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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十三、将器あり

 北東から来た鈍色の集団が、先行の部隊を飲み込んだ。


 その瞬間、ルイジ・グリマルディは冷静さを失った。


 兄者が危ない。思うやいなや、制止の声も聞かず槍を振るって馬腹を蹴る。全員、俺に続け。隊長殿を助けるぞ。


 賞賛されるべき勇気だった。何人もの兵が彼に続いた。


 しかしながらこの時、ルイジが持つべきだったのは冷静さだった。対する敵が何手に兵を分けたのか、思い出せるだけの冷静さだった。


 ルイジ率いる歩騎合わせて二千(五百はルイジの鼓舞に応じず潰走した)の後続部隊は突撃を終えたばかりの敵軍に狙いを定めて横撃を仕掛ける構えだった。そのまま余勢を駆って最前線まで切り込み、マリオと合流する。実現すれば大逆転となっていたことだろう。


 ルイジの夢想を打ち砕いたのは南側から強襲をかける千あまりの軍勢だった。


 聖ジョルジュ、エスパラム!


 鬨の声に続いて、立ち塞がるもの全てを蹂躙する人馬の嵐が、ルイジの部隊をも飲み込んだ。





 騎馬槍の一突きが、行く手の人馬を石ころのように跳ね飛ばす。眼下で(おのの)く歩兵は猛り狂う騎馬の前では雑草と同じだった。誰も彼もがひれ伏す。何もかもが道を譲る。望む望まないに関わらず。圧倒的な暴力の意志が、平原に赤黒い点描を生み出し続けた。


 神ですら止められまい。


 獲物を踏みつけて敵陣を駆け抜けたレオナルド・デ・ラ・バルドは、心中に浮かべた不敬な言葉を悔いることなく手綱を振るった。馬首を傾け、右方向へ大きく旋回する。彼の手勢四百と六十騎も、はぐれることなく後に続く。


 側背でひときわ大きな声が上がった。遅れてきた歩兵六百が残り物を漁っているのか、はたまた彼と同じく騎兵に旋回をかけた一番槍のラ・フレス卿が、二度目の突撃に移ったのか。どちらにせよ負けてはいられなかった。


 愚かにも状況を理解せず前進する者、寸でのところでレオナルドの蹂躙を免れ、忘我して後退する者、両集団がぶつかり合い、進行方向で図らずも足を止めている。レオナルドはその只中を目掛けて無慈悲な突撃を見舞った。


 聖ジョルジュ、エスパラム!


 言葉にはある種の魔法があった。微かによぎる恐怖も罪悪感も、唱えてさえいれば彼方へと遠ざけることができた。どころか胸は高鳴るばかりだった。尻の下で彼の愛馬も、早く早くと大地を駆ける。戦と忠節の守護聖人、聖ジョルジュも、天の国で賞賛してくれていることだろう。レオナルドと彼の愛馬には、もはや敵しか見えていなかった。


 構える槍に感じるのは、ほんの僅かな抵抗のみ。彼らが触れれば人体も甲冑も粘土細工のように容易く形を変える。前頭が抉れ、首は捻じ切れ、もがれた四肢が宙を舞う。血と脳漿と臓物とを撒き散らせた人だったものは、最後に荒ぶる蹄に踏みにじられて土に返った。


 どうだ、神ですら、止められまい。


 平素なら思いもしない不敬と万能感が、レオナルドを衝き動かした。面頬の下に浮かべる笑みこそ、彼ら騎士が求めてやまない戦場の高揚だった。天の国ですら覗けそうな、無上の法悦だった。


 鮮血で染まる平野に、レオナルドは聖ジョルジュの幻を見た気がした。





 間延びした敵の隊列を、円を描くように数度横切り、気づけばそこに残っているのはほぼ全てがエスパラムの軍勢だった。


 冷静さを取り戻したレオナルドは今更ながら左手で六芒星を切った。主神エデンよお許しください。小生は先ほどほんの一時ではありますが神の存在を軽んじました。それから小生に立ち向かった勇敢な戦士たちに、どうか安らぎと栄光をお与え下さるよう切に願い奉ります。


