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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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九、騎士ヴァルター‐1

 ルオマに放っていた間者からの定時連絡が途絶えて数日、エスパラム公エルネストはいち早く変事の気運を察知してルオマへの遠征を決めた。とはいえ、自ら出馬するのにはあまりに情報が少なく、南東公領は遠い。加えて南西侯領ラ・ロシュとの戦がちょうど面白くなってきたというところもあって、国許を空けるのには気が乗らなかった。


 そこで白羽の矢を立てたのが「エッセンベルクの白狼」だった。ヴァルター率いる白狼隊に命じたのは遠征を前提とした威力偵察だったが、与力として兵二千を貸し与えたエスパラム公が期待しているのはその限りではなかった。


 南東のルオマに拠点があれば停戦明けと同時にラ・フルトを挟撃出来る。可能ならラ・フルトとの停戦が明ける来冬までの間に橋頭堡を築いておきたい。それが叶わなくとも、ルオマ公に恩を売っておけばラ・フルトへの牽制に役立つだろう。

 エスパラム公が立地的に見れば対岸の火事でしかないルオマへの遠征を決めた理由は、そんなところだった。





 しかし、そんな思惑など命じられた側にとっては知った話ではなかった。幌馬車から仰向けの頭をちょいと覗かせるヴァルターは、誰が見ても明らかなように、どうにも気が抜けた、もとい気が乗らない様子だった。


 事実ヴァルターは思っていた。エスパラム公の依頼など、心底どうでもいい。口車に乗せられてまんまと正騎士の叙任を受けてしまったのが、そもそもの失敗だった。ああクソ、俺の馬鹿め。断りゃよかったんだあんな話。己の失態に頭がいっぱいで、ついついよく考えもせず返事をしてしまった。


 返す返すも悔やまれたが、今更どれだけ悔やんだところで後の祭りというものだった。やる気もなく馬車の中でごろごろ無聊(ぶりょう)をかこっていても、精鋭で鳴らす白狼隊は隊長殿を次なる現場へと運んでしまう。幌馬車に揺られながら街道を行くこと五日余り。あっという間にルオマ、ラ・フルトの国境付近に到着した今、ヴァルターが考えているのは、どうすればこの面倒ごとから解放されるのか、というただその一点に尽きた。


「隊長殿」


 見ればハインツがいつもの不機嫌面で馬首を寄せてきた。


「何だよ」ヴァルターは負けず劣らずの態度で返した。


 ぴくりとこめかみを引きつらせながらも、ハインツは隊長への敬意を忘れず報告した。


「奴らはすでに、ルオマ北部の都市ダオステを制圧したようです。以前は見かけたはずのルオマ公の軍旗が関所のどこを探しても見当たらないし、関所から出てきた隊商を捕まえて裏も取りました」


 ハインツは軽蔑の眼差しで荘厳な「ルオマの壁」を睨んだ。


 道々伝え聞いた噂で大体の話は知っていた。大規模な農民の反乱で支配力の脆弱さを露呈したルオマ貴族は大混乱。各地で収拾のつかない一揆が相次ぎ、今やルオマは百姓の持ちたる国に成り下がった、と。商人に政治を任せ、農民の一揆を招き、果てが傭兵に国を奪われるという無様な結末。いくら乱世とはいえ、これほど愚劣な貴族のあり方も珍しい、とハインツは思った。


 故にハインツとて、気乗りのする仕事ではなかった。まさかエスパラム公もこの程度の兵員でルオマを落とせる気ではないだろうし、この国の腑抜けた貴族に恩を売ったところで、労苦に見合った見返りが得られるとも思えない。結局は拠点の確保を目指すことになるだろうが、補給の不安定な遠隔地に拠点を築く利というものが、ハインツにはいまいち理解できなかった。


