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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
22/131

六、父と子と聖霊の御名によって-2

 二人が公会堂にたどり着いた時、すでに日はとっぷりと暮れていた。


 開けっ放し扉の内で揺らめいているのは蝋燭の明かりだろう。近づけば罵声と怒号が漆喰(しっくい)の壁にひびでも入れんとばかりに飛び交っているのが聞こえてきた。


「テメェ、もう一遍言ってみろ!」


 大音声が響く中へ、臆することなく入っていくジャコモに続きフェデーレも敷居をまたいだ。声を張り上げて喚いているのは短気者のロレンツォだった。


「俺の女房は、働き者で器量良しで、俺なんかにはもったいねぇくらいよくできた女だったんだ。字は読めなかったが、聖句をいくつか教えてくれたこともあった。お祈りだって欠かした事はなかったはずだ」


 羽交い絞めにされたままのロレンツォの体が止める者全てを引っ張って足を進める。太い腕が掴んだのは柔弱(にゅうじゃく)な見た目をした青年の黒い僧服だ。


「それが、あんな野蛮な傭兵どもに乱暴されて、慰み者にされて、それでも仕方ねぇ女だと、そう言ったのかテメェは!」


 怪力が青年導師グイドの首を締め上げる。グイドはすぼまる喉奥から何とか言い訳めいた言葉を搾り出そうとするが、ロレンツォの激情がそれを許さない。十人からの男たちに組み付かれ、導師はようやく開放された。


「そういう、意味では」えずきながらもグイドは懐から経典を取り出していた。「起きて、しまった、ことを、いくら悔いても、仕方がないと……経典にも、こうあります。汝」


「説教はいい。今説教なんかはいいんだ坊さまよ」


 村長のウーゴが二人の間に割って入った。未だ怒りの収まらないロレンツォを遮るように押し止め、ひざまずくグイドを助け起こすのはさすがに良識派といったところだ。


「あんたにとっては信仰が一大事かもしれんがな、わしらにとってはそうじゃない」


 ウーゴ村長は説諭台に上がると悲痛そうに視線を落として重い口を開いた。


「種籾がやられた。畑のものも、備蓄も、全てだ」


 一同は一斉に息を飲んだ。ひと時訪れた沈黙は村長の言葉の意味を理解するための時間だった。ややあって狂騒が公会堂を席巻した。


「どうするんだ! ただでさえ、戦続きで食うに事欠いてるってのに」

「このままじゃ年貢が、いや、徴税期まで生きていくことだって」

「どうにかならねぇのか。徴税役に事情を説明して」

「話なんて聞くかよ、あのしみったれが」

「なら行政府だ。こんなのってないだろ。あいつらの都合で始めた戦で」

「行政府には」ウーゴ村長は説諭台に拳を打ちつけて喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を止めた。「昼に行ったよ。応接間に通されてな、柔らかい綿毛入りの腰掛に座らされて、よく冷えた葡萄酒を一杯、振舞われた」


 村長は搾り出すように言葉を継いだ。強く握り締めた拳が声を出すたび小刻みに震える。


「あちらさんも混乱しているそうだ。とても村のことまで、面倒を見きれる状況ではない、と。手土産に葡萄酒を一瓶渡されて、それっきりだ。取りつく島もない」


 台上に置かれたのは半分ほどしか中身のない酒瓶だった。見上げる誰もが口を閉じ、二の句を継げずに黙り込んだ。ペルーノ村の上部組織、南都市レノーヴァの行政府には彼らを助ける意思などないことが、無学な彼らにも容易に理解できた。


「生き残ったのは、二百人といったところか。すぐにでも働けるのは、今日集まらなかった者たちも合わせて百数人と少し。不幸中の幸い、と言っていいのか、この人数なら冬の残りを切り詰めれば、生きていくことくらいはできるかも知れん」


