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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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二十四、岐路

 震動を感じる。足音に違いない。人の早さ、ではない。数は、少なくとも十人以上。


 地に這いつくばっていた英二は跳ねるように体を起こした。「まずい、近づいてる」


「っくそ」ボリスは舌を打った。「昨日の奴らかよ」

「分からない」英二は鞍に飛び乗ってすぐさま馬腹を蹴った。「でも多分、馬に乗ってる」


 三頭の馬竜は同時に駆け出した。もう人目を気にしていられる余裕はない。とにかく真っ直ぐ北を目指した。


 夜間のみの逃避行は遅々として進まなかった。昼夜を問わず、捜索隊と思しき武装集団が、街道付近をよく練り歩いていたからだった。それでも見咎められることなくこれまでやってこられたのだから幸運と言えた。もし、捜索隊の者達の中に酒を飲んでいない者が一人でもいたなら、もっと早くに足を止めざるを得なかっただろう。英二は人生で初めて酒の存在に感謝したい思いだった。できることなら今すぐ近くまで迫ってきている集団にも、酒の神とやらが祝福を与えてくれていることを願うばかりだった。


 先行するボリスの馬が止まった。ペペと英二も馬を止める。


 そびえる山林にぶつかって、道が左右に分かれていた。ボリスは案内用と思われる立看板を睨みつけていた。


「何て書いてあるんだ」


 ボリスに尋ねられ、英二は目を凝らした。経典だったら部分的に読み解くこともできるが、はっきり言って読み書きはまだまだ不得手だった。ぼんやりと拾える単語だけを音読するしかなかった。


「街道。西の、都……ばり、あ……そう?」

「ちょっと」焦れたアンジェリカが英二の脇腹を小突いた。「私によく見せてください」

「はい、殿下」看板の前に馬を横付けする。

「キアナーレ街道。左は西都ブリアソーレ、右は公都リティッツィに、それぞれ続いている道のようですわ」


 感心もつかの間、もたらされたのは彼らにとって判断のしかねる情報だった。英二はもちろん、ぺぺもボリスも、ルオマの地理などは知る由もないのである。


「何を悩んでいるのです?」アンジェリカは明るい表情で英二の袖を引いた。「公都に行けば良いのではないのですか。公都にはルオマ公家の臣下が多く居を構えています。いずれかの近衛騎士と会うことができれば」

「何めでてえこと抜かしてんだよ」ボリスは苛立たしげに唾を吐いた。「公都なんてとっくに一揆の手の中だ。ルオマ公家も近衛騎士も、何も残っちゃいねえ」

「ボリス、止せ」


 アンジェリカはうつむいた。ボリスの言葉は彼女が密かに抱いていた希望を打ち砕くものだった。いや、それはすでに希望というより夢想だった。この異常事態に、その程度のことも気づけないほど、アンジェリカは馬鹿ではない。口に出せば、言葉にしてしまえば、その事実を認めてしまう。それが嫌だったのだ。


 父様も母様も、すでに、この世には。


 アンジェリカは声を押し殺して泣いた。英二は自身の背中が濡れている理由に気づいていたが、かける言葉を思いつけなかった。


「殿下」結局英二が選んだのは触れないという選択だった。「西都から、領外へ出ることはできますか」

「分かりません」アンジェリカは洟をすすって頭を振った。「私たちが領外へ出るときは、いつも北都ダオステの関を通っていました。それ以外は」

「どうするんだ、西都か公都か」


 英二とてボリスと同じで焦れていた。考える時間も惜しい。こうしている間にも、敵が迫っているかもしれないのに。


 英二は前方を見上げた。小高い山。標高は三百間と言ったところだろうか。左を見て、右を見る。どちらもいたって普通の街道だ。足をとられるようなものも、目立つ起伏も、一応は見られない。手綱を握ると彼の愛馬が振り返った。唾を飲み込み、英二は肯いた。


「直進しよう」英二は指を差した。「この山の中を、通って逃げる」

「はあ!?」ボリスは声を荒げた。「無茶言うなよ。ちんたら山なんか登ってたらすぐ追いつかれるぜ」

「どっちを行こうが普通に人が使う道ならいずれ追いつかれるよ。だったらこの山の中に身を潜めながら移動したほうが人目を避けられるんじゃないか? 相手が馬ならなおのこと」


 見れば前方の山林は斜度が四十度以上あるようだった。下からの眺めがほとんど壁のように見える山肌は、鹿や猿ならいざ知らず、馬が容易に登れる見た目ではない。


 英二たちにとって都合が良いのはそこだった。発達した後肢で地を駆ける馬竜は普段から二足歩行で生活するため、人間の立ち入れる所には大抵同行できるのである。流石に騎乗したまま山を登ることはできないが、少なくともこの山林の存在が進路の選択を狭めることはない。反面平地での最高速度は馬に劣るが、持久力にも優れているため山中行軍もそれほど苦にはならないはずだった。


 英二はボリスの決断を待たなかった。すぐに馬を降り、公姫姉妹の手をとる。


「ペペ、妹御殿下を頼む。負ぶってあげてくれ」

「わ、分かった」


 ペペは自然に従っていた。小さな体を背に負って、早くも山肌に足をかけている英二に続く。


「あなたは大きいのね」ガブリエッラは倍以上もある大男の目線の高さに身を竦ませた。

「お姫さまが小せえんだよ」

「ガブリエッラよ」小さな姫君は頬を膨らませた。「姉さまはガビーって呼ぶわ」

「お、俺はペペだ」

「落とさないでね、ペペ」


 ぎゅう、とガビーの小さな手がペペの服を掴む。不意打ちだった。ペペは初めて、生まれて初めて、何かを守りたいと言う衝動を知った。その気持ちさえあれば、山だろうが砂漠だろうが越えていくのはわけも無いと思った。


 英二は時折アンジェリカの手を取って、注意深く先頭を進んだ。ペペとガブリエッラがその後に続き、二頭の馬竜が最後尾から追う。夜の深さも手伝って、その姿は程なく木々の中に溶け込んでいった。


「待て待て、おい」ボリスはなおも鞍上から下りなかった。最早視認も困難となった英二たちに向けてがなる。「勝手に話を進めてんじゃねえよ、おいって!」

「他に案があるなら聞くよ」英二は馬上よりも高みから応じた。「無いなら決めてくれ。ここで降りるか、一緒に来てくれるのか」


 無論、英二は共に来てくれることを期待していたが、決して強制したくは無かった。一人でなら街道を通っても逃げ切れる公算が高い。自由の身となった彼らには進んで茨の道を歩く必要も義務も無いはずだった。


 ぺぺは一度だけ振り返るのみで、兄貴分に声をかけることはしなかった。


 ボリスは結局馬を下りた。





 一行に遅れること四半刻。西都と公都に道を分けるキアナーレ街道の岐路に到着したその一団は、立看板の文字を読み取ると、街道を西へ駆けて行った。


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