 ならば何故に戦うのか、疑問に思う自由を持たないのが傭兵の悲しい宿命であった。


 物思いにふけっていたハインツは返事のないことに気づいて隊長殿を見た。聞いているのかいないのか、隊長殿は相も変わらずぼんやり口をあけたまま蒼空を見上げていた。


「おい」

「あー?」

「ダオステはすでに落ちている。どうするんだ、これから」

「さあなあ」

「あんたが何故そんな態度なのかはどうでもいいがな」


 とうとう下馬したハインツはヴァルターの襟首を掴んで無理やり体を起こさせた。


「いい加減真面目に働いてもらわないと困る。今のあんたはエスパラムの正騎士で、俺たちはエスパラム公の雇われなんだぞ」

「わかった、わぁかったよ」


 ヴァルターは大儀そうに居住まいを正し、寝癖の跳ねる頭をかいた。


「敵さん、どれくらいだ?」

「目視だが」ハインツは答えた。「向かって正面の関所に、凡そ二千。正確な数が知りたければエティエンヌに探らせるが」

「許す。すぐに探れ」

「はッ」不意の命令口調にハインツは思わず背筋を伸ばした。


 直後、照れくさくなったのか手近な者に声をかけてエティエンヌを呼ばせる。こほん、と軽く咳を払う間に、彼らの隊長殿はその目に狼の鋭さを取り戻していた。


「街道沿いに斥候を走らせております。間もなく戻るころかと」


 程なく、エティエンヌと、少し遅れてライナー、エンリコら隊長格の面々がやって来た。


「何か用かい、隊長殿」エティエンヌは赤ら顔で尋ねた。女を抱いてない間は大抵酒で誤魔化すのがこの男の常だった。


「敵の数を探れ。正確にだ」


 ヴァルターの発する張り詰めた空気に、エティエンヌはつい持っていた酒瓶を後ろ手に隠した。


「正面の関所だけでいいか?」

「正確なのはな。けど大雑把でいいから街の方も探ってくれ。相手の反応も気になる。じっくり、時間かけてやっていいぜ」

「はいよ、了解」エティエンヌは肯き、(きびす)を返した。


「隊長殿」ヴァルターの求めるものを察して、ライナーは口を開いた。「南は街道沿い二十里まで、敵の守兵が配置されてたぜ。(いしゆみ)が主体の歩哨だと思う。大体三十人前後が二町間隔でと、数は多くねえが広く全体を見張ってる感じだった。見つからずに忍び込むには骨だねあれは」

「二十里以降は?」

「ちっとばかり数は減ってたけど兵はいた。ただ、遠目だったから正確な距離は分からねえんだけど、途中から旗印が変わってたぜ。多分、四十から五十里先は別の街の分担なんだろうな。赤と緑と黄色と青の、とにかく派手なやつだった。東のほうはどうだったよ、リコ?」


「こっちも大体同じだけど、旗が変わるのは二十里くらいからだったな。確か、青地に白の十字だった」記憶をたどるように天を仰いでいたエンリコは不意に指を鳴らした。「そういや隊長殿、ラ・ピュセルの軍が国境近くまで出張ってきてたぜ。持つべきものは信用だよな。通らせてくれってうちの旗見せたら二つ返事で許してくれたぜ」

「へぇ、珍しいな。あそこが兵を動かすなんて」


 ヴァルターの驚きも無理のないことだった。南東侯領ラ・ピュセルと言えばルオマに次ぐ弱兵として広く世に知られていたからである。


 比率的に女性が多いという国柄もあるのだろう。軍隊を動員するたび敗北を味わってきたラ・ピュセルでは、その苦い経験から侵略を受けた場合等のやむを得ぬ事情を除いて、一切の戦闘行為を敬遠する伝統が生まれていた。その徹底振りは国を支配する者として常軌を逸する程で、ある時、国境の街道付近を跋扈する山賊の被害を訴え出たルオマ商人に対して「領外事情ゆえ領国法に規定がない」との理由で突っぱねた話は余りにも有名だった(結局ルオマ側が傭兵を雇って問題を解決した)。


「率いてるのはやっぱジローの旦那か」


 ヴァルターの問いに、エンリコは首を傾げた。


「さあ、分からねぇけど、野郎ばっかりだったし、そうなんじゃねえかな」

「どれくらいの規模だ」

「少なくとも、千はいたと思うぜ。隊長殿によろしくって言ってたよ」

「間違いなく、旦那だな」ヴァルターは先ほどから黙りこくっている副隊長に気づいた。「どうした、ハインツ」

「青地に白十字」ハインツは話の流れを無視してつぶやいた。「どこかで見たか、聞いたかした覚えがある」


 ヴァルターは一同を見回した。目の合った者はことごとく首を横に振った。


「まあ、思い出したら言ってくれ。今はさして重要な情報でもない」

「ああ」ハインツは眉根を寄せたまま肯いた。


 そうこうする間に、額に汗したエティエンヌが戻ってきた。


「関所とその周りに二千ちょい。増えたり減ったりしてるから正確な数は分からん。街の方は、多分十万はいるかな。流石の大都市だぜ、ありゃあ」

「十万都市なら、少なく見積もっても八千は出せるだろうな。質を無視して動員をかければ、大よそ二万弱ってところか。それに加えてあの威容」


 ヴァルターは遠めに確認できる関所を見やった。周りを囲むように四つも突き出た尖塔に、国境側に張り出た、あれは出丸だろうか。見る限り関所と言うより城郭と呼んだほうが正しい印象だった。あそこに何千もの兵を引き連れて立て篭もられたら、そうそう手は出せないだろう。


