二十七、責任重大な仕事
ライナー率いる白犬隊がそれを視界に捉えたのは、進路を北に変えてから三日目の夜半のことだった。夜闇のせいで全容は把握できないが、十里の先に照る煌々とした明かりは、彼らが目標としていた西都ブリアソーレに相違ない。
ひとまず安堵した一行は手近な山の麓で小休止をとることにした。食事の傍ら議題にあがるのはこれからの予定だった。
「西都まで来たはいいが」クラウスは干し肉をかじりながら首を向けた。「どうすんだ、これから?」
「それを決めるのは僕の仕事じゃない」ヤンは組んだ手を枕にして目を閉じていた。会話をする気もないようだ。
「そりゃあ、まあそうだろうけど」
クラウスは辺りを見回した。彼らの今後を決めるべき小隊長の姿が見当たらない。
ややあって、小隊長ライナーが山の中から出てきた。喜色満面に両手で掴んでいるのは云十本もの小枝だった。
「火でもおこすのか?」
クラウスの問いに、ライナーは「いいや」と首を振る。
「こいつはくじだよ、くじ」
「くじ? 何の?」
「班分けのだよ」ライナーは枝の束を突き出した。「ほら引けって。赤いの引いたやつが当たりな」
クラウスは眉根を寄せた。判断力に優れたこの小隊長には頭の中で決めた事柄についての説明を省く癖があった。
「だから当たりってなんだよ」文句を垂れながら一本引き抜く。何の変哲もない普通の枝だった。
ライナーは食事中の仲間たちを回って次々に枝を引かせていった。アラン外れ、ハンスも外れ、ブルーノはどうだ、あ、外れた、しょうがねえなまったく。
とうとう最後の一本になった。必然的にそれが当たりなのだろう。末端の赤い当たりくじを引かされたのは十五になったばかりの少年だった。
「おめでとうディノ!」ライナーは一人大盛り上がりで手を叩いた。「どうした皆拍手だ拍手。新入りの記念すべき初仕事だぜ。盛大に祝ってやらなきゃ」
まばらな拍手がライナーに応えた。ライナーただ一人を除いて、拍手する者もされる者も皆一様に手を叩くべき理由を知らないのだから、まばらなはずだった。
「いい加減話せよ」クラウスは頭をかいた。「ディノも戸惑ってるじゃねえか」
「おっと、そうだな。そりゃそうだ」
ライナーは皆の注目を集めると軽く咳を払った。
「今外れを引いたやつら。お前らは潜入班だ。一刻後、俺と一緒に西都へ忍び込む。支度をしとけ」
「潜入? 一刻後に?」
「おう」ライナーは肯いた。「作戦の流れとしてはこうだ。まず俺たちが西都へ入る。その後隊長殿が本隊引き連れて来るわな。そしたら西都は当然備えるだろ、隊長殿に。そうして外に目が向いてる間に今度は俺たちが街の中を荒らし回る。敵さんが、なんだどうしたって慌てふためく、その隙を突いて隊長殿は門を破る、とまあこう言った具合よ」
ライナーは得意気にふんぞり返った。クラウスは腕を組み、頭の中でその作戦を吟味する。
「なるほど、大体分かったが、そう上手くことが運ぶかね? 荒らし回るったって、俺たちはたった三十人だぜ。限度があるだろ、限度が」
白犬隊は自他共に認める「エッセンベルクの白狼」の最精鋭部隊である。少々の不利なら問題にならない能力と気概、そして実績があった。
しかし現在ライナーが率いている白犬隊は万全の状態ではなかった。実力はあっても隠密行動に向かなそうな者は本隊に残されてきたし、何を思ったのかライナーに引っ張ってこられたディノのような例外もいる。今の白犬隊に本来の力を期待するのは危険だとクラウスは言っているのだった。
「分かってねえなあクラウスよ」ライナーはその指摘を受けてもなお口角を上げた。「難しい仕事だからこそ燃えるんじゃねえか、なあ皆?」
ライナーの問いかけに臆する者は、白犬隊にはいなかった。かく言うクラウスも、胸の内に滾る闘志を自覚していた。遣り甲斐を引き合いに出されれば勝算などは二の次になる、結局彼らは男なのだ。ライナーはそれをよく理解していた。
