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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十八、ルオマ公姫の長い一日

 空位二十一年初夏の七日はルオマ公姫姉妹にとって最も長い一日となった。


 隠れ家にしていた侍従の別邸に、武装した男たちが踏み込んできたのは昼を過ぎたころである。情報を集めに行くと伝えて隠れ家を出た侍従の一人が捕まりでもして口を割ったのか、あるいは元々密告するつもりで出かけたのかは、彼女らの知るところではない。


 ともかくもルオマ公姫(こうき)姉妹は野蛮な農民兵共に捕らえられレノーヴァ市内を引き回されることになる。肌着までもを引き裂かれなかったのは慈悲ではなかった。好色の多いルオマ人にとって十五にも満たない彼女らは女としての(はずかし)めを与える価値を持たなかったのである。占領から数日が経ち、大部分の新市民たちが騒ぎ疲れていた(その上でも連行される公姫は例外なく群衆の狂喜に晒されたが)と言うことも幸いだった。


 食事も水も与えられないままレノーヴァ中を引っ立てられて日が沈むころに牢へ入れられた。初夏と言えども地下に掘られた牢、それも薄い絹の肌着一枚では寒さが身にしみる。姉妹は肩を寄せ合ってそれを紛らわせた。牢番に何かを頼んだところで無駄であることは日中の様子で理解できたし、彼女ら自身も下賎な相手に慈悲を請うことを良しとしなかったからだった。


 夜は取り分け長かった。疲労のために眠り落ちそうになると、仕事に飽いた牢番が罵声を浴びせ、木の棒で石壁を叩いてそれを妨げるのである。法王の名の下に生け捕りが厳命されていたため、大きな怪我を負わされるようなことはなかったが、その反動か牢番の趣向は如何(いか)にして手を触れずに彼女らを苦しめるかに変わっていた。


 満足に眠ることもできず、四刻おきに二度ほど牢番が入れ替わり、ちょうど夜も更けてきたころ。地下牢に彼女らを訪ねる者が現れた。

 闇に溶け込むような色合いの外套を頭からすっぽりと被るその者は牢番に誰何されて頭巾を上げた。


 牢番はその老人を見て恐縮する。代官殿、どういったご用向きで。


 老人はその問いには答えず、煩わしそうに手を払った。下がっていろ。呼ぶまでは戻って来んでいい。


 老人は牢番の手に金貨を数枚握らせた。牢番は肩をすくめて指示に従う。


 牢にはルオマ公姫姉妹と老人だけが残った。


 沈黙が、たちこめた。姉妹の側から話すことは何もなかったし、老人は悲しみを湛えた目で、ただ彼女らを見るばかりだった。


 パメラ。不意に、老人は口を開いた。おお、パメラ。どうして、どうして、死んでしまったのだ。


 皺だらけの顔の上を涙が滑る。姉妹はただ、困惑するばかりだった。


 天主様、どうか、お教えください。何故あの子が死ななければならなかったのか。何故あの子が死に、罪人の娘がのうのうと生き延びているのか。


 骨ばった手が、檻を開ける。深い悲しみの底に沈んでいたのは、憎しみだった。憎悪に塗れた老人の目は逃げ場もない少女たちを捉えていた。


 天主様、わしには認められません。老人の体が牢の中へ踏み入る。どうか、どうか、お許しください。手には鋭利な短剣を握って、老人は呪文のように何度もつぶやいた。


 恐怖に震え上がる姉妹は逃げることも、叫ぶこともできずに互いを抱きしめ合った。老人が剣を振り上げる。姉は妹をかばうように抱きしめ、背中を向けた。


 甲高い音が石牢に反響する。続いて呻き声、何かが倒れる音、一人のものではない足音も。


 姉、アンジェリカ・ディ・ルオマは顔を上げた。


 老人は血走る目を閉じ、倒れていた。牢屋には、いつの間にか二人の男が侵入していた。外套の頭巾から覗くのは金と黒の髪。歳はかなり若く見える。


 意識のない老人に長剣を振り下ろそうとする金髪の若者を、髪の黒い方が制止した。止せ、殺す必要はない。


 金髪の青年が舌打ちして、二人は剣を納める。


「な、何者ですか!?」アンジェリカは妹を抱きしめたまま詰問した。


 黒い髪の青年は跪き、頭を垂れて答えた。


「敵ではありません、公姫殿下」青年は手を差し出した。「さあ、お早く。そのご意思がおありになるなら」


 アンジェリカは恐る恐るその手に触れた。指先から伝わるのは冷たさだった。そして微かな震えだった。彼女の手と同じように、その指先は冷たく、震えていた。悪意ばかりに晒されて、頼るものなど何もない、彼女と同じように。


 アンジェリカは安堵した。そして目から零れる涙を、妹を不安にさせまいと堪え続けてきた涙を、止めることができなくなった。


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