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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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十、踊るマリオ

「何があった!」


 ダオステの関中央部に(しつら)えられた指揮所で、マリオ・グリマルディは怒鳴り声を上げた。予想もしていない後方から、突然悲鳴が上がりだしたのだった。


「投石だ!」狼狽(ろうばい)したルイジが飛び込んできた。「兄者、奴ら投石機を使ってやがる!」

「何だと!?」


 マリオは指揮所の窓から外を眺めた。篝火を焚いているとはいえ、さすがに闇の中の敵陣を視認することはできなかった。


「報告はどうした、ピーノ!」窓外に顔を出して屋上に怒鳴る。


 続けざまの悲鳴に、負けじとピーノが答えた。


「申し訳ありやせん! 動いているのは感知してやしたが」何かの割れる音がピーノの声を遮る。「この距離で一体何をしてるかまでは」

「クソッ!」マリオは石壁を殴りつけた。


 ピーノを責めることはできなかった。敵陣に動きありの報告は再三聞いていた。しかし、攻撃の気配も活発な運動の様子も敵にはなかった。四半刻の間隔で少しずつ全体を近づけ、やがて三町半の距離で前進を止めて以降は一切目立った動きを感知できなかったため、結局はマリオ自身が警戒維持以上のことを命じなかったのである。


 敵の行動が日中のことならそんな愚は犯さなかったはずだった。まさかこの闇の中で明かりも無しに投石機をこしらえるとは。


「あ、兄者、応戦するか? 弩を並べて雨のように撃ち込んでやれば、投石どころじゃねえだろ」

「馬鹿、三町半じゃ射程外だ。仮に届いたとしても、こう暗くちゃ大した戦果は期待できねえ。奴らにはこっちが見えても、こっちからじゃあ狙いはつけられねえだろうが」


 その時、はたとマリオは気づいた。


「明かりも無しに、だと……俺の馬鹿め!」


 その認識は誤りだった。宵も忘れんと、敵襲に備えて篝火を焚いていたのは彼ら自身だったのである。確かに自由自在とはいかないだろうが、日の入りからの時間を考えればこの視界不良な状況でも投石機くらいは建てられるはずだった。


 有利な状況に甘んじて相手の行動を限定したことが失策だったと、マリオは自分自身に激しい怒りを覚えた。


「ど、どうしよう、兄者」

「落ち着け、馬鹿野郎」マリオは弟の頬を張った。「ひとまず、兵を屋根のあるところへ退避させろ。『法術』の使えるものは監視を怠るな。それから、いつでも出れるように馬を用意しておけ。クソッ、奴らめ、ふざけやがって」


 ルイジは大慌てで駆け出した。一向に鳴り止まない耳障りな音がマリオを益々苛立たせる。全く、がしゃんがしゃんとやかましい。苛立ちは再び罪のない石壁に向けられた。加減を忘れた拳が分厚い壁に亀裂を入れる。


 八つ当たりには効果があった。わずかな痛みが瞬時にマリオを冷静にする。冷静なマリオは妙な違和感に眉根を寄せた。投石にしては、先刻から聞こえる音が、軽い、そして、遠い、気がする。


「ルイジ!」マリオは指揮所を飛び出した。「被害状況を知らせろ!」


 怒鳴りながら階段を下りる。程なくダオステと接続するマカーリオ橋の前でルイジを見つけその胸倉をつかんだ。


「被害状況だ! 何人やられた! 壁への影響は!」

「あ、兄者、それが」ルイジはぶるぶると首を振った。「直撃したやつはいないらしいんだ。破片にあたってちょっと怪我した奴が何人かで、もう治して退避してる」

「何!? どう言うことだ!」


 ちょうど二人のすぐそばに、投擲物(とうてきぶつ)が落下して音を立てた。がしゃりと弾けた破片が飛び散り、飛沫(ひまつ)と共にマリオの鉄靴を汚す。


 やはり軽い。軽過ぎる。マリオの疑心はさらに強まった。こんなもの何千発投げ込んだところで、「ルオマの壁」を傷つけることなど、できないはずだ。それに、先ほどからひっきりなしに続く攻撃はほとんどがこのマカーリオ橋に集中している。いくら夜間とはいえ壁を狙った投石だとしたら、これほどまでに精度が落ちるのも妙だった。


「隊長殿!」


 マリオを呼ぶ声はピーノだった。見上げれば関の上から身を乗り出して、ピーノは大音声を張り上げていた。


「奴らに動きが!」


 その時、マリオは夜空に赤い流星を見た。ピーノが何か言っているが、全く耳に入らなかった。マリオを魅入らせた十余りの流星は、長く尾を引いて夜空を横切り、マリオたちの立つマカーリオ橋に放物線を描いて落下した。