「いやあ、参った、参った」ヴァルターはちっとも参ってなさそうな調子で頭をかいた。「敵さんの様子はどうだった。俺達のこと気づいてる感じあったか?」

「いや、そんな動きはなかった、と思う」エティエンヌは禿頭をなでながら答えた。「結構な距離があるし、余程気を張ってないと気づかれないと思うぜ、多分」


 エティエンヌは汗を拭き拭き疲れた目で隊長を見上げた。もういいだろ、と言いたげな目にヴァルターは苦笑した。


「ご苦労さん。とりあえず休んでていいぜ」

「おお、神よ」瞬間、エティエンヌは表情を輝かせて六芒星を切った。

「ただし」ヴァルターはその眼前に交差させた指を突きつけた。「女と酒はなしだ」

「んが」エティエンヌは返そうとした踵を滑らせてすっ転んだ。「そりゃねえぜ隊長殿!?」

「意地悪で言ってんじゃねぇんだぜ、エティ」ヴァルターはもちろん悪意など微塵もない笑顔で続けた。「肝心な時にぶっ倒れられたら困るんだよ、あんたには。ゆっくり休んで英気を養って、女抱くのは勝った後でいいだろ。なんせルオマ女には美人が多いって聞くぜ。溜めとけ溜めとけ」


 その笑顔には有無を言わさぬ勢いがあった。傭兵隊の長として、決定を覆す気はないようだった。


「ああ、神よ」エティエンヌは力なく跪いて頭を垂れた。


 満面に絶望を(たた)えた禿頭は、ヴァルターの指示を受けてやって来た若手に連れられてその場を後にした。


「気の毒にな、エティ」その後姿を見送るエンリコはしみじみとつぶやいた。

「エティエンヌに限った話じゃないぜ」ヴァルターは膝に強く手を打ちつけた。「今から当面酒も女も博打も禁止だ。破ったやつは俺が直々に拳固を飛ばす。異論は認めねぇ」

「当面って、そりゃいつまでだよ、隊長殿?」

「何馬鹿なこと聞いてやがる」泡を食ったエンリコの質問に、ヴァルターは軽いため息を吐いた。「勝つまでに決まってんだろ、そんなの。具体的にどれくらいの期間になるかは、お前らの心がけ次第だぜ。なあ、野郎ども」


 悪戯(いたずら)な笑みに犬歯を光らせて、ヴァルターは一同を見回した。


 ハインツは眉間の皺を一層深くして目を閉じた。ライナーが口角を上げて隣を見る。その視線の先のエンリコは苦いものを吐き出すように「うへぇ」と舌を出していた。彼らの隊長殿を、見上げる誰もが久しぶりの緊張感に胸を昂ぶらせた。気の抜けた日々の終わりと、胸を躍らせる戦の予感に、白狼隊の面々は雄叫びすら上げたくなった。


 隊長殿が帰ってきた。


 口に出さずとも共感する思いが、結局は彼ら全員に少年のような笑みを浮かべさせた。


 集まる憧憬の眼差しに照れ臭さを覚えたヴァルターは、ふと思い出したように尋ねた。


「そういや聞いてなかったが、旗印は、どこの誰だ?」


 ライナーは途端顔を背けた。こみ上げる笑いを隠すためだった。不機嫌そうに眉根を寄せたハインツが、隊長殿の質問に答えた。


「赤と緑の市松に一角獣。マリオ・グリマルディの部隊だ」


 ヴァルターはしばし天を仰いで考えた。右を向き、左を向き、ぼりぼり頭をかいてもまだ思い出せない。あきれたハインツが答えた。


「『リトニアの一角獣』だ。しっかりしてくれ。ついこの間やり合った相手だろ」

「あー」ヴァルターは気のない返事で答えた。


 緊張感が一瞬で薄まっていた。ハインツの不機嫌はこれが理由だった。相手が格下と知っては、せっかく調子を取り戻した隊長殿がまたやる気を無くすのではないか。ひでーな隊長殿、と笑いを隠そうともしないライナーの態度がハインツの危惧を肯定していた。


「退屈かもしれないけど」怒気を孕んだ目で睨まれてライナーは隊長殿に向き直った。「やりやすい相手だよな」

「ま、相手が誰だろうとやることは同じだ」


 部下の心配をよそに、ヴァルターはなんら変わらぬ様子でエンリコに尋ねた。


「リコ、生まれはルオマだったよな、お前」

「何だよいまさら」唐突な質問にエンリコは首をひねる。「何で俺が会計役なんてやってると思ってんだ。潰れて久しいが俺の家はリティッツィの両替商だ。勤勉にして優秀、絵に描いたようなルオマっ子たぁよく言われたもんだぜ」

「リティッツィって言うとルオマの中心だな」軽口に苦笑してヴァルターは続けた。「ってことは、この辺の地理は駄目か」

「誰にもの言ってんだい隊長殿。東西南北余すところなく、ルオマは俺の庭だぜ。特に関所の街ダオステと言やあ俺の青春時代を象徴する街さ。通りの番地から気の多いご婦人の家まで、何でも御座れだ」

「期待通りの返事ありがとう、エンリコ君」満足気に肯いて、ヴァルターは告げた。「誰か、プンスキを呼んで来い」


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