだが」

「何かあったんですか、こんなところで」


 英二は辺りを見回した。アントニオが座していたのは村の南側に点在している工事現場の一つ、村の中心から真南の位置にある城門建設地区だ。早朝ということで人影はまばらだが、それにしても静かに過ぎる。


「ああ、夕番の警邏隊が戻らんと昨夜遅くに連絡が来てね。もしもの時のためにと私も寝ずの番で駆り出されているんだよ」大きくあくびをしてアントニオは英二たちを見る。「君はどうした。何か用事があったんじゃないかね」

「はい。実は導師に怪我を診てもらいたいんですが」

「怪我? 君のかね」

「いいえ。こら、今さら怖気づかない」


 英二は自分の後ろに隠れようとするチキータを引っ張り出してアントニオの前に立たせた。さっきまでの赤面が嘘のように、彼女の顔は見る見るうちに蒼白となった。


「すぐ済むから我慢」耳元でささやいて、英二はチキータの右足首を指す。

「なるほど、腫れているな。どれ」


 アントニオが肩膝を着いて咳払いすると、


「ま、待って! ください」


 チキータの震えた声がそれを制止した。何事かと二人に見つめられ、チキータはますます萎縮した声で続ける。


「あ、あの、あたし、お金持ってません」

「私も持ってないよ」

「それに、か、母が、ラキク神に誓いを、立てています。だから、六芒星の教会には」


 ここまで聞いて、導師はようやく彼女の言いたいことを理解した。「ふむ」と肯き、チキータを見上げ、


「信じる神は違うが、信仰は人間にのみ許された美徳だ。大事にしなさい」言って目を閉じる。


 チキータは傍らに立つ英二を見た。英二は誇らしげな笑みで肯く。唇が「大丈夫」と動いた。「大丈夫」チキータも口の中でつぶやいてみる。不安は不思議と消えた。


「命のマナよ、癒しのマナよ、我が呼びかけに応え給え」


 導師がささやくように呪文を唱えれば、その両掌はたちまち淡い光に包まれた。太陽のように熱く、慈母のように優しい光が、チキータの細い足首を包む。


 患部から伝わる熱は徐々に全身を巡り、堪らずチキータは立ち(くら)んだ。ぞくぞくと背筋を駆け上がる快感に全身の肌があわ立つ。倒れかける体を受け止めたのは英二だった。チキータは背中に英二の硬い胸板を感じた。いつもなら気恥ずかしくて顔を背けてしまう距離も、治療のせいにしてしまえば気にならない。心地よい微熱に身を委ねながら、チキータは永遠を願った。


 発光する導師の両手はチキータの体内を巡るマナを患部に集めて異常を修復するよう呼び掛けた。起こる現象はまるで違うが、この『治癒』も『感応話法』と同じく生命に干渉する力、『法術』に分類されるもの。聖職者にとっての必須技術の一つである。


 やがて光は導師の手の中に消えていった。僧服の袖で禿頭を拭い、導師は顔を上げた。


「さて、どうかな」


 見れば足首の腫れは嘘のように治まっていた。のぼせかけた意識も戻り、チキータは奇跡の力に感嘆した。


「大丈夫そうだね」

「うひゃッ!」


 耳朶を打つ英二の声に、チキータは思わず飛び上がる。


「そんな跳ねなくても分かったから」


 苦笑する英二にチキータはまた頬を染めた。(つくろ)う様に慌てて導師に頭を下げる。顔を伏せても彼女の短髪では真っ赤な耳は隠せなかった。


「さて、この分では朝の説法はできそうにないな。すまないがエイジ、聖壇に予備の経典が置いてあるから、今日は自習に」

「おい、坊様!」


 その時、突然物見塔の上から声が上がった。見上げれば不眠不休の見張り番が目を凝らして南方を見つめている。


「何か、来るぜ」

「何か? 警邏隊じゃあないのか」

「もっと多い。それに、なんか……妙だ」


 作りかけの門柱の間から、導師達の目にもそれは見えた。距離にして三里といったところだろうか。陽炎(かげろう)に揺らめく赤い大地を灰色の集団が行進している。頭巾のついた灰色の外套で体を覆い、両手で持つのは同じく灰色の刀身を光らせる、形状からして鎌だろうか。大まかに見る限り、百人規模の横隊のようだ。彼らは急ぐでもなく、止まるでもなく、一定の歩調で真っ直ぐベルガ村に向かっていた。


「そんな……嘘だろ……?」


 見張り番の震える指が迂闊にも警笛を取り落とした。カンコロと軽妙な音を立てて、角笛が塔内の螺旋階段を転げ落ちる。足を滑らせた見張り番が後を追って地上に転がり出た。


「何なんです、あれ?」灰色の横隊に釘付けとなっている導師に、英二は尋ねた。


 驚愕に言葉を失った導師は我知らず胸の前で六芒星を切り、英二とチキータの手を掴んで走り出した。方角は北。灰色の横隊に背を向けて、アントニオは全力だった。


「ま、待ってください! どうしたんですか急に」


 アントニオは答えなかった。代わりに背後で音高い警笛が鳴った。三度警笛が響いた直後、アントニオは割れんばかりの大声で叫んだ。


「魔人が、魔人が出たぞぉーッ!」


 叫びながらアントニオは嘆いた。


 おお、神よ。何故エイジにばかり、辛くあたるのか。


 神は何も応えなかった。


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