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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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八、法王ジャコモ-2

 フェデーレが雑用から戻ると、王の御前には見慣れない男が二人(ひざまず)いていた。


 腰に()げた長剣、刀傷の目立つ胸当て、何より全身から立ち上る生々しい血の臭いに、フェデーレはその男たちが傭兵であることを察した。


(おもて)を上げよ」


 ジャコモの許しで男たちは同時に顔を上げた。面立ちは対照的であった。一方は画に描いたような悪人面。毛のない側頭部に大きく残る傷痕がただでさえ悪い人相を一層際立たせている。もう一方は鼻の下によく手入れされた口髭を乗せた、一見すれば紳士風情の男。鎧を脱いで香水でもかければ商家の大旦那で通りそうなほど、その出で立ちには品があった。


「遠路ご苦労。余が神国法王、ジャコモである」


 ジャコモが告げると、男たちは名乗りを上げた。


「北都ダオステより参じました。マリオ・グリマルディの名代、ピーノ・フンゴと申します」

「西都ブリアソーレより参りました。傭兵隊『パエザナの稲妻』にて連隊を任されております、イラーリオ・フラーキに御座います。拝謁に預かり、まこと恐悦至極に」

「世辞はいい。本題に入ろうか」ジャコモは相手を射竦(いすく)める目つきで二人を見下ろした。

「同盟の件、その返事のために来たのであろう」


 二人の男は同時に頭を下げた。フェデーレは苦い思いでそれを見つめていた。


 ジャコモがロレンツォに語った展望はまこと詭弁に過ぎなかった。まず以ってジャコモは神国の戦力を信用していなかった。そのため無駄な争い、勝利の危うい戦は極力避けなければならないと考えていたのである。


 完全に奇襲が成功した南都、ルオマ公が居を構えているという立場上中立を通していたため、極端に防衛戦力の乏しかった公都と違い、残る大都市はいずれも強兵の拠る要害だった。真っ向勝負はもちろん奇策を弄したところで無視できない規模の犠牲が出ることは容易に想像できるし、最悪今までに築き上げてきた常勝の空気が一転して失われる可能性もある。

 新興の国にとって国民の士気は死活問題であった。たった一度の敗戦で大勢力が崩壊した例は、歴史を振り返れば枚挙(まいきょ)(いとま)がない。


 それ故にジャコモは彼らと争うという選択肢を捨てた。利益に貪欲であり、また忠実でもある傭兵の性質に目を着け、彼らの雇い主である行政府並びに領主に対して反旗を翻すよう持ちかけたのである。


 「雇い主を神国に替えるなら広範な自治を認める」という口説き文句に、当然フェデーレは反発した。彼とて傭兵を憎む気持ちはロレンツォと同様に強くあった。憎むべき家族の仇と手を組んで生きるなど認められるはずがなかった。


 しかし不幸にも、フェデーレにはロレンツォと違って現状を見つめられる視野と正論を理解出来る頭があった。神国の兵員はいずれも農民上がりだ。数こそ増えたが実質を考えればこれまで大敗せずにやってこれたことが奇跡と言えた。もし同盟が成立するなら現状の神国領の安定は約束されたようなものであり、加えて近隣諸国の侵攻にも耐えられる堅固な盾を手に入れるようなものである。神国の将来にとってこれほど有益な話もない。


 にもかかわらず、フェデーレは奥歯をかみ締めながら心のどこかで同盟の決裂を願っていた。傭兵との対立。それは神国にとって危機的状況に相違ないが、仮にそうなったとしてもその時はその時だとフェデーレは思っていた。危機的状況は今までだって同じだ。農民がどれほど集まったところで大都市を陥れることなんて不可能だと、ましてルオマの領主を打ち倒して新たな国を興すなど出来るはずがないと、誰もが思っていたのに、ジャコモはそれを実現したじゃないか。神の奇跡を体現し、不可能を可能に変えたじゃないか。


 近くで見続けてきただけあって、フェデーレはとりわけジャコモを妄信していた。どれだけ絶望的な状況も、ジャコモならどうにかしてくれると、フェデーレは決め付けていた。


 しかし一方で、彼の心の冷静な部分はこの宥和(ゆうわ)政策にジャコモの限界を見てもいた。振り返ってみれば神の奇跡など無かった。これまでの快進撃だって非凡な知恵をめぐらせた結果に過ぎない。思いつき、行動に移せる者ならジャコモでなくとも都市を陥落させることは出来たじゃないか。


