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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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八、法王ジャコモ-1

 通りを埋め尽くすのは地面が見えなくなるほどの人だかりだった。狂ったように指笛を吹き鳴らす者、何を思ったか上着を脱いでぐるぐると振り回す者、ルオマ訛りで生娘が聞いたら卒倒しかねない卑猥な罵声を浴びせかける者。無秩序な群衆は狂喜という共通の感情によりある種の団結を見せていた。


 彼らを狂喜させるのは、通りの中央を引き立てられていく二人の少女たちだった。


「何者だ、あのガキは」


 ボリスは傍らで泡を飛ばしている男に尋ねた。


「兄ちゃん、余所者かい」男は品のない笑みを浮かべて答えた。「ありゃあルオマ公ダニエーレの愛娘さ」

「ルオマ公の娘? 一族郎党首斬られたんじゃなかったのか」

「夏の初めにこの近くのリグリー塩湖で行水するのがルオマ公家の恒例でね、娘たちだけ先乗りしてたおかげで幸か不幸か難を逃れたって話らしいぜ。にしてもまだこんな近くに隠れてやがったとは、驚きだねまったく」


 手と首に(かせ)をかけられて連行される少女たちは一目で罪人と分かる扱いを受けていた。幼い妹は赤く充血した眼から止めどなく涙を零し、姉の肌着の裾を掴んで嗚咽に肩を震わせている。姉の方は気丈にも涙を見せなかったが、真一文字に引き結んだ唇は血色を失い、こみ上げる恐怖を懸命に堪えているのが分かる。

 その健気(けなげ)な様がかえって加虐心をそそるのだろう。大都市とはいえ南東公領ルオマの公女に対し直接的な恨みもないだろうに、群衆による口汚い罵声は止まらなかった。


「で、このお祭り騒ぎはどうしたことだい」

「ジャコモが、いやいやジャコモ様がご所望なんだと。各地に触れを出して臣従の証にルオマ公の一族を差し出すように言ってきてんのさ。なんと従ったものには直々に褒美を取らせるって話だぜ。捕まえたやつだけじゃなく都市そのものの手柄になる大盤振る舞いだ。よっぽどご執心らしいや」


 へらへらと笑う男はもののついでに履いていた靴を放り投げた。放物線を描いた革靴は幸いにも少女たちに当たることはなかったが、取り巻く群衆は男に(なら)えと次々に靴を投擲(とうてき)し始める。恥知らず、穀潰しのあばずれめ、罵声と共に無数の靴が飛び交い、そのうちの一つがとうとう妹をかばうように立つ姉の頭に命中した。熱狂が渦となって通りを駆け抜けた。


「あ、あんた何してんだ」英二は信じられないものを見る目で男を凝視した。「あんな子供相手にこんな扱い、酷過ぎる」

「なんでえ、そっちの兄ちゃんも余所者かい。聖天主様の説法は聞いたことねえのかい」


 男はなおも饒舌(じょうぜつ)に語り続けた。

 ジャコモ曰く、商人と貴族らによる旧体制が築いたものは全てが弱者の血を吸って生まれた呪わしき産物である。存在そのものが罪の証となるそれらを破壊し辱めることは神の定めに従った正しき行いに他ならないと。


「してみれば、奴らの血肉はもちろんその命だって罪の権化(ごんげ)と相成るって寸法だ。だから奴らには何をしたっていいのさ。犯してやろうが拷問にかけようが、罪を浄化する正しい行いなんだぜ。聖天主様はお許しになる。俺たち天主教徒が罪に問われることはねえんだ。ジャコモ様万歳。天主教よ永遠なれってなもんだ」


 男はジャコモの弄する理屈にも自身の言にも、一切の疑問を持っていないようだった。


 英二はその曇りない目に呆れも憤りも通り越して、ただ恐怖を感じた。何より恐ろしいのは、今この町において目の前の男の考え方、価値観、行動における全てが、当たり前の常識としてまかり通っていることだった。


 非情な事にこのレノーヴァには、あの少女らの味方をするものはいないのだった。





「探し物というのは、存外近くにあるものだな」


 報告を聞いたジャコモはこみ上げる笑いを堪えようともしないで問いかけた。


「そのようで」答えるのは恭しく側に控えていたフェデーレ・ベリーニである。

 金糸の刺繍をあしらった白の礼服に絹織りの上衣を羽織ったその様は一見して農家の小倅(こせがれ)とは思えない。対するジャコモも様変わりは同じだった。裾のほつれた黒い法衣はとうの昔に脱ぎ捨て、今身を包んでいるのは(かさ)の張る純白の長衣(ながぎぬ)に大きく十字をあしらった帯を幾重にも垂らしたお手製の祭服。左手に巻きつけた数珠には十字の飾りが煌めき、右手に持つ権杖、頭上に据えた宝冠と相まって尋常ならざる権勢を演出している。


 南東公領ルオマの都を陥れたジャコモ・レイはその地位と権力を確固たるものとするために、自らを法王と称した。同時に行われたのは空位の王に代わる新たな秩序の創立である。


