表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
48/131

二十八、神は我らと共にあり

 神暦元年(空位二十一年)初夏の八日。自称神聖天主王国大元帥ロレンツォ・アレオッティは、三千の手勢を率いて聖都リティッツィを発った。


 何故に自称なのかと言えば、彼が神国の大元帥を名乗るに足る客観的な証拠が何一つ存在しないからだった。元帥杖など持っていない、任命の儀を受けたわけでもない、誰もがそれと認めるような軍功を上げたわけでもなければ、法王御自らですらそれを認可した覚えなどない(名乗るがいいとは言ったが)ことになっていたからだった。


 ロレンツォは無知故にジャコモの言葉と自身の行動を疑わなかった。ジャコモが名乗れと言い、俺はそれを受けた。だから俺はロレンツォ大元帥なのだ。ロレンツォの単純な頭の中には由緒ある儀式も堅苦しい形式も必要ないものとなっていた。


 故に自称大元帥ロレンツォは大元帥の名で兵を募り(大半はレノーヴァ以来の仲間たちだった)、意気揚々と西都を目指したのである。


 調子外れの旋律で聖句を唱える不恰好な賛美歌の大合唱は、緩やかな歩調で街道を西へ進んでいった。クイラ山地の峠道を酒瓶片手に練り歩き、とうとう西都を認めたのは同年初夏の十一日だった。


 早くも戦勝の雰囲気で一行は歩みを進め、いよいよブリアソーレまであと数里と言うところで足を止める。彼らがこれから一戦を交えようという敵は、酔いも覚ますほどの壮観さを誇って行く手にそびえていたのである。


 高さ四十間はあろうかという石組みの城壁。それをさらに凌ぐ高さで、幾本もの尖塔が城壁の上からこちらを覗いている。壁上には固定弩が隙間なく配備されており、伝令だろうか、城壁の上だと言うのに馬が駆けている。歩哨がいても速度を落とす様子はない。つまりあの城壁は軽く見積もっても三間以上の厚みを有しているはずだった。


 その様は上がりに上がったロレンツォ隊の士気を急落させるのに十分な威容だった。あれを見てなお屁でもないと言ってのけられるのは、余程の馬鹿か神以外にはいないだろう。幸か不幸か、ロレンツォはそこまでの馬鹿ではなかった。


 勢いをなくしたロレンツォ隊はただでさえ遅い足をさらに遅くした。日に一里ほど、刻むように進んでは陣を張って、すっかり不味くなった酒を嘗める。


 そんな生活が始まって、今日はその三日目を迎えていた。彼らと西都との距離は最早一里しかない。今日中の開戦は自然な流れだった。


「どうなってんだよ、ロレンツォ!」若者は掴み掛からんばかりに激していた。


 怒声が天幕中に響き渡り、ロレンツォは顔をしかめる。なおも若者はまくし立てた。


「西都に着いてもう三日だぞ。一体いつになったら攻め込むつもりだよ。あんたまで臆病風に吹かれちまったのか、え」

「馬鹿言うな」ロレンツォはもちろん反論した。しかしその語尾は徐々に小さくなっていった。「そんなことは、ねえよ」


 冷静を臆病と言い換えるなら、まさしくロレンツォは臆病になっていた。彼我の現状を目の当たりにすれば、誰しも臆病にならずにはいられなかった。


 たった三千の農民兵で、一体どうやってあの要塞と戦えばいいのか。


 ロレンツォ隊の中でも大抵の良識ある者は西都を一目見た瞬間から自分たちの直面している絶望的な状況に気づいていた。この距離にまで近づいてようやくその事実に足を止めたのだから、むしろロレンツォは理解の遅いほうだった。


「ふざけんじゃねえ!」それでも若者は止まらなかった。「この三日、やってることと言やあちょっと歩いて酒飲んでの繰り返し。これが臆病じゃなくてなんだってんだ! 真実の神だって呆れてるぜ」


 学のない者ほど神の万能感に依存する。学がない故に疑うことを知らず、全ての物事に簡便な答えを与えてくれる神と言う存在を妄信するのである。


 そこに若さが付加されれば最早手の施しようもない疾病(しっぺい)と言えた。このファビオ・マルティーニと言う若者は、若さの為せる蛮勇と神の見せる万能感とを自身の内で混ぜ合わせ、自らを果断で忠実な神の使徒にならしめていた。そして本人も気づかぬところで目に余る程の馬鹿者にならしめていた。


「このガキ! 言わせておけば」青年の激情にあてられたロレンツォは思わず彼の胸倉を掴んでいた。

「はん、敵とは戦えねえ癖に、俺相手だったら簡単なわけだ。笑わせてくれるじゃねえか、大元帥様がよお」

「ガキが、知った風な口を」


 一触即発の天幕に微風が吹き込んできた。


「伝令、伝令だ」汗だくで駆け込んできたのはロレンツォと同じくペルーノ村出身のマルチェロ・ビアンキだった。「伝令だ、ロレンツォ」

「伝令?」


 この隊を率いてから今まで、一度たりとも聞かなかった言葉だ。(いぶか)るロレンツォの元に通されたのは十代半ばと言った風情の少年だった。


「た、隊長殿にご報告です」少年は緊張のためか上擦った声で告げた。「都市内にはすでに白犬隊が潜入しております。本隊の動きと呼応して陽動を行う手筈となっております」


「白犬隊?」耳慣れない言葉にロレンツォは顔をしかめた。「味方かそいつは?」

「え?」直立不動で上方を見上げていた少年は視線を下ろすと同時に息を呑んだ。「あ、はい……それは……」


 見る見るうちに汗が噴き出す。いかついロレンツォのいでたちに萎縮したのか、少年は言葉をなくしてこくこくと肯いた。


「味方なんだな?」


 ロレンツォが改めて尋ねると、少年は消え入りそうな声で「はい」と答え肯いた。


「でかした」ロレンツォは口角を上げて少年の肩を抱いた。


 ロレンツォは足りない知恵を絞って事態を整理する。覚えのない味方はおそらくジャコモの差し金だろう。味方を忍び込ませて門を開けさせるやり方は、ロレンツォがすぐそばで見てきたジャコモの得意技だ。初めて一軍を率いる大元帥に、餞別のつもりだろうか。


 勝利の形が、不意に輪郭を伴って見えてきた。光明が斯界をまばゆく染める。鼓動の音は彼の脳内で神のお告げに変わっていた。


 ロレンツォは笑う。歓喜に総身を震わせる。ジャコモめ、水臭いやつだぜ。やっぱりこの俺に期待してやがるんだな。


「野郎ども行くぞ!」ロレンツォは天幕を飛び出した。「必勝の策だ! ジャコモが授けてくれた!」


 突然の命令に戸惑う面々は、慌てて武器を取り、ロレンツォを追いかける。


「神は我らと共にあり!」神の声を聞いたロレンツォは会心の笑みで長剣を抜き放ち、振りかざした。「エイメン!」


 口々に「エイメン」の声が応える。伝播したジャコモの名は、すでにして神と同義だった。熱に浮かされた馬鹿者たちは、狂ったように呪文を唱えて大元帥を追いかけた。


 エイメン! エイメン!


 天地を揺らす鬨の声が、蒼白となった少年のつぶやきをかき消していた。


 やっちまった。


 エスパラム訛りの少年は、しきりにそうつぶやいて人知れず喧騒から離れていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