 村長の言葉に異を唱える者はいなかった。あれだけ激しい怒りを(あらわ)にしていたロレンツォでさえ悔しそうに歯を(きし)らせることしかしなかった。

 村人たちは知っていた。他ならぬウーゴ村長自身が昨夜の一件で最愛の孫娘を失ってしまったことを。心の内では誰よりも激しているはずの村長が努めて怒りを堪えているのに、その眼前で手前勝手な怒りをぶつけることがどれほど恥知らずな行いか、分からぬ愚か者はいなかった。


「そうです、そうですとも」場違いに明るい声は導師グイドだった。「確かに不幸な出来事ではありました。皆さんと皆さんのご家族、ご友人方を襲った悲しみも怒りも、忘れろといわれて容易に忘れられるほど軽いものではないことでしょう。しかし皆さんは幸いにして生きておられます。恨みも嘆きも、皆さんが明日を生きていく上では(かせ)にしかなりません」


 熱弁はいよいよ調子を上げた。グイドは頼まれもしないのに説諭台へと上り、声も高らかに演説を続けた。


「傭兵たちの蛮行は呪わしい罪です。罰せられるべき悪です。これを捨て置いて、また一途に汗を流すことなどできない。ごもっとも、確かに彼らは裁かれなければいけません。相応の罰を受けて皆さんと神の御前に許しを請わなければ、気持ちを収めることもできないでしょう。ご安心ください。主神エデンは見ておられます。この神の庭であのような悪を見過ごすようなことはありません。皆さん一人ひとりが真摯(しんし)に生き、祈り続ければ、神は必ずお応えくださるでしょう。ですから皆さん」


 グイドの右手が中空に掲げられ、その指先が六芒星を描こうと動く。


 その時、地の底から響くような哄笑が一同の注目を壇上から奪った。


 一番の見せ場を奪われた形である。グイドは眉根を寄せて声の主を探し、出入り口の程近くでその男を見つけた。


「……ジャコモ氏」


 ジャコモは皆から投げられる奇異の視線に一切構うことなく、ことさら愉快そうに笑い続けた。


「何が、そんなにおかしいのですか」


 堪りかねたグイドの問いにジャコモは目じりを拭いながら答えた。


「何が、だと? 全てだよ、全て。これ以上笑わせるな」

似非(えせ)坊主が、大麻でもきめてやがるのか」

「それはこちらの台詞だ。雁首そろえて知恵を絞った結果がお星様にお祈りしましょうだと? 全く愉快な話じゃないか、え、ロレンツォ」


 肩を怒らせたロレンツォが一直線にジャコモに向かっていく。間髪を入れずに胸倉をつかんだ。


「お呼びじゃねぇんだよ。死ななきゃわからねぇのか」


 二間に届く大男に(すご)まれているというのに、ジャコモには一向恐れる様子がない。口に笑みすら浮かべて、老人は(しわ)だらけの手をロレンツォの腕に重ねた。


「まあそう、熱くなるなよロレンツォ」


 淡い光がジャコモの手を覆った。瞬間、血管の浮き出たロレンツォの太い腕が不意に弛緩する。


 自由の身となったジャコモが皺だらけの手を払うと、群がっていた人波は即座に道を譲った。壇上までの道のりを悠々と歩き、当然のようにグイドを押し退けたジャコモは耳に残るしわがれ声で皆に告げた。