 ジャコモが建国を宣言した国の名は神聖天主王国。真実の信仰を持つ者のみが住むことを許される神国であった。


 ジャコモは領内に広く神国の存在と真実の神の教えを喧伝(けんでん)し、各地の下層階級に対して同調を呼びかけた。長年鬱積し続けていた支配者への不満がその燃料となり、法王の宣旨は草原を駆ける野火の如き勢いでルオマ各地に広まった。神国領は日を追って拡大され続け、彼が今身を預ける大理石の腰掛は名実ともに玉座となっていた。


「今宵はまたも祝宴となるか」


 ジャコモは連日の暴飲暴食で荒れ気味の胃をさすった。溜め息こそ吐いたものの不快なはずはない。何もかもが上手くいく充実感があれば、胃もたれは嬉しい悲鳴と言えた。


「フェデーレ、料理長に例のものを用意させておけ」


 ルオマ公の娘を捕らえたらぜひとも食わせてやりたい料理があった。食料庫の奥深くに今も塩漬けで保存されているであろうその材料を思ってジャコモは醜悪な笑みを堪えられなかった。


猊下(げいか)、あの、恐れながら」フェデーレは主の不興を予想して顔を伏せた。「公女の到着は、明日となるそうです」


 フェデーレの予想は当たった。法王は不快を隠そうともしないで秘書官を睨んだ。


「何だと。何故か」

「馬も馬車も公都攻略の折にあらかた徴用しちまいましたので、すぐに動けるものがない、と」

「舟を使えばよかろう」

「はぁ、それが、そうなんですが」慣れない手つきで帳面を繰り、フェデーレが必死に答えを探していると、


舟運(しゅううん)は運ぶ荷が重ければ便利ですが、速さだけなら馬に劣ります」


 割って入ったのはすらりと背の高い四十がらみの男だった。


「財務卿、グリエルモ殿」


 苦々しげに名を呼ばれた神聖天主王国の財務担当官グリエルモ・カルロは爽やかな微笑を浮かべて一礼した。


「失礼、秘書官殿がお困りのようでしたので」


 文字通り助け舟を出されたフェデーレが素直に感謝できないのは、この男の生い立ちと人柄に関係していた。


 グリエルモはリティッツィに店を構える中流商家の番頭だった。物腰は柔らかく学もあり、何よりよく働く男である。ジャコモの覚えもめでたく、その仕事振りはフェデーレをはじめとした農民上がりの高官も認めざるを得ないところであった。


 しかしながらその働き振りが反感の種ともなっていた。グリエルモは持ち前の識見から自身の領分を越えた案件にまで口を出さずにはいられない男だったのである。グリエルモの意見はことごとく正鵠を射ていた。ために、仕事にけちをつけられ顔をつぶされた形となった他の高官たちは揃って彼に反感を抱いていた。商人上がりが、新参の分際で、と聞こえよがしにささやく者とて少なくない。


 字の読み書きができるからと秘書官に命じられたフェデーレの不満はひとしおだった。今ではどちらが秘書なのか分かったものではない。もとい、ジャコモの扱いを見ればフェデーレの方は単なる雑用係と言っても過言ではなかった。


「レノーヴァの統治はウーゴに一任していたはずだな」


 ジャコモに問われ、フェデーレは慌てて「はい」と答えた。


「改めて使いを出せ。一切の手出しを厳に禁ずる、とな。直ちにだ」

「はッ、仰せのままに」フェデーレはすぐさま玉座の間を駆け出た。通りがけに一瞥したグリエルモは、当然のこと彼には見向きもしていなかった。


「さて、話を聞こうか財務卿」ジャコモは促した。グリエルモが人の会話に口を挟むのは議論を円滑にし自身の意見を早く述べたい故である事を知っているのだった。

「恐縮であります法王猊下」グリエルモは跪いて謹言(きんげん)を始めた。

「新たに五市が恭順の意を示しました。これで公都、いや聖都周辺は我らの勢力圏と言って良いでしょう。褒賞金の支払いによる国庫への影響が若干嵩みますが、概ね想定の範囲内と思われます。続いて例の三大都市の件ですが」


 荒々しい靴音がグリエルモの言葉を妨げた。怪訝(けげん)に顔を上げると玉座の間に踏み込んできたのはペルーノ村以来の功労者ロレンツォだった。


「ジャコモ! 一体どういうつもりだ!」


 止める衛兵を押し退けて、ロレンツォは怒鳴り散らした。


「軍務卿、あなたの方こそどういうつもりです。猊下の御前ですよ」

「黙れ! 俺はテメェのことだって納得してねぇんだ」


 こめかみに青筋を立てるロレンツォは目に付くもの手当たり次第に噛みつく野犬のような形相でグリエルモを睨む。その一睨みでグリエルモは堪らず道を譲った。法王に正対したロレンツォは泣き出しそうな顔で玉座を見上げた。


