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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十六、婿養子は嘆く

 祭りの後は往々にして気分の落ち込むものだが、ほんの数日で主を変えた元ダオステ行政府庁舎の執務室は、分けても鬱屈とした雰囲気に沈んでいた。過日の馬鹿騒ぎとは打って変わって、傭兵隊長が気の滅入る事務仕事に追われているためだった。


「戦死六百、捕虜千五百、その他おおよそ千弱、と」


 まずまずの戦果にヴァルターは肯く。次いで目に入った捕虜名簿を適当に読み飛ばし、帳面を繰ると今度は顔をしかめた。


「騎兵七十八、歩兵百十」

「内我が隊は、騎兵二十二、歩兵八十になります」ハインツが付け加えた。


 ヴァルターは唸った。「流石は名にし負う『リトニアの一角獣』ってところか」


 損害の比率だけ見れば快勝と言えたが、その内訳は白狼隊にとって決して少なくないものだった。帳面にちらほらと見受けられる見知った名がヴァルターの胸を殊に痛めていた。歩兵の被害はそのままヴァルターの責任であった。散らばる歩兵には目もくれず大将首を狙ってくるものと思っていた当てが外れたのだ。


「市内の様子は?」帳面の塊を机上に投げ出してヴァルターは尋ねた。

「落ち着いております。恐らく」ハインツは少し考える素振りをして答えた。「ルイジ殿のおかげでしょう」

「そうかい」ヴァルターは面白くもなさそうに溜め息を吐いて椅子に背を預けた。


 マリオの死から一日。ダオステ市が大きな混乱もなく「エッセンベルクの白狼」を受け入れているのはひとえにルイジ・グリマルディの存在が大きかった。


 マリオという強力な指導者を失ったダオステ市は「リトニアの一角獣」他、傭兵隊の残党からなる抗戦派と、非武装のダオステ市民からなる降伏派の二つに分かれた。主に力で優勢を占めていた抗戦派は各拠点に篭り、監視目的の手勢をダオステに派遣して総予備兵力の維持を強制した。これを説得したのがルイジだった。


 決闘に際して都市解放を約束したのは他ならぬ隊長殿自身である。この上抗戦を続けるのは隊長殿の誇りに傷をつける行為だ。


 マリオの仇討ちをと息巻いていた抗戦派の傭兵達はルイジの言葉を受けて剣を納めた。本来なら徹底抗戦を主張したであろうピーノら古参の部下の多くが戦死してしまったことも無関係ではなかった。


 都市防衛の主力であった「リトニアの一角獣」の敗北が、結局は独立都市ダオステの終焉を決定付けたのである。


「で、そのルイジ殿はどうしてるって?」

「相変わらず、粛々と残務を処理している」ハインツは眉間に皺を寄せて付け足した。「こちらの提案を呑む気はないらしい」

「まあ、そうだろうな」ヴァルターはまた溜め息を吐いた。


 ヴァルターは敗将ルイジを自身の隊へ誘っていた。期するところは単純な打算だった。このダオステで改めて兵を募ろうと思えばルイジの(つて)は大層役に立つ。こういう場合相手が貴族の子弟なら侮辱行為ともとられかねないが、没落して久しいグリマルディ家のルイジにとってそこを考慮する必要はなかった。事実ルイジにはその点に関して物言いをする気もなかったし、兄の仇であるヴァルターを恨んでいる様子もなかった。


 しかし、それでもルイジは頑として肯かなかった。


「兄者の墓を、守らなきゃならねえ」


 答えるルイジの顔に、最早傭兵としての覇気はなかった。


 開きっ放しの戸が叩かれた。顔を上げると軽装に袖のない外套を羽織った洒落者が立っていた。


「よう、白狼」その洒落者は軽く手を上げると許しもなく部屋の中へ入ってきた。あごに(まば)らな髭が目立つのに不潔さを感じさせない顔だった。わずかに上がる口角には泰然とした余裕が窺える。「どうした? 勝ったってのに、えらく不景気な溜め息を吐くじゃねえか」


「ジローの旦那」ヴァルターは椅子から立ち上がった。無意識に頬が緩んでいた。「元気そうで」


 ジロー・ドゥ・テッシュは差し出された手を強く握った。ラ・ピュセル侯爵領テッシュを領有する貴族で、ヴァルターとは以前から付き合いのある男だった。


「お前さんも相変わらずの手並みだったな」ジローは聞かれて困る話でもないのに声を潜めた。「おかげで助かったぜ。正直俺の手勢だけじゃどうにもならなかった」

「お互い様さ。持ちつ持たれつといこうや、旦那」ヴァルターも悪戯な笑みで声を小さくした。「それにしても驚いたぜ。あんたがこんなに働き者だとは知らなかった。よっぽど大変らしいね婿養子ってやつは」

