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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第四章「サン・タルテュール」
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五、一番最初の騎士

 屋根の上で小鳥がさえずり、様々な色で鮮やかに染められた庭園からは少女たちの慎ましい笑い声が聞こえてくる、のどかな午前のひと時。


 木目の起伏を指でなぞりながら、とうとう我慢できなくなったガブリエッラはつぶやいた。


「退屈ね、ここ」


 言ってしまってから彼女は後悔した。少し前から気づいてはいた事をあえて口にしなかったのは、言葉にすると余計にその気持ちを強く実感してしまうと思われたからだ。当初はそれでももう一方の選択肢として提示されていたヴィラゼ大学での「宗教における絵画と音楽」の講義よりはましなはずと自分の心に言い聞かせてきたが、そんな自己弁護ではものの四半刻足らずで限界が来てしまうほど、彼女にとって聖アルテュール記念館とは退屈な場所であった。


「そうですねぇ」


 一方、主人の嘆息に答えたジェルソミーナは左右対照の微笑みで軽く口角を上げたまま、パッチリ開いた目を天井やら床やら壁やらそこに掛かっている肖像画やらに忙しなく行き交わせて、いかにも興味津々と言った様子である。が、実際のところそれらの展示や何かに彼女が格別の興味を持っているわけではなかった。ニコニコと楽しげな表情は元からだし、あちこち視線を走らせているのはルオマ騎士ジェルソミーナ・マシーナの職務がその身命を賭してルオマ公姫ガブリエッラの安全を守る事だからである。彼女個人の意見としては退屈なわけでも特別面白いと思っているわけでもなかったが、彼女には主人の言葉を飲み込む前にまず肯定すると言う癖があった。


 短くはない付き合いの間でその癖を承知しているガブリエッラは退屈しのぎの話し相手を彼女に求めた。


「ねぇミーナ、読み書きの勉強はどうなの? ちゃんと続けてる?」


「はい。続けてますよ、姫様」


「じゃあ、あれ読んでみてよ」


 ガブリエッラが指したのは入り口近くの柱に掲げられている木板だった。前のめりに立てかけられた長方形の板の表面に細かく並ぶ文字の列。表題には「アルテュール・ナタン・ドゥ・ラ・シャルメ」とある。以下に続く文章は彼の足跡を記した概要のようだ。


 例のごとく「はい」と即答したジェルソミーナは年季の入った木板の正面に立つと、軽く咳払いしてたどたどしく音読を始めた。


「えぇ~、アルテュール・ナタン・ドゥ・ラ・シャルメ。生年不詳。クルトの人。初めクルト族の長イントスに仕え」


「イントッシュよ。ここ、綴りが違うでしょ?」


「はい、イントッシュに仕え、アグソン人との戦いで名を上げる。第二次クルタグソン戦争の折にガルデン人の王ルイと縁を持ち、クルト族との仲立ちを務めた後イントッシュと共にルイに臣従。以後はガルデン軍の一翼を担い、天下統一までの間に数々の戦を勝利に導いた。統一後、ガルデニア王国の建国における多大な功を賞され、ルイ一世の四女マルゲリットの後見として王都の南ラ・シャルメに領地を賜ると、信教者の保護と領地開発に力を入れ、ラ・シャルメ伯領の礎を築く。統一王の二年仲冬に老衰のため死去。遺体は故人の希望で火葬され、半分に分けられた遺骨が郷里の北西公領クルトと王都パラディスに設けられた墓所に埋葬された。死後百年を経て、ジャン一世善良王の時代に列聖され、騎士と知恵の守護聖人聖アルテュールと称される」


 読み終えるとジェルソミーナは窺うように主人に視線を送った。ガブリエッラは眉根を寄せながら木板をひとしきり眺めた後、吐息混じりに答えた。


「まあ、よろしい。クロエ女教ならこう言うわね、きっと」


 口元に浮かぶ微笑を見てジェルソミーナは胸を撫で下ろした。彼女の、そして彼女の主人の読み書きの師であるクロエ女教は、どれだけ出来が良くても決して手放しでは教え子を誉めない女性だった。


「それで、読んでみて何か感想はないの?」


 ガブリエッラは一仕事終えた雰囲気の従者に尋ねた。


「はい」反射的に答えた後で、ジェルソミーナはただでさえ丸い目をさらに丸くして尋ね返す。「感想、ですか?」


「あなたも騎士じゃない。何か思うところはないわけ? 騎士と知恵の守護聖人について」


「はい、そぉ~ですねぇ~」

「止まれ!」


 不意に上がった鋭い声に、二人は揃って顔を向けた。見れば門の前でジェルソミーナの同僚の女騎士二人が抜き身の長剣を交差させて若い男の通行を遮っている。


 ジェルソミーナは抜かりなく得物へと手を伸ばしながらその男の様子を観察した。背は高くない。わたしと同じかちょっと高いか。黒い髪に灰色の袖なし外套。お坊さんじゃないみたい。地味な色合いだけど身奇麗にはしてるように見える。あ、腰に剣。でも全然手をかけるそぶりもないな。自分は二人から突きつけられてるのに。足元にいるのは犬? 結構大きい。それと馬。え、馬?