「お前たち、揃いも揃って怒りを向ける相手を間違えてはいないか」


 言うなりジャコモは一同を見回した。何の返答もないのを悟ると苦笑して続ける。


「この中で、神の存在を信じている者は手を上げろ」


 唐突な問いかけに村の衆は顔を見合わせ、やがておずおずと挙手する。一人の例外もなく手が上がった。


 ジャコモは満足げに肯き、再び問う。


「では、そこなる導師様の御座(おわ)します教会で、安息日には欠かさず祈りを捧げているという者は」


 何人かが手を下ろした。しかし依然として大多数の村人は手を上げたままだった。


「結構、結構」ジャコモの凶相が歪む。つり上がった口角から白い歯が覗くのは、どうやら微笑んでいるためらしかった。

 演台に手を着いたジャコモは身を乗り出すように前傾して三度問うた。


「今手を上げている者の中で、神への祈りが確かに届いていると感じている者はいるか。お前たちの祈りを、神は御聞き下さっていると思うか」


 その問いに、答える者はいなかった。手を上げている者もいない者も、互いに顔を見合わせて黙りこくった。一同の心に棘の様なしこりが芽生える。それを与えたのは間違いなくジャコモの言葉だった。


 ――神が祈りを……?


 聞かないことなどあるのだろうか。全能の神が応えてくれると、救ってくれると思うからこそ、人は祈るのではないのか。今日がどれほど辛くとも、明日に希望を抱けるのではないのか。


 一人、また一人と、天に向け掲げていた手を下ろしていく。抵抗はあった。長年信じてきた常識が、彼らの心を神の元に留め置こうとしていた。しかし報われない現実を思えば信仰は容易く揺らいだ。彼らが寸暇を惜しんで祈ったのは、こんな生活を送るためではなかったはずなのだ。


「さて、改めて聞こうか」ジャコモは背筋を正して一同を見下ろした。「神を信じる無垢(むく)なる子らよ、君たちの祈りは主の御耳に届いているか」


 そう問う顔からは表情が消えていた。(よど)んだ瞳が映す光景には手を上げる者など皆無だった。


「何を、あなたは」グイドの高い声が響いた。「ジャコモ氏、あなたは、自分が何を言っているのか分かっているのですか。神を、恐れ多くも神を冒涜(ぼうとく)するなど」


 怒りのためか、はたまた恐れのためか、グイドは手早く六芒星を切って胸を押さえる。


「早まるなよ邪教徒」それを見てジャコモは鼻で笑った。

「俺がいつ神を冒涜した。冒涜といえばお前たちの存在そのものがまさにそれだろうに。俺が否定しているのはな」


 枝のような人差し指がグイドに向けられる。それが指し示すのはグイドが手中で強く握る六芒星の首飾りだった。


「お前がその首にぶら下げている、神のまがい物だ」


 グイドは青ざめた。とうとう、ジャコモの口は今はっきりと、神を否定する言葉を吐いた。教会法に則れば、それは死罪を申し付けられてもおかしくない大罪だった。


 そんな呪わしい行いも一向に恐れる様子のないジャコモはこの上さらに罪を重ねた。萎縮するグイドの手から六芒星を奪い取ったのである。


 飾り紐が床に散らばる音を聞きながら、村の衆は固唾(かたず)を呑んで壇上を見上げた。彼らの心には妙な高揚があった。芝居を、それもまるで現実感のないおとぎ話を見聞きしている少年のような高ぶり。彼らは老若の別なく胸を躍らせていた。


 舞台上は最高潮の盛り上がりを見せていた。主演を務めるみすぼらしい黒衣の老人は、皺の寄った弱弱しい手に六芒星を握り締めて頭上に掲げた。


「お前たちが何故救われないのか、お前たちの祈りが何故神に届かないのか、教えてやろう」


 皆の視線が集中する。たっぷりとその間をとって、老人は手を振り下ろした。


「それは祈る相手を間違えているからだ!」


 銅細工で出来た六芒星が板張りの壇上に突き刺さる。直後、老人は木靴の踵でそれを力強く踏みしめた。物言わぬ神の象徴はいとも簡単にひしゃげ、老人の足に何度も繰り返し踏みつけられることで、ついに折れた。上気したジャコモの顔がどうだとばかりに客席を、そしてグイドを振り返る。


