十四、偏愛者ハインツ・プリッケンと一角獣に関する挿話
馬上のハインツは嘆息していた。視界の隅に映る戦場跡に、彼の嘆きの理由があった。そこには愚かにも人を殺して金を稼ごうとした馬鹿な傭兵たちと、その愚か者に付き合わされて尊い命を落とした大量の軍馬の亡骸があった。
ハインツにとって馬の命と人のそれとは等価ではなかった。無論友人知人や仲間たちなどはその限りではなかったが、それにしたってどちらか選べといわれたら納得のいく答えを出すことなどできない話だった。
殊にハインツを嘆かせているのは、何といっても一角馬であった。上品な白毛、美しく、また雄々しくもある黄金色の鬣。極め付けが天をも貫かんとするあの角である。
戦場で一角馬を見かけるたび、ハインツは神の存在を感じた。あんなに美しい生き物を神以外のいったい誰が創造できるだろうか。合戦の最中ですら、思わずうっとりと見とれたものだった。
その至上の美を有する一角馬が、彼の横切ろうとする戦場の跡地には大量といって差し支えないほど混ざっていた。槍に紛れて天を突くその角の本数は、概算でも百はあるだろう。全て生きたまま手に入れようと望めば小さな城が買える値段になった。
返す返すも口惜しい。ハインツはこれまで幾度となく一角馬の購入を具申してきた。普段なら絶対に下げることのない頭まで下げて、何度も隊長殿に直訴した。それでもヴァルターは首を縦に振らなかった。その理由が至極真っ当だった(加えて一角馬所望の理由に後ろめたさを感じていた)ために、ハインツはいつも涙を呑んでいた。
ヴァルターが膂力も健脚も普通の馬とは比べ物にならないほど優れた一角馬の導入を渋った理由は何も費用に限った話ではなかった。
それは一角馬及び一角獣という生物の、特殊すぎる性癖、もとい性質にあった。
一角獣とは、頭部に螺旋状の溝の入った角を有する四足魔獣の総称である。古くから民間では四足獣の雄に限って稀に発症する病の類として広範に認知されてきた。
「一角病」に前兆のような症状はなく、罹患した個体はある日突然その額に鋼鉄よりもなお硬い角を生やした。そして急激な筋肉の発達に伴って体毛が白化、その気性は凶暴性を増し、マナを操る魔獣と化して他の生物の、取り分け雌の個体を見境なく攻撃するようになる。罹患したのが小形動物であれば駆除も容易だったが、それが虎や熊といった大型の肉食獣であった場合は百人規模の軍隊で以って退治を余儀なくされる凶悪さを持っていた。
ジャン二世暴虐王の二年。これまで長らく、罹患した動物の種類によって一角馬、一角犬、一角兎などとその名前を変えさせてきた通称「一角病」は、実際には病などではなくそれら全ての四足獣が同一種の魔獣に寄生された状態である、と提唱したのは魔獣学者アルバート・ノートンだった。
彼の論ずるところによれば、一角獣の本体はその頭部に突き出ている角にあるという。幼生時の能力が非常に弱いその寄生型魔獣は、健康な四足獣の口腔などから体内に侵入し、潜伏先で十分な成長を遂げた後宿主の脳へと移動。最終的には脳幹に根をはり、宿主の体を乗っ取るのだ。額に突き出た角は発達したマナの制御機構とそれを保護するために硬質化した魔獣の皮脂である。
この発見が明るみに出た当初は人間への寄生が懸念されたが、今日に至るまでその症例は出ていない。一時期、類人属亜人鋼有角目鬼科に分類される亜人はこの魔獣に寄生された人間なのではないかと疑われていたこともあったが、後代の研究によってその説は否定される(角の形状の違いや人間からの発症例がない、雌性体がいる等の理由による)。
民間に流布した「一角病」という謎を解明した研究者たちが次に着手したのは、この魔獣の生態研究だった。謎が解けたといっても対処法が見つかったわけではない。大型獣が寄生された場合は相変わらず駆除に手間を要したし、畜産農家にとっては依然死活問題といっていいほどこの魔獣は厄介な存在だった。
しかし、畜産農家の期待するような成果は中々得られなかった。対象とするべき幼生体があまりに小さく観測が難しかったのである。
