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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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四、一等級に能わず

 街道を進むのは百名余の男たちだった。各々統一感の無い得物を携えて、平服に篭手と鉄靴(てっか)脛当(すねあ)てのみを身に着けた中途半端な格好のまま、雑多な音を響かせながらだらしなく練り歩く彼らこそ、北はゲルジアから南はエスパラムまで天下に広くその名を轟かせている傭兵隊、「エッセンベルクの白狼」である。


 牛のように鈍重な歩調は一行を率いる男に原因があった。


 隊列の先頭には二頭の馬が(くつわ)を並べて悠然と歩みを進めている。


 その片方の背に(またが)る青年、ライナー・ランドルフは何か見つけるたびに逐一足を止め、併走する彼らが隊長殿に報告するのである。


「見ろよ隊長殿、でっけえ糞が落ちてるぜ。何の糞かなこりゃあ?」

「さあな」


「隊長殿あの鳥、すげえ派手な色してるぜ。捕まえたら高く売れるんじゃねえかな」

「かもな」


「隊長殿、腹減ったぜ。ここらで休憩にしようや」

「そうだな」


 隊長殿の気のない合図で伝令が走る。日も高いというのに本日何度目かの大休止だった。


 ハインツ・プリッケンは苦々しく舌打ちしながらも馬を止めた。照りつける太陽から逃れたかったが辺りは見渡す限りの荒野だ。奇襲を受けるような危険はないが休むに適しているとも言いがたい。


 馬鹿め、と口中でつぶやいたところで、横に並ぶ幌馬車から声をかけられた。


「旦那、旦那」御者(ぎょしゃ)台から身を乗り出しているのは好色坊主のエティエンヌだった。

「また休憩かよ。やっぱライナーのやつに先導役を任せるのはよくねえんじゃねえかな。こんな調子じゃ公都まで何年かかるか知れたもんじゃねぇぜ」


「分かっている」ハインツは眉間の(しわ)を深くして答えた。「だが隊長殿が決めたことだ。文句があるなら直接言え」


 彼ら白狼隊がベルガ村を出たのは三日も前のことだった。一日十里程の緩やかな速度で一路目指すのは隊長曰くエスパラムの公都ナバーリャである。


 逃亡奴隷の捜索に出た夜、合流地点の廃村で再会した隊長の様子は、ハインツが未だかつて見たことのないほど不機嫌だった。


 損害の報告をしても生返事を返し、首尾を尋ねても「逃げられた」の一言以外は語ろうとしない。仏頂面の隊長殿は残兵をまとめると夜半のうちにベルガ村へと帰着し、翌朝早くには撤収の指示を出した。さぞかし急いでいるのかと思えば先導役を隊内一の自由人ライナーに任せ、牛のような歩調で景色など眺めている。


 はっきり言えばこれ以上ないほどに最悪の人事だった。旅程は長引き、糧食その他の消費がかさみ、かと言ってこれから仕官する予定の領地で徴発などするわけにもいかず。半分は考えの足りない先導役の責任だが、もう半分はそれを任命した隊長の負う責である。


 エティエンヌは髪のない頭をかいて一行の進路を見やった。


「ったく、どうしちまったんだ隊長殿は」


 ハインツは歯をかみ締めて同じ方角をにらんだ。まったくの同意見だが、何度注進したところで、彼らの隊長は聞く耳を持たなかった。





 結局、平時の倍の時間をかけて一行は公都ナバーリャに到着した。


 南西公領エスパラムの都として栄えるこのナバーリャは、開けた平地に鎮座する一大都市だ。元々開耕地の多くないエスパラムだが、他領と隣接する街道のほど近くに位置するこの街だけは例外だった。あるいは戦火から逃れ、あるいは生活に困窮し、内外から集う富と人が己らのために土地を拓き続けて、気づけば人口は十五万を超えるという。


 一昔前までは単なる軍事拠点の一つに過ぎなかったナバーリャは今や押しも押されぬ南部の都であった。


 市壁を取り囲む外周区にて、一行を迎えたのは白狼隊の大多数と共に留守居を任されていた会計役エンリコ・カヴァラドッシだ。


「やあやあ隊長殿、無事でよかった。聞いたぜ、魔人が出たんだって」


 宿舎として借り受けていた旅籠(はたご)で久しぶりに顔を合わせたエンリコは開口一番にルオマ人特有の軽口を叩いた。


「いや俺も心配だったんだ。みんな連れて合流しようかって本気で考えた。けど勝手に隊を動かしたら先方に何言われるか分かったもんじゃねぇだろ。そいつはとても都合が悪い。だから止めたぜ。そりゃ必死さ。ご存知の通りうちの隊は血の気の多いやつらの詰め合わせだからな。骨が折れたぜ。いやホント。我らが隊長殿が魔人ごときに負けると思うのかって、最終的にはこの一言が決め手になった。なんだかんだ言って皆隊長殿のことを信じてんだな。もちろん俺も、絶対無事に帰ってくるって信じてたぜ。ホントだって」