 自分自身にも量り難い複雑な感情がフェデーレにはあった。呪詛(じゅそ)にも似た強い感情を胸に秘め、フェデーレは傭兵たちの返答を待った。ジャコモに促された傭兵たちは数瞬目を合わせた後、ピーノの方から答えた。


「『リトニアの一角獣』隊長マリオ・グリマルディは、猊下の御提案に賛意を示しております。同盟の条件に御所望されておりました領主の首につきましてもすでに討ち果たし、領主派の主だった者はことごとく市内に首を晒して御座います」


 ジャコモは期待通りの返事を聞いて満足げな笑みを浮かべた。


「なるほど、手際が良いな。追って使者を遣わす。貴公らの働きは必ずや主のお耳にも届くことだろう」


 権杖を掲げて十字を切るとマナの光がその軌跡を追った。ピーノは垂れた頭にその光の残照を受けた。


「はッ、勿体無きお言葉」

「さて、貴公はどうだ、イラーリオ殿」


 ジャコモは権杖をついて促した。ピーノの報告を聞いている最中、終始余裕のあったこの男の表情が(わず)かに曇ったのを見逃してはいなかった。果たしてイラーリオは、いくらか上ずった声で答えた。


「はッ、我らが隊長アマデオ・ルッフォも此度の御話は願ってもない僥倖(ぎょうこう)と存じております。ブリアソーレ行政府の占領も滞りなく完遂し、当地にて要職にあった者は全て、捕らえて御座います」


 次第に歯切れの悪くなる言葉に、ジャコモは片眉を上げた。


「ほう、捕らえて、あるか」

「はッ、恐れながら、領主の一族を御所望と伺っておりましたゆえ」


 イラーリオは目を伏せて言葉を継いだ。その発言には事を急いだピーノら「リトニアの一角獣」を暗に非難する意味合いがあった。凶相に笑みを浮かべたジャコモは穏やかな声音で頭を振った。


「なに、間違ってはいないさ。賛意あれば領主を差し出せと、余は言ったのだからな」


 イラーリオは安堵して顔を上げた。瞬間、歴戦の傭兵は相手を射殺すような双眸(そうぼう)を見て思わず再び目を伏せた。段上に座す法王の目には声音から予想されるような好意的な感情は一切皆無だった。


「で、あるが」ジャコモは口元に笑みを貼り付けたまま変わらぬ調子で続けた。「元ルオマ公の顛末(てんまつ)については聞き知っていよう」

「はッ」

「ならば、どうすることがより主の御心を喜ばせられるか、理解できるな?」


 ジャコモの言葉には有無を言わさぬ威圧感があった。気圧されたイラーリオは我知らぬまま口を滑らせていた。


「ははッ。西都に戻り次第、速やかに首を()ねさせて頂きます」

「そうだ。速やかに、な」ジャコモは満足した様子で玉座に背を預けた。

「まあ、貴公らについてはこの上言うべきこともない、が、」


 言葉を切ると、右から左に広間を見渡す。「財務卿」


「はッ」やはり来たか、という表情でグリエルモは答えた。

「東都からの使者はどうした」

「それが」グリエルモはこの男にしては珍しく言葉を濁した。「お見えになってはいないようで」

「何だと」ジャコモは王者としての威厳を忘れて思わず唸った。


 東都モンツィアはこのリティッツィから一番遠くに位置する大都市である。返答にも当然時間が掛かるものだから、ジャコモはそれを見越して他の二都市よりも先に使者を立てていた。

 優遇のつもりはなく、むしろ同盟者として各都市を対等に扱うことで都市間の対立を防ぐ目的だったが、同時に各都市の同盟に対する意欲を図る狙いもあった。北都、西都の対応を見れば分かるように、同盟を持ちかけられた側に賛同の気持ちが強くあれば行動も返事も迅速(じんそく)に行われ、今頃は東都の使者とてこの玉座に謁見の運びとなっていたことだろう。


