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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十一、逃げる白狼に追う一角獣

 貴族としての徹底した英才教育を受けてきたヴァルターでも、物理現象については理解の外だった。故にこの意地の悪い夜間投石がマリオ・グリマルディと彼らの大事な生命線マカーリオ橋にどういう影響をもたらしたのかは、全くもって知るところではないのだった。


 夜だし火でもつけてやったら明るくなって相手の慌てぶりがわかりやすいだろう。どうせなら都市との連絡を邪魔してやれ。必死こいて火を消してるところに石でも投げ込まれたら、相手にとってこれ程腹立たしいことも他にない。熱疲労による橋の損壊は言ってしまえば全くの副産物であり、ヴァルターの企図するものではなかったのである。


 実際いくら熱疲労を起こしていたとしてもあの程度の投石で頑丈な石橋が崩落することはあり得ないし、万が一そんな事態に陥っていたならヴァルターだって困惑していたことだろう(占領後の兵員輸送の手間が増えることは間違いなかった)。


 そんなわけで効果のほどは確認できなかったが、ヴァルターは攻撃の手を休めさせなかった。熟練の工兵たちが汗水たらして投石を行う後ろで、景気よく手拍子を打って発破をかける。


「そらそら、休むな休むなァ! 敵さんの悲鳴が聞こえなくなってるぜ! もっとぶち込んでびびらせてやれ!」


 着弾の観測ができない以上、兵を信頼して任せるしかない。ヴァルターは声を張り上げながら、頭の中では別のことを考えていた。


 これだけ挑発されて、黙っていられる男ではないだろう。ヴァルターの記憶が確かなら、マリオ・グリマルディとは凡夫と評するべき男のはずだった。愚鈍な指揮官なら、大慌てで総予備を投入して防御線の無意味な強化でも図るだろうか。名将と謳われる者なら数と地勢の有利を信じて堅守するか、あるいは昼の内に野戦でも仕掛けて勝負を決めていただろう。どちらをとるかは好みによるが、なんにせよこんな時間にまで勝負がもつれ込むことはないはずだ。


 凡夫というのは戦況が読めないほどの愚図ではないが、一名将のような采配と英断ができない。ヴァルターは自身の読みを疑っていなかった。宵闇が彼を肯定していたからだった。


「……おい」


 突然話しかけてきたのはクルピンスキィだった。陰鬱な顔の偉丈夫は眉間にいつもの皺を刻んで尋ねた。


「……大丈夫なのか」

「何がだよ?」


 尋ね返すヴァルターに、クルピンスキィはあごをしゃくってみせる。彼の示す先には人馬とも軽装に身を包んだ、なんとも頼りない騎兵が五十ばかり駄弁っていた。


「……敵は四千……と聞いている。……ただでさえ、負けているのに……今ここにいるのは……五百に満たない。……それも……ほとんどが、歩兵だ」

「珍しくよく喋るかと思えば」ヴァルターはため息を吐いた。「俺はお前の腕を信頼してるんだぜ、プンスキ。お前の方にも俺のことを信頼して欲しいもんだ」


 クルピンスキィは相変わらず納得のいかない様子だったが、それでも口答えはしなかった。


 その時、間を計ったかのように関所の門が開かれた。続けて鬨の声が上がる。


 聖アウグスタ、グリマルディ!


「おいでなすったか」門扉(もんぴ)を破りそうな勢いで姿を現した敵勢を認めて、ヴァルターは口角を上げた。「加護を求めるのが聖アウグスタとは、ルオマ人らしいな」


 (とき)の声として聖人の名を叫ぶのは戦場の慣習だった。名を呼ぶことで加護を得られる。そう信じるのは一種の自己暗示であり、また仲間と同調することによる士気の高揚や規律の取れた運動も期待されていた。勝利と女性の守護聖人である聖アウグスタは、一般的にはあまり呼ばれない聖人だったが、好色気質の多いルオマ人傭兵は好んでその名に加護を求めた。


「歩兵散開!」ヴァルターは鬨の声を上げなかった。代わりに叫んだのは有無を言わさぬ命令だった。「騎兵は俺に続け!」

「散開?」クルピンスキィは鞍上に飛び乗る隊長の背中に叫んだ。「投石機は、どうする?」

「命が惜しくねえのか、プンスキ?」ヴァルターは軽騎の集まりを確認して東を指差した。「捨て置け。敵さんの狙いの第一がそれだ」


 ヴァルターは馬首を返して向かい来る敵に背を向けた。五十の騎兵もそれに続いた。


 クルピンスキィは小さくなる隊長殿の背中と、けたたましい音を立てて近づいてくる敵軍とを交互に見やり、やがて蜘蛛の子を散らすように逃げる歩兵を追いかけた。


 未練が一度だけ彼を振り返らせる。そこに建っているのは彼をして自身の職人人生の中でも屈指の名作と自負せしめる作品ばかりだった。


「……隊長殿は」クルピンスキィは涙を呑んで我が子とも呼べる作品たちに背を向けた。「……物を作ることの大変さを……分かってない」


 恨み節は、当然隊長殿の耳には届かなかった。





 マリオ・グリマルディと彼の率いる精鋭一角馬騎兵は、たった一度の突撃で彼らの悩みの種であった投石機と投擲用の石を積載した荷車の、実に半数を粉砕した。

 舞い落ちる木片を気にもかけず、マリオは馬を止めて面頬(めんほお)を上げた。獲物と求めた仇敵の姿が見当たらないからだった。


「どこだ、小僧! 出て来い!」


 マリオの怒声が空しくこだました。もとより返事を期待してはいなかったのだろう。マリオはすぐさま遅れてきた部下に怒鳴りつけた。


「ピーノ! 探れ!」

「はッ」道中も探りを入れていたピーノは即座に答えた。「騎兵と思われる一団が西にまっすぐ逃げてやすが」


 マリオは最後まで聞かず馬腹を蹴った。風のような速度で、一角馬が疾駆する。


「あ、隊長殿、お待ちを」

「あ、兄者、どうするんだこいつら」


 ルイジは槍先で一帯を示した。彼らのすぐ隣には未だ健在の投石機が数機、それに暗闇の中には散り散りとなって逃げる敵歩兵の姿が見える。


 それでもマリオは止まらなかった。


「そんなものは後続に当たらせればいい! ぼやぼやするな、ピーノ!」


 マリオの背中は次第に闇へと溶け込んでいった。その後を数騎の一角馬騎兵がまばらに追いかける。


「副隊長殿、後続の指揮をお願いいたしやす」ピーノは面頬を下ろして彼らの後を追った。「こうなったら、止められやせん」


 闇に向かって猪突する兄の後姿に一抹の不安を覚えながらも、ルイジは出遅れた兵を迎えることにした。


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