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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十五、騎士たればこそ-2

 実際のところ、ヴィントはびびっていた。それはもう、超びびっていた。


 大丈夫かと隊長殿に鼻をなでられた時は、あまりの不安でどう応えたらいいのかわからず、どもってしまっただけだった。何故か肯定的に受け取られてしまったために、彼は結局戦うことになった。決闘を前にして、やけに落ち着いて見えるのは恐怖が極大過ぎて何も考えられない状態だからだった。


 もうやだ、帰りたい。


 首を巡らそうにも、馬装が重くて上手くいかない。そうこうする内に隊長殿が帰ってきた。跪く従騎士の手に足をかけ、軽々とヴィントの背に跨る。いよいよ退路を塞がれてしまった。こうなるとヴィントには走ることしかできないのだった。


 向こう正面に、恐ろしい角を生やした一角馬が見える。馬蹄でしきりに地面をかいては、今か今かと駆け出す合図を待っている。その血走った目は、確実にヴィントを捉えていた。


 駄目だ。怖い。


 逃げ出したいヴィントの本能が一角馬と同じように地面をかかせた。その場に踏み止まっていられるのは、隊長殿を背に乗せる馬としての自負のおかげだった。


「珍しいな今日は」隊長殿が鉄篭手で馬鎧(うまよろい)をなでた。「やる気満々じゃねえか」


 違うんです。怖いんです。


 ヴィントは必死にいなないたが、悲しいかな彼の隊長殿は馬の言葉を理解しなかった。


「まあ落ち着けよ。こう言う時こそ平常心だぜ」


 土台無理な相談だった。この春三歳になったばかりのヴィントは、根が臆病な性格なのだった。隊長殿の「とにかく速いのがいい」という要望によって見出され、以来用があればその背に隊長殿を乗せてきたが、本来は軍馬向きの馬ではなかった。


「平常心だぜ、ヴィント」隊長殿はなおも続けた。「お前の仕事はいつもどおり、ただ走り抜ける、それだけだ。俺を信じて、走りゃあいい」


 勝手なことを。


 ヴィントは怒りすら覚えていた。泣けるものなら泣き出したいと思った。


 背後で従騎士の気配が遠のく。隊長殿が手綱を引く。否が応にも、一角馬の凶相と目が合った。


 ヴィントは自身の運命というものを呪いながら、隊長殿の求めるままに駆け出した。


 大地を叩く蹄が土ぼこりを巻き上げる。二十間の距離は一瞬でなくなった。気づけば眼前に恐ろしい角が突き出されている。


 ヴィントは本能的に頭を下げた。足が逃げないのは習慣の賜物(たまもの)と言えた。


 耳に甲高い音が響く。そのまま隊長殿に止められるまで走り続け、手綱を引かれて足を止める。よく見れば一角馬の姿は視界の外だった。


 ほんの少しだけ体が軽くなった気がした。周囲をつぶさに観察して、ヴィントはその理由に気づいた。一角馬とすれ違った辺りに隊長殿の小盾が落ちている。相手の攻撃を防ぎきれなかったのだ。


 ヴィントは当然恐怖も感じた。しかし、それ以上に彼の胸を締め付けたのは自身に対する怒りだった。隊長殿の指示を聞いて、いつもどおりにただ走り抜けなかったから。自分が隊長殿を信じなかったから、隊長殿は攻撃を受けた。


 臆病でも、幼くても、ヴィントは男だった。隊長殿の身を預かる一頭の馬として、自分の半端な仕事が許せなかった。


 隊長殿が馬腹を挟んだ。手綱に導かれるまま体を反転させる。今一度(まみ)えた一角馬の威容も、改めて見れば大して恐ろしくはなかった。


 どちらからともなく、向かい合う二騎は大地を蹴った。


 ヴィントは最早目を逸らさなかった。突き出た角が近づいてくる。それでも、ただ隊長殿を信じて、走り続けた。


 角が鼻先に突き出される。あと数寸で鼻面に届く。この速度なら馬面の防御などあってないようなものだ。


 その時、視界の隅から白銀の槍が飛び出してきた。槍はヴィントと彼を貫かんとする角の間に割り入って、禍々しい先端から彼を守った。


 高速で擦れ合う槍と角が火花を上げる。


 その瞬間、ヴィントの目は一角獣自慢の角の上から新たな騎馬槍が突き出される様を捉えていた。相手の繰り出す槍は、隊長殿の槍を上から押さえ込むような角度で、明らかにヴィントの背に負う隊長殿を狙っている。