 肩を組んで酒を勧めるエンリコは珍しく反応の悪い隊長の様子を気にも留めず、どこか疲弊した感じのある仲間たちを指折り数えながら酒杯を呷った。


「で、ライナーもハインツの旦那もエティも無事ってことは、俺の読みは当たってたんだろ、え、隊長殿」

「ああ、ああ、ご苦労。皆無事だよ」


 後は任せたと言わんばかりに手を払って客室に篭もろうとするヴァルターの服の裾を軽薄な会計役は慌ててつかんだ。


「ちょっと待った隊長殿、先方からの言伝(ことづて)で、帰ったらすぐ顔出せって」

「気分じゃねえ。明日帰ることにしといてくれ」

「あーそりゃ一足遅かったなぁ。さっき隊長殿が今日帰るって早馬出しちまった」

「……分かったよ」うんざりといった風に舌打ちをして、ヴァルターは(きびす)を返した。そのまま旅籠を出て行く隊長殿にハインツが慌てて続く。


 おい、待て、その格好で謁見する気か。狼狽する副隊長の声が通りに響く。エンリコは不思議そうに二人を見送りながら残った二人に尋ねた。


「女にでも振られたのか、隊長殿。えらく元気がねえじゃねぇか」

「悪いもんでも食ったのかなぁ」


 道中ずっと隊長殿の相手をしていたライナーは隣の坊主と顔を見合わせ首をすくめた。





 ハインツ・プリッケンは背中に冷や汗を感じながら落ち着きなく足を揺すっていた。自分とヴァルター、たった二人のために用意された控えの間は見せつける様に配された絵画やら陶磁器やら(ぜい)を凝らした美術品の類に包囲されていてとても落ち着ける雰囲気ではない。


 が、何より彼を不安にさせるのは隣にいる隊長殿の態度だった。ちらりと横目で見た隊長殿はこの部屋に通されたときと同じ姿勢を寸分も変えず、開いているのかいないのか分からない目を組んだ両手に落としている。謁見に際して失礼の無いようどうにか格好だけは改めさせたが肝心の中身のほうは相も変わらず放心状態であった。


(こんな調子で……)


 ぼろを出さなければ良いが。ハインツには今不安しかなかった。最前体調不良を理由に延期を申し出たがエスパラム公直々の要請ということで断りきれず、彼の心境はまさに法廷に立つ被告人に近いものがあった。


 果たして、判決を告げる聖職者さながらに、エスパラム公の近習が案内を告げに来た。


 二人は近習に従って控えの間を出た。しばらく廊下を歩き、両開きの大扉を押し開けると深紅の絨毯が視界を染め上げた。足首まで沈みそうな感触を踏みしめてハインツは歩を進める。


 開けた大広間の両側には数十名からなる公の直臣たちが煌びやかな正装に身を固めて佇立(ちょりつ)していた。

 正騎士筆頭のマルソン卿をはじめ、ガラドナ伯ペドロ、モングダード伯カルロス、セビリア伯アルフォンソに聖教会教頭ラウル・デ・ダレンシア、ナバーリャ市議会長テオドロ・マテオスまで、見るものが見れば錚々(そうそう)たる顔ぶれであったが彼らが上段に奉じる男に比べればその威容には見劣りする感がある。


 男は右の肘掛に身を預け、気だるげに下界を見下ろしていた。ただしその眼光は野獣のように鋭く、白の混じった栗色の総髪はさながら虎を思わせる。頬杖に支えられる右の口角だけがつり上がり、不揃いな無精髭の中に見えるまるで玩具を見つけた子供のような微笑が不気味だった。


