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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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六、父と子と聖霊の御名によって-1

 「ルオマの壁」が無事完成の日を見たのは着工から七十年余り後、四代シャルル王の時代だった。二代フィリップ一世謙虚王の治世がルオマの春なら、続く時代は夏であり秋であったといえる。なんとなればルオマの栄華はこの時代になっても衰えることを知らず、むしろ益々隆盛を極めていたのである。


 防壁建設事業は計画者の目論見どおりルオマの財政にわずかな赤字も与えることなく終了した。防壁によりもたらされた領内輸送路の安定はルオマ各都市に更なる富を集め、ルオマは数年と待たずガルデニア王国全体の、実に四分の一の財貨を有する経済大国となるに至ったのである。


 ルオマの歴史を振り返ってみても絶頂期と呼ぶにふさわしい発展であったが、この爆発的発展こそがやがて来る衰退の遠因となった。


 四代シャルル一世美男王の五年。防壁の成ったルオマでは事業終了に際して職を失った大量の人夫が問題となっていた。徴募された人夫はそもそもが農村部からあぶれた余剰な労働力であった。商工業中心の産業体系を持つルオマでは農業従事者が他領以上に軽く見られており、仕事をなくした彼らには再び故郷に戻ったところで職を持てない穀潰しとなる未来しか見えなかった。

 彼らの多くは肩身の狭い思いをするくらいならと夢を抱いて都市部に残り、結局は大半が物乞いに落ちた。そうならなかった者たちはというと、せっかく追い出した匪賊に代わり野盗まがいの行為で小都市の物流に少なからぬ損害を与えるようになった。


 事態を重く見たルオマ執政府は直ちに対策を講じることにした。折りしもルオマ財政は経済基盤の転換期であり、内需産業の縮小及び外需の拡大が執政府の総意である以上、一部とはいえ物流の支障は看過できない問題であった。


 講じられた対策は明快なものだった。領外より大量に傭兵を雇い、武力にものを言わせて殲滅したのである。都市部に溜まる浮浪者に対しては新たな公共事業を斡旋(あっせん)し、目下の問題は概ね片付いたが、この時すでに自らの繁栄が爛熟期を迎えていたことにルオマ執政府は気づいていなかった。


 問題の解決と反してルオマ財政は伸び悩みをはじめた。五代アンリ一世温厚王の十年には、ついに初の財政赤字を経験してしまう。執政府はその原因を領外情勢に問題ありと結論づけたが、根本はそうではなかった。領国経営不振の真なる原因は彼ら自身の政策にあったのである。





 統一初期のルオマ商人たちは互いに手を取り合って利潤の追求に努めていた。世界という巨大な市場において、生まれたばかりの商業国ルオマは詳細な協定を取り決めた連合により各商家間の利害を一致させ、全体主義的体制を敷くことで他国に対抗したのである。損失があればそれを補填(ほてん)し、利益があれば皆で分配する。

 協定の遵守(じゅんしゅ)を徹底した商人たちの努力に加えて、元来ルオマという土地に備わっていた地力によるところもあり、ルオマは繁栄の春を迎えることができた。他の追随を許さない経済発展はその市場を王国全土に広げ、「ルオマの壁」の存在と共に、南東公領ルオマの名を天下に知らしめる夏をもたらす。ここまでの足並みは完璧だった。


 続く時代、天下を動かせるといっても過言ではない程の財力を得た商人たちは自らも知らぬうちに秋を終えようとしていた。これまで右肩上がりだった税収は、緩やかにその成長を止め、突如として下降する。


 理由は二つあった。一つはこの世の富に際限などないものと思い込んだまま延々市場の拡大を続けたルオマ執政府、つまりは商人たち自身の失策。そしてもう一つは財布の紐を握られることで焦りと憤りを覚えたルオマ以外の国々の対応である。


 前者の愚かさについては言をまたない。例えるなら、あまり商売が順調なものだから未だ買い手のついていない絹織物の売り上げ見込み金で豪遊をしてしまったという、早い話が執政を司る豪商たちの(おご)りだった。無論赤字に気づかぬ商人たちではなかった。しかし欲望という際限のない原動力の(さが)か、彼らは自らの過ちを直視せず豪遊を続けてしまった。