「全能の神が聞いて呆れる。もしいるのならこの俺に天罰の一つでも下してみるがいい。ここに不敬者がいるぞ。さあ。さあ!」


 声も高らかな叫びは高い天井に跳ね返り、数度の木霊(こだま)の後にやがて消えた。凶相が再び醜悪な笑みで歪む。


「出来んだろうな。聖六芒星教など、所詮(よこしま)なる者が作り上げた悪魔崇拝に過ぎん。この星型の飾り物にどれだけ祈りを捧げたところで、主の御耳に届くことはないのだよ」


 ジャコモは右手の指で何かを摘まむ様な形を作ると、それを自らの額に掲げた。指をゆっくり胸の前に下ろし、次いで左肩、右肩へと動かして頭を垂れる。軌跡が光り輝くマナを残留させ、衆目の脳裏に聖なる十字を焼き付けて消滅した。


「ジャコモ氏、もうお止めなさい、それ以上は」


 グイドは震える声で独壇場に向かって吠えた。荒い息と震える拳は気弱な青年の怒りの表れだった。


「信じる神こそ違えども、神の教えをもって人々を救済へと導くその志は同じものだと思っていたのに、あなたは(いたずら)に皆を(そそのか)してどうするつもりですか」

「俺は正道を説いているだけだ。そんなに悔しければ祈ってみろ、その六芒星の神とやらに。ああ神様、どうかこの異端者めに天罰をお与えください」


 客席から笑い声が上がる。いつの間にか村人たちはジャコモの側についているようだった。


「ッ、止めなさい!」


 両手を組んで祈る真似を演じて見せるジャコモに、ついグイドは手を出していた。突き飛ばしてみれば老人の体は、見た目どおりに何ともか弱く体制を崩した。


「おお、怖い、怖い。しかしずいぶんと慈悲深いものだ、お前の信じる神は。先ほどからこれだけ侮辱されても、一向に罰を与えるつもりはないらしい」


 怒りに任せて暴力を振るってしまった罪悪感が、かえってグイドを萎縮させた。頭に浮かぶ反論も、口を出ることなく飲み込まれてしまう。問答は誰が見てもグイドの負けだった。


「だがな、俺の知る神はお前が思うほど慈悲深い御方ではない。信仰には奇跡を、罪には罰を。信じる者だけが救われる、それこそ正しき神の御姿だ。

 どうやらお前は異端の罪を犯しているらしいな。世に甘言を流布し人心を惑わせるその罪、主もさぞや御怒りあそばされていることだろう」


 杖を支えに立ち上がり、ジャコモは再び両手を組んだ。脇を締め、目を閉じ、ゆっくりと跪いてあごを上向ける。先ほどとは打って変わってその表情は真剣そのものだ。突然変わった空気に村人たちも思わず身を引き締めてしわがれ声に聞き入った。


「ああ、主よ、どうか主よ、我が目の前にいるこの異端者めに裁きの雷を御落とし下さいませ。宜しく()御願い()申し上げ()奉り候()


 その時、一瞬の閃光が天窓から見える夜空を白く染め抜いた。続く雷鳴に、悲鳴と感嘆の声が上がる。


 グイドはあまりの恐怖に後退(あとずさ)りした。しかし何かに足をとられ尻餅をついてしまう。もつれた足を見る。折れ曲がった銅細工の六芒星が彼の僧服を引っ張っていた。


 轟音が公会堂の屋根を突き破ったのはその直後だった。白い輝きに視界を奪われ、その瞬間を目視できた者はいない。天井の大穴と焼け焦げた建材、そして全身を焼かれた導師グイド・フェルミの姿だけで人々は神の奇跡を理解した。


 じわり、じわりと、朝焼けを受けるように村人たちの熱が上がる。ジャコモは説諭台に戻って皆に向き直ると再び大仰な動作で十字を切った。


「聞け! 真実の神は唯一にして絶対。人を正しき神の国へ導く教えとは聖天主(ジェズュ)教をおいて他にはないのだ」


 ジャコモの言葉は熱狂をもって迎えられた。神の奇跡を目の当たりにして、最早疑う理由もなかった。


「見て分かる通り、主は君たちの事を御気にかけて下さる。邪教に唆された罪も心の底から(かえり)みれば、必ず御許し下さる。救いを求めるなら祈れ。奇跡を信じるなら(あが)めよ。邪教によって汚された魂を、全き教えにより浄化するのだ。エイメン」