「ジャコモ、俺たちの敵は貴族だけじゃねえ。商人も傭兵も、俺たちが罰する悪だったんじゃねえのか」

「いかにも、その通りだよロレンツォ」

「だったら、こいつは何だ。何で商人を取り立てたりする。それに」

「適材適所、というものですよロレンツォ殿」軽く咳を払ってグリエルモはまたも割って入った。「私に畑が耕せないように、あなたにも金の勘定はできますまい」

「テメェには聞いてねぇ! 俺はジャコモに」

「ロレンツォ」


 腹に響くしわがれ声にロレンツォは思わず身をすくめた。顔を上げると以外にも、ジャコモは慈母のように優しく微笑んでいた。


「お前の言いたいことは分かった。だがグリエルモは罪を悔いてよく神のために尽くしてくれている。その姿勢を評価することはできんかね」


 ロレンツォは返す言葉をなくした。短気だが根は素直な男である。グリエルモの功績を認めていないわけではなかったし、優しく(さと)されれば自身の怒りが八つ当たり以外の何ものでもないと痛感せずにはいられなかった。


「っ……この野郎のことは、あんたの言うことも理解できる。納得はしねえが理解は。けど」


 確かに八つ当たりだ、とロレンツォは思っていた。新参の癖にでかい態度で口をきくところが癪に障っただけなのだ。物知り顔で何でもこなしてしまう態度に嫉妬だってした。しかし、ロレンツォの怒りは別にあった。


「何だって傭兵をここに呼んだりしたんだ! こいつばっかりは納得も理解もできねえ。やつらは罰を受ける罪人なんだろ。罪を裁くのが正しい神の教えなんだろ。答えてくれジャコモ!」


 懲りずに何か言おうとするグリエルモを手で制して、ジャコモは口を開いた。


「物事には順序がある。創世記の後に出黒記が続くように、種を蒔く前には畑を耕すように、戦においても取るべき手段と守るべき手順というものがあるのだ。これまで俺の元で共に戦ってきたお前になら分かるだろう、ロレンツォ」


 ロレンツォは答えなかった。ただ血走った目でジャコモを睨み上げた。


「二大都市を攻略したとはいえ、未だ神国に仇なすものは多い。これと正面から向き合うのは戦の常道ではないのだ。兵法書で言うところの『大敵との戦は鬼謀奇策を以って臨むべし』というやつだよ。一旦は手を結び、相手が油断を見せたところでこれを叩く。効率的だろう?」

「知らねえ」ロレンツォは頭を振った。「聞きたくねぇんだ、そんなこと。俺は、俺たちは、神に選ばれた民じゃねえのか。俺たちのやってることは正しい。真実の神が俺たちの味方だ。俺たちの戦は正しいんだ、そうだろう?」


 ロレンツォは目に涙すらためていた。ジャコモの返事も待たず激情の赴くままに叫んだ。


「だったら、傭兵なんかと手を組む必要はねえはずだ! いや、むしろ罰が当たるってもんだろ。神の怒りがあんな無法者どもを許すはずがねえ。敵がどれだけいようが知ったことじゃねえんだ。王だろうが竜だろうが、神の前じゃ虫けらと同じだ。恐れる必要なんかねえんだよ!」


 議論にならない。ロレンツォの訴えは憎き敵を前にした嫌悪の感情の爆発でしかなかった。どれだけ論理的に諭したところで納得するはずもない。彼の頭の中は善と悪の単純な図式で世の全てに解を出していた。始末の悪いことに彼は自論を疑うだけの教養を持ち合わせていなかった。『信じ励む者(あまね)く之救済在らん』という聖句を、ただ一途に信じているのだった。


「あんたが尻込みするってんなら俺がやってやる。許しをくれ、ジャコモ。俺がやつらを、一人残らず地獄に叩き込んでやる」

「分かったよ」ジャコモは何か言いたげなグリエルモに目配せして権杖を立てた。

「軍務卿ロレンツォ・アレオッティ、貴公は今日より神聖天主王国大元帥を名乗るがいい。人員の選抜は貴公に一任する。精兵三千を率いて未だ傭兵の拠る西都ブリアソーレを攻略せよ」

「心得た!」


 喜色満面で答えるや、ロレンツォは礼もそこそこに玉座の間を飛び出していった。


「よろしいので」グリエルモは不安げに尋ねた。

「かまわん」ジャコモは身なりを点検しながら答えた。「糧食の手配もしてやれ。気分良く立てるようにな」


 あの手合いに道理を説いたところで意味などないことをジャコモは知っていた。どんな高説も激した感情の前にはただの詭弁(きべん)と成り下がる。そして学の無い者ほど感情と言う指針に頼って生きるのである。だからこそジャコモは鬱積した怒りと不満をこの反乱の原動力に利用したのであったが、しかし、感情を頼りにする段階はすでに終わりを迎えていた。


「そんなことより、財務卿」


 グリエルモは背筋を正して玉座を見上げた。小柄でいかにもみすぼらしい風体も、頭上に宝冠を戴けばそれは王の(たたず)まいだった。


「客が来ているのだろう。早く通せ」


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