自然、研究対象は成体が主になったが、こちらの進捗もはかばかしくない有様で、アルバートの死後、研究は一時的に停滞期を迎えた。
空位八年。アルバートの没後十年となるこの時期、研究を引き継いでいた彼の助手、オスカー・ハントは成果のない現状に焦り、休みを忘れて研究に没頭していた。彼自身、後に運命的なものを感じたと振り返る発見は、偶然にも勤め先である魔獣研究院ではなく、彼の自宅が舞台となった。
ある時、オスカーは研究資料として手に入れた一角兎を家族には内緒で(彼の妻は大の動物嫌いだった)自室に持ち込んだ。兎とはいえ一角獣に寄生された動物は凶暴な獣と化す。知らないはずがないオスカーだったが研究の疲れか、うっかり錠の確認を怠ったまま眠りに落ちてしてしまった。
翌朝、もぬけの殻となった籠を見て仰天したオスカーはすぐに家族の無事を確かめるため書斎を飛び出した。寝室には安らかに寝息を立てる彼の妻と十二になる娘の姿があった。安堵したオスカーは注意深く家中を捜索し、やがて洗濯籠の中に一角兎の姿を見つける。
オスカーはその姿を見てまたも仰天した。凶暴化し、見境なく他の生物を襲うはずの一角獣は、何故か彼の妻と娘の下着に埋もれて身悶えていたのである。一角獣を無上の喜びに誘ったもの。それはあろうことか、そして悪趣味なことに、初潮を迎えたばかりの娘の経血だった。
一角獣は処女の血を好む。
オスカー・ハントによる一角獣の好血性衝動の発見は、これまでただ対処するしかなかった一角獣の存在を、ある程度人間の手で制御させることに成功した。一角獣の発生が多い山間部では血売り商が財を成し、聖教会の影響で元々謳われてきた処女崇拝の思想が一世を風靡した。
余談ではあるが、分けてもこの発見を喜んだのは戦いを旨とする貴族階級だった。一角獣の他の個体とは抜きん出た戦闘能力を動物兵器として利用できれば、ただでさえ凶悪な騎兵の突撃力をさらに高めることができる。権力者達はこぞって一角獣、取り分け一角馬を集め(馬以外の個体は軍事運用が難しかったため)、一角馬専用の馬装の開発が進んだ。その結果が現在の一角馬高騰につながるのである。
「根無し草の傭兵が、処女の経血なんてどうやって調達してくるつもりだよ?」
珍しいハインツの嘆願に、眉をひそめたヴァルターは言った。全くもってその通りだったので、ハインツは黙って引き下がった。
オスカーの発見が世に広まった当初こそ、経血を染み込ませた布をひさぐ血売り商なる商売が勃興したが、程なく倫理的な問題で摘発されて以来、一角馬はますます天上人のものとなった。
立場としては同じ傭兵のはずのマリオが問題なく一角馬を運用できているのは、おそらく大都市と専属の契約を交わしているからだろう。都市の防衛を担うという大義があればダオステ市民も喜んで供出してくれるはずだった。加えてあの数を揃えられるルオマの財力には、羨ましいを通り越して怒りすら覚えた。
所詮は叶わぬ夢。憧れなのだ。ハインツは自身の心に言い聞かせた。分と言うものを悟らなければならない。
その時尻の下で、浮気を咎めるように愛馬が頭を振る。
「すまない、フィーネ」ハインツは素直に謝罪した。面頬の下にあるのは彼を知る者が見れば誰でも驚くほど穏やかな顔だった。
頭を切り替えるつもりでハインツは遠くを眺めた。半町ほど先に人だかりが見える。ほとんどが白狼隊の面々だった。
馬鹿め。いつまで騒いでいるつもりだ。
思わず舌を打ったハインツは、人だかりの様子が妙なことに気づいた。手に手に武器を持つ彼らの表情は未だ終わらぬ祭りの熱を保っている。ばらばらと戦利品集めに精を出していた者たちも、騒ぎを聞きつけてか続々人だかりに合流する。
ハインツはまさかと思った。まさか、戦いはまだ、終わっていないのか。
頭から追いやったはずの夢が再び目の前にちらついてきた。フィーネが歩調を緩めだす。女の勘が鋭いのは何も人間に限った話ではない。
ハインツは先ほどの素直さを忘れて彼女を急かした。
結局、我慢するのはいつだって女なんだから。フィーネはすねるようにいなないて、主の望むままに駆け出した。