 心の内で祈る言葉には死者に対するせめてもの手向けもあったが、血しぶきに塗れたそのいでたちを見れば死者でなくとも思うことだろう。祈るくらいなら殺してやるなと。


「ラ・バルド殿」黒毛馬に跨った銀の甲冑が近づいてくる。意匠を凝らした胸部の彫りはラ・フレス家の家紋だった。

「ラ・フレス卿」レオナルドは馬首を向けた。「ご無事で何よりです」

「そちらこそ」サルバドール・デ・ラ・フレスは面頬を上げて穏やかな初老の顔を見せた。「さすがは若の近習の中でも随一と噂されるラ・バルド殿だ。お見事な戦いぶりでしたな」

「いやはや、恐縮です」照れるレオナルドは慌てて付け足した。「ラ・フレス卿も、お見事な一番槍でした。大勢を決めたあの一撃こそ、此度の一番手柄となりましょう」

「それなのですがな」


 サルバドールは不意に東へ視線を向けた。レオナルドもつられてそちらを見る。その時ちょうど山間を抜けた太陽が、まばゆい光で大地を染めた。


 レオナルドは堪らず目を細めた。朝焼けを直視したためではなかった。


 ひしゃげた甲冑、折れた剣、槍、体液という体液で濡れ光る臓物に、なかんずく主張の激しい真っ赤な血の川。自らの手で行っていながらも、改めて見ればおぞましいほどの惨状だった。泣き叫ぶ者がいる。臭気を嗅ぎつけたハエが舞う。配下の歩兵はその地獄の中でいつもどおりの残業、つまりは金目の物探しに精を出している。戦場の常と見慣れた光景のはずだったが、朝の光が突きつけてきたのは思わず顔も背けたくなる戦争の現実だった。


 レオナルドはもう一度六芒星を切った。気休めと思いながらも、そうせずにはいられなかった。


「此度の一番手柄は」サルバドールは同じように六芒星を切って続けた。「なんと言っても策の立案と指揮をつかさどった者にこそふさわしいのではないか、と小生は思うのです。小生もそれなりの場数を踏んできたものと自負しておりますが、これほどの大勝は過去に経験がありませぬゆえ」

「それは」レオナルドは苦々しげに口ごもった。「確かに、一理ありますが」


 持ち前の素直さで然りと認め難いのは、その一番手柄にふさわしい者が誰あろうヴァルター・フォン・エッセンベルクその人だったからである。





 国境近辺に息を潜めてちょうど二日になるころ、作戦の概要を説明するヴァルターは事もなげに言ってのけた。


 決行は夜半。まず投石機による集中攻撃で敵本陣を挑発。機を見て東と南に戦力の八割を運動させ敵の焦りと油断を誘う。のこのこ出てきた敵勢を敵本陣から可能な限り誘引し、別働させた両部隊を転回させてこれを挟撃。


 各自の役割は明確だった。あまりにあっさりと片付けられた説明に、レオナルドはうっかり肯きかけてしまった。


「では、質問がなければ以上ということで」簡素な作戦地図を丸めてヴァルターは踵を返そうとした。

「待たれよ、エッセンベルク卿」レオナルドが慌てて制止する。

「何です?」

「敵を誘引するなどと簡単に言うが、小生にはそう上手くことが運ぶとは思えません。貴殿も見てのとおり、敵はあの堅牢な城を構えているのですぞ。少しばかり攻撃を受けたところで、わざわざこちらの都合に合わせてくれるとは思えん」

「なるほど」ヴァルターは肯いた。しかし、意に介する様子も答弁する気もないらしい。手を差し出してレオナルドに続きを促してきた。


 レオナルドはここぞとばかりに続けた。


「大体、何故正面から仕掛ける必要があるのです。あれだけ長大な防御線なら、探せばどこかに手薄な場所だってあるかも知れぬでしょう。兵法にもこうあります。『堅城に挑むは優越なる数を以っても尚悪し』と」