「愚図が、日和見(ひよりみ)しおって」


 一転不快をあらわにしたジャコモの(つぶや)きが広間の空気を冷ました。


 その時、フェデーレは何気なく落とした視線の先に件の大都市の名を見つけ、「あ」と思わず間抜けな声を上げてしまった。


「猊下」苛立たしげなジャコモの一睨みに竦みながら、フェデーレは一巻の書簡を差し出した。「先ほど、伝令が帰りまして、これを」


 ジャコモは奪うように書簡をつかむとすぐさま紙面に目を走らせた。





 連日のお祭り騒ぎは鳴りを潜め、北都ダオステはすっかり平時の落ち着きを取り戻していた。街角で客を呼ぶ露天商に、工芸品を積載して関を通る馬車、市外に目を向ければ畑仕事に精を出す農夫の姿も見受けられる。ほんの数日前に行われた血生臭い政権交代の影響は、最早行政府庁舎の表に並ぶ晒し首ぐらいしか残っていない。


 元ダオステ守備総督マリオ・グリマルディは自身の城となったその庁舎にて、役目を終え帰還したピーノの報告を聞いていた。


「それで、その文には何て書いてあったんだ?」

「さあ、内容までは」ピーノは側頭に刻まれた傷跡を掻きながら答えた。「ただ、そいつを読んだ奴さんえらい剣幕で、今すぐ東都に行って来いって、側仕えに怒鳴り散らしてやした。ゆっくり休んでから帰るつもりだったのに、おかげさんで居心地が悪いもんだからすぐ戻る羽目になりやしたよ。まったく散々でさ」


 やれやれと溜め息を吐くピーノに、マリオの実弟ルイジは大笑いした。


「法王だなんて大層な肩書き名乗っちゃいるが、存外親しみやすい御仁かも知れねえな、兄者」

「はん、まあ何だっていいさ」マリオは口髭を弄びながら大きな団子っ鼻を鳴らした。「折角お許しを貰ってんだ。俺は俺で好きにやらせてもらう」


 マリオは勢いよく椅子から立ち上がると、壁に貼り付けてあるダオステの地図を撫でた。


「この城が、街が、俺たちの物になったんだな、兄者」


 目を潤ませる弟を見て、マリオは思わず笑みを浮かべた。


「そうだぜ、ルイジ。ようやく風が向いてきた。もうケチな商人どもの使いっ走りじゃねえんだ」


 口に出すとつい感傷的になってしまう。母と妻の散財で家が没落し傭兵に身をやつして二十年。商人の雇われとなりこの都市に暮らし始めて十年余りになる。弟と、数えるほどしか残っていない旧臣たちと、共に苦労を重ねた末、ようやく御家再興の好機が巡って来た。ジャコモとの同盟は分の良い賭けではなかったが、勝負に出たことは正解だったとマリオは思った。


 何と言っても世は乱世である。大望を抱かずして貴族家の当主は務まらないのだ。


 不意の騒音がマリオの物思いを妨げた。高く響くその音は警鐘に相違なかった。


「た、た、大変でさ、隊長殿」軽装に身を固めた兵が大慌てで転がり込んできた。

「どうした、血相変えて」マリオは怪訝に眉根を寄せて訊ねた。

「か、か、壁の当直から、伝令が」若年の兵は動悸に胸を押さえながら何とか言葉を搾り出した。「て、敵襲です。国境に、敵の大軍が」

「何ぃ!?」兄弟は自然声を揃えて驚いた。

「一体どこのどいつだ」


 吐き捨てながらマリオは庁舎を飛び出した。ダオステは「ルオマの壁」建設の折に起点となった国境に位置する都市である。壁に設けられた関所までは、直通する石橋を渡ればものの四半刻も掛からず行くことが出来る。


 馬を飛ばして急行したグリマルディ兄弟は、尖塔の上から国境線にたなびく無数の戦旗に目を凝らした。


「あの旗印、どっかで」


 赤地の真ん中に黄色の帯。中央左寄りにはガルデニア王国の国章である六角形。初めて見る旗ではない。マリオは記憶を辿った。


「ありゃあ、エスパラムの」

「あ、兄者、先陣のあいつは、見たことあるぜ」


 ルイジの指差す先にはエスパラムのものとは趣の異なる旗が翻っていた。青地の中央に白い狼一匹が描かれただけの簡素な旗。確かに見覚えがあった。それもエスパラムのものより遥かに記憶も新しい。いつのことかと思い出した瞬間、マリオは総身を昂ぶらせずにはいられなくなった。


「『エッセンベルクの白狼』、だと……!」

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