 一見して特に脅威を見出せなかったジェルソミーナはさらによく観察することでようやくその妙な生き物の存在に気づいた。金切り声を上げるのも無理はない。男が引く手綱につながれているのは馬と同じくらい大きなトカゲなのだ。


「うそ……あれ……」


 同じく大トカゲを認めたと思われるガブリエッラの声が微かに震えている。普段おてんばなところのある彼女からは想像も出来ないか細い声だった。


 ジェルソミーナは主人の前に進み出て慎重に得意の短剣を抜いた。何に代えても姫様は守ると、強く決意してその視線をトカゲに据える。


 が、当の姫様はその背中をすり抜けるようにして飛び出すと、いつも通りのおてんばで靴も履かずに前庭を駆け出した。


「あ、ちょ、姫様! 危ないですよ!」


 制止の声に振り返った二人の騎士は、ここしばらく見ることのなかったルオマ公姫の満面の笑みを目撃して呆気に取られた。彼女たちの姫はその間隙にあっさりと脇をすり抜け、勢いそのままに不審な若者と大きなトカゲに飛びついて叫んだ。


「エイジ! ハナ! 嘘でしょ!? 信じられない!」


 ルオマ公姫ガブリエッラは男とトカゲの首をがっしり抱きしめて放そうとしなかった。その熱烈な歓迎に男――とトカゲ――は初め困惑の表情を浮かべるばかりだったが、やがて何かに気づいた様子ではっと目を見開き、自信なさげに尋ねた。


「ガブリエッラ、公姫殿下、ですか?」


 ガブリエッラは束の間強く抱きついていた手を緩め、相手の顔を見上げながら答えた。


「ええ、そうよ。ルオマ公家の次女、ガブリエッラ。でもガビーでいいって言ったじゃない。忘れちゃったの?」


 大きなトカゲは覚えているらしい。甘えるような声を出してルオマ公姫の頬にごつごつした頭を押し付けている。足元にいた犬はせわしなく周りをうろついてしきりに彼女の臭いを嗅いでいるが、下がり気味の尻尾が小さく揺れているあたり敵意は持っていないようだ。そしてエイジと呼ばれた若い男もどうにか状況を飲み込んで答えた。


「お、久しぶりです、ガビー殿下。えっと、どうしてまた、こんなところで?」


「あなたこそどうしたの? わたしてっきりブリアソーレで傭兵をやってると思ってたのに」


 無邪気な問いかけはエイジの返事を詰まらせた。彼は微かに眉根を寄せて、自分を見つめる真っ直ぐな瞳から目を逸らして言った。


「色々あって、今はちょっと一人で旅を」


「そうなの。まあいいわ。詳しい話は中で聞かせて」


 ガブリエッラはエイジが一瞬だけ見せた表情の陰りを気に留めなかった。なにせ自身の状態にも関心を持たないほど興奮しているのだ。ようやくのことでエイジとハナを解放するや高級な絹織りの靴下で躊躇なく石畳を踏み、そのまま彼の手を取ると三人の女騎士が守る門の向こうの建物を指差して続ける。


「座って休める場所もあるから。知ってる? ここ、聖アルテュール記念館っていうの。素敵なところよ」


 つい先刻同じ口が退屈などとのたまっていた事実を覚えているのはジェルソミーナだけだった。ガブリエッラは未だ警戒を解いていない様子の三騎士を見て形の良い眉の間に小皺を作った。


「ちょっと、オレリアとエルマ、それにミーナも、物騒なものはしまって。エイジは私たちルオマ公姫の」


 言葉を止めて口角を上げる。考えるまでもなく、今この場にルオマ公家の姫は一人しかいない。


「わたしの騎士よ。一番最初のね」


 ガブリエッラは振り返って彼女が初めて叙任した騎士に目配せした。突然順番を回された彼は戸惑い、何とか言葉を模索しながら応えた。


「あ、どうも、エイジ・ナイトウです。……その、よろしく、お願いします」


 これほど威厳のない挨拶を、彼女たちは今まで見たことがなかった。もちろん納得はいかなかったが姫の命でもある。オレリアとエルマは渋々長剣を鞘に納め、ジェルソミーナも二人に倣った。


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