「ライナー、聞きたい事がある」冷や水のような声はヤンだった。「その作戦について三つほど」
ライナーに促され、ヤンは大儀そうに体を起こして人差し指を立てた。
「まず一つ、これから潜入するとの事だけど、まさか馬で乗り込むわけじゃないんだろ? 馬なんかに乗っていたら当然目立ちやすくもなる。忍び込むなら徒歩が無難だ。しかしだとしたらこの馬たちはどうするのかってこと。まあ常識的に考えれば野に帰してやるとかいろいろあると思うけど、僕は勧めない。何故って僕の馬は副隊長殿からの借りものだからね。雑に扱ったら後で何を言われるか分かったもんじゃない」
答えを待たず、ヤンは中指も立ててみせる。
「そして二つ目、仮に潜入に成功しても、その事実を隊長殿が知らないんじゃあこの作戦は成り立たない。敵地である都市内部から、外の隊長殿に、一体どうやって連絡を取るつもりだい?」
ライナーは微笑を浮かべて肯く。ヤンは薬指を立てた。
「最後に三つ目、僕はくじを引いた覚えないんだけど、潜入には参加しなくていいってことかな?」
質問が終わると注目は再びライナーに集まった。ライナーはうんうんと肯いて得意気に軽く手を掲げて見せた。
「もちろん答えてしんぜよう。まず一つ目だが、当然馬は置いていく。捨てるわけじゃあねえから見張り役を一人立てるつもりだ。次に二つ目、これ重要。馬の世話係以外に本隊への連絡役を一人任命する。誰がやるかってのは、皆もう分かってるよな?」
ライナーは先端の赤い小枝を握り締める少年を見やった。少年は息を飲む。自身の担う大役にその時ようやく気づいたのだ。
ライナーは続けた。
「そんで最後な、あんたにくじを引かせなかったのはもちろんわざとだ。頼みたいことがあるからな、あんたは潜入部隊に入らなくていい」
「馬の世話係、ってわけじゃあなさそうだね」
「それも仕事の一つ。だけど本当に頼みたいのはこっちだ」
ライナーは立てた指で頭上を示した。ヤンは眉間に皺を作る。その要求するところを察したからだった。
「雨、降らせてくれよ、豪快なやつ」
腕っ節も弱く自前の馬すら持っていないヤンが白犬隊に所属しているのは何も縁故だけが理由ではない。ヤンは「エッセンベルクの白狼」の中でも指折りの魔法士だった。
得意とする気象操作は此度のような隠密行動では特に重宝した。白犬隊がこの夜西都近辺にまで辿り着けたのもヤンの功績が大きい。
西都南のリスヴァール峡谷関所には二百の兵が詰めていた。ライナーたちの実力なら強引な突破も不可能ではなかったが、当然容易でもなかった。
そこで一計を案じたのがヤンだった。
ヤンは身なりの良さそうな二、三人を選び、馬商の振りをしてまず馬に関をくぐらせた。その後関の北側で待機していたヤンは日暮れを待って濃霧を発生させる。深い霧は番兵の監視を妨げ、足の軽い白犬隊はそれを機に関を越えたのである。
「簡単に言うなあ」ヤンは溜息と共にうな垂れた。「さっき働いたばかりで疲れてるんだけど」
いくら習熟していると言ってもマナを行使すれば相応の疲労は避けられない。それも豪雨を降らせるとなれば普通は数人の魔法士で行う大技だった。
「苦労かけるな、先生」ライナーは悪びれもせず歯を剥いた。「その分一番楽な仕事回したんだ。よろしく頼むぜ」
やはりライナーに譲る気はないようだった。是非もない。ヤンは水筒を持って立ち上がった。
「集中する。しばらく話しかけないでくれ」
ライナーは肯いて、ディノの青白い顔に微笑みかけた。
「そうかたくなるなよ、ディノ」おどけた調子で近づいて、肩を組む。「何をしたらいいかは分かるな?」
「はは、は、はい」ディノは痙攣したように肯いた。「隊長殿が来たら、さ、作戦を伝える」
「そうだ」ライナーは肯いた。「責任は重大だけど、難しい仕事じゃねえ、だろ?」
ライナーの手がディノの頼りない背に触れる。ディノは何度も肯いた。
少年の耳に届いたのが激励の言葉の前半部分だけだったことに、ライナーはまったく気づかなかった。