 直後、迫り上がる熱風にマリオは顔を背けた。閉じた視覚が頼りにする聴覚は、しきりに悲鳴と、ある言葉を聞き取っている。混乱するマリオは目を開け、戸惑う兵共と同じ言葉をつぶやいた。


「火が」


 一瞬にして、マカーリオ橋一面を覆っている。呆ける間にも火勢は増した。次々落下する流星が、荒れ狂う炎の道に飛び込んで橋上を駆け回る。敵の投擲する火種であることは明白だった。


 マリオは単純なからくりを理解した。先に投げ込まれ、耳障りな音を立てて砕けていたのは油をつめた壺か何かだろう。油が十分に行き渡る機を見計らって火を放てば、たちまち橋は炎に包まれる。その期するところは、


「都市との分断か」マリオは歯軋(はぎし)りした。


 なるほど有効な戦術だった。日中に主力の大部分を配備したとはいえ、ダオステには未だ八千にもなる総予備兵力が残されていた。わずかでも拠点に欠員が出れば各拠点指揮官の判断で直ちに補充される手筈になっている遊軍であった。緊急徴募した兵員故に質は悪いが、この長大な防御線を維持する上で、なくてはならない戦力である。


 この点特に東端、南端の戦線と違い河川の上に建つ関所にとって、都市との連絡路であるマカーリオ橋は生命線と言えた。橋を用いずに壁に到達するためには、関所同様河川上に壁が建造されている地点まで五里余りを移動する必要があるからだった。


 初夏と言うこの時節が幸いして、無理やり渡河する手がとれなくもないが、それでも橋が通行できなければ兵員、物資の補充は遅滞せざるを得ない。ただでさえ運動の自由が利かないこの壁上防衛戦において、それは致命的ともいえる不利だった。


 なんとなればいくら長大を誇るとはいえ「ルオマの壁」はその幅が十間ほどしかなかった。配置できる兵員には限界があり(領内への通行が可能な門扉とそれを守る拠点はその欠点を補うために設置されている)、遮る物のない平野で自由に展開可能な敵部隊と運動能力を競うことになれば、不利は(まぬが)れ得ないのである。


「消せ!」マリオは声を嗄らして命じた。「すぐに消火しろ! 奴らに付け入る隙を与えるな! ピーノ!」

「へい、これに」すぐさま禿頭が関所から駆け下りてきた。

「奴らに動きはないか?」

「ありやせん、相変わらず」火の玉が橋上に弾ける。「あれを投げ込んでくるだけでさあ」

「目的が割れた以上何かしらの動きがあるはずだ。注意して」

「兄者!」


 頭上からの声に話を遮られ、マリオは益々機嫌を悪くした。「今度は何だ!」


「火が」いつの間にか尖塔に登っていたルイジは、西の空を指差して喚いた。「消えたぜ!」


 マリオは太り気味の体を忙しなく動かして指揮所まで戻った。窓外に顔を出し、目を凝らす。同じく外を眺めるピーノが首をひねった。


「攻撃が、止みやしたね」言って闇の中を指差す。「あのあたりに、さっきまで火の玉を飛ばす投石機の影がうっすら見えてやしたが」

「兄者、兄者」息せき切ってやって来たルイジがまくし立てた。「投石機が見えたからよお、矢を射掛けてやろうと尖塔に上がったんだ。そしたらこっちの動きに気づいたのか、奴ら火の玉を投げてこなくなって」


 こちらの動きに気づいた、ということはあるまい。マリオは考えた。いくら明るくしているとはいえ四町近く離れた場所の状況を逐一把握することなどできないはずだ。だとしたら何故、攻撃を止めた?


 マリオはひとつの仮説を立てた。


「投石機ってのは、普通木や麻縄で組み上げるもんだよな」

「へえ、まあ、そうでやしょうが」ピーノは答えた。

「だとしたら、何だか知らねえが火の着いたものを、そう何個もは投げられねえんじゃねえのか。火が燃え移っちまったら、せっかくの投石機も台無しだ」

「そ、そうだ」ルイジは目を輝かせて肯いた。「違ぇねえよ、兄者」

「楽観はよくねえが、攻撃が止まったのは好都合だ。今のうちに」


 気を緩ませていたまさにその時、先刻までとは質の違う響きが関所を揺らした。


「な、何だ!?」


 不意の衝撃によろめきながらも、マリオは窓外に身を乗り出した。確認はできないが、先程ピーノが示した辺りから気配を感じる。直後、またも衝撃が関所を揺らした。悲鳴が上がる。ルイジ、ピーノに続いて、マリオは駆け出した。


 関所を襲う衝撃は、疑うまでもなく再開された投石だった。それも今度投擲されているのは重さ三十貫はあろうかと言う石の塊である。衝撃も被害も先程までとは違うはずだった。