 加えて間の悪いことに、この失策に対する諸国の対応が見事に正面から衝突した。市場におけるルオマの専横を防ぐために、各地の領主たちが多少の損失を覚悟の上でルオマ商人を黙殺したのである。完全禁輸には至らなかったが、周辺国のこの政策はルオマ経済に多大な損害を与えた。伝統あるいくつかの商家が破産し、賃金の支払いも滞って職人たちによる暴動が各地で相次いだ。


 この事により栄華の終わりを知ったルオマ執政府には、注目すべき変化が起きた。軍事的弱小国ルオマに富と名声をもたらした商人連合体が解散したのである。


 順を追って説明しよう。


 この時代、すでにルオマ執政府は本来の実質的な権能を失っていた。彼らが取り決め、議論する法案は、元老会という影の最高顧問により是認を決められていたのである。

 元老会はルオマの最盛期に時の執政議会長マルカントニオ・ピエリが結成した組織である。表向きは各都市議会の互助を目的としているが、その実体は執政府を裏で操る最高意思決定機関であった。


 暴動が大規模化したアンリ一世温厚王の十七年初冬、窓外に暴徒と化した職人たちの怒声を聞きながら、元老会役員達は包囲された執政府庁舎から二町ばかり離れた大邸宅にて、最後の会合を開いていた。庁舎が占拠され、執政議会員たちが次々粛清されてゆく最中、会合では茶菓を楽しみながら次代の執政人事と連合体の解散が決まったという。前者に関しては意見が割れたが、連合の解散に関しては満場一致の可決だった。


 天下の富の四分の一を手中に収め、そして挫折を見た彼らは、つまるところこのあたりが一公領にとっての限界であることを悟ったのである。


 同年仲冬、首のすげ替えられた執政府により、長らく彼らの生活を支えてきた公益団結協定の破棄が決定した。元老会は共通の利益の追求を止めると、各々基盤とする都市に帰り一豪商という立場に戻って再び富を求めるようになった。執政府議会はそんな彼ら個人の自由な競争を後押しする、あるいは妨げるための決まりごとを定める権力闘争の場と成り下がり、かつて世の行く末すらを左右していたルオマの国庫に在りし日の富が戻ることは二度となかった。





「まったく、ひでぇ話だよな」


 遅れがちに隣を歩く相方を振り返りながら、フェデーレ・ベリーニは喋らずにいられなかった。


「いつだって割を食うのは俺たち農民だ。商人連中にしてみれば俺たちが飢えようが死のうがお構いなし。麦がとれなきゃ買えばいいんだ、ってな。奴らの目には俺たちの命なんか金にでも見えてることだろうぜ。それも金貨や銀貨じゃない、銅貨がせいぜいうん十枚かそこらってもんだ。畜生め」


 夕焼けが二人の歩いてきた畦道(あぜみち)を黄昏色に染めている。まばゆい視界のそこかしこに、フェデーレは不自然な黒い影を認めていたが、強いてそれを注視することはしなかった。目を凝らせばそれが何なのか理解してしまうだろう。その理解はフェデーレを辛く厳しい現実に直面させてしまうはずだった。


 不意の西風が周囲にたちこめる嫌な臭いをさらっていった。辺りに落ちる黒い影が微風を受けてざわめき立つと、ざわめきはやがて不気味な合唱に変わる。空気を震わせる大合唱は無数の(からす)の羽ばたきだった。


 フェデーレは思わず耳と目を塞いだ。目が完全に閉じきる刹那、とうとう視界に映ってしまった光景に悲鳴を上げそうになる。烏が夢中になってついばんでいるのはベリーニ家の隣に独居している老婆の死体に見えた。


 こみ上げる恐怖に理性で蓋をして、フェデーレは目を開けた。改めて亡骸を見る。幼き頃フェデーレの頭を優しくなでてくれた骨ばった手が、変わり果てた姿で畦道に投げ出されていた。