 口々に「エイメン」と唱えながら、人々は十字を切ってジャコモに応えた。ここに来るまでの道中ジャコモを軽蔑していたフェデーレも、似非坊主と罵ったロレンツォも、夢中になって十字を切った。正しく行えている者などいなかったが、ジャコモはそれを咎めなかった。


「ロレンツォ、ロレンツォ」


 ジャコモが声をかけると村人たちは一斉に口を閉じ、一言一句も漏らさぬようにと姿勢を正した。

 名指しされたロレンツォはばつが悪そうに目を伏せた。


「ジャコモ、いや坊さま、さっきはとんでもねえ失礼を」

「良いのだロレンツォ、責めてなどいない」


 ジャコモは優しく諭すように呼びかけた。心理とは不思議なもので、先ほどまで醜悪な鬼のようにも見えていたジャコモの凶相が、今の村人たちにとっては慈父そのものだった。ジャコモに許されたロレンツォなどは感激のあまり目頭を熱くさえしていた。


「ロレンツォ、先ほど俺がこの壇上に立つとき、何と言ったか覚えているか」

「いいや……すいません」

「怒りを向ける相手を間違えてはいないかと、そう言ったのだ。今なら言葉の意味が分かるな」

「はい。あんたに怒るべきじゃなかった。聖教会、いやくそったれの教会が悪いって、そういうことですね」

「それは事実だが、真実にはまだ届かないな」ジャコモは小さく頭を振った。「何故ならロレンツォ、あの悪魔崇拝者どもをどれだけ罰したところで君の怒りは晴れないだろう。君たちの妻や娘や妹たちは涙を流すことを止めないだろう。どうしてだと思うね、フェデーレ」


 不意に尋ねられたフェデーレの脳裏に地獄のような畦道が蘇った。


「親父を殺したのも、姉貴を犯したのも、聖教会じゃない。傭兵だから」

「その通りだ。悪魔崇拝者どもだけではない。あの悪逆非道な傭兵たちも罰を受けるべき罪人だ。殺された者たちの無念は奴らの命でもって贖われなければならない。そうだろう」


 問いかけるジャコモに村人たちは同意した。「そうだ」と叫ぶ男の中には失った家族を思ってか、涙を流す者もいた。


 治まる気配のない熱狂の渦はジャコモ自らが火をつけたものだ。然るにジャコモは幾度も説諭台を叩き、聴衆の口を閉じさせた。


「しかし、しかしだ。一つ疑問に思う事項がある。傭兵というものは概して利に聡い。そんな奴らが襲いたくなるほどこの村は裕福か。奴らはここペルーノ村を襲って一体何を得たと思う、え、ウーゴ村長」

「とんでもねえ、生きていくのだってやっとでさ。金はもちろん食い物だって足りてねえ。女だって特別美人がいるわけでなし、何だってあいつらこんな寂れた村を」


 涙ながらに語るのは孫娘を思い出したからだろう。特別器量が良いわけではなかった。それでも村長にとっては目に入れたって痛くない最愛の存在だったのだ。傭兵の狼藉に理由があるなら是が非でも知りたかった。


「金でも麦でも女でもない、それでも悪事を働くのはそれが奴らの仕事だからだ。傭兵は雇われたからこそ悪事を働いている。ではその傭兵を雇ったのは誰だ」


 あまりに常識過ぎて答えが出るまでに間があった。傭兵はそもそも奪うためではなく守るためという名目で雇われたのである。ペルーノ村のような貧しい農村に守るべき富などない。富を有する者と言えば、