 ハインツ一人なら思わず立ち止まっていたことだろう。いささかも臆することなく広間の中心へと歩みだした隊長の背中を追うことで、ハインツは何とか射竦められずにすんだ。


 客がひざまずくのを見届けると、広間の中央に座すこの宮城の主、エルネスト・デスパラムは空いている左手で拝顔を許した。


「おう、ご苦労だったなエッセンベルクの。話は聞いてるぜ。色々と手間をかけてくれたらしいじゃねえか」

「……はぁ」


 ヴァルターの気のない返事に当代エスパラム公は誤解した。


「魔人とやり合えなかったのがそんなに残念か? まあ、いずれまた機会も来るだろう。がっつくなよ」


 そんなことより、とエスパラム公は側に控えている近習に合図した。近習は預かっていた長剣を捧げ持ち、主に差し出した。


 金属の擦れ合う音が厳かな広間に反響し、採光窓から差し込む光が剣身を照らす。エスパラム公は抜き放った剣を片手でもてあそびながら続けた。


「そんなことよりも、だ。今日わざわざ呼びつけたのは他でもない。貴様に頼みたい仕事ができた。いや、貴様らに、か」


 エスパラム公は立ち上がった。安くはないであろう絨毯に長剣を突き立て、その柄頭に両手を乗せて威風堂々たる姿でヴァルターを見下ろした。


「傭兵隊エッセンベルクの白狼、貴様らを一等級の待遇で雇おう。約束の半数には足りてねえが、実力は分かった。ついでに正騎士の叙任もしてつかわす。近う寄れ」


 ハインツは注意深くヴァルターを(うかが)った。願ってもない朗報だったが隊長の様子に彼の期待したような変化は見られない。止めどない汗が絨毯を濡らした。


「遠慮はいらねぇぜ。ちょうど面子も減っちまったし、筆頭のマルソンも推薦してる」


 主に顎で示されて、エスパラム最高の騎士と名高いエンリケ・デ・マルソンは目礼した。彼こそが自他共に認めるエスパラム正騎士の代表者であり、このエスパラムにてヴァルターが最初に倒した正騎士であった。彼が推薦するなら、それは即ちエスパラム正騎士の総意を意味した。胸の内に含むものがあったとしても、政治的な意味が覆ることはない。


 つまりはこういうことである。


「こと武芸において、貴様に勝る正騎士はこのエスパラムにはいねぇってわけだ」


 故に、大胆にも思える此度(こたび)のエスパラム公の人事に異を唱えるものはいなかった。少なくとも、公の臣下の中には。


「……恐れながら、申し上げます」


 異を唱えたのは叙任を推薦されている当の本人の口だった。ヴァルターは苦虫を噛み潰したような渋面で言葉を継いだ。


「エスパラム公殿下、その叙任を、お受けするわけには参りません。なぜなら小生は」


 震える声が途切れた。握り締めた拳が(きし)む。綺麗に飾った言葉を嚥下(えんか)して、ヴァルターが吐露したのは彼が何人にも語りたくはなかった真実だった。


「……俺は負けました。一対一の、決闘に」


 一瞬で、広間が静まり返った。


 急冷する空気に身震いしたハインツは思わず隊長を睨んだ。ハインツの目には隊長の背中だけしか映らなかった。彼の視界の中の隊長は役目を終えたとばかりに何も語らずひざまずいていた。


 周囲がにわかにざわめき始める。

 出過ぎた真似と承知しながら、ハインツは口を開いた。


「殿下、隊長は長旅で疲れております。しばしの暇を」

「口を挟むな」公は一言でハインツを黙らせた。剣呑な面差しでヴァルターを見下ろし、改めて尋ねる。


「決闘に、負けたと言ったか」

「はい」静かに、しかしはっきりと、ヴァルターは肯定した。

「相手はギョームか、ジョエルか? 報告じゃあ魔人にやられたって話だったが」

「いえ。俺が負けたのは、ベルガ村の、奴隷です」

「奴隷だと」


 (しぼ)り出すようなヴァルターの返答に、エスパラム公も思わず言葉を失った。騎士として、臣下として、公が最も信を置くマルソン卿をして領内に並ぶ者のない武芸者と言わしめた程の男が、こともあろうに決闘で負けたと言うのである。


「その奴隷、どこぞの騎士崩れか? 名を名乗ったか?」

「出自は知れませんが、名は聞きました」


 ヴァルターは記憶を辿りながらその名を口にした。


「聞かん名だな」公は眉根を寄せた。「少なくともこの辺りじゃあ」

「見るからに奴隷といった風体でした。小柄で、髪が黒くて、歳は若い。俺よりずっと」


 ヴァルターは大きく息を吸い、立ち上がった。真っ直ぐな瞳で公を見上げる。


「負けたんです、俺は、そいつに。真正面から、完敗でした。だから――」


 ぐっと唾を飲み込む音がする。ハインツにはその表情は分からなかったが、真っ赤になった耳と握り締めた拳を見れば想像できた。


「殿下の騎士となるわけには参りません。俺にはその資格がない。一等級などもってのほか。殿下のお望みする等級で構いませぬゆえ、どうか貴軍の末席に加えていただきたく」


 一息にまくし立てるヴァルターの言葉を、(さえぎ)ったのはエスパラム公の哄笑(こうしょう)だった。


「馬鹿な男だな貴様は」


 公はひとしきり笑い終わると立てていた長剣を引き抜いた。


「馬鹿は好かん。が、真面目な馬鹿は嫌いではない。俺の騎士になれ、ヴァルター・フォン・エッセンベルク。この叙任を不服と思うのなら、立てた手柄で返上してみせろ」


 公は剣先をヴァルターに突きつけ、残る片手で彼を差し招いた。


 ヴァルターは屈辱を飲み込んでその足元にひざまずいた。栄えあるはずの叙任の儀式は、羞恥に染まる真っ赤な顔のせいで、とても厳粛には見えなかった。





 余談となるが、「エッセンベルクの白狼」の正騎士叙任と時を同じくして、一人の男の名がエスパラムの巷間(こうかん)(ささや)かれるようになった。


 ――ナイトリュー・モクロック。


 「エッセンベルクの白狼」に生涯で初めて挫折を味わわせた謎の騎士の名は、当の本人のあずかり知らぬところで、後代にまで語り継がれることになるのだった。



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