 マカーリオ橋は未だ消火作業の途中であった。ために、不幸にも直撃を食らった兵の体が痙攣しながら橋の上にいくつも転がっていた。助けに向かおうとしたのか、あるいは逃げ遅れたのか、石つぶてに四肢をつぶされて絶叫する兵は苦しみにのたうった末、橋上から落ちていく。


 分けても災難だったのはその中心で腰を抜かし、痙攣する戦友の亡骸をかき抱いて正気を失った者だった。まだ年若く見えるその少年兵は気が触れたように泣き笑いながら友の名前を叫んでいた。ジョゼ、ジョゼ、助けてくれよ。泣き叫ぶ彼の耳には誰の声も届かなかった。川に飛び込めばいくらか死の運命から遠ざかれるはずだ。そんな簡単なことにも気づかず、少年はやがて石の塊に頭をつぶされ動かなくなった。


 こと戦場においても稀に見る地獄絵図といえた。生と死の境界がはっきりと分かれているだけに、その死の凄惨さがより鮮明に映し出されていた。その光景を見て、乱戦の混迷の中で死ぬよりもはるかに不幸だと感じる傭兵は少なくなかった。名誉もなければ美しくもない。無残な死だけがそこにあった。


「あ、兄者」


 ルイジの狼狽はその兵たちの不幸な死に様にはなかった。マリオは石の雨がもたらす憂慮すべき効果に気づいて歯を噛み締めた。


 血と肉片の地獄と化したマカーリオ橋には、先刻までは見られなかった亀裂がいくつも見受けられた。石つぶての着弾と同時に亀裂は数と深さを増し、今にも崩落しそうなほどに細かい破片を飛散させた。炎により熱せられたところに水をかけられ、急激に冷やされた石橋は熱疲労を起こしていた。平素ならびくともしない三十貫程度の石つぶても、今のマカーリオ橋にとっては巌のごとき衝撃だった。


「た、隊長殿」殺気すら込められた目で睨まれ、ピーノは思わず声を震わせた。「敵に、う、動きが」

「見ればわかる!」

「違いやす、そうではなくて」ごくりとつばを飲み込んで、ピーノは続けた。「敵が、三手に別れやした。関正面に五百ほど残したまま、東と南に向かって急進してやす。数はそれぞれおよそ千。この速さなら、先頭は騎兵かと」


 耳をそばだてれば自陣の狂騒にまぎれて軍馬のいななきと地響きが感じ取れた。この混乱を良いことに、仕掛けて来るつもりか。マリオはすぐさま見通しのよい指揮所へ戻ろうと踵を返す。が、横合いから手を伸ばすピーノにその行く手を阻まれた。


「あの」ピーノは歯切れ悪く報告を続けた。「……それから」

「何だ! 早く言え!」

「ラ・ピュセル侯軍千五百が動き出しやした。エスパラムの動きに呼応したもののようでやす。東端の部隊が、おそらく応戦を始めているものと思いやすが……あと、その」とうとう目をそらして、ピーノは声を絞り出した。

「ラ・フルト領から、まとまった軍隊らしき動きが、未確認でやすが、五百ばかり、こちらは南の方に。昼間確認した時には間違いなく、ありやせんでした。日が落ちてからは、正面のエスパラムにかかりきりだったので、全くその、気づきやせんで」


 噛み締めたマリオの口端から血が垂れた。飛び出そうなほどに目を見開き、真っ赤な顔は怒りのために他ならなかった。


 若造め。いちいち俺を苛立たせる。


「ルイジ、東と南に伝令を出しておけ!」マリオは踵を返して怒声を上げた。「各自身命を賭して拠点を死守しろとな!」

「あ、兄者、どうする気だよ」

「どうするだと」渾身の頭突きが石つぶてより深い亀裂を「ルオマの壁」に刻み付けた。「打って出るに決まってるだろう! あの若造め、槍の錆にしてくれる!」


 沸騰した額から真っ赤な血潮が二筋ほど流れ落ちた。痛みなど微塵も感じることはない。どれだけ八つ当たりしても、今度ばかりは意味をなさなかった。


 激しい怒りは最短距離でマリオを(うまや)に導いた。愛用の槍を掴み、鉄篭手、兜を装着してマリオは慣れ親しんだ愛馬の前に立った。


 主人の怒りが伝播(でんぱ)したのか、彼の愛馬は興奮した様子で頭を振り乱し厩を狭しと暴れまわる。体高二間あまり。獅子を思わせる金色の(たてがみ)に雪のような白い毛並み。隆々と発達した筋肉は連峰の如き(たくま)しさで、その(ひづめ)に蹴られれば鋼鉄の鎧とて紙に等しい。額に輝くのは体高と同じ長さの角だった。


 螺旋状の溝を持つその純白の角から、馬種の名は一角馬、あるいは一角獣と呼ばれていた。


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