 ヴィントは考えなかった。ただ、信じて走り抜けた。一際高い金属音を置き去りにして、やがて再び隊長殿に止められた。


 振り返る。隊長殿は無事だ。まだ勝負は終わってない。


 と、遠間に望める一角馬の後ろ姿が、妙にいきり立っていることに気づいた。前足を高く上げ、頭を振りながら何度もいななく。


 ヴィントは隊長殿を見た。隊長殿はいつの間にか抜いていた剣を鞘に収め軽く腹を挟んだ。促されるままに、ヴィントは歩き出す。


 前方の一角馬はなおも大暴れだった。必死に御そうとする騎手が、とうとうその大きな体を振り落とされ、頭から地面に落下する。


 副隊長殿が必死に何かを叫んでいた。隊の皆が長槍を構えて、


 あ、一角馬を刺した。次々に、赤い血が一角馬の体から噴き出す。


 やがて一角馬は動かなくなった。


 副隊長殿がうなだれた。





「勝負ありだな、マリオの旦那」


 面頬を上げて、ヴァルターは馬上から騎馬槍を突きつけた。その先には大地に頭を突っ込んで沈黙する、なんとも滑稽な騎士の姿があった。


 一合目は完全にマリオのものだった。一角馬の一突きからヴィントを守るのが手一杯で、マリオの槍をまともに食らった小盾は容易く弾き飛ばされた。


 しかし、二合目こそヴァルターの期す勝負だった。一度目の攻撃に味を占めたマリオは、さしたる工夫もなく同じ攻撃を繰り返した。ヴァルターは一度目と同じように一角馬の角を槍で受け、小盾を失って空いた左手で長剣を逆手に抜き放っていた。剣身でマリオの突きをいなすと、すれ違いざまにその剣先が斬ったのは一角馬の(くつわ)だった。


 一角馬を獰猛な魔獣から優秀な軍馬へと変えるのが、馬銜(はみ)に仕込ませた件の血であることをヴァルターは知っていた。どれだけ優秀な一角馬であっても、御することができなければ騎馬槍試合どころではない。一角馬の能力に絶対の自信を持つマリオは、ヴァルターにしてみればそれだけに(くみ)し易い相手といえた。

 ちなみに、馬への攻撃は本来なら規定違反行為だったが自分の身を守るためならその限りではなった。


「……旦那?」


 いつまで待っても、マリオは返事をしなかった。どころか動くそぶりすらなかった。ヴァルターは周囲の部下に呼びかけた。


「おい、誰か助け起こしてやれ」


 命を受けて集まった白狼隊の四人ほどが、せーのと声を合わせてマリオの四肢を引っ張り出す。大地に兜をめり込ませたまま、マリオの顔が露わになった。


 ヴァルターは慌てて馬を下りた。「おい、旦那」


 青白い顔から返事はなかった。抱き起こそうとして肩を揺さぶると、支えをなくした首が赤ん坊のようにぐらぐら揺れた。半開きの口に、鼻腔から垂れた赤黒い血が滑り落ちている。呼吸をしている様子はなかった。


「エティエンヌ、来い!」


 坊主は慌てて駆けつけた。脈を取る。顔に触れる。慌てて掌にマナを集め、折れたと思われる頸部にあてがう。


「あ、兄者」


 遅れてやって来たルイジが呼びかける。それでもマリオは応えなかった。


 エティエンヌは頭を振り、六芒星を切った。ヴァルターも自然それに倣った。手を尽くしたが、マリオの意識が戻ることはなかった。いかなマナの恩恵と言えども、一度離れてしまった魂までもを呼び戻すことはできない。


「嘘だ、兄者、嘘だろ」


 ルイジは兄の亡骸にくずおれた。その慟哭は、いつまでも尾を引いた。


 騎士としてのあり方だけなら、マリオ・グリマルディは尊敬に値する男だったとヴァルターは思った。制御を失った愛馬を懸命に馴らそうとする振る舞いも、振り落とされかけながら騎馬槍を手放さない態度も、誰もが模範とすべき騎士の姿に違いなかった。


 しかし、その生き方こそが、彼を死に至らしめたのだった。没落貴族のマリオ・グリマルディは誰よりも貴族としての生き方、その理想型である騎士としてのあり方を信奉していた。我が身かわいさに馬を下り、槍を捨てるなど、彼の心の根底を支える騎士としての誇りが許さなかったのである。


 騎士斯くあるべし。


 (かたく)なに信じた男の結末を目の当たりにして、ヴァルターは不意に空しさを覚えた。


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