 フェデーレは狂ったように叫んで隣人の死体から烏を蹴散らした。物言わぬ老婆の死体を見下ろして、気づけばやや後ろを歩いていたはずの相方に追い抜かれていた。


「ま、待ってくれよ、ジャコモ」


 黒い頭巾付の外套に身を包んだ小柄な老人はフェデーレを軽く一瞥すると何も答えずに歩みを続けた。杖を突き、片足を引き摺って歩く老人は程なくフェデーレに追いつかれた。


「待ってくれって、なあ、ジャコモ。あのまま放っとくなんてあんまりだ。あそこに倒れてたの、モニカ婆さんだった。ガキの頃から、世話になった婆さんだったんだよ」


 ジャコモ・レイは足を止めるとぞんざいに十字を切り、再び歩き出す。祈りも悔やみも口にする気はないようだった。


「そ、それだけなのかよ、ジャコモ。ちゃんと(とむら)ってやろうぜ、婆さんが可哀そうだ」


「何故だ」肩をつかまれたジャコモは表情を変えずに顔だけを向けた。


「何故って、酷いだろ、あんまりじゃねえか、こんなの放っておくなんてさ」

「あそこで死んでいる婆さんはガキの頃から世話になった婆さんだから不憫(ふびん)で、周りに転がってるそれ以外の(むくろ)はそうじゃないから放っておいても構わないのか」

「そ、んな、ことは……もちろん、皆弔ってやりてえけど」

「自分のために墓を掘りたいというなら止めんさ」

「何だよそれ」

「墓など(こしら)えている間にまた奴らが、――傭兵が来るぞ」


 傭兵。その言葉を耳にした瞬間、フェデーレは全身から血の気が引いていくのを感じた。


「すればお前が今から掘る墓にはお前自身が入ることになるかも知れんな、え、フェデーレ」


 何も言い返すことができないフェデーレを軽く見やり、ジャコモは再び畦道を歩き始めた。

 フェデーレは俯いたままジャコモの後に続く。止めどない涙が頬を滑り落ちた。下唇を強く噛み締めたところで、恐怖も罪の意識も消えてくれたりはしなかった。





 ルオマの豪商たちが足の引っ張り合いと富の奪い合いに終始している間、アンリ一世朝は四十二年でその治世を終えた。

 次代を継いだのはアンリ一世の娘婿、ハルケンラント公ジャン。後に暴虐王と渾名される稀代の暴君の誕生である。


 ジャン二世暴虐王の悪政により訪れた乱世の嵐は、弱卒にして戦下手で知られるここ南東公領ルオマにも吹き荒れた。自己の利益と他者の損失を増やすために、暴力という手段がいかに都合のいい方法であるか、豪商たちは乱世から学んだ。


 さりとて、彼らルオマ人にとって戦争は金の勘定よりもはるかに高度な技術だった。そもそも富以外の方法で力を示せていればルオマに忍従の冬など来なかっただろう。


 聡明なルオマ人は組織的暴力を、それを専売する他者に丸ごと依存することにした。即ち、傭兵の雇用である。


 ルオマ領内の権力はどれだけ多くの傭兵を雇えるかによって決まるようになった。各都市は富の保全のために市街を壁で囲い、対立は激化の一途を辿った。


 苦難を強いられたのは富を持たざる農民たちであった。市壁に守られていない農村などは、傭兵にしてみれば手頃な獲物だった。都市部の豪商にしたところで、農民は壁で囲ってまでして守らなければいけない存在ではなかった。


 ルオマではもう何年も前から食糧の自給を諦めていた。農耕は利率の低い商いだ。額に汗して一年中土いじりをしても大抵の農家が食っていくのがやっとでは話にならない。食料なら他所から買えばいい。労働力だって都市部には余っているくらいだ。生活の困窮を分かっていてなお大地にしがみつくのは、要するに時代の流れから落伍した敗北者でしかない。いかで守る価値などあろうか。それが支配者である商人の総意だった。


 富裕者の小競り合いの度、農民たちは畑を焼かれ、家を壊され、女子供をさらわれ、抵抗したものは殺された。


 フェデーレの住むペルーノ村も、そんなありふれた農村の一つだった。

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