「言ってろ。テメェだって遠からず同じ目にあうんだぜ、次男坊」

「俺ァ結婚しねーもん」


 ヴァルターがうそぶくと、ジローは笑い声を上げた。笑いは程なく合唱のように重なる。共に貴族の私生児で、傭兵として名を馳せてきた境遇にも近しいものを感じるのだろう。十も離れた歳を忘れるほど、この二人は妙に馬の合う間柄だった。


「ま、冗談はさておき」


 ひとしきり笑ったヴァルターは応接用の腰掛を勧めた。ジローが座るのを待って自身も腰を落とす。ハインツが用意した葡萄酒でのどを湿すと身を乗り出して続けた。


「あんたんとこが動くなんて、どういう風の吹き回しだい? 例え六芒星が燃えてても、領内じゃなければ見えない聞こえないが信条だろ、ラ・ピュセルは?」

「その話か」ジローはばつが悪そうに頭をかいた。「ルオマ公については聞いてるか?」

「一揆に負けて殺されたんだろ?」ヴァルターは肯いて杯を勧めた。

「その殺されたルオマ公の嫁がな」ジローは軽く葡萄酒を呷って続けた。「うちの女将(おかみ)の妹なんだと」


 ジローの言う女将とは女傑で知られる当代ラ・ピュセル侯の(非公式な)通称だった。


「へぇ」ヴァルターはなにとはなしに相槌を打ち、ややあって納得したように指を差した。「あーそれで」

「そう」ジローは苦笑を浮かべて肯いた。「大層お怒りなわけだ。近衛総軍引き連れて、当代ラ・ピュセル侯御自らがご出馬あそばされるつもりらしい。何に代えても妹を救い出せって、領内は上を下への大騒ぎだよ」

「救い出せって」ヴァルターは眉根を寄せた。

「情報は止めてある」ジローは空いた手で耳を指して言葉を継いだ。「侯の耳には入らないように」


 ルオマ公都落つの報せが届いた時、当代ラ・ピュセル侯シャルロット・ドゥ・ラ・ピュセルがまず尋ねたのは妹の安否であった。機転を利かせた宰相が咄嗟にその死を隠蔽したが、それでも領国を上げての大動員を止めることはできなかった。ラ・ピュセル侯シャルロットはルオマへと嫁いだ二つ下の妹パトリシアを溺愛していたのである。


 とはいえ、ラ・ピュセル侯軍近衛騎士隊が他国への遠征を行うことは空前の大事件だった。近年、遠征はおろかまともな戦闘行為からも遠ざかっていた近衛騎士隊(大抵の武力行使は傭兵と在地領主の手勢で片を付けていた)は、進発準備に相応の時間を要した。


 これに対し、矢も盾もたまらないラ・ピュセル侯シャルロットはルオマと国境を接する領主に取り急ぎ先陣を命じた。要するに、ジローの仕事はラ・ピュセル侯軍の(形式と気持ちの上では)主力である近衛騎士隊が気持ちよく戦地へ赴けるようにするための露払いだった。


「ただでさえ取り乱してるってのに、この上最愛の妹御がすでに天の国へ旅立ってるなんて知られたら」ジローは一気に杯を干した。酒臭い溜め息を吐くその顔色に赤みはない。「女将の怒りも心頭ってやつだろうな。地獄を見るぜ、こいつは」

「地獄ね」


 それはラ・ピュセル侯軍にとってのものなのか、それともルオマ領民の側か。ヴァルターには判断しかねた。


「でも、隠してたって、いずれは知られることだろ」

「気の滅入るようなこと言うなよ。だから、近衛がやってくる前になんとかこの件を片付けてえんじゃねえか」


 どれだけ激しい怒りでも、向ける対象がいないのであれば自然沈静化するものだと、ジローは考えていた。この場合の対象というのは言わずもがな一揆を起こした農民たちに他ならず、分けても重要なのは首謀者の首だった。

 ヴァルターは当然の疑問を口にした。


「片付けるって、具体的にはいつまでに?」

「今月中が、望ましいわな」


 ジローの返事には苦笑せざるを得なかった。ルオマの大半を手中に収めた一揆軍の規模は云十万と聞こえていた。誇張されているにしても、あと二十日あまりでなんとかできる数ではなかった。


「そりゃ難儀な話だ。流石の俺でも(さじ)を投げるぜ」

「俺だって同じ気持ちだよ」机上に勢いよく杯を置いて、ジローは天を仰いだ。「ああ、他に妙案があれば知りてえ。知恵の神イデアよ、どうか俺に託宣を、女将の怒りを静める方法をお教えください」


 神の奇跡に(すが)るジローはささやかながらも領地を治める貴族である。生活の許す限りは自侭(じまま)に生きられる傭兵とは違い、気が乗らないからといって戦わないわけにはいかない身の上だった。


「ご苦労なことだな、旦那」ヴァルターは空になったジローの杯に酒を注いだ。「旦那見てるとつくづく思うぜ。やっぱ俺結婚はいいやって」

「言うなよ」ジローはやはり苦笑して杯を傾けた。「俺の愛を試すようなこと」


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