「お、聖アルテュールの『軍学覚書』ですな」ヴァルターは知己に会ったような面持ちで手を叩いた。「小生も読んだことがありますよ」


 激するレオナルドとは温度差のある態度だった。ために、声を荒げそうになるレオナルドを制して、ヴァルターは続けた。


「ならば小生も先人の言葉を借りて返答しましょう。『敵を知り己を知ること之必勝の理也』」


 レオナルドは言葉を飲み込んだ。彼の引用と同じ出典だった。


「何故敵が誘いに乗ってくると言えるのか、何故防御の堅い主防御拠点に攻撃を仕掛けるのか。その問いに対する答えは簡単です。それは敵将がマリオ・グリマルディだから、ですよ」ヴァルターはレオナルドが言うところの堅城を見やって続けた。

「あの男とは幾度か戦場で見えたことがございます。そして一度たりとも小生が後れを取ったことはございません。ただの一度も、です。改めて何故そんなに自信があるのかと問われれば、やはり相手がマリオだから、そして小生が『エッセンベルクの白狼』だからと、これに尽きますな」


 右の口端に犬歯が覗く。倍以上の敵と壁の威容を前にして、負けるつもりは毛頭ないようだった。


「では、マリオは」沈黙を守っていたサルバドールが口を開いた。「出てきますか?」

「もちろん」ヴァルターは肯いた。「なんだったらそうだな、正騎士位を賭けてもいい」

「エッセンベルク卿、貴殿は栄誉ある正騎士位をなんだと」

「隊長殿」レオナルドの抗議を継ぐように、しかめ面の副隊長が釘を刺す。「賭け事は禁止のはずです」

「そういやそうだったな」ヴァルターは苦笑した。そして思い出したようにレオナルドに向けて片目を閉じてみせる。「ああ、もちろん冗談ですよ、ラ・バルド卿」


 渋る令嬢を舞踏室へと誘い出そうとするかのような、そんな仕草だった。





 思い返すだに腹立たしさが蘇る。あのふざけた態度だけでも怒髪天をつく思いなのに、兵理に適わない直感で導いたのがこの圧勝なのかと思うと、腹立たしさはいや増した。


 しかしレオナルドは嘘のつけない男であった。確かに悔しいが、到底受け入れたくないが、これは、


「認めざるを得ませんな」サルバドールは同意を求めるようにいった。「エッセンベルク卿は、非凡な将器をお持ちのようだ」


 先達の言葉に忸怩(じくじ)たる思いを抱きながら、同意の言葉を吐かないのはレオナルドの意地だった。それでも結局は性分が勝った。不満げな顔をゆっくり縦に振る。


 ばつの悪さにレオナルドは顔を背けた。と、死体の山を迂回して近づいてくる騎兵に気づく。


 陽光に輝く白銀の騎兵は、レオナルドの傍まで馬を寄せると、捧げる様に槍を持ち面頬を上げた。


「閣下、騎乗のまま失礼いたします」見覚えのあるしかめ面は白狼隊の副隊長、ハインツ・プリッケンという男だった。「麾下(きか)の隊が獲得した捕虜の身元確認が完了いたしました。重傷者百八十、軽症者五百五十、合わせて七百三十名となります」

「ああ、ご苦労」

「他にご命令がなければ、原隊への復帰を許可願います」

「あ、ああ、好きにしたまえ」

「有り難くあります、閣下。ハインツ・プリッケン以下四十五騎、これより原隊へ復帰します。総員、速歩(はやあし)!」


 ゲルジア貴族特有のきびきびした態度で礼を述べ、ハインツは馬首を返した。戦闘前は烏合の衆にしか見えなかった白狼隊の面々は、一糸乱れぬ速歩で彼に続いた。


 南部に敵なしと謳われる傭兵隊の真の姿を目の当たりにして、レオナルドは無性に悔しさを募らせた。

 あの兵共を従える隊長の将器を、認めざるを得ないことが、悔しいのだった。


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