「行政府」誰かがぽつりと言った。

「商人だ」別の誰かが付け加えた。

磔刑(たっけい)に処されるべき者たちが出揃ったな」ジャコモは指を三本立てて示した。「六芒星の導師、傭兵、そして商人。だが気づいているか。刑台にはもう一つの空きがある」


 村人たちは顔を見合わせた。導師、傭兵、商人。誰の口からもこの他の悪は出てこなかった。


「もっと広い視野で考えてみよう。平民には税を納める義務があるな。君たち農民の場合それは麦であり野菜である場合が多いだろう。このペルーノ村で作った麦や野菜はどこに納められる」

「南都市レノーヴァだ」

「そう、レノーヴァ。レノーヴァ行政府の管理下にある土地の産物は全て都市に納められる。戦の影響で変わるが、レノーヴァから五十里四方にある村や町はレノーヴァ行政府の支配下にあると言っていいだろう。そしてその一部が今や形だけとなった公都リティッツィに集められ、ルオマ中から集められた富はルオマを出てある場所に納められる。さて、君たちが作った麦や野菜が最後に行き着くところが、どこだか分かるかね」

 村人たちは各々頭に地図を思い浮かべ、順々にジャコモの言葉をなぞっていった。村から都市、都市から公都。公都を出て、行く先は、


「王都だ。王都パラディス」

「いかにも、天下を統べる王家の元だ。今は空位となっているが、この世の全ては王によって治められてきた。王は広大な領地を貴族に分け与え、貴族が君たち平民を働かせることで天下は回ってきたのだ。ルオマとてその例外ではない。奴隷の上に平民が立ち、平民の上に貴族が立つ。これが王国を支える身分の仕組みなのだ」


 ジャコモは言葉を区切って聴衆を見渡した。学の無い農民たちはそれだけに素直な心で感心していた。衆目はすでに演説の(とりこ)だった。熱の入った眼が例外なくジャコモに集まる。


「これはつまり、乱世の責任の全ては支配者である王と貴族に帰結する、とは考えられないか」


 壇上のジャコモは神学教授さながらに論の要諦を説明した。強く叩きつけた拳が説諭台を揺らし、台上から転がり落ちた酒瓶が音を立てて砕け散る。床板に広がる紫色の葡萄酒は血のような色を見せて蝋燭の薄明かりを照り返した。


「邪教が世に蔓延(はびこ)るなら、傭兵が非道の限りを尽くすなら、商人が私利を(むさぼ)るなら、貴族にはそれを止める権利と義務がある。何人も王を除いて貴族の上に立つことはできないのだから。

 然るにルオマの貴族はその義務を怠っている。富の力で懐柔され、領政を商人に依存した結果が邪教の信仰であり傭兵の跋扈(ばっこ)なのだ。支配者としての責任を果たさなかった貴族もまた、裁かれるべき悪ではないのか」


「そうだ。その通りだぞ」村人たちは答えた。導師が悪い、傭兵が悪い、商人が悪い、貴族が悪い。鼻息を荒くして口々に叫ぶのは所在を見つけた敵の名だった。つい数刻前までは思ったところで恐れ多くてとても口にできなかった呪いの言葉だった。


「『求めよ、さらば与えられん』。求めるものがあるのなら、取るべき行動は一つのはずだ。又子曰く、『天は自ら助くるものを助く』。迷うな。恐れるな。皆の者、今こそ立ち上がる時だ。天に約束された勝利を、必ずやこの手に収めるのだ」


 「エイメン」の掛け声が、小さな村の公会堂を揺らした。


 気勢を上げる村人たちの顔つきを見て、ジャコモは笑みを浮かべていた。ジャコモの扇動に応えた農民はこれで二千に及ぶ。虚をつけば都市の一つだって落とせない数ではない。


「父と子と聖霊の御名によって」


 十字を切りながら唱えるジャコモは、神の勝利